第35話

 姫野の記録には井沢を隠し撮りした「自撮り」のことは書いておらず、行間について井沢が姫野に聞いた際もぼかしていた。しかし「自撮り」画像を盗み見て知っていた十勝はおおよその見当を付けており、ニヤニヤしながら井沢の顔を覗き見た。


 どんな反応をしているか、意外にも顔を真っ赤に染めていないか、と期待はしたものの、姫野にぼかされた井沢は、何も疑うことなく、十勝の想像したような変化は見られなかった。


「まさか僕が4年前に姫野を助けていたなんてな……。それにしても姫野、君は……」


 と井沢が思い付いたように言葉を発すると、姫野はビクンと肩を跳ね上げ、十勝は面白そうに姫野と井沢を交互に見た。そして井沢は


「そんなにケーキが好きなのか……? わざわざ後を付けるほど……? 既に飽きるくらい巻き戻りの実験でケーキやパフェを食べ尽くしたのに……?」


 と問い掛けた。十勝はがっくりと肩を落とし、姫野はわなわなと震えながら、顔を真赤にして大声を張り上げた!


「好きなんかじゃないわよ!!」




 3人は井沢がまとめた表や考察を眺め、うんうんと考え込んでいた。姫の目線の記録が元になっている以上、どうしても坂道姉妹のように、姫野から観察しにくい変化についての情報が乏しく、推測に推測を重ねるしかない。


 何度か3人は新しい法則や例外を考案してみたものの、記録と矛盾していたり坂道姉妹の説明と食い違ってしまったり、これといった解決に繋がらなかった。


 そして、時刻は19時を回った。十勝が空腹を訴えたところで夕ご飯休憩となった。




「え、夕ご飯までごちそうしてもらっていいのか?」


 井沢が驚いて聞き返すと、姫野はフフンと鼻を鳴らして答えた。


「いえいえ! 私のためにこうして集まってもらってるのに、外で食べさせるのも気が引けます! たまたま、冷蔵庫に材料が余ってて困ってたところだったので、ちょうどいいんです! まだまだこの後も3人で考えたいので、移動時間ももったいないですし、もう作り始めますからね! いいですね?!」




 お昼ご飯も姫野の手料理で、しかもあからさまなほどではないにしろそれなりに高級な食材をふんだんに使ったものだった。姫野はお隣さんから分けてもらったものとか余ってて困っているからと言っていたが、どう見ても平凡な住宅街でお隣さんが分けるようなものではなかった。


「まあまあ、折角なのでお言葉に甘えましょうよ~、井沢さん。結夢のお料理、とってもおいしいんですから~」


 十勝はお昼ご飯の至福を思い出し、媚びるような声で井沢をたしなめた。




「これは……またすんごいおいしいな……」


 井沢が素直に褒める。


「何ていうか、アレだ。その、旨味が……うまい……」


 ただ、井沢には語彙力がなかった。


「も、もちろん、食材がいいですからね!」


 と姫野はそれでも上機嫌だ。


「ねね! 結夢ぇ! このハート型に並んでるソース何ぃ?? 私へのプロポーズ??」


 と十勝が囃し立てても、


「うんうん、そうそう。さすがゆっちは舌が肥えてる」


 と上の空で、井沢の食べる表情を食い入るように見ている。


「……どうですか?!」


 と姫野が前のめりになって井沢に聞くと、


「え、いやさっき言った通りだけど……おいしいよ?」


 と井沢は頭上に疑問符を浮かべていた。




「いやー、しかし夕飯前には解散するくらいのつもりでいたが、夕飯までごちそうになってしまって申し訳ないな。これは食後も本腰入れて考えなきゃな」


 食事も終わりに差し掛かった頃、井沢がしみじみと言った。


「お構いなく。引き止めたのは私ですし、今日は何かアイデアが出そうな気がするんです。食べたら、頑張りますよ!」


 という姫野の返しに、十勝はピクンと反応した。


「結夢、もしかして……?」


 と十勝が問うと、姫野は慌てて十勝から目を逸らした。




「それでは張り切って、再開しましょう!」


 再開後すぐに、姫野は法則と例外則について、1つのアイデアを出した。井沢はそれを記録と照合し、整合的であることを確認すると、喜びと姫野への賛美の声を上げた。


 姫野もまんざらではない様子で、胸を張って井沢の賞賛に聞き入った。


 ただ十勝は、ジト目で姫野を眺めていた。




 井沢と十勝の帰宅後。姫野は今日の記録を付けた。


 1回目。ゆっちを呼んで、2人で法則と例外の案を考えた。いくつか案は出たけど、どれもうまくいかなかった。お昼とお夕飯は慣れない食材だったのもあって、あまり納得のいかない出来だった。ゆっちに内緒で巻き戻し。


 2回目。1回目にゆっちが出した失敗案を早い段階でさりげなく出した以外は、ほとんど同じ流れ。夕ご飯のお肉がレシピサイトのものより少し大きいので、強火から中火に変える時間を7秒遅らせた。巻き戻し。


 3回目。1・2回目に出た失敗案をさりげなく出して、更に案を煮詰めた。じゃがいもが少し煮崩れしやすいみたいなので、お湯が湧いてから入れるようにした。巻き戻し。


 :


 9回目。案をどんどん煮詰める。お肉の中心温度がうちの冷蔵庫だと平均よりほんの少し低いみたいなので、お昼の時点で1メモリ上げることにした。本当は常温に出したいけど。巻き戻し。


 :


 14回目。案を更に煮詰める。ゆっちが不信感を見せた。バレそうなので、これからはもう少し失敗案を出す量を減らす。お料理はほぼ完成形だと思う。巻き戻し。


 29回目。ゆっちがとうとうそれっぽい案を出した! 巻き戻す。


 30回目。ゆっちを呼ばずに、ひとまず井沢さんを呼び出す。新しい法則と例外を思い付いた、という名目で。ゆっちが29回目に出した案は、井沢さんも納得してくれた。これならきっと大丈夫。ついでにお昼をごちそうしたら悪くない反応だった。夕飯まで引き止める口実はないのでそこで別れて、巻き戻す。


 31回目。いよいよ本番。これまでにゆっちが出した失敗案をさりげなく適量出して議論を煮詰めつつ、お昼ご飯とお夕飯もばっちり成功させて、最後にゆっちの29回目の案を提示。井沢さんもびっくり! やったね、姫野! ごめんね、ゆっち。また今度ご飯作りに行ってあげるからね? 記録を読まれるのは予想外だったけど、ゆっちの案の信憑性もアップしたから結果オーライ。長い今日の、おしまい!

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