第29話

「――以上です」


 そう言って、景子は井沢に頭を下げた。少し間を開けて、景子は


「最初は、瑛子がシ・ルヴィの神の顕れなのかとも思いました。シ・ルヴィの教えでは、この世界は神の見ている夢。正夢を語り現実で私を導く者こそ、私にとってのシ・ルヴィの神の顕れである筈、と」


 と補足を始めた。


「しかし、瑛子自身が夢を何故か忘れてしまったこと、瑛子が主の夢を見たこと、その中で瑛子は亡くなってしまい、その事故を目撃したのは主の視点であったこと、そして実際にその夢が現実になったこと、これらを総合して、私は主がシ・ルヴィの神の顕れだと判断しました」


 姫野が井沢を見ると、井沢はじっと考え込んでいた。姫野は瑛子が巻き戻りを忘れられるように、巻き戻りの例外を使って瑛子を忘れさせたつもりだった。それが実際は忘れておらず、景子に伝わってしまっており、その後で巻き戻りを忘却したということになる。これは明らかに、今まで知られていた法則とは異なる結果である。


 十勝はと言うと、姫野を見て、姫野が井沢を眺めていることに気付き井沢を見て、考え込んでいる井沢の様子からまた姫野に視線を戻した。状況は漠然と姫野から昔聞いたことがあったが、詳細な話はこれが初めてだった。少し姫野を案じつつも、場の空気を変えようと、十勝は寝そべっている瑛子に声を掛けた。


「そういえばさ、瑛ちゃんは何で景ちゃんが神様だと思っているの?」


 すると瑛子はノソリと体を起こし、両腕を上げて伸びをしながら返した。


「ん? んんー……そうだなあ、あふう」


 間の抜けたようなあくびを挟み、瑛子は景子をじっと見た。


「だってさー、私信じてないもん、それ」


 あっさりと否定された景子は瑛子の目を真っ直ぐ見返し、軽く溜息をついた。


「私にとっては、全然覚えてない話だよ? 景子の言う通り、ふと気付いたら景子に抱き付いてて、何があったかさっぱり。あの時も景子から、私がこんなことを話したって大雑把には聞いたけど、そんなこと言われたって覚えがないし?」


 そう言いながら、瑛子は両手のひらを上に向けて顔の高さへ持ち上げ、いかにもさっぱりだという表情で首を振った。


「しかも景子が難癖つけるから言う通り通学路を変えたら、本当に車が突っ込むんだもん。そこで私は気付いたわけ。景子が言っていた私の言動は、恐らく景子の見た夢。そして景子は正夢を私に告げて、危険を回避させたのさ。となるとこれ、景子が私にとってのシ・ルヴィの神の顕れと考えるのが妥当でしょ?」




 そして一同は解散となった。瑛子は冷房をガンガンに効かせた姫野の家を出たがらず駄々をこねたが、景子のゲンコツを受け涙目で帰っていった。十勝と井沢も2人と共に姫野の家を後にした。


「ふう……」


 久し振りの来客に若干の気疲れを覚えた姫野は、自分の部屋に戻りベッドへダイブした。自分が熟知していたつもりの法則や例外が、こうも脆く覆されるとは思っていなかった。今までも、自分が予期していない現象が起きていたのだろうか、これからも起きるのだろうか――。




「じゃ、私達はこっちだから!」


 そう言うと、十勝は坂道姉妹に手を振った。


「え?」


 井沢が驚いて十勝を見ると、十勝は


「ささ! アンケート、他にも回るんでしたよね! 手伝う約束、忘れてませんよ!」


 と言って含み笑いをした。それを聞いた坂道姉妹は


「そうですか、お疲れ様です。ではお気を付けて」

「そっかー、じゃあまたな~」


 と別れを告げ、2人に背を向けた。



「あのー、これはどういうことでしょう?」


 と井沢が問い掛けると、十勝は急に真面目な顔になり、


「姫野のことです。大事な話があります」


 と答えた。




 ――隣駅の喫茶店。小洒落た雰囲気だが少々価格帯が上であるためだろう、若者はほとんどおらず、年配達で溢れていた。


「ここ、良さそうですね。多分聞かれることはないでしょう」


 十勝はそう言うと、少し迷ってマキアートのホットを注文した。続いて井沢はアイスココアを注文した。


「外は暑かったですけど、中は結構涼しいですね。……さっきの結夢んちは寒過ぎですよ」


 十勝が苦笑いしながらそう愚痴ると、井沢は


「まあ僕はあれくらいでもちょうどいいですけどね」


 と返した。



「それで早速、姫野の話って……?」


 と井沢が切り出すと、十勝はまた真面目な顔付きに戻り、


「結夢のご両親のこと。井沢さん、知らなかったみたいですので」


 と答えた。そして辺りを少し見渡し、


「飲み物が来てから始めましょうか。店員さんに聞かれるの、良くないですし」


 と言った。井沢はゴクリとつばを飲み込み、椅子に深く越し掛け直した。


 姫野の家で聞いた十勝の言葉が、井沢の頭でこだましていた。



『結夢のおじさんは亡くなりました。自殺です。結夢のおばさんも……』

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