第39話
――パチッ。
姫野が目を覚ますと、視界には真っ白な天井と格子模様が広がっていた。
ぼんやりとする頭でも、自分の部屋ではないどこかだと、姫野はすぐに気付いた。
「姫野!」
井沢の急な呼び掛けに姫野はビックリとし、そしてやかんのように顔を赤らめた。
「レ、レ、レディの部屋に何で井沢さんが……!? まさか寝込みを……!?」
ハッとして姫野が布団をめくると、自分が気に入っているピンクのやや子供っぽいパジャマではなく、味気ない白い服を着ていることに気付いた。
「え? え? えー!?」
「――では食後に1日3回、この2つを飲むように。こっちのヘルツィオミは心臓の負荷を下げる薬。こっちのマゲニストは胃薬。ヘルツィオミは胃の粘膜が荒れるからね」
医師がサラサラとカルテに文字を殴り書きしながら姫野にそう告げた。
「はい……」
――ここはとある国立大学病院の病室。
先程の姫野の絶叫で、辺りは騒然となった。
看護師が2人駆け込み、井沢は「違う、何もしていない!」と身振り手振り慌てふためき、姫野は予期せぬ看護師の来訪に混乱し、そうこうしている内に、看護師が呼んだのか主治医となった先生が問診に来たのだ。
「それと、院内では静かにすること。ここは、君以外にも心臓の弱い患者が入院している。いいね?」
医師が少し強い語気でそう言うと、姫野は少ししょんぼりしながら
「はい……すみませんでした……」
と答えた。
――すっかり吐く息も白むようになった、冬。
もうじき大学も休みに入り、井沢の学習支援員の業務も休暇に入る。
しばらくは研究に専念できると喜ぶ井沢に、少しムッとする姫野。
そんな姫野を見て、クリスマスを一緒に祝おうと言った井沢。
目を丸くしながらも、顔を赤くして頷く姫野。
(どうせ井沢さんのことですから、深い意味もなく、言ったんでしょうけど)
後になってそう思ったものの、姫野にとっては心から嬉しかった。
父親を亡くしてから、ずっと1人のクリスマスだった。
十勝には家族がいる。自分にはいない。
クリスマスになると、姫野は少しだけ十勝に嫉妬していた。
そして昨日、姫野は自分の提案で、井沢とクリスマスケーキの下見に出掛けていた。
何の前触れもなく、急に姫野が胸を押さえてうずくまり、そのまま倒れ込んで意識を失ってしまった。
救急車で運ばれた姫野の診察結果は、心不全。
要するに、原因不明の心臓発作だった。
幸いにして心臓は動き続けている。
しかし不整脈が断続的に起こり心拍も弱いとのことで、入院が即座に決まった。
付き添いの井沢の下に、誰がどうやって連絡をしたのか日村と森尾が訪れた。
既に政府、そしてアメリカやフランスの研究機関に連絡が行っているそうで、今後の方針を検討するとのこと。日本からは日村と森尾と政府関係者が会議に駆り出されるとのこと。井沢は学習支援員の業務の一環として、姫野の看護に務めること。それだけ井沢に説明し、2人は主治医と話した後にすぐ病院を後にした。
残された井沢は夜通し姫野の様子を見守っていた。
病院には井沢が唯一の保護者ということで説明されている。父親が自殺し母親が意識不明である姫野の状況は伝わっていたため、少々突飛な説明も難なく受け入れられた。
そして、先程迎えた朝。
姫野の元気な悲鳴を経て、現在に至る。
「……ごめんなさい」
姫野は呟くように、井沢に謝った。
「ん?」
井沢が返事をすると、姫野は悔しそうに
「1週間も先なのに、クリスマスケーキの下見に行こうなんてはしゃいだ上に、せっかくの……その……ショッピングを台無しにしちゃって」
と漏らした。もちろん、自分が倒れるなんて夢にも思っていなかったし、誰が悪いという話ではないことくらい自分でも分かっていたが、姫野はどうしても自分が情けなく感じてしまった。
「何言ってんだ。姫野は悪くない。クリスマス本番で思いっきり楽しもう」
そう言って井沢はうなだれる姫野の頭に手をポンポンとした。
「うん……!」
何の捻りもない井沢の言葉だったが、姫野には、それで十分だった。
姫野の屈託のない笑顔を見て、井沢も胸を撫で下ろし――。
「ミイラ取りまでミイラになるって言葉~、知ってますぅ~?」
あの後、緊張の尾が切れたのか、単に徹夜で姫野を見守っていたことによる疲労で限界を迎えたのか、今度は井沢が倒れた。倒れた、とは言え姫野のベッドの、姫野の足の辺りに倒れ込んだに過ぎないのだが。
「本当にすまない……」
それでも姫野は、井沢が急に覆い被さってきただの重かっただの何だの脚色したもので、井沢は病人にのしかかったという罪悪感で胸がいっぱいだった。
「いいえ~、それだけ根詰めて看病してたんでしょう? 許してあげます!」
姫野はそんな井沢の様子に気を良くし、胸を張り、フフンと鼻息を荒くした。
その時、姫野の胸に、ズキッと痛みが走った。
嫌な予感が、した。
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