第47話

 映画館へ行った。今までにない演出に、最初から最後まで息を呑んだ。


 公園の池で、ボートに乗った。短い時間だったけど、不思議な空間だった。


 ゲームセンターで、ガンシューティングをした。私はすぐにゲームオーバーになったけど、井沢さんが勝手にコインを入れてコンティニューさせた。結局最初のボスで2人共ゲームオーバーになっちゃって、そのゲームはそこでやめた。ハラハラして、楽しかった。


 撮影ゲームの筐体で写真も撮った。井沢さんも最初は照れて嫌がってたけど、無理やり一緒に撮った。いっぱいデコレーションした。二人の目を盛ろうとしたんだけど、そのままでいいって言われたから我慢した。


 カラオケ。井沢さんは変な歌ばっかり。私も、変な歌ばっかり。ちょっと恥ずかしかった。最後に時間が迫って1曲しか歌えなからって、井沢さんの提案でデュエットも歌った。すっごく恥ずかしかった。


 ファミレス。もうすっかり暗くなっているので、簡単な夕御飯。本当はレストランを予約するつもりだったんだけど、色々遊び回るなら時間を気にしないでいたいから、こうして庶民的な食事を。こう見えて私セレブだけど、ファミレスの賑やかな空気も結構好き。もちろん、一緒に賑やかに出来る人がいる時は、だけど。1人では来ない。十勝と高校の頃はよく来たなあ。




「――どうした?」


 姫野が顔を上げると、井沢が心配そうな顔で見つめていた。


「ううん」


 姫野の胸に、チクリと痛みが走った。それを悟られぬようにと、姫野は井沢から顔を背けた。


(言えないよ……)


 姫野は井沢に対する罪悪感から、気付かないうちに悲しみを表情に滲ませていた。


(もし「ノートに記録するなら」どんな文章を書くだろうかな、なんて考えてたなんて)


 姫野は、固い決意を胸に、井沢の前では明るく振る舞おうと決めていた。


 ――ズキッ。




 ファミレスで夕御飯を済ませた後、2人は病室へと戻っていた。


「……午前中にした約束、覚えてるか?」


 井沢は、姫野の決意を見透かしているように、優しく問い掛けた。戻ってきたばかりの部屋はまだ薄ら寒く、2人の口からは白い息が漏れていた。姫野は更に胸が締め付けられるように感じた。


『――そして、巻き戻ってしまった時は、次から僕も道連れにして欲しい』


 忘れる筈はない、と姫野は思った。あんなに嬉しい言葉、絶対に忘れない、と。


 だが姫野は、その約束を、破るつもりだった。




 ――ズキッ。


「うっ……」


 姫野の胸が、グッと掴まれたように痛んだ。また、だ、と思った。


 姫野は思わず顔をしかめてしまった。井沢に気付かれていないかと、それだけが心配だった。


 近付いてきている。時間が、ない。


 2人で過ごしたクリスマス・イブ。


 最初で最後のデート。


 せめて、終わりの瞬間まで、いい思い出にしたい。


 姫野はただそれだけを願っていた。




 すると、井沢は優しい表情で、姫野に語り掛けた。


「僕だって、気付いているよ。姫野がもう、限界に近いこと」


 井沢のその言葉に、姫野は目を丸くした。


(きっと私がしようとしていることにも気付いている)


 姫野はとっさにそう気付いた。


 そして、それなのに自分を咎めない井沢の優しさに、更に胸を痛めた。


 ――ズキッ。




 姫野は自責の念を強め、堪え切れずに胸中を吐露した。


「……はい。もう、多分そろそろ、この『夢』が終わります。私、ノートに今日のことを書いたらどんな文章になるかな、って考えちゃいました。もちろん、実際に書くわけじゃないですけどね。書いても書いても、……白紙に戻ってしまうので」


 井沢は相変わらず白い息を漏らしながら、黙って姫野を見守っていた。


「それで、巻き戻ったら、デートが始まる前に、1人で薬を飲むつもりでした」


 朝起きて、井沢に騙されたふりをして、クリスマス・イブを迎えたことを驚いているように装う。その後、隙を見て薬を飲む。巻き戻る。ずっと、ずっと、巻き戻る。


 姫野は、自分一人で巻き戻りを背負うつもりだった。




「今日のデートは、本当に……本当に……! グスッ、幸せで、じた!」


 巻き戻っても、姫野は全てを覚えている。今日のデートも。この幸せな気持ちも。


 だけど、そんなデートでも、巻き戻して繰り返し続けたら、きっといつか嫌になる。


 嫌な気持ちで、幸せが蝕まれていくに違いない。


 今日の思い出を汚したくない。


 幸せな思いを、ずっとそのままで残したい。


 そのために、デートが来る前に、巻き戻そう。


 姫野はそう決めていた。


 だから、これが、「最初で最後のデート」だった。




「たとえ巻き戻っても、今日のデートは繰り返す必要はないよ。俺も一緒に巻き戻れば、2人の思い出になるんだから」


 井沢がそう言うと姫野は顔に苦悶の表情を浮かべながら、首を振った。


「だって! 永遠で! ……んぐぅ、永遠なのよ! 言葉の意味、分かってるの!? ずっと、ずっと苦しみ続けるなんて、グスッ、井沢さんに、……好きな人に! えぐ、そんなの味わわせられるわけないじゃない!」


 昨晩のように、取り乱した姫野は口調が子供のものに戻ってしまっていた。そんな姫野を、井沢はまた、優しく抱きしめた。




「そうだろうな、って思ってた。だから、僕は朝来る前に、『これ』を用意していたんだ」


 そう言うと、井沢が姫野を抱きしめる力は急に緩まってしまった。


 支えを失った体がふっと軽くなったように姫野は感じた。


「え? ちょっと!」


 そして、困惑する姫野の目の前で、井沢が倒れた。


 井沢の手には、姫野が常備している薬と同じパッケージが握られていた。

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