第42話

「今日は、何回目の今日なんだ……?」


 井沢が、真剣な眼差しを姫野に向けて、そう問い質した。


 姫野が井沢に今日の巻き戻りを告白したことはなく、これまでも井沢が巻き戻りに気付くことはなかった。それなのに、今回、初めて井沢は自分でその可能性に気付いてしまった。


「え? 何で……」


 驚きと不安の入り混じった目で井沢を見つめ返すと、井沢は溜め息をつき、


「やっぱり……巻き戻ってるんだな……?」


 と呟いた。




 しばらくの沈黙の後、既に帰りの支度を済ませていた井沢が椅子に座り直し、口を開いた。


「以前、十勝さんが教えてくれたんだよ。姫野と2人で海に行ったことがあったろ?」


 その時、十勝は井沢に姫野の水着画像を送り付け、姫野の電話を使って確かにこう言っていた。


『――特に、結夢が、無口な日は、注意、ですよ。あの子、アレ、狙ってる日は、無口に……』


 姫野が巻き戻りを企んでいる時、姫野は無口になる。


 それもそうだろう、どうせ巻き戻した後に同じような会話をするならば、二度手間を避けて黙っておくのは自然だ。


 実際、井沢が初めて日村研に訪れたあの日の夢で、姫野は一言も言葉を発していなかった。あの時は森尾のように無口クールだから、と自己弁明していたが、それ以降の姫野を見ていてもどう考えても姫野は無口でない。(森尾の無口クールな正確に憧れている様子はあったが)


 そういう経験も踏まえ、姫野があまり会話に乗り気でない日は、巻き戻しをするつもりだ、と井沢も納得していた。


 今日の姫野は巻き戻りを繰り返していくうち、次第に塞ぎ込むようになっていった結果、口数が減っていってしまった。それが今回の巻き戻りで井沢の判断の閾値を超え、巻き戻りを企んでいる、という判断に至った。


 だが、姫野が今日を巻き戻す合理的な理由がなかった。


 明日は待ちに待ったクリスマス・イブで、昨日までの姫野が期待に胸を膨らませていたことを井沢は知っている。何か巻き戻すべきトラブルがあったわけでもなく、姫野が薬を飲む事情は見付からない。




 ――だとすると、姫野は巻き戻しを企んでいるのではなく。




 ――意図せず巻き戻してしまっているのではないだろうか?




 井沢がそう判断するのも、自然な思考であった。




「もしかして、今夜が、寿命なのか……?」


 井沢が恐る恐る問い掛けると、それに対する姫野の返事はなかったが、井沢は全てを把握した。


 姫野が、肩を震わせ、嗚咽を漏らし、泣きじゃくり始めた。


 井沢はただ姫野を抱きしめた。


 姫野は少し驚いたが、同時に堰き止められていた涙が堤防の決壊により激流をなすように溢れ、井沢の胸の中でワッと泣き出した。




「――僕が知ったのは、今回が初めてか?」


 幸い看護師が駆けつけることもなく、少し落ち着いたところで井沢が姫野の頭を撫でながら優しく聞いた。


「うん。ひっ……ごめんなさい……ひっ……」


 まだ肩を震わせている姫野をもう一度強く抱きしめると、井沢は


「いや、こっちこそごめんな、気が付かなくて。……言い出すのが、怖かったんだよな?」


 と謝った。井沢はそっと目を閉じ、自分の腕の中で震えている小さな女の子の気持ちを察した。


 自分で止めることのできない巻き戻りの連鎖。繰り返される、自らの死。ただでさえ、その恐怖は伺い知れないだろう。


 それを誰にも相談しなかったのは、自分で背負いたかったからだろうか。


 終わることのない巻き戻りを、たった1人で。


 解決することがなかったとしても、誰も巻き込まないように、1人で。


 巻き戻りのループに嵌っていることを知ったら、誰でも困惑するだろうから。


 姫野は、自分に迷惑を掛けまいと、たった1人で、この運命を背負おうとしたのだろうか?


 いや、違う。


 姫野は、そんなに強くない。


 実際、何度か思わせぶりな態度はあった。


 何かを話し掛けて、思いとどまってやめてしまう。


 そのシグナルを、キャッチできなかったのは自分だ。


 姫野は、自分に助けを求めていた。


 だが、できなかった。


 それは……




「怖……かったの……ひぅ……」


 井沢は姫野を抱きしめる腕を少し緩めた。涙と鼻水でグシャグシャにした顔で、姫野は井沢を見上げていた。なおも震えながら、姫野は井沢に懺悔するつもりで吐露した。


「もし……井沢さんに……ひっく……巻き戻ってるって教えたら……私のせい……ひっ……で……明日が来なくなるって……知ったら……ね……井沢さんがね……ひぅ……きっと悲しむし、絶望して、私のこと、嫌いになるかもって……そう思ったらね……言い出せなくってね……」


 泣きじゃくりながら自身の不安を吐き出していく姫野の様子は、普段の背伸びした言動から見られるものとは掛け離れた、まだあどけない子供のようだった。


 事実、大学生とはいえ未成年で、生まれた時から2人で過ごしてきた父親を中学生の頃に失い、それからずっと1人で生きてきた、小さな小さな女の子だ。姉のように慕っている森尾を真似て大人びた口調を心掛けてはいても、心は、両親にずっと甘えたい盛りのまま止まっていたのだろう。


 そんな姫野を、井沢は心から愛おしく想い、再び強く抱きしめた。



 そして、姫野はポツリと呟いた。




「……35回目、なの」

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