第25話
――事の顛末は、井沢が姫野にお願いをしたことだった。
「え? 景子達に?」
井沢は姫野と打ち解けた日、見付かっている姫野の法則に矛盾があることを話した。具体的な説明は姫野が「講義後で頭がだるいから今度にして」と拒まれたが、井沢の考えでは坂道姉妹の特異な言動が、法則の矛盾と何か関係があるという見込みだった。
それで、姫野に頼み、坂道姉妹に話を聞かせてもらうことにしたのだ。もちろん2人は姫野の法則について知らないため、核心的なことは伏せた上で「学習支援員として」の聞き込みということになる。
「どーぞおくつろぎ下さい!」
そう言ってリビングに座布団を並べたのは、十勝だった。家主の姫野はというと、いかにも浮かないといった表情であった。
「部屋に上げてくれないのかー? まあ冷房あるならいいけど。早く涼しくならないの?」
瑛子が不満を漏らすように、姫野は自室に上げることを拒んだ。特に理由は告げず、話をするだけならリビングでいいでしょう、と言い放ったのであった。
「それで、私達に聞きたい話というのは……?」
早速床に仰向けになった瑛子とは対照的に、景子は座布団の上に礼儀正しく正座をして井沢に問い掛けた。井沢は事前に用意していた資料をファイルから取り出し、それらを坂道姉妹に配った。
「学習支援員の活動フィードバックとして、支援対象者の、つまりこの場合は姫野の、交友関係の実態把握を任意で調査しております。もちろんプライバシーは保護されますし、今回も姫野から協力したいという同意があった上でのことです」
学習支援員の業務はその名の通り、特定の事情を持った大学生の学習を支援するために付きっきりで面倒を見ること。近年始まったばかりのこのシステムは、支援対象の学習に大いに役立っているという報告が上がっているものの、その反面で支援対象の自由、特に交友活動に負担を掛けているのではないかという批判が各界隈から上がっている。
支援対象者は多くがこの支援制度に満足していたため、その批判は的外れだという意見が集まったが、実際のところどれくらいの負担があるのかを定量的に分析しないかぎり、支援対象者が制度担当の人間達に言いくるめられているだけかもしれない、という疑義が掛かっていた。
そのため、支援対象がフィードバックへの全面協力を書面で示した場合に限り、支援対象の交友状況の変化をアンケート形式で纏め、学習支援制度が支援対象の交友活動に実際どの程度の制約を与えているか明確にしようという動きである。
今回はそのアンケートを用いて坂道姉妹に過去の聞き出しをし、その流れで自然に2人の言動の意図を探ろうという計画である。少々無理はある流れだが、十勝の提案によって実行に移された。
『大丈夫ですって! 景子はどうせ協力しますし、瑛子は何も考えてませんし!』
坂道姉妹がアンケートの同意書にサインをしたのを確認し、井沢は早速アンケート用紙を配った。すると床に転がっていた瑛子はムクリと起き上がり、不満そうに十勝に話し掛けた。
「ユチは書かないのかよー」
すると十勝はごほん、と咳払いをし、バッグからサッとアンケート用紙を取り出して見せた。
「この通り! 私はとっくに終わらせちゃいましたー! 2人が終わったら井沢さんに一緒に回収してもらいます」
それをまじまじと見る坂道姉妹は、珍しく口を揃えていった。
「字、汚くて読めませんね」
「字、汚くて読めないなー」
というわけで、十勝もアンケートの書き直しとなった。
「何か、手伝うことはあるか?」
井沢はというと、何もすることがないので手持ち無沙汰になっていた。坂道姉妹に過去のことを聞くのは、アンケートを書き終わった後でいい。それまでの数分、飲み物やら筆記用具やらを持ってきたりさっきからそわそわしている姫野の手伝いをしようと思った。
「いいえ。井沢さんは一歩たりともリビングから動かないで下さい」
井沢が姫野と打ち解けたとはいえ、姫野はまだ少し距離を開けているようだった。他人行儀になったり変にギクシャクしたりはなくなったが、使いっ走りにしたり雑用させたりすることもなくなった。
「あれあれ~? 結夢、いつもみたいに甘えないの?」
と十勝が冷やかすと、姫野は少し動揺しながらも、落ち着いて透かした。
「私はゆっちみたいに子供じゃないので、甘えたりなんてしません~」
姫野の距離感は、単に井沢を避けているわけではなく、むしろ、井沢への感謝からであった。結局は失敗に終わったものの、井沢は姫野の幸せを願って行動していた。それが分かったことは、姫野にとってささやかな喜びであった。
姫野が席を外した時、井沢は以前夢で見た時からの疑問を十勝に問い掛けた。
「ところでこの家、姫野1人で住んでいるのか? ご両親は……」
すると十勝は、ピクリと身じろいだ。先程までヘラヘラと笑っていたのに、急に寂しそうな顔で俯き出した。
「結夢のおじさんは亡くなりました。自殺です。結夢のおばさんも……」
そこまで言い掛けたところで、結夢のいるキッチンの方からレンジの音が聞こえた。すぐに結夢がリビングへ戻り、机には形の整ったクッキーが並べられた。いつの間にか元の笑顔に戻っていた十勝は、それを見て嬉しそうに囃し立てた。
「うっわー、私達が大事なお客さんだからって気合入ってるね! この一瞬で作る? すごいねー!」
すると姫野は呆れ顔で十勝を見て、溜息をつきながら返事をした。
「クッキーが数分で焼けるわけないでしょ。これは買ったものよ。瑛子が冷房ガンガンにしてるから、ホットミルクを人数分用意したの。熱いから火傷しないようにね」
そんなやり取りを聞き流しながら、井沢は1人、物思いに耽っていた。
(父親が自殺……? 姫野の能力でも、止められなかったのか……。この年で両親がいないなんて。社会に出てから母さんを亡くした僕より、ずっと辛い境遇だろうな……)
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