第15話
「そんなことがあったんですね……」
懐かしそうに語る十勝と、絶望して虚ろな目をした姫野と、とんでもないエピソードを聞かされてどんな顔をすればいいのか分からなくなっている井沢がいた。
「日村と香織に知られてたなんて……もう薬飲んでも無駄じゃないの……」
姫野は既に泣き止んでいたが、現実を受け入れることができず、泣いていた時よりも悲痛な声を絞り出していた。そんな姫野を不憫に思い、井沢は軽く「さあ、ファイト」と励ました。すると井沢を睨み返す姫野の形相は、まさに鬼のようだった。
(それにしても、寿命を迎えるまでもなく無限ループが起きそうな勢いだな)
井沢は、少し大げさだとは思いながらも、自分の目的を再認識した。姫野の寿命が来る前に、何としても、巻き戻りに伴う情報エントロピーの流動を、時素の分裂傾向等の相関から観測する。そしてこの巻き戻りへの根本的解決を与える。つまり、姫野に「巻き戻りのない絶対的な死」を与える。
(え?)
その時、ふと井沢は気付いた。自分の研究の最終目的に位置するのが、姫野の不可逆な死。もちろん、自分が分析する部分には死と結び付く要素がないが、突き詰めれば姫野の死なせるために研究をしていることになる。今自分の目の前にいて、泣いたり笑ったりしながら生きている、ごく普通の女の子の死。頭では分かっているつもりだったが、姫野の身の回りの世話をするようになり、今、改めて、姫野の死というものが具体性を以て想像された。それは、井沢にとって、ひどく恐ろしいものであった。世界の終焉を知った時に感じたよりも、ずっと大きく、ずっと冷たく、ずっと鋭く、ずっと重たい恐怖だった。
(――この子が、本当に、死ななくてはいけないのか?)
井沢は、今になって初めて、自分の使命の残酷さに気付いた。そして同時に、姫野に背負わせている十字架の重さに気が付いた。生まれつきの体質で、人々に死を願われている。自分のせいで、世界が終わる。それを防ぐために、自分の絶対的な死を求めている政府や研究所に協力している。二十歳にも満たないこんな小さな女の子が、自分の運命を受け入れ、自分に死をもたらす人間達と、日々を過ごしている。それはどれほど辛いことだろうか。どれほどの覚悟があったのだろうか。それは途方も無く悲しく、理不尽で、想像も付かないほど深い沼のような現実だと井沢は思った。そんな井沢の様子に気付き、姫野が不安そうに話し掛けた。
「ね、ちょっと、井沢さん? 何じっと見……顔色すごいですよ。汗も。大丈夫ですか?」
井沢がふと我に返ると、姫野が井沢の顔の汗をハンカチで拭っていた。先程まで姫野が涙を拭っていたものだった。井沢の顔色に気付いた姫野の表情はとても不安そうであったため、慌てて井沢は体裁を取り繕った。
「あ、すまん。ちょっとな、おもしろい式を思い付いたから計算してたんだ」
十勝が「えー、何ですかそれー」とおかしそうに笑っていたが、姫野は井沢の嘘を敏感に察知したようで、少し腑に落ちないといった表情で唇を尖らせていた。
姫野が溜息を付きチラッと横を見ると、そちらには民族衣装か何かだろうか、黒地のダルティマカ風ワンピースを来た女の子がいた。
「あ、やば」
姫野が慌てて顔を隠そうとするも、その相手は敏感に察知し、姫野の方を向いた。
「あ、主(シュ)だ」
何事か、と井沢が顔を上げ、それにつられて十勝も振り向いた。二人の視線の先には、女の子が無表情にジュースを持って歩いていた。相手は十勝にとっても見覚えのある顔だったようで、口を笑顔で半開きにして手を振った。
「主、お久しぶりです」
姫野は両手で顔を覆ったまま、「う、うん」と返事をした。苦手な相手なのだろうか? と井沢が勘ぐっていると、十勝は手をグーにして口元に当て、わざとらしく「にっしっし」と笑い声をあげている。女の子は姫野のそばまで歩み寄ると、手にしていたジュースをテーブルに置き、その場に片膝を突いて両手を組み、お祈りのポーズをした。
「何と神々しい。お会いできて光栄です」
それは、奇妙な光景だった。端から見て中学生か小学生くらいの姫野に、ダルティマカ風の衣装を身にまとった女の子、まるで異国の民族宗教におけるシスターのような装いの女の子がかしづいている。祈られている本人は顔を真っ赤にして両手で顔を覆っており、それをニヤニヤと眺める十勝。姫野は両手を少し浮かせて女の子を見やると、恐る恐る声を掛けた。
「ひ、久しぶりね、景子。ところで、あなたがいるってことは瑛子も……」
すると、姫野の言葉が終わるのを待たずして、更に前方から大きな声が響き渡った。
「あーーーー! シュだ! シュじゃん! あは、また祈られてんのマジウケる!」
井沢と十勝の二人が声のする方へ振り返ると、そこには景子と呼ばれた女の子とそっくりな女の子が、それこそ同じ衣装で立っていた。しかしその表情は景子と対照的で、ゲラゲラと大げさに笑いながら姫野の方を人差し指で差していた。姫野は顔を俯かせ、そのままテーブルに突っ伏した。
井沢は、今日は疲れそうだな、と思った。
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