姫野と綻び

第16話

「……紹介します。こっちの静かな方が、坂道景子で、こっちのうるさい方が坂道瑛子です。二人は双子で、家は何とかっていう宗教の教会なんです」


 姫野はムスッとした表情で、井沢に紹介した。その様子を十勝がクスクスと笑いながら眺めている。紹介された景子は表情を変えず、井沢にペコリとお辞儀した。対して瑛子は姫野の肩に腕を回し、けたたましい声で笑いながら反論した。


「うるさい方って何だよー。初対面の人に変な紹介すんなよー」


 井沢は、ふと思った。姫野の周辺は、変な人が多い。既存の枠組みに固執せず、独自の視点から理論を展開しあっという間に時空研究のブレイクスルーを与えた研究者・日村。無口で何を考えているか分からない上に、淡々と仕事をこなす研究者・森尾。パッと見は常識人だが、姫野をそそのかして23回も告白と自殺を繰り返させた女子大生・十勝。姫野を主と崇め、ところ構わず祈りを捧げるシスター・景子。その双子でありながら、正確は正反対で馴れ馴れしいシスター・瑛子。客観的に見れば、ヨレた服ばかり着て数式をいじくり回すことに日々を捧げている研究者の自分もまた、その変人たちの輪の中にいる一人なのかもしれない。


「どうも、姫野の学習支援員の、井沢慶と申します」


 井沢が軽く頭を下げると、景子も再び頭を下げ、それに倣って瑛子もそそくさと頭を下げた。それからは、姫野と十勝が二人のことを井沢に説明をした。二人は双子であること。景子が瑛子の姉であること。姫野や十勝と同じ中学出身であること。しばしば景子は姫野を主と崇め、祈りを捧げていること。それを見ると瑛子がいつも大げさに囃し立て、大騒ぎになっていたこと。


「はい、うちはシ・ルヴィ教という宗教の家系でして、今日はここのインカレサークルでシ・ルヴィ教の集会があったのです。集会と言っても、お互いの生の喜びを讃える歌を唄い、祈りを捧げ、教義を黙読するだけの簡素なものですが」


 景子の説明によると、シ・ルヴィ教は明治時代後期に東洋から日本へ伝来した宗教で、戒律などはなく、常日頃の行いを自分なりに見つめ直すことを教義においたものらしい。ただ特徴的なのは、その世界観だった。景子が少し小難しく説明していると、見かねた瑛子が景子の補足をした。


「要するにだな、私らの世界は神様の夢だっていう考えだ。で、夢っていうのはたいてい自分が登場するわけだろ? だからこの世界にも、どこかに神様がいる筈なんだ。もちろん、夢の中で夢って気付けるわけじゃないから、神様自身は自分が神様だって気付かずに、普通の人間として過ごしているかもしれない。そしてその神様を探し出して、心の拠り所にするのが、私らの1つの目標ってわけ」


 そして、景子にとってその神様こそが、姫野であった。それに対して、瑛子にとっての神様は、なんと双子の姉である景子なのだそうだ。


「少々分かりにくいかと思いますが、その神様は、人によって異なるかもしれないのです。それは、太陽が1つしかなくても、影が一人一人別々に生じるように。私達は夢の主体である神様の存在を直接見ているわけではなく、神様が夢の中に投影したご自身のお姿を、私達が見ている、ということです」


 そして、井沢は思った。この世界が誰かの見ている夢だとしたら、それは……。


「?」


 井沢は、自分の隣で少しムスッとしている小さな女の子を見やった。この子には、自分の死を以て現実を夢に変えてしまうという法則がある。なるほど、このシ・ルヴィ教というものはまさに姫野の性質を体現しているような世界観を持っていた。そして、景子が姫野を神様とみなして崇めているということは、恐らく景子もまた、姫野の性質を知っている人物なのだろう、と井沢は思った。




「まるで、台風ね……」


 坂道姉妹が去った後、姫野がボソリと呟いた。ちょうど講義時間が終わったのか、食堂には人が増えてきた。十勝は用事があるということで席を立ち、その流れに乗るように姫野と井沢も席を立った。そして、姫野はふと思い出したように井沢に言った。


「二人の話を聞いて推測したかもしれないですけど、別に景子は、アレの体験者じゃないんですよ」


 井沢は「え?」と返した。考えを見透かされたことはさほど驚きではなかったが、景子が姫野の巻き戻りを知らないで主と崇めているのだとしたら、それはあまりに出来過ぎた偶然だと思った。


「逆に瑛子は、アレの体験者なんです。でも、口が軽い瑛子にアレのことを話されちゃいけないので、巻き戻った後にもう一度飲んで、もう一度巻き戻して忘れてもらったんです」


 姫野にはいくつかの法則がある。姫野が死ぬと、現実が夢となり、自身が目覚め直す。姫野以外の人間は巻き戻された夢を忘れてしまうが、例外として、姫野の夢の中で死が確認された者は、「自分の夢」と「姫野の夢」を覚えている状態で、自身が目覚め直す。では例えば瑛子が夢の記憶を持った状態で巻き戻ったとする。巻き戻り後の朝に、姫野が単独で服毒するなどして死んだ場合、再度巻き戻りが生じる。つまり、最初の現実は一度目の巻き戻りで夢となり、二度目の巻き戻りにより夢の中での夢ということになる。すると、姫野は全ての夢を覚えているが、瑛子は二度目の巻き戻りで夢を全て忘れてしまうので、結果的に夢の中での夢、即ち最初の現実を覚えていないことになる。


「なのに、その巻き戻りの後に、急に景子が私を主と呼び始めて、瑛子が景子を神様だっていうようになったんです。それで、ちょっと、気味が悪くて……」


 井沢は、ゴクリと生唾を飲み込んだ。少し、背中がゾクッとするのを感じた。姫野が坂道姉妹を避けているような雰囲気があった理由は、祈り出す景子と大騒ぎをする瑛子の二人を厄介に思ってのことではなかった。何も覚えていない筈の二人が、偶然としては出来過ぎているタイミングで、何かを悟ったこと。それこそが、姫野の心に刺さっている忌避感の原因であった。


「まあ、単に瑛子が面倒なんですけどね」

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