姫野と信仰

第26話

「よし、書けた!」


 最初にアンケートを書き終わったのは瑛子だった。井沢が景子と十勝を見ると、景子ももうすぐ終わるといったところだったが、十勝は字を丁寧に書くことに躓いており、なかなか進まないといった様子だった。


「まだ十勝さんが時間掛かりそうです雑談でもしましょうか」


 そう井沢が言うと、瑛子は快く「いいよー」と返事をした。冷房は瑛子によってかなり強めに設定されており、井沢にとってはちょうどよく感じるくらいだった。女の子には寒すぎるのではないかと井沢は思ったが、瑛子は全く寒そうな素振りも見せず、大して姫野と十勝はしきりに手足をさすっていた。


「せっかく教会に伺ったことだし、シ・ルヴィ教についてでも聞かせてもらいましょうか」


 すると景子が頭を上げて、じっと井沢を眺めた。瑛子はというとダルそうな表情を見せ、


「えー、そういうのはだな、景子の方が……」


 と拒んだ。


「ほら、例えば瑛子さんは姫野をシュって呼んでいるけど、瑛子さんにとっては景子さんが神様なんですよね?」


 と井沢が食い下がると、今度は瑛子も嬉しそうに


「ああ。シュをシュって呼んでるのはウケるから景子の真似してるだけだよ。私にとってシ・ルヴィの神の顕れは、景子なんだ」


 と答えた。更に踏み込んで井沢が


「そもそも自分にとっての神様の、見分け方とかあるんですか? 例えば、瑛子さんはどうやって景子さんが自分にとっての神様だと気付いたんですか?」


 と問い掛けると、瑛子はうーんと腕を組んで悩み、それからチラッと景子を覗き見た。景子もアンケートを書き終えたようで、景子はじっと瑛子を眺めていた。


「何ていうか、変な夢、見たからかなあ……」


 夢、という単語を聞き、姫野はもちろんアンケートを書いていた十勝も視線を瑛子に向けた。井沢も、これは当たりではないかと思い、心臓の鼓動が高鳴るのを覚えた。


「どんな夢を?」


 逸る気持ちを抑え切れず、井沢は端的に問い質した。


「実は、覚えてなくてなー」


 そう言って瑛子は、再び景子を見た。じっと瑛子を見ていた景子は、井沢をまっすぐ見据え、瑛子の代わりに答えた。


「瑛子、あの時のこと、覚えていないんです」




 ――4年前、坂道家。


(……景子、景子)


 辺りがシンと静まり返った深夜のことでした。隣でもぞもぞと動く瑛子が、小声でしきりに私の名前を呼んでいました。お陰で目が覚めてしまったものの、無視して狸寝入りを決めていたら、更にゆさゆさと瑛子が私を揺するのです。


(ね、景子ってば、起きて、もう限界……!)


 私は気持ち良く寝ていたところを起こされて、少々不機嫌になりながらわけを聞きました。


「瑛子、うるさい。寝なさい。ぶつわよ」


 すると瑛子は頭を押さえながら、涙目で私に訴えてきました。


(痛いぃ……ぶつなよぉ……。お手洗い行きたいだけなのに……)


 私は溜息をつき、寝返りを打って瑛子に背を向けました。


「勝手に行きなさい」


 そんな私の態度に、瑛子は必死になってすがりついてきました。


(待って! 寝ないで! もう限界なんだって!)




「――何この話?」


 ふと、姫野が景子の話を遮って問い掛けた。


「ええと、瑛子が私をシ・ルヴィの神の顕れだと思い込んだきっかけ、ですよね?」


 景子が首を傾げながら、そう答えた。さっきから口をぽかんと開けていた井沢が


「そもそも、回想の中の景子さん、全然別人じゃないですか?」


 と聞くと、十勝が苦笑いをしながら


「あ、そうか。井沢さんはご存知でないかもしれませんが、景ちゃんは瑛ちゃんに厳しいんですよ」


 と補足した。井沢は景子と瑛子の顔を交互に見合わせ、どこか納得がいかない様子だった。


「それはそうと、瑛子って1人でお手洗いも行けない、かわいそ~な子だったの~?」


 と姫野が厭味ったらしく言うと、瑛子は顔を赤くして俯いた。普段の騒がしい様子とは正反対の印象だな、と井沢は思った。


「それはですね、あの日、寝る前に2人でホラーの映画を見ていたんだと思います」


 と景子が説明すると、十勝がくすくすと笑い、姫野はビクンと肩を跳ねさせた。


「あ、あー……、あの頃って、ちょうどあれよね。テレビで『桐の祠』っていう映画やってて、主人公のカップルがどんどん記憶失っていくやつ……」


 と姫野が思い出したように言うと、景子が


「そうそう、あまり怖くはなかったですけどね。瑛子はホラー見るとよくそうなるんです」


 と相槌を打った。それを聞き、姫野も


「え? うん、そう、よね~。あんなのでお手洗いに行けなくなるなんてね~。私だったら、ないかな~、あはは……」


 と苦笑した。散々馬鹿にされた瑛子は顔を耳まで赤くし、


「その辺は覚えてるから! 本題はその先だろ!」


 と大声で抗議した。

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