第18話

「……これで、本当に、終わりですか?」


 それは、井沢の一言だった。井沢は、信じられないといった様子で両拳を膝の上で握り締めていた。


「例外的な処理は、本当に、それだけしかないんですか?」


 井沢の意図が汲み取れず、日村と森尾の2人は顔を見合わせた。


「……だとすると、この法則、とんでもなく、『矛盾』、してませんか?」


 姫野の法則について、日村と森尾から厳密な説明を受けたところで、井沢は、姫野の法則の中に、ある、致命的とも言える、「バグ」を見出したのだった――




『法則1:姫野結夢が絶命した時、その日の出来事が全て検体の夢となる。』


 これは平たく言えば、「姫野が死亡したら、記憶はそのままで起床時刻からやり直し」ということである。ただこの言い方だと、どこからどこまでを夢として見るのか、2度目の巻き戻りがどう扱われるのか、がやや不明瞭になる。


 まず手始めに、一番簡単な次のケースを考える。


●姫野の行動

 就寝; 前日の23時

 悪夢; 1時

 起床; 7時

 死亡; 19時


 この場合は、7時から19時までに知覚した全ての出来事の全てが、姫野の夢となる。その夢は、レム睡眠か否かに関係なく、起床の直前の一瞬に挿入されることが脳波の測定から分かっている。つまり、姫野の体感では


●姫野視点の現実

 就寝; 前日の23時

 悪夢; 1時

 夢見; 7時の直前

 ●夢(姫野視点)

  起床; 7時

  死亡; 19時

 起床; 7時


 という流れになる。要するに表としては、「死亡までの表を書き、最後の起床から死亡までを夢に直して、その後に起床を書き足す」ことにより、現実に体感される時系列が書けるのである。


 起床前に見た悪夢を2度見る必要がないという点は安心である。そしてこの原則は、姫野単体が死亡する場合に関しては、いかなる複雑なケースでも変わらない。とはいえ幾つかの例を見た方が分かりやすいだろう。例えば次のケースを考える。


●姫野の行動

 就寝; 前日の23時

 起床; 7時

 昼寝; 13時

 起床; 14時

 死亡; 19時


 十勝の説明にあったように、起床というのは朝の起床に限らず、昼寝であろうと何であろうと、最終的な起床が基準となる。この場合は、最後に起床した時刻である14時から19時までに姫野が見たものを、夢として姫野は14時の直前に見る。というわけで、この表の最後の起床から死亡までを夢に変えて、その後に起床を書き加えたものが姫野視点の現実の表となる。それが以下の表だ。


●姫野視点の現実

 就寝; 前日の23時

 起床; 7時

 昼寝; 13時

 夢見; 14時の直前

 ●夢(姫野視点)

  起床; 14時

  死亡; 19時

 起床; 14時


 では、姫野が睡眠中に死亡した場合はどうなるだろうか?


●姫野の行動

 就寝; 前日の23時

 起床; 7時

 就寝; 23時

 死亡; 翌日の1時


 姫野が夢を見るタイミングは、あくまで「最後の起床の直前」である。今回のケースでは最後の起床が7時であるので、それ以降に寝ていようと関係なく、7時から翌日の1時までに見たものを全て、7時の直前に夢として見る。やはり原則の通りに表を書き直せば、以下のようになる。


●姫野視点の現実

 就寝; 前日の23時

 夢見; 7時の直前

 ●夢(姫野視点)

  起床; 7時

  就寝; 23時

  死亡; 翌日の1時

 起床:7時


 では今度は、巻き戻りが2回起こった場合について考える。


●姫野の行動

 就寝; 前日の23時

 夢見; 7時の直前

 ●夢(姫野視点)

  起床; 7時

  死亡; 19時

 起床; 7時

 死亡; 18時


 姫野は「最後の起床から死亡までの全て」を夢として起床の直前に見る。そして最後の起床より前に見た夢に関しては、巻き戻って2度見るわけでも消滅するわけでもなく、1度見たままとなる。従って、やはり最後の起床から死亡までを夢に直し、その後に起床を書き加えたものが、姫野視点の現実となる。


●姫野視点の現実

 就寝; 前日の23時

 夢見; 7時の直前

 ●夢1(姫野視点)

  起床; 7時

  死亡; 19時

 ●夢2(姫野視点)

  起床; 7時

  死亡; 18時

 起床; 7時


 ここで、姫野の2つの夢には時系列の順序が付いているため、実際の体感としては夢1が夢2の中で見たもののように感じられ、ある意味「夢の中で見た夢」のようになる。


 では次に第三者、例えば井沢の死が姫野によって観測された場合はどうか? これも平たく言えば、「死亡が姫野に観測されたら、自分と姫野の記憶を持って起床時刻に巻き戻り」ということになる。これもまた少し不明瞭なので、いくつかの例を見る。


●井沢の行動

 就寝; 0時

 起床; 8時

 死亡; 13時


●姫野の行動

 就寝; 前日の23時

 起床; 7時

 観測; 13時

 死亡; 19時


 この場合は、巻き戻り後の姫野に関しては先程と同様である。それに対して、井沢は姫野が7時から19時までに見たものと、自身が5時から13時までに見たものの両方を、起床の直前、即ち5時の直前に夢として見る。つまり、こういうことになる。


●井沢視点の現実

 就寝; 0時

 夢見; 8時の直前

 ●夢1(井沢視点)

  起床; 8時

  死亡; 13時

 ●夢2(姫野視点)

  起床; 7時

  観測; 13時

  死亡; 19時

 起床; 8時


●姫野視点の現実

 就寝; 前日の23時

 夢見; 7時の直前

 ●夢(姫野視点)

  起床; 7時(夢)

  観測; 13時(夢)

  死亡; 19時(夢)

 起床; 7時


 第三者を含む巻き戻りについては、まだ少し例外処理を含む説明が続く。しかし、ここまでの説明で既に、井沢には、どうしても「バグ」としか思えない、この法則のエラーを見付けてしまっていた。

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