第4話

 井沢は耳を疑った。今まさに、日村の口から守秘研究が明かされた筈である。それは、この時空研究において世界的に最先端を走る日村研に相応しいものではなかった。


「この子を殺すですって?」


 井沢は血相を変えつつ、渦中の人物に目をやった。夢を見る少女。長い髪が印象的な、どこにでもいる中学生風の女の子。国を上げてバックアップされる守秘研究のテーマが、一人の女の子の殺害とは。


「ああ、その通りだ」


 日村は表情を変えることもなく、ただ頷いた。井沢はこの日をいかに待ち望んだことだろう。あの名高い日村研で、誇らしくも国命を背負って、何を研究させてもらえるのだろうか。無スピン電子の固有時間の揺らぎを測定するのだろうか。低質量元素の超低温下α崩壊時に発生が予測されている時間圧縮を観測するのだろうか。情報エントロピー伝導が臨海を超える際に生じる時素の分裂を実証するのだろうか。来る日も来る日も、そんな空想を抱いて胸を高鳴らせていた。


「驚くのも無理はない。だが、これは人類の、いや世界そのものの存続を賭けた、この上なく重要な研究なんだ。……森尾くん、例の資料はあるかね」


 日村がそう尋ねると、森尾は「はい」と返事をし、手際良くスクリーンに映像を映し出した。そこには大きく「On Doomsday Derived from le Terminus」と書かれていた。


「Doomsdayというのは終末の日、でしたっけ。ターミナスというのは聞いたことがありませんが、レみたいな冠詞が付いているのでフランス語か何かですか?」


 井沢は英語なら人並みに話せるが、フランス語は全く勉強したことがなかった。Doomsdayというのは世界の終わりの日のことである。永遠に世界が続くという考え方もあるが、いつか必ず終わるという考え方が近代的には主流になっていた。いつか終わるといっても、それはいつの日だろうか。それが100年後か100万年後か100億年後か、はたまた10の1万乗くらいしないと表せないくらい先のことかもしれない。そういった途方も無い数値を様々な技術で推論し計算する分野は古典的にも存在するが、機械の発達と共に今もなお進歩し続けているらしい、と井沢はどこかで読んだエッセイを思い出した。


「その通り。ターミナスというのはね、この子のことだ。この研究は日米仏を跨いで行われているんだがね、アメリカ人は最初にこの危機を啓発したフランス人による命名を優先して、ル・ターミナスと呼んでいる。と言ってもターミナスの発音はフランス語だと違うらしいので英語読みだが。意味は、終わらせる者、だそうだ」


 日村の説明に従うと、このタイトルは「終焉者に起因する終焉日」という感じであろうか、と井沢は考えたが、どうもしっくり来なかった。この少女が終わらせるのは、いくら現実とそっくりとはいえあくまで夢であり、現実の世界そのものの終わりを意味する終末の日とは関係がないように見えた。


「まあ、とりあえず見て欲しい。そうすれば分かる」


 日村がそう言うと、森尾がスクリーンを操作した。タイトルページが消え、英文がつらつらと表示され、そして簡単なアニメーションが流れ出した。


『この子が死ぬと、現実が夢であったかのように終わる』


『じゃあ、この子が道端で悪漢に襲われたらどうなるの?』


『殺されてしまうかもしれない。でもそうしたら夢が醒めて朝が来る。現実では夢と同じような目に遭わないように、家で引きこもっていればいいね』


『じゃあこの子が誘拐されたらどうなるの?』


 テンポよく進むアニメーションをぼんやりと眺めていた井沢だったが、その問いを耳にした途端、背筋にゾッとしたものを感じた。


『そうだ。誘拐されたらまずい。万が一救出が遅れて日を跨いでみろ。殺されても殺されても、朝に戻って同じことの繰り返し。拘束を受けてしまったら、朝からやり直しても運命を回避できないんだ。するとどうなる? 誘拐犯は巻き戻りの記憶がないんだ。ずっとずっとずっと同じことを繰り返す。1000回繰り返す。100万回繰り返す。10億回繰り返す。永遠に、永遠に、繰り返すんだ』


『ねえ、それってどういうこと? 次の朝はいつ訪れるの?』


『ない。存在しない。永久に同じ日が繰り返されるならば、そこに次の朝はない。ドゥームスデイだ』


 考えてみたら当たり前のことだった、と思い井沢は愕然とした。少女を見ると、相変わらず無表情のままスクリーンを注視していた。いや、むしろ眉間に皺を寄せているようにも見え、これまでで一番表情が現れているように見えた。


『じゃあずっと保護しとかなきゃ。それこそ、許可された人しか入れないような地下のシェルターにでも入れましょう』


『そりゃ名案だな。ル・ターミナスは平和に暮らし、人並みの恋をして、子供や孫に恵まれ、何の危機に出くわすこともなく、めでたしめでたし、と』


『あれ? でも最期はどうなるの?』


『最期かい? そりゃ孫達に囲まれたベッドで静かに眠りにつくさ』


『それで?』


『え? ああ、そうだな、朝が来るわけだな。もう一度』


『それで?』


『そりゃ……なんだ? ええと、孫達に囲まれたベッドでだな……』

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