第7話

 井沢はあっけにとられていた。寡黙で無愛想な少女。中学生か、もしかしたら小学生かもしれない。そんな風に思っていた。それがどうしたものか、壊れたスピーカーのように延々と音声を吐き出し始めた。スピーカーは自分の服装にケチを付け、態度にケチを付け、何だか分からない間に自己紹介を始めていった――


「いやあ、散々だったね、井沢くん」


 事の鎮火が終わると、井沢は日村と二人で食堂に来ていた。朝でも昼でもないこの時間はまだ人が少なく、席はどこもガランとしていた。給水器から水を汲み、席につくと日村はまず最初に念押しをした。


「いいかい? 研究所の外、例えばここみたいに色んな人が入れる場所では、絶対にアレの話をしてはいけない」


 アレ、というのはさっきの壊れたスピー、じゃなかった、姫野結夢のこと、ひいては彼女にまつわる全てだろう、と井沢は理解した。色々あったが無事、守秘研究の研究員として正式に採用が決まった。それは、予てからここ、時空研究の権威である日村研に憧れていた井沢にとって、まさに夢の様な気分であった。「いや、夢ではないが」と井沢は心の中でツッコんだ。


「はい、承知しております」


 それからというもの、お昼時になって人が混み出すまで、井沢は日村から「仕事の説明」を受けた。もちろん、守秘研究のことではない。守秘研究従事者は、政府によって研究内容の公表が禁止されている。もちろん、守秘研究従事者であることも口外してはならない。では第三者に「どんな研究をしていますか?」と聞かれたり、後に履歴書などを提出したりした時にはどうすればいいか? それには国のガイドラインが与えられており、守秘研究従事者には「表向きの仕事」が割り振られるのである。それは勤務内容も勤務先も守秘研究とは無関係な、まさに隠れ蓑とするためだけの仕事である。今後、井沢はその「仕事」に従事しているように振る舞い、日村研とは一切関係のない人間として過ごしていくことになる。


 そもそも守秘研究の公募にも手が込んでいて、一般の研究員が見ても守秘研究には見えず、それこそダミーの業務内容が記載されている。そのまま応募してもダミーの業務内容を請け負うことになるのだが、守秘研究の適性が認められたたった1人の人間にのみ、その公募の真の意図が政府から伝達される。そうして初めて、研究員は守秘研究に応募できる。もし守秘研究の適正者が応募を辞退した場合は、守秘研究が別の機関に移行し、そこでまた公募が出る、という流れだ。そういう遠回りな手順が用意されているのは、やはり守秘研究を完全に秘匿するためである。例えば公募期間外に雇用者が1人増えてしまえば守秘研究従事者の雇用が明るみに出てしまうであろう。井沢はそれまで守秘研究が実際どのようなものかは当然知る由もなかったため、さすがに回りくどすぎるのではと疑っていたが、身を以て今回の案件を体験した今、なるほど用心するに越したことはないな、と深く納得した。


「で、これはどういうことですか?」


 一通りの説明を受けた井沢に手渡されたものは、1枚のカードキーだった。


「学生証だ。言っただろう。君は特定の事情を抱えた大学生の学習環境改善を目的とした学習支援員だ。支援員には色々な形態があるが、例えば病気などの事情を持った女の子の授業支援をするとしよう。その場合は支援員にも学生証を付与し、女の子と同じ授業に参加することになっている」


 つまり、井沢は「表向き上は」とある大学の支援員として、あたかも学生であるかのように、授業に出席する必要があるということだった。そして、大学生、女の子、と聞いて、井沢には悪い予感が頭をよぎっていた。


「……その、支援対象の学生さんのプロフィールはいただけますか?」


 井沢の考えを見透かしたように日村は楽しそうに笑い声を上げ、そして井沢の背後の方に向かって手招きを行った。そして、後ろを振り返ることが出来ずに硬直している井沢を他所に、元気のいい足音が二人の元へと近付いてきた。恐る恐る後ろを振り返る井沢を迎えたのは、中学生くらいの背丈の、とびっきりの笑顔の女の子だった。


「初めまして! 姫野結夢です。『ヒメノ』の『ヒメ』はお姫様の姫で、『ノ』は野原の『野』、『ユメ』の『ユ』は結ぶっていう字で、『メ』はドリームの夢! よろしくお願いします!」


 井沢は覚悟を決めた。表向き上の仕事というものをどうやって扱うものか、それまであまり判然と認識していなかったが、要は研究をしながら、大学にも通って姫野の観察、もしくは世話、を行わないといけないということだと理解した。


「よろしくお願いします……学習支援員の井沢慶です」


 先程までの無表情が多分姫野の素なのだろう、と井沢は思った。そして守秘研究の外、つまり「表向き」の姫野のスタイルが、この笑顔なんだと思った。軽やかに自己紹介をする今の雰囲気からは先程の悪辣な物言いがこれっぽっちも感じられず、こうも人は「作れる」ものなのだな、とひとしきり感心を覚えた。そして、井沢は「まあ、いいか」と心の中で呟いた。


「はい!」


 屈託のない笑顔で姫野が手をピーンと差し出した。一瞬の間を置いて、井沢もまた笑顔で手を差し出し、二人は握手を交わした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る