第三十三話 閉幕ベルはまだ鳴らない

 肩を上下させて荒く息をしながら、アランは体が傾ぐ方向に任せて歩く。

 その足取りはふらふらとしたものだ。酔っ払いの千鳥足とそう変わらない無様なものだったが、しかし彼は確かに生きていた。


 宙にわだかまる煙塵を掻き分けて汚染された範囲から脱し、清潔な空気を吸い込む。


 左手を前方にかざし、寄り掛かれるものがないか探す。しかし触れるものといえば、目から垂れる紐状の物体だけだった。

 アランは顔に垂れる紐のようなものを掴むと、力に任せて強引に引っ張る。するとソレは呆気なく抜け落ち、同時に眼孔から熱い液体が滴った。

 時計男が眼球に突き刺した端子を、自らの眼球ごと引き抜いたのだ。

 引き抜いたケーブルを適当に放り捨て、アランは両眼を掌で覆う。眼球と視神経の一部を完全に喪失していた。経験則で判断するならば、視力が戻るまでには数十秒もの時間を要するだろう。

「は、ァ……ッ!」

 犬のように舌を突き出し、酸素を求めて喘ぐ。

 破壊の達成感よりも、総身を苛む苦痛の方が大きかった。勝利の余韻に浸る余裕すらない。アランは体を折り曲げて、傷付いた肉体の復調に苦心した。

(まだだ……まだ、やることが残ってる)

 逸る気持ちを抑え付け、深呼吸を繰り返す。冷たく硬直した肺が空気を取り込んで膨らむ度に、鋭い痛みが走った。

 任務を遂行するためには後一つ、壊さなければならないものがある―――

「―――アラン君!」

 遠い位置から、聞き覚えのある声が届いた。

 つい先程別れたばかりだというのに、この声を聞くのはもう随分と久し振りであるようにアランは錯覚する。まるで清涼剤のような、涼し気な少女の声。それは過去と現在の苦痛が混線してよどんだ少年の脳を晴らすのに一役買った。

 これはカルティエの声だ。

 認識すると同時に、アランは声がした方から顔を背けて傷を隠す。服の袖で血を拭い、魔術で跡形も無く蒸発させた。

 他人に弱みを見せたくない――その本能おもいで取った行動だった。

 そんな行動を咎めるように、カルティエの絶叫が続く。

「アラン君! ―――」

『―――グ、がが、ガガガガ……ギギ』

 不意に、背後で奇怪な物音が鳴るのを聴いた。

 例えるのなら虫の息。硬い甲虫の口に細い筒を突き刺して思いっ切り息を吹き込むと、こんな音が聞こえるのかもしれない。それは、そんな異音だった。

 二本の足を床に圧着して、腕を使わずに仰向けの姿勢から器用に起き上がる時計男。緩慢な動作で体を起こし、ゲラゲラと忍び笑いを漏らす。

『げひゃひゃひゃひゃヒャヒャ! だから貴方は詰めが甘いというのですよ、アラン・ウィック! さあ、終わりの鐘を鳴らして差し上げましょう、今直グニ!』

 高々と左腕を掲げて、時計男が宣言する。

 あらゆるものに終末をもたらす第七の喇叭ラッパ――神話で語られる世界の終焉を現実のものとする呪いの歌を、時計男は再生しようとして。しかしあまりにも粗雑な手段で阻まれた。

 入り口から猛然と疾走するカルティエが、腰に提げた銃器を引き抜くや否や、時計男に向かって全力で投げつけたのだ。

 回転する銃器が、時計男の額を痛烈に打ち据える。

『ア痛―――ッ!?』

 間抜けな悲鳴を上げて仰け反る時計男。

 アランの攻撃で破損していた部位を的確に攻撃され、時計男の脳髄システムが一瞬だけ硬直フリーズする。それはこの絶望的な状況下における、唯一にして最後の決定的な隙だった。

 そしてその隙を突く絶好の機会と手段を、アランは文字通りに手にしていた。


 アランの左手に武器が収まっている。

 時計男に直撃した反動で弾かれて飛んできたのを、直感で手にしたのだ。


 偶然――ではない。

 死の歌を再生しようとしていた時計男を止め、隙を生じさせたのも。都合よくアランの掌に収まる軌道で『翁』が跳ね返ったのも、全てはカルティエの計算によって導き出された必然であった。


「―――――」

「―――――」


 言葉を交わす必要はなく。二人の間で形のない意思が交錯する。

 アランにはカルティエの言わんとしていることが手に取るように理解できたし、カルティエはアランならば問題なくやってのけるだろうという確信があった。


 為すべきは死刑の執行。

 執るべき剣理は抜刀術。


 掴んだ時点で、アランは自身が手にしたソレがどういったものか完全に把握していた。

 鞘に銃器を内蔵した直刀。

 銘を『オキナ』。言わずと知れた、カルティエが設計し鍛造した怪作である。

 その特性は至って単純シンプル。内蔵された銃器の撃発によって刀を撃ち出し、神速の抜刀術を放つというものだ。

 ―――視力は未だ戻らず。彼我の距離は定かではなく、されど遠い。

 しかし敵がどの辺りにいるのかはおおよその検討がついていた。激突音が聞こえた位置と『翁』が飛んできた方向。方程式を埋める数値はその二つだけで十分――否、それだけの情報で、敵を倒せるように技を工夫すればいいだけのこと。


 痛みを噛み殺して飲み下し、活力に変換する。


 臍下せいか丹田たんでんに熱を漲らせ腰を低く落とし、片足を半歩退げた。

 鞘を掴む左手を腰に据え、右手は柄に置く。折れた指を筋肉で強引に押し曲げて柄に巻き付け、魔術で皮膚と肉を焼き融かし、無理やり固定した。

 構えは当然居合いの型。

 一撃必殺を旨とする、死を具現する武の術技アーツである。


 根を張る――それがアラン・ウィックが魔術を行使する際の感覚イメージ


 肌伝いに血管を伸ばし、根を張り、血を巡らせて対象の内部を侵食する感触。架空の触覚で以って、憤怒の獣は手にした武器を己が隷属下に置くのだ。

 そしてそれだけに留まらず、床と壁と天井にまで魔術の範囲を拡大する。

(これが、アラン君の魔術ちから……―――)

 魔術によって塗り替えられていく世界ルール。その全貌を、カルティエは黄金の眼で確と目にしていた。

 まるで巨大な生物の胃の中に放り込まれてしまったかのような錯覚。

 そしてその所感は事実だ。その空間は既にアランの掌中に在り、正しく彼の内臓そのものと合一化しているのだから。



 星辰揃焉ほしをそろえる

 闇中咆哮やみをさまよう

 痴宙顕現そらをあらわす



 刀に血を与え、熱を流し込む。

 薬莢に込められた炸薬をもっと爆発性の高い物質へと昇華。更には鞘の中にまでソレで満たす。―――狙いは既に定まっている。後は撃鉄を落とすだけだ。


 引鉄を、絞る。

 居合いを放つ。


 瞬間――凶兆を報せる灼熱の赤い星が流れた。


 一条の閃光が奔る。

 禍々しく煌めく赤い流れ星が翔け上がる様を、カルティエは確と視ていた。鋭く描かれた斬撃の軌跡を、膨大な熱の怒涛が塗り潰し両断する――その情態は、まさに空が落涙する隕石の放物線そのものだった。

 振り抜かれた刀は原型を留めていない。

 赤熱した刀身は、その半ば以上が喪失していた。

 其は魔術による抜刀術の変幻。アラン・ウィック流の崩し技。



 ―――――噴火抜刀サーマルガン災禍星ベツレヘム



 やはり構造は至って単純シンプル。一つ目の工夫は薬莢に内蔵された炸薬を魔術によって変質させ、爆発力を高めたこと。そして二つ目の工夫は――斬撃の瞬間に刃金を融解させ、ソレそのものを灼熱の刃として飛ばすというものだ。

 この二つの工夫によって、間合いの外にいた時計男を殺傷圏に捉えたのである。

「…………」

 残心したまま吐息を漏らす。

 離れた位置から、今度こそ敗者が崩れ落ちる音がした。その音の意味を正確に呑み込む頃には、アランの視力は回復していた。

 上半身と下半身を分断された、無様な残骸の姿が視える。

 融解した斬撃が切り裂いたのは敵影のみ。施設に損傷はなく、変化といえば、床から天井に掛けて、一本の鉄の線が引かれていることだけ。融けた刀身の迸りが、冷え固まって凝固したものだ。建材を傷付けることのないよう、アランが魔術の範囲を建物にまで拡大したことによる恩恵だった。

 それはつまり、ミスカマカスの目論見を完全にくじいたその証左であった。

『げぇっひゃッヒヒヒ……今回は吾輩の負けのよウデスネ』

 勝敗など些末事――そう告げるような、悔いを感じさせない愉快そうな声音。それはやはり、虫の息に似ていた。

 アランは無言で、握り締めていた武器を手放す。

 革手袋と皮膚が剥がれ、刀と鞘が床に落ちた。壊した武器を一顧だにしないまま、彼は無言で歩く。そして倒れ伏した時計男の頭を踏み締めた。

 ミシミシと音を立てて、時計男の顔が潰れていく。

『今日の遊戯ゲームはこれにテオ開キ。めでたし、めでたし、デス。しかし忘れるな、楽園ノ民達ヨ。吾輩が在る限り、貴方達に安息ハナイ。次の喜劇の舞台の幕が開くその時まで、怯えて待っていルガイイ―――――』


 ―――――バキン


 靴底が、時計男の顔面を完全に踏み砕いた。

 時計男が完全に機能停止する。

「……これで終わった、のですか?」

 傍らまで来たカルティエが尋ねる。それに対して、アランは頭を振った。

「いや、こいつは端末に過ぎない。ラジコンみたいなものだ。この惑星ホシのどこかにある本体を潰さない限り、解決しない。それに今回の事件もまだ終わってない。やるべきことが残ってる」

 そう告げて、アランは顔を上げた。

 視線の先にあるのは壇上――階差解析機関トリスメギストスの一つ、サードヘルメスに組み込まれたエレナ・S・アルジェントの惨状である。

「時計男はあの装置を制御するリモコンの役割を兼ねていた。それを壊しはしたが、楽観はできない。予備がある可能性は否定できないし、もしかしたら遠隔で作動できるのかもしれない。どちらにせよ早急に対処する必要がある」

 痛む体を引きって、アランは歩き出した。

 その足取りは不安定だ。左右に揺れる体をカルティエが支えようとするが、しかしアランはそれを片手で制し、一人で壇上に上がる。

 足の重さは気の重さ。これから為すことを、良心と良き思い出が咎めている。

 ヒュペルボレオスから完全に死の歌の脅威を取り除くためには――エレナとサードヘルメスの接続を、迅速に排除する必要があった。


 つまりは―――――先生を、■さなければならない。


 これが悪い夢であれば、まだ救いようがあったのに。アランはそう思う。益体のない妄想を脳内で弄びながら、サードヘルメスの鎮座する壇上に昇った。

 カルティエは何も言わない。

 道中に蹴散らしてきた機械の怪物も、サードヘルメスに組み込まれた女も、彼女にとっては大差がないからだろう。つまり、今のエレナは死体と同義であるということだ。恐らくは当代どころか歴代の碩学達の中でも最高峰の頭脳を持つ彼女ですら、エレナの生存は有り得ないと結論している。

 けれど、アランにはそれが認められなかった。

 エレナの首に両手を掛ける。

 白い首は枯れ木のように細く、冷たかった。やはり生きているようには見えない。だが、それでも、諦めたくはなかった。むざむざと現実を受け入れるなんて、そんなことは出来ない。

 ましてや、この手で止めを刺すだなんて。そんなことは、決して。

(そうだ。先生はあんなに優しかったじゃないか。俺とシャーロットによくしてくれたじゃないか。そんな人に、こんな惨い最期を与えるなんて、できな―――)


 ―――


 何か、重量のあるものが、床に落ちる音が聞こえた。

 アランは無言で視線を下げる。そして上げ、再び下げた。すると彼は、て、

 エレナの首がもげていた。

 焼き切られたのだろう、断面は熱を持ち黒く変色している。肉とオイルの焼ける異臭が漂い、鼻腔にゆっくりと染み渡った。

 足元に転がっている生首を見下ろす。

 虚ろに濁った銀色の眼球は、床に垂れる己の黒髪を凝視していた。その有り様は、間違いなく

「ああ……―――

 アランは一人で納得する。既に魔術師の掌の上だったのかと理解し、自分はどうしようもなく阿呆なのだなと侮蔑した。

「あの……アラン君?」

 恐る恐るといった風に、カルティエが後ろから声をかける。それに振り返って、アランは不自然過ぎるほどの爽やかな笑顔で答えた。

。驚異の排除は済んだ。俺の仕事はここまでだ。後は君に引き継ぐ。任せたぞ、カルティエ」

 軽薄にカルティエの肩を叩いて、アランは歩き出した。

 背後で困惑した少女が固まっているような気配があったが、しかし振り返ることはせずに歩き続けた。フロアを横断し、来た道を引き返す。穴の開いた隔壁を潜ったところで、アランは手近な壁に力なくもたれ掛かった。

 ずるずると壁を這い、腰を下ろす。

 腕にはエレナの首を圧し折り、千切り取った感触が残っていた。それを払うように五指をうごめかせ、アランは青褪あおざめた面差しを更にかげらせる。

 エレナを手に掛ける直前の思考を、彼は振り返っていた。


 ―――先生はあんなに優しかったじゃないか。俺とシャーロットによくしてくれたじゃないか。そんな人に、こんな惨い最期を与えるなんて、できない―――


「……く」

 苦悶のような吐息が、喉から突いて出た。

(ああ……俺は、なんて――鹿

 心情に反して、胸中に満ちる想いは爽快の一言に尽きた。

 何時かの時計男やマニトゥの台詞を思い出す。彼はアランが、現実を自分にとって都合の良いように誤認しているのだと言った。そしてその指摘は、間違いではなかったのだ。


 アラン・ウィックは心身共に不能である。


 通常の人間と交配を行ったとしても、受精に至る可能性は皆無。そしてそれ以前に、心的な要因によって性交渉が出来ない体になっている。

 その原因は幼少期に受けた性的暴行にある。よくある症例ケースだ。そして同時期に、アランの精神は解離した。

 それは何時の出来事か。

 学園で初めて大人を相手に仕事をした時か? ―――否、違う。もっとそれよりも以前から、アランの精神はどうしようもなく剥離していたのだから。

 アランの網膜が鋭く弾ける。


 紅い閃光が瞬くフラッシュバック


 ―――黒い髪。銀の瞳。。美しい面差し。。焼ける臭い。地獄絵図。折れた手足。絡める五指。その細い首を、首を、首―――


 そして―――夢の中で聴いた、白い女の声が蘇った。


 ―――私が学生だった時は、当時の煽惑したりとかしてたし。


 最後に。

 懐かしい幻聴こえを聞く。


 ―――はじめまして。君がだね?

 ―――――君は、今日から私の生徒だ。


 名前ではなく番号。整頓された家畜の通称。

 それを告げた彼女の名前は――エレナ・・アルジェント。

 つまりは、


 たとえ元凶ではなくとも――悲劇を実行したのは、あの女だ。先生は魔女であり、そして、あの白い研究施設の職員でもあったのだ。


「く、ひひひ……ぁははははははははッ」

 顔面を手で覆い隠し、陰鬱な笑いを零す。

 裏切られた事実が哀しくはなかった。殺したことに歓喜は覚えなかった。けれども、復讐を成し遂げたという事実には確かな爽快感と達成感があった。、アランはもう

「……早かったじゃないか?」

 ぴたりと笑いを止めて、無表情でアランが呟く。声に反応して、彼の後方に佇む影が揺れた。

 隔壁に開いた穴から、カルティエが現れる。

 彼女はばつが悪そうな表情でアランを見下ろしていた。

「作業は終わったのか?」

「はい……その、今できることは一通り。どうやら青空教会はメモリーカード状の指向性EMP兵器を使用して、内側からサードヘルメスの電子回路を破壊したようでして。マニトゥの指揮系統は概ね回復できましたが、ここの修理は部品を丸ごと取り換える必要があります。ですから手持ちの道具ではどうにも。なので、後の作業はマニトゥが要請した応援が来るのを待ってからになりますです、はい」

 語尾を奇妙な形でまとめ、カルティエは口をつぐむ。

 カルティエは忙しなく視線を彷徨わせた。何か言いたげなようだが、しかし具体的な言葉が形になる様子はない。

 そんな彼女の様子を見て、アランは気紛れから口を開いた。

「……訊きたいことがあるのなら、言えばいい。派手にやったからな。疑問点なんて幾つもあるだろう。普段なら絶対答えないが……今なら、嘘偽りなく答えるよ」

「えっ、あいや、その、私は……―――――」

 カルティエは緊張で顔を強張らせる。

 アランは無言で彼女を見上げた。その表情は真摯なもので、偽りがない。きっと本当に、本当のことだけを口にするだろう。

 決して短くない、間。

 それだけの時間を思考に費やして、それからカルティエはふっと肩の力を抜いた。彼女は頭を振って、穏やかな表情で言う。

「いいえ。今は訊かないでおくことにします」

「いいのか? たぶん、二度とこんな機会はないぞ」

「……はい。きっと、大丈夫です。だって、私は―――」


 ―――貴方のことを、信じていますから。


 その想いを、少女はそっと自身の胸の中に仕舞い込んだ。

 瞼を閉じ、胸に手を当てるカルティエの姿は可憐だ。その聖母のような穏やかな微笑みを見やり、アランは眉をひそめる。けれどそれも直ぐにどうでもよくなって、彼は全身から力を抜いた。

 四肢をだらしなく投げ出して、頭を背面の壁に預ける。

「そうか。じゃあ、俺は眠る。今日は、なんだか、疲れた」

「そうですか……それじゃあ、その、少しだけ私もご一緒していいですか!?」

「……好きにすればいい」

 言うだけ言って、瞼を下ろす。

 隣にカルティエが座る。彼女は不安定なアランの体と頭を支えるように、器用に寄り添った。

 服越しに触れる体はあたたかい。

 寄り掛かる重さが心地よかった。

 その温もりと心地よさは、人懐っこい犬を連想させる。


 ―――――おやすみ、アラン。


 何処かから聞こえた声に、おやすみ、と答えて。アランは深い深い闇の中へと意識を手放した。


 * * *


 ―――通信記録、再生開始。


 <<失敗しちゃイマシタ☆

 >>失敗しちゃいましたかぁ。ご苦労様ぁ、残念だったねぇ。

 <<残念デスネェ。ところで、そちらの状況は如何デスカ?

 >>概ね予定通りだよぉ。記録の処理はだいたい完了、僕等の痕跡は何一つ残ってない。あの二人も都市で元気に任務を続行中。僕はこれから一人寂しく帰るところさぁ。

 <<一人? 彼女はどうしたノデスカ?

 >>あの娘は面白そうだから残るってさぁ。単独行動だよぉ。

 <<そウデスカ。独断で単独行動デスカ。まあ、面白そうなことを見つけたのなら仕方がないデスネェ。

 >>そうだねぇ、仕方ないねぇ。それじゃ、切るよぉ? 通信終了オーバーぁ。

 <<道中お気ヲツケテ。通信終了アウト


 ―――通信記録終了。

 ―――該当する記録を削除しますか? <Y/N>...[Y]


 * * *


 大勢の死者が出た祭りの日から、数日が経過した。

 ヒュペルボレオスの復旧は迅速に行われ、街はその機能の半分以上を取り戻していた。しかし楽園の景観には未だ屍山血河の痕跡が残っている。濃密な死の気配は、灰色の卒塔婆の群れの隙間に色濃く染み付いていた。

 確認された自殺者の数は五百万程度。未確認のものを含めれば、その数は倍を超えるものと思われる。

 生き残った住人は何よりもまず死体の処理に追われた。

 ヒュペルボレオスの環境は極めて寒冷だが、だからといって死体が腐らない訳ではない。死肉は掻き集められ、順次火葬場へと放り込まれた。

 この数日――アランは火葬場でのを務めていた。

 昼に一時間の休憩を挟み、きっかり八時間。朝から夕方まで臨時の労働に精を出す日々が続いている。彼と同じように、エドガーとシャーロットは死体集めに、カルティエはサードヘルメスの修理に駆り出されていた。


 その日――死体を跡形も無く焼き尽くす仕事が終わって、家路を歩く。


 途中で、アランは進路を変えて別の方向に向かった。

 そしてとある店の前で足を止める。店の入り口前に設置された看板に視線を向け、その文言を脳内で読み上げた。


 エーリッヒ・ツァンの洋裁店。貴方だけに似合う服を仕立てます。


 アランは視線を横へ向け、ショーウィンドウを見やる。そこには、。完全なもぬけの殻と化していた。

「…………」

 閉ざされていた玄関の鍵を開け、無言で店の中へと入り込む。

 薄暗い店内は、完成済みの衣服で溢れ返っていた。レースで飾られた布の迷路を迷いなく進む。その途中で、異様なものが視界に入った。

 二階へと続く階段の下に、赤黒い染みが出来ている。

 そしてその周りは、人の形を象ったと思しい白いテープが張られていた。


 あの日、エーリッヒ・ツァンは死んだ。


 年老いて体が不自由だった彼は、階段から転げ落ちて呆気なく死んだ。

 よくある事故だ。

 けれども本当に事故であるのかは定かではない。何せ、似たような状況で自殺した人間が大量に出た後なのだ。彼が自殺したのか、それともその死は事故だったのか、最早知る手段はない。

 ただ――財産を『新しい家族』に譲るという旨が書かれた遺書が家宅に残されていたことから、彼の死は、公的には自殺として処理されていた。

 エーリッヒ・ツァンは心を病んでいた。

 半年前に孫娘が自殺し、その後を追うように妻や息子夫婦が次々と亡くなった。そんな状況下で狂わない人間などそうはいない。彼は事件のショックから痴呆性の認知障害と発話障害を患った。その症状により、エーリッヒは夢見るように家族の幻を見続けていたという。エドガーの調書に記録されていたことだ。

 そして、アランとシャーロットもその幻を

 アランは階段を上がり、二階の床を踏む。

 意味もなく商品を見て回っていたところで、目当てのモノを発見した。


 それは写真だった。


 木製の写真立てに入った、色褪せた思い出の切り取り絵。それが幾つも並んでいる。そこに収められた顔ぶれはみな幸福そうに笑っていた。

 随分と若々しい顔のエーリッヒが映っている。それ以外の者の顔に、アランは

 幾つかある写真の一つから、エーリッヒと年若い女性が映ったものを手に取る。

 写真立ての裏を見ると、エーリッヒとその孫娘の名前が書かれていた。

「思った通りだ。やっぱり、あの姿よりもこちらの方が美人じゃないか」

 心の底からの感想を口にして、アランは写真立てを元に戻すと、踵を返して歩き出す。そしてそのまま階段を降りた。


 エーリッヒ・ツァンの洋裁店には、五人の店員がいた。


 一人は店主であるエーリッヒ。そして残りの四人の詳細は――その一切が不明。

 マニトゥとエドガーの資料で確認を取ったところ、あの洋裁店に新規従業員を雇用した記録はなく、それどころか孫娘が死んでからは営業すらしていなかったという。―――ならば、あの四人はなんだったのか。

 アランは店を出ると、再び空のショーウインドウに目を向ける。

 以前、そこに何があったのか。

 男女二組のマネキンと、そして首を焼き切られた人形。その人形の髪は黒く、肌は白く、瞳は銀色だった。


 今思えば―――あれは、未来の光景を暗示したものだったのだろう。

 誰がそんなものを用意したのかについては、今更考えるまでもない。


「……つまり、俺が勝つのもあいつの計算の内だった訳だ」

 忌々しく顔を歪めて、アランはひとりごちた。

 エーリッヒの店にいた店員四人はまず間違いなく青空教会の人間だろう。魔術によるものか、その顔はカメラなどの一切の記録媒体に残っておらず、アランとシャーロットの脳からも消え去っている。―――、彼等はまだこの街に潜入したまま残っている可能性もあるだろう。

 そしてもしそうであるならば――どこかでアランに関わってくる筈だ。まだ盤上の駒は落ちていない。遊戯ゲームはまだ終わっていないのだから。

(ミスカマカス――まだ遊戯ゲームを続けるつもりなら、受けて立ってやる。そしていずれ必ず本体を見つけ出して潰す。その時まで待っていろ)

 夜空を見上げ、睨み。アランは固く拳を握り締めた。


 それから、アランは家路にはつかずふらふらと夜の街を彷徨い続けた。


 気が付けば、アランは公園にいた。

 沢山の自殺者が落ちた場所。レナータと過ごした最後の場所。手すりに両手を預けて修復された柵越しにコンサートホールを見下ろし、アランは溜息を吐く。

 時計男に過去の記憶を再生されて以来、アランは家に帰ることに――正確には、シャーロットと顔を合わせることに対して消極的だった、むしろ避けている節すらある。事件が解決して以降、こうして皆が寝静まる頃まで散歩してから帰るのが最近の習慣だ。

 呆然と暗い空を眺める。

 夜天の真ん中には巨大な月が浮かんでいる。白く濁った曖昧な輝きは、やはり見開かれた目玉のようだった。

「―――――あっ、いたいた! お兄ちゃーん!」

 不意に、背後から声がした。

 シャーロットが猛烈な速度で駆け寄ってくる。その後ろには、カルティエとエドガーが続いていた。

「えっへへ、捕まえた!」

 アランの背中に抱き着き、頬擦りするシャーロット。そんな彼女に視線を向けることなく、アランは努めて穏やかな声で「何か用か?」と尋ねた。

 シャーロットは無邪気に笑って答える。

「お兄ちゃんを迎えに来たんだよ。ほら、最近はみんな忙しくて一緒にご飯食べる機会がないでしょ? だからどこかに食べに行こうって、カルティエさんが!」

「はい! 私のオススメの店です。味も良くて沢山食べられるところなので、きっとお二人も気に入ってくれると思いますよ」

「……もう営業を開始している店があるのか。早いな。まあ、君のオススメの店なら心配はいらないだろうが」

「カルティエさんが太鼓判を押すってことはとっても美味しいんだろうなー! 私もう待ちきれないよー!」

 シャーロットを背中から引き剥がし、アランが歩き出す。

 その後をシャーロットとカルティエが追う。しかし追いつけない。アランは半ば二人を置き去りにする形で、あっという間に遠くまで行ってしまう。

「…………」

 カルティエは無言でその背中を見詰める。

 シャーロットは無理に追い縋る気はないようだ。その表情は微笑みで固定されているが、どこか寂しげに翳っている。


 なんだか、納得がいかなかった。


 アラン・ウィックとシャーロット・ウィックは仲の良い兄妹だった筈だ。それこそカルティエが羨むほどに、二人の絆は強固だった。だというのに、今ではその形すら曖昧に濁されている。

 カルティエは、そんな現実に納得がいかなかった。

 しかし兄妹間の事情に深く踏み込むことは躊躇ためらわれる。この事態にどう対処すればいいのか、全く分からなかった。

 二人の距離は、どんどん開いていく。

 遠ざかる背中を視る。その瞬間――頭の裏に閃くものがあった。



 ―――悩まなくていい。俺と同じように『好きなこと』を語れよ、カルティエ。そうすれば自分も、誰かも、誰だって好きになれる。……好きになってくれるさ。



「―――――アラン君!」

 気が付けば、カルティエは叫んでいた。

 声に反応したか、アランの足が止まる。彼は振り返り、不思議そうに首を傾げた。その後ろでは、満開の桜が咲き誇っている。

 カルティエはシャーロットの手を取った。

「行きましょう、シャーロットちゃん」

「うん!」

 元気よく頷いた少女の手を引いて、カルティエは駆け出した。そしてアランが逃げる前にその手を掴み取る。

 カルティエを介して、アランとシャーロットが並んだ。

「お、おい。一体何を―――」

「なにって、私の好きなことです。私は貴方達兄妹やエドガーが仲良くしているのを見るのが好きですから。だから――皆で、一緒に行きましょう? アラン君」

 悪戯っぽく笑って、カルティエがアランとシャーロットの手を引いて歩き出す。アランは困ったように眼を彷徨わせて――シャーロットと、視線が交錯した。

 シャーロットは心底嬉しそうに、華のような笑顔を咲かせる。

「行こう、お兄ちゃん!」

「………ああ、分かった」

 観念したのだろう、アランは渋々ながらも二人の少女に付き合うことにした。

 歩の先には、すっかり走り疲れたエドガーが待っている。

 三人は桜の花弁が絢爛けんらんに降りしきる中を闊歩かっぽした。

 手を繋ぎ、歩幅を揃えて並んで歩く様は、それこそ本物の家族のように仲睦まじい。けれど彼等の関係は致命的に歪だ。いずれ綻びが生まれ、破綻する日を迎えるだろう。それでも――胸に抱いた願いは、今だけは綺麗に一致していた。


 願わくば。

 この平穏な日々が、いつまでもずっと続きますように。



 第一章 青空謳歌・了

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