第五十話 パーフェクトだ

 雑貨屋と探偵事務所を兼用した自宅。そこには、地下へと通じる秘密の入り口がある。

 縦穴の壁に設られた梯子はしごを降りた先。えて壁紙等を用いず灰色の建材を剥き出しにした、如何にも秘密基地といった風情の空間を進むと、程なくして――家主であり碩学でもある少女、カルティエの工房『ギデオン』に到着した。

 壁を四角くり抜いて造られた出入り口の周りは、青と黒の警戒色で塗られている。

 中に入ると、主であるカルティエに出迎えられた。

「―――ふふ、来ましたねアラン君。待っていましたよ。さあ、こちらへどうぞ」

 うながされ、アランは工房内を進む。

 間取り自体は大きく広々としているものの、工具や機械類に満たされた煩雑な空間。油と鉄と火薬の臭いが深く染み付いた場所。その中央――巨大な作業台の傍に、カルティエが佇んでいた。

 昼間とは打って変わって、彼女の服装は普段着だ。糊の利いた白いブラウスの襟元えりもとを、大きな蒼色のリボンが飾っている。そして革製のハーネスベルトが胴や手足を締めていた。

 履いているのは褐色のワークブーツ。

 くるぶしまで伸びる蒼いロングスカートに隠れた肉付きの良い足は、ストッキングに包まれており、更にハーネスベルトが巻き付いている。ベルトは一本で繋がっているもので、もしも全体を一望することが出来れば、背徳的な緊縛を施されているように見えるかもしれない。

 そして頭にはヘアバンドを兼ねた、青黒い遮光レンズのゴーグル。職人然とした無骨な装備は、令嬢然とした可憐な装いとミスマッチしている。しかし不思議と、カルティエ・K・ガウトーロンという少女には実に相応しい格好であると思えた。

 その彼女が、見せびらかすように作業台を指している。

 作業台の上には、黒いケースが置かれていた。

 一メートル程度の大きさの、横長の長方形。幅と厚みの薄い直方体。蓋には銀色の留め金が設けられている。

 ロックを外してケースを開く。そして中身を確認した瞬間、アランは軽く目を見張り、思わず感嘆の溜息を漏らした。


 漆黒があった。


 寿命を迎えて爆ぜ果てた星のような。見ていると吸い込まれそうになる程に、深くて暗い黒。それでいて蛍光灯の光を反射して、冷ややかな輝きを孕んでいる。

 ガンオイルの香りに洗われた、漆黒の鋼。

 直線を多用した一切の装飾を排する無骨なデザインでありながら、ある種の気品が感じられる美しい佇まいは、見る者に月の光に濡れた夜空を連想させる。

 それは一挺の刀であり、同時に銃でもあった。

 抜き身の直刀と、その鞘を兼用する特殊仕様の長銃。そして箱型の弾倉と六発の弾丸が、それぞれ紅いベルベット生地のクッションに埋まる形で丁重に納められている。


 これこそが、この世で唯一人――アラン・ウィックの為だけに用意された、専用の武装だった。


 対魔物戦闘用軍刀及び鞘型長銃、『オキナアラタメシキ一號イチゴウ』。


 全長89cm。総重量16kg。

 装弾数――前部回転弾倉シリンダーに専用弾を6発、下部装填の箱型弾倉ボックスマガジンに7.62mm強壮被覆鋼弾20発。


 刀の柄を手に取り、持ち上げる。

 手に取った感触は極めて良好。装飾とは無縁の無骨な代物だが、それでいてどうにも掌に馴染む。まるで自分自身と固く握手をしているようにアランは感じた。


 だが――重い。非常に、重い。

 それは、携行武器と呼ぶにはあまりにも重過ぎた。


 常人には到底扱えない代物。故に、この武装をアラン・ウィック専用の装備と称する。


 通常、刀の重量は鞘、柄、つば等のこしらえを含めても一キログラム前後である。大型銃器の場合でも――モノにもよるが――五キロを超過するような代物はそうそう無い。そういう意味でいえば、『翁』は完全に規格を外れたであった。

 その理由は実に明解。刃金や銃身だけでなく、刀の柄や鍔、更には鞘と鞘本体に組み込まれた銃器部分――銃把グリップ銃床ストック等、一般には木材や合成樹脂で製造されることが多い部品まですらも。『翁』を構成する全てのパーツは、鋼鉄で出来ている。だから重いのだ。

 鋼鉄――正しくは、特別製の金属間化合物。

 武器には高い硬度と靭性が求められる。しかし、両立することは難しい。これは武器ではなく、それを構成する物質の問題である。

 例えばダイヤモンド。

 炭素が高密度に結合することで生まれる彼の鉱石は、過去においては俗に『世界一硬い』などと呼ばれ持てはやされた。そして実際に、その謳い文句に恥じぬ高い硬度を有する。別けても、ダイヤモンドより硬い鉱石は存在しない。しかしその一方で性質を併せ持ち、強い衝撃を受ければたちまちに割れてしまう。

 この性質はダイヤモンドに限ったものではない。物質を構成する元素が結晶構造を成して高密度に組み合わさった場合、その物質は硬くなる。だが高密度に結合しているということはつまり『動けない』――固くうずくまっていて、外部からの攻撃を回避したり受け流したりすることが出来ない状態なのである。

 逆に言えば、一時的であっても容易く構造を変え、元通りになることが可能なものは壊れ難い。この性質を指して靭性や弾性と呼ぶ。だがそれは言い換えれば『柔らかい』ということなので、武器には向かない訳だ。

 しかし、何事にも例外はある。そしてその例外こそが、『翁』だった。

 若き天才碩学カルティエ・クルーシュチャ・ガウトーロンが造り上げたこの武器は、極めて高い硬度と重量を有している。その比重は、最も重く硬い金属であるウランの三倍近い。その上で優れた靭性、更には――無機物でありながら、生物の治癒能力が如き挙動の異常な弾性をも併せ持つ。

 主成分は鉄と炭素とカルシウム。その他、幾つかの金属元素を、精製過程において人体組成を模した構造に原子核レベルで超々高密度に圧縮・結合。この時発生する核融合反応に介入し、熱エネルギーの発生を阻害することで物質としての密度と質量を極限まで増大させている。その結果、出来上がった鋼は、前述の通りの性質を獲得するに至ったのである。

 言うだけならば簡単だ。

 だが、実際に設計し創造するのがどれほど困難なことなのか―――

 少なくとも、アランには理解できまい。懇切こんせつ丁寧ていねいに説明したとしても、馬に念仏を聞かせるのと結果としては大して変わらないだろう。

 だがそんな彼でも、分かることがある。

 重さにして六キロを超える鉄塊。常人であれば抱えることさえ苦心するソレを、当然のように軽々と片手で掲げるアラン。

 手に取った刀の鋒を天井に向け、両側面を観察する。そして次はフェンシングのように横に倒し、角度を変えながら、鍔元からきっさきを見やった。

 黒刀。闇を凝縮したように真っ黒な刃金。その刃渡りは二尺三寸――つまり七十センチメートル程度。鍛造工程の問題か、刃紋はない。しかし地鉄には、五万以上ものおびただしい数の層があるのが見て取れる。反りはなく真っ直ぐで、鋒は小振りで丸みのない直線を描いている。強度よりも抜刀のし易さと速度を重視しているのか、横断面がホームベースに似た造りになっていた。

 総じて、和郷ミシマ文化の随分と古い時期に造られた刀に近い。分類するならば、切刃造りの直刀か。

 素晴らしい刀だ、と。アランは素直にそう思う。

 改めて感嘆の溜息を吐いてから、アランは刀の鑑賞を打ち切った。次いで、赤い瞳が映したのは、刀と対になる鞘である。

 先程も述べた通り――それは鞘であり、同時に銃器でもあった。

 機関部と、折り畳み式の銃床ストックを備えたソレ。鞘をケースから取り出して、鯉口に刀の鋒を宛てがい仕舞い込む。

 鯉口付近の下部には、初代『翁』とは違い、回転式拳銃に用いられる円筒形状の弾倉が埋め込まれていた。パーカッション方式の拳銃と同じく、弾倉の軸が固定されていて動かすことが出来ず、弾丸の装填に手間を要する。しかしその分、頑丈なのが特徴だった。

 ケースに納められた六発の弾丸を一つずつ手に取り、弾倉に込めていく。

 それは、『翁』専用の特別弾。名を、『魔導式無限炸薬筒』。刀や鞘と同じ素材で出来たソレは、言うなれば無限に使い回しが可能な空包だ。

 何せ炸薬はアランの魔術頼りなのだ。だからこそ、殊更に強度に重点を置いて設計されている。六キログラムを超える刀を居合いとして撃ち出す爆発に、十二分に耐える計算だ。

 黒い薬莢の尻には、型番号と思われる『』の刻印が施されていた。

 装填を終えてから、アランは最後にケース内に残された箱型弾倉ボックスマガジンを取り出した。

 箱型弾倉ボックスマガジンに込められているのは、ボトルネック構造の長大な薬莢を有する7.62mmの弾丸。その上、通常規格のものよりも炸薬を増量した、強壮仕様の弾だった。

 機関部の下部に設られた挿入口に箱型弾倉ボックスマガジンを差し込み、刀を抜いてから、軽く鞘を振るう。すると鯉口に位置していた機関部が鞘の真ん中まで滑り、それに連動して右側面のコッキングレバーが前後。解放された薬室に初弾が装填された。

 更に引鉄の重さなどの動作の確認を一通り完了してから、アランは刀を鞘に仕舞う。機関部が再び鯉口まで滑り、一切の故障なく納まった。

 手中の『翁』を見下ろして、アランは一言、感想をささやく。

「―――――パーフェクトだ、カルティエ」

「―――――感謝の極み」

 嘘偽りの無い心からの賛辞を受け取って、カルティエはうやうやしく一礼した。

「これならば――これさえあれば、もう二度とミスカマカスに後れを取ることなどないだろう」

 満足気に、武器を左手で掲げるアラン。彼にしては珍しく、高揚しているようだ。傍目には普段通りの仏頂面と大差ないが、身にまとう雰囲気は新品の玩具を買って貰った幼児そのものである。少なくとも、カルティエにはそう見えた。

 微笑ましい。

 依頼人に喜んで頂けたのであれば、クリエイターとしては幸いという他ない。

 故に自然と、カルティエの表情は得意気な笑みになる。

「お気に召したようで何よりです。腕にりをかけて造った甲斐がありました。―――そうだ! 宜しければ、隣のシューティングレンジで試し撃ちをしてはみませんか?」

「至れり尽くせりだな。勿論。行こう」

 うきうきと踵を返し、先導するカルティエの後を追って行く。

 工房の向かいにある防音扉を開く。

 アランにとっては完全に初見の部屋だが、しかしその内部は見たことのある内装だった。知識としてある。そして、実際に利用したこともある。此処ではない、別の場所にある施設でだ。

 射撃場。

 その名の通り、射撃の訓練を行う場だ。だからだろう、どこも同じような造りをしている。正確には、同じ構造にしなければならないと法律で決められているのだ。

 ガンロッカー兼コントロールルームとして設置された区画を経由して、射撃場へ。

 工房よりももっと広々とした空間。具体例を挙げるなら、体育館が近い。あまりの広さに、思わず「本当に、個人が地下にこんな施設を持ってしまってもいいのか?」などと益体のないことを考えてしまう程だ。

 左右を仕切りで区切られた射撃台が十あり、同じ数のレーンが並んでいる。またレーンに沿って天井近くにはりに似た柱が横向きに通っており、そこに厚紙で出来た的がハンガーでぶら下げられていた。

 アランは迷うことなく、一番手近な位置にあった射撃台に陣取る。

 工房と同じく、コンクリートが剥き出しとなった灰色が目に映る。その奥――的よりも向こうの壁は、大きく傾いていた。上下の傾斜は奥に向かって狭くなっており、射撃された弾丸は跳弾によって隙間へと送り込まれる。後で回収する為に。

 遅れて、カルティエがやって来た。

 彼女はワゴンを押している。キャスターを脚として転がる四角い台の上には、幾つかの箱型弾倉ボックスマガジンと替えの的、それから刀架。そして幅広な造りの黒いホルスターベルトが整然と並べられている。

「……それは?」

 ホルスターベルトを視線で指し、アランは尋ねた。

 赤い眼が見ているのは、ホルスターに備わっている四角い機械装置。黒いソレが何なのかについて、問うている。

「お察しの通り『翁』用にあつらえたホルスターです。これには小型の魔道書ライブラリを装着しておりまして――弾倉を抜いた状態の『翁』を穴の所に当てると、センサーが自動で検知して、新しい弾倉を挿し込んでくれるのです」

「なるほど」

「―――あっ、もちろん電波が通じる場所でしか使用できませんから。その辺りは注意して下さいね。成層圏プラットフォームがある以上、この惑星ホシで電波が届かない場所なんてそうそうありませんが……のような場合もありますから」

 彼女の言う、『この間のような場合』。

 例えば、電波システムそのものを敵に掌握されて使えなくなっている状況。あるいは、妨害電波や協力な電磁波が生じていて通信できない状況。そういった、日常生活を送る上ではまず訪れないであろう事態。

 無論、アランは理解している。

 カチナドール・ココペリとして生き、職責を全うするのであれば。必ずその時が来ることを。不測の事態に対処しなければならない立場であることを。

 だから彼は、カルティエの言葉をしっかりと脳に刻み込んだ。

了解Ia。了解した。―――さて。そろそろ始めてもいいだろうか?」

 どうぞ、とカルティエが答える。

 アランは刀を抜くと、ワゴンの刀架に置いた。そしてレーンの先に設置された的を睨み付ける。

『翁』を握る左腕が動く。

 親指が伸び、機関部の上部に設けられた、回転式拳銃の撃鉄に似た形状の留め金に触れる。それをガチリと引き上げると、ロックが外れる。その状態で手首のスナップを用いて『翁』を振ると、持ち手を兼ねる機関部が鞘の半ばまでフレキシブルに移動。それに連動して、機関部の後ろから鞘の末端まで伸びていた棒状の部品が展開し、三角形の枠組みだけの簡素な銃床ストックへと変形した。

 その後留め金を倒し、機関部が動かないよう固定する。

 アランは左半身を前に出し、左腕を真っ直ぐに前方へ伸ばして『翁』を構える。左眼、鞘の縁に設えられたフロントサイトの突起、レールの先の的を直線で結ぶ。狙いを定める。

 引鉄を絞る。

 撃針が7.62mm強壮被覆鋼弾の雷管を叩き、炸薬が爆ぜて弾頭が射出された。

 鉄火が閃き、轟音が大気を揺らす。放たれた弾丸が大気を引き裂き、的を穿った。

 弾は、的に描かれた円から少し外れた位置に着弾した。それを正確に見て取って、アランは照準の修正を行い、改めて慎重に狙いを付ける。

 銃撃を繰り返す毎に、少しずつ命中精度が向上した。

 弾倉が空になる頃には、完全にコツを掴んでいた。カルティエのように百発百中とはいかないまでも、中々の腕前であると言えるだろう。

 アランは無言で射台のスイッチを押す。同時に唸るモーターの作動音。

 梁に掛けられた的をぶら下げたハンガーが、ゆっくりと目の前までやって来る。

 穴の開いた的を取り外し、アランはワゴン上に用意された新しい的をハンガーに掛けた。そしてスイッチを押す。すると再びモーターの作動音が鳴り、的は遠くへと去って行く。

 アランは『翁』の引鉄近くに設えられた摘みを操作した。それによって、セミオート射撃からフルオート射撃に切り替わる。

 銃床ストックを肩に据え、的に狙いを定めて――アランは、引鉄を引いた。

 間髪入れず、連続して鳴り響く銃声。三秒と経たない内に、二十発全ての弾丸を討ち尽くす。

 射撃を受けた的は、もはや原型を留めていない。千々に引き裂かれている。対人兵器であれば完全にやり過ぎオーバーキル――分隊支援火器レベルの火力だ。ともすれば射手に掛かる反動は凄まじいものとなるが、アランは微動だにしない。完全に使いこなしていた。

 的を新たなものと交換していると、カルティエが声を掛けてきた。

「どうですか? 実際に撃ってみた感想は」

「素晴らしい、と言っておこう」

「ふふ、有り難う御座います。私としても喜ばしい。……とはいえ、少々口惜しくはあります。本当なら刀の方の試し斬りもして頂きたいところなのですが、流石にあの『噴火抜刀サーマルガン』に耐える設備は用意できなかったものですから」

「…………サーマル……なんだって?」

 耳慣れない単語に、アランは首を傾げた。

 鸚鵡オウム返しに尋ねる。瞬間、カルティエは何故か目に見えて狼狽うろたええた。

「えっ、あっ、いや、そのですね……! 以前にアラン君が、サードヘルメスで見せた技のことです。刀を融かして、斬撃として居合いで飛ばす技。あれの便宜上の名前として、『噴火抜刀サーマルガン』と呼ばせて貰っています。ほら、名前がないと不便ですから」

「ふぅん……」

 興味がなかった。

 技の名前なんて、アランにとってはどうでもいい。好きに呼べばいいと思う。

「あのぅ、気に障りましたか……? イタいヤツだと思ったりとか……」

「いや、別に、特には」

 上目遣いで訪ねてくるカルティエに、実に淡白に答える。それでも年頃の少女はほっと息を吐いた。

 ―――技。

 熱量操作の魔術を扱える、アラン・ウィックにのみ許されたもの。それが少しだけ、頭に引っかかる。

「……魔術、か」

 ひとりごちる。

 魔術。己に備わった、超常の生態機能。思えば――その仕組みを、アランは何も知らない。

 教わらなかったからだ。剣、銃、棒、杖――あらゆる武器の使い方を教わった。

 先生。エレナ・サスピリオルム・アルジェント。彼女には、あらゆる知識を叩き込まれた。だが魔術についてだけは触れなかった。だからアランは、自分の魔術について何も知らない。原理も、仕組みも。どうして自分にそんな力があるのかさえ。ただ行使しているだけだった。

「魔術とは、何なのだろう。どうしてこんな力があるのか。君ならば分かるだろうか」

 気が付けば、尋ねていた。

 それは独り言に近いものだったが、しかし若き天才碩学は真摯に頭を悩ませている。

「うーん……魔術、ですか。現状、これについて分かっていることはとても少ないです。以前にアラン君やエレナ女史の魔術について調べた時も、既存の検査や解析装置で得られたデータはあまりにも常識を超えたものでしたから。正直に言えば、何も分からないに等しいのです。……それでもまあ、分からないなりに仮説を立てることは出来ますけど……」

「ふむ。よければその仮説を聞かせてはくれないか。もしかしたら、何か新しい活用法を発見できるかもしれない」

「魔術の新しい活用法、ですか? ……あっ」

 しばしの間、顎に指を添えて考え込んでいたカルティエが、何か思いついた風に声を上げる。

「少し話が逸れるようで申し訳ないのですが。そういえば前から疑問に思っていたのですけど、アラン君は銃弾を防ぐ際に弾を融かしていますよね?」

「ああ」

「―――何故そんなことを?」

「はっ?」

 尋ねられて、アランは当惑した。

「それは……防ぐためだが?」

 首を傾げる。

 そんな彼に対して、カルティエは実に気まずそうに眉根を寄せた。

「言い難いのですが……。銃弾は、目標に着弾した際に潰れて変形します。そうすることで面積を広げ、目標に与えるダメージを大きくする為です。だから弾芯には鉛などの柔らかい金属が使われるのです。ですので、別けても物理学上においては、融かすのは防御として有効な手段ではありません。―――威力とは、即ち速さと重さです。硬度は二の次です。音速を超える速度で激突した物体は、たとえ柔らかいものであろうと高い破壊力を発揮しますから」

「…………何……だと……」

 衝撃の真実を明かされ、アランは驚愕に目を見開いた。

 彼女の説明が正しければ、アランは完全に生身で銃弾を防いでいることになる。当然、人間に可能なことではない。

「―――いや。筋肉に不可能はない。鍛え上げられた肉体は鋼そのものだ。銃弾くらい防ぐのは訳ないだろう。恐らくだが、アーノルド・シュワルツネッガーにも同じことが出来た筈だ。俺に出来て彼に出来ない筈がないからな。間違いない」

「そうかな……そうかも……?」

 確かに映画の彼は銃弾を受けても平気だったが、当然ながらそれは銀幕スクリーンの中での話である。現実的には有り得ない。しかしアランほどの拳士が言うのなら事実なのかもしれない――と、そう思わせるだけの圧力があった。

「……まあ、それはそれとして、だ。訊きたいのだが、君なら俺の魔術でどうやって銃弾を防ぐ?」

「んー……そうですね。銃弾を融かせるということは、弾丸が皮膚に触れた瞬間を知覚して、その上で熱量操作を行っているのですよね。でしたら融かすのではなく、爆発させるのは如何でしょう。戦車に使用されている爆裂反応装甲みたいに、接触点に外向きの爆発を生じさせて吹き飛ばすんです」

「なるほど……」

 爆発の指向性は問題なく操れる。カルティエが挙げた方法は十二分に採用可能だ。むしろ痛みを感じない分、そちらの方が有用であるのは間違いない。それどころか、以前に相手をした時計男の魔術封じにも対抗できるだろう。

 頭が良いのは素晴らしいことなのだな、とアランが感心する一方で。カルティエは考察にふけっていた。


 ―――アラン・ウィックの知識には偏りがある。


 戦闘や戦術に関することについては詳しいが、学問――場合によっては一般常識の分野ですら、知らない様子が見受けられる。恐らく通常の義務教育プログラムを受けていないのだろうと、カルティエは察していた。

 そして、その推測は正しい。

 エレナ・S・アルジェントは、意図してアランに正常な教育を施していない。特に科学に関してはほとんど触れなかった。理由は幾つかあるが、その内の一つに――彼がな知識を身に着けて、手に負えなくなってしまうこと恐れたことが挙げられる。

 知識はそれだけで武器になる。発想力が鍛えられれば、魔術の性能は著しく向上する。だから教えなかった。無知な子供のままでいてくれた方が都合が良かったからだ。

「―――……旧暦時代のとある天文物理学の碩学が言いました。『生命の始まりが偶然ではないのだとしたら、知性ある存在が創ったに違いない』と」

 突然、そんなことをカルティエが言い始めた。

 一体何の話を始めたのだろうかと、アランが首を捻る。そんな彼を半ば置いて行く形で、カルティエは先を続けた。

「ビッグバンから始まり、生命が無生物から誕生する可能性は、実に『百四万の後にゼロが四万個ついた数分の一』になります。これは猿に適当にタイプライターを打たせた結果、シェイクスピアの戯曲が書き上がる可能性よりも低い。故にもしも無限に近い数の原子が組み合わさって生命を成したのだとすれば、それは神様カミの仕業に違いない――という話です。そしてこの言説を基に、この宇宙には『知性』という力が存在していて、それによってビッグバンが発生し、『知性』によってあらゆる物質と生命が形作られたという考えが生まれたりもしています」

「『知性』が力を……」

 そのフレーズは、一際強くアランの関心を惹いた。

『知性』によって発揮される『力』。それは、紛れもなく魔術そのものではないか。

「この説は当初、荒唐無稽な話として扱われていました。当然です。この世界は量子力学と相対性理論によって成り立っているのですから。ですがその前提が覆る発見が、二千年前にありました。

 ―――魔素・外宇宙線COOS

 正式名称を『カラー・アウト・オブ・スペース』――異次元の色彩。

 最初にソレが観測されたのは旧暦時代は一八八二年の六月。北緯三一度、西経七一度の地点。―――かつて『アーカム』と呼ばれた街――その外れにあった小さな牧場。そして現代においては壁外最大の都市『インスマス』がある座標――に、隕石として飛来しました。その隕石に含まれていた未知の物質こそが、外宇宙線COOSの塊だったのです」

 量子が持つ二つの性質――粒子と波動。件の隕石を解析した結果、その二つには属さない、『色彩』という第三の性質が発見された。

 ソレは限定的な範囲とはいえ惑星ホシの環境を汚染し、あらゆる生けるものの姿と生態に突然変異をもたらし、その上で『色』を奪い取った。そして生物の如く生殖活動を行い、一方は宇宙へと旅立ち、もう一方は現地に残った。そしてその結果、隕石が落ちた周囲の環境は一切の色彩を喪失した不毛の地――『焼野』に変わったのである。

 旧暦時代当時の人間には、その現象が理解できなかった。故に焼野を貯水池として封印し、臭い物に蓋をして見て見ぬ振りをした。だが旧暦時代が終わりを迎えたその時――外宇宙線COOS惑星ホシの外より、観測不能となった宇宙ソラより恒常的に降り注ぐようになってから。偉大なる碩学チャールズ・バベッジ・クルーシュチャによって、ようや外宇宙線COOSの真なる性質が解明されたのである。

 そうして、魔術の理論が組み上がり、永久蒸気機関クルーシュチャ・エンジン魔道書ライブラリ等の発明が成された。一切の色彩を喪失した世界に、輝かしい光で満ちた楽園――ヒュペルボレオスが産まれたのだ。

「……量子力学によれば、この世界は観測されることによって成り立っています。これを不確定性原理といい、観測されないものはと同じと定義される。ですが逆を言えば、観測されたものは何であれ必ずそこにということになります。なのでその結果如何によっては過去の出来事が無かったことになったり、逆にさかのぼって創られたりするのです。

 この世の全ては観測者の認識次第。正しい観測結果は、観測しない状態でしか求められない。このとんでもない性質をいとい、量子力学を修めた碩学であるシュレディンガー氏は『シュレディンガーの猫』という思考実験を提唱しました。その内容は―――」

「流石にそれなら知っている。箱の中に猫と毒物か、もしくは放射性物質を入れる。それで箱の中の猫は死んでいるのか生きているのか、箱を開けてみるまで分からない――と。そういう話だろう?」

 アランが言うと、カルティエは静かに頭を振った。

「惜しいですね。結論が抜けています。そもそも『シュレディンガーの猫』は、シュレディンガー氏が量子力学を否定する為に提唱した思考実験なのです。

 端的に言うと、『箱の中猫の状態は分からず、死んでる状態と生きている状態が同時に重なり合って存在している』――なんて、そんなこと物理的にも現実的にも有り得る訳がないでしょう? かなり端折ったり誇張している部分がありますが、大体はそんな感じの内容です。ですが皮肉なことに、それがあまりにも量子力学の性質を正確に表してしまっているものだから、『シュレディンガーの猫』は現代でも量子力学を説明する上で欠かせないものとなってしまっているのです」

「ほう、なるほど……?」

 頷くアランの頭からは、湯気が出ていた。物理的な知恵熱によって、空気中の水分が沸騰しているのだ。

 敢えて無視して、カルティエは続ける。

「そういう意味で、量子力学は胡乱うろんであるといえます。例えば現代ではパラレルワールドと聞けばサイエンスフィクションの話だと思う人がほとんどしょう。ですが、元々は量子力学の真面目な話だったのです。

 観測されないものは、無いものと同じ。ですがご存知の通り、。ある者が五感を喪失したとしても、一切関係なく世界は運営される。惑星ホシは回り続けます。―――それは、一体どうしてなのでしょうか」

「…………」

 アランには答えられない。

 ただ黙して、カルティエが結論を語るのを待つ。

外宇宙線COOSは、この疑問を解決する答えだと考えられています。何せ『色彩』の性質を持つ外宇宙線COOSは、何者に観測されても性質が変わることがないからです。これはつまり――この世界には、あらゆる観測者よりも上位に位置する、『原初の一』とでもいうべき絶対なる者が存在することを示しています。そしてそれが何かといえば、神様カミ以外に有り得ない。国父チャールズ・バベッジ・クルーシュチャを筆頭に、現代の碩学達はそう結論付けました。これが現代の学問における魔術の概要です」

「…………」

 にわかには信じられない話だった。

 聖書に語られる御伽噺ではない。万物を生み出した創造主が実在するなどと、そんなことは有り得ない。だがそうでもなければこの世界は存在し得ないのだと、科学が証明してしまった。

 カルティエは神妙な顔をして、言う。

「……ただ、実のところ、碩学達の間でもこの説を支持するかどうかは意見が割れていまして。私自身、半信半疑――いえ、ほとんど信じていませんでした。しかし、先程のアラン君の話を聞いて考えが変わった。私やアラン君、エレナ女史の魔術。これ等は全て、件の神様カミが行使するという『知性』の『力』に近いものなのだと思います。性質の違いこそあれ、『出来ると思ったことは出来る』。この力は、そういうものなのではないでしょうか」

 あくまで仮説ですけどね、と付け加えて、そう締め括る。しかし彼女の表情は至極真面目なもので、冗談を言っているようには見えない。故に疑うことも茶化すこともせず、アランは真摯にカルティエの言葉を飲み込もうと努力した。

(『出来ると思ったことは出来る』、か……)

 その言葉を何度も反芻はんすうしながら――人差し指から中指、薬指、小指。右手の指の基節を親指で押し込んで鳴らしてから、拳を固く握り締めた。

 先程話していたことを思い出す。

 物理学に則った、銃弾の正しい防ぎ方。それは、アランでは頭をどう捻っても絶対に出てこないものだった。カルティエに指摘されなければ、ずっと無駄なことをし続けていただろう。

 もしかしたら、他にも似たような改善点があるかもしれない。

「カルティエ。もしよければ、俺の魔術で出来そうなことを色々と教えてはくれないだろうか。可能な限り戦術の幅を広げたいんだ。―――頼む」

 教えを乞う。頭を下げて真剣に頼み込む。

 いきなりのことで面食らったカルティエは、やや狼狽えた風にぶんぶんと手と頭を振った。

「そんなに畏まらないで下さい! ぜんぜん、大したことではないですから! でも頼ってくれるのは嬉しいです。私はまだまだ未熟者の身ですが、アラン君の助けになれるのならば喜んで智慧をお貸ししましょう!」

 得意気に胸を張る碩学の少女。彼女は自己肯定感が低い性質で、ともすれば卑屈に見える振る舞いをすることもあるが、碩学としての自身の知能に関してだけは絶対的な自信を持っている。むしろそれ以外に取り柄がないと考えているくらいだった。

 実際、彼女の頭脳は優れている。偉大なる一族クルーシュチャの名に恥じない叡智を、確かに持っているのだ。

 だからこそ、彼女の振る舞いは持たざる者にとっては嫌味として映る場合もある。しかしアランはその手の思考とは無縁だ。彼は素直にカルティエという同い年の天才碩学を尊敬していた。


 こほん、と咳払いを一つしてから、カルティエは改めて口を開く。


「ええっと、魔術で出来そうなことでしたね。それを考えるにはまずアラン君の魔術の詳細について――最低でも今出来ることを知りたいのですが。お話して頂いてもいいでしょうか?」

「ああ。構わない。……そうだな、今出来ることと言えば―――――」


 少女と少年が、言の葉を交わす。

 魔術に関する考察はそのまま朝まで続き、アランは再び酷い寝不足に悩まされることとなった。

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