第三十一話 Childhood's End 2

 ―――チクタク、チックタック


 時計の針が進む。


 その後、君はいついかなる時も友達と共に時を過ごした。

 病める時も、健やかなる時も。互いに友情を交わし、互いに慰め、互いに助け、真心を込めて温かく接し寄り添い合った。

 長く虐待を受け続けた君は、他人の体温に強い忌避を示すようになっていたが、しかし友達だけは特別だった。顔を舐められても、じゃれて覆い被さってこようとも、何の抵抗もなく受け入れられた。

 君は大切な友達に、『アラン』という名前を贈ることにした。

 妹と何度も繰り返し読んだ思い入れのある絵本――その題名を飾る登場人物から拝借した名前だった。


 灰色に煙る寒空から隠れるように身を丸め、寒さと孤独を遠ざける。


 人目のつかない温室の隅にうずくまり、アランの黒い毛皮に顔を埋め――微睡まどろむ。

 ぽかぽかとした不思議な匂いが心地いい。

 ガラスの天井から差し込む斜陽が、温かく降り注ぐ。

 穏やかな時間。

 束の間の休息。

 初めてできた友達と共に過ごす時間は、君にとってなにものにも代え難い至福の一時だった。


 君は甲斐甲斐しく、友達のために尽くした。


 僅かな食料を分け与え、寝床を共にして風雨を凌ぎ、如何なる時も慰撫を忘れず懸命に世話を焼いた。思いつく限りの献身は全て試みた。そして、アランはそんな君の想いに応えてくれた。

 君が寒さに凍えていれば毛布を口に咥えて運んで来てくれたし、持ち前の毛皮で温めてくれた。学友に君の目玉が奪われて視覚が不自由になった時には、巧みな挙措で先導し道を教えた。

 種族柄、家畜の世話にも役立った。

 君が同級生達に虐げられていれば、アランは果敢に彼等へ挑んだ。多勢に無勢で敵いこそしなかったが、それでも友達が君のためを思って執った行動は、決して無意味ではなかった。

 何より―――


 ただ、傍にいてくれるだけでよかった。

 ただそこにいてくれるだけで救われた。


 閉塞した狭い世界の中で、友達アランだけが君の全てだった。

 ―――だから、だろう。

 その存在は瞬く間に衆目の的となり、子供達の好奇の視線と無邪気な思惑とを一心に浴びることとなった。

 そもそも、元から彼等は君に飽き始めていた。当時の君はといえば日々の苦痛に慣れ親しんだが故か、徐々に感情が摩耗し、日増しに反応が鈍くなるばかりである。その有り様は苦悶の形相を超えて、死相そのもので固定されていた。

 そんな君が、普段とは違う様子で楽し気に友達と戯れている。ともすれば、彼等の意識がそちらへ向かうのは必然であると言えた。


 その日――虐待の矛先は、アランに突き付けられた。


 子供達はいつものように君を押さえつけ、暴力を振るう傍らで、君に見せつけるようにアランの腹を蹴り上げた。

 悲鳴が轟く。

 それは友達の喉から漏れたものだったのか、あるいは君が吐き出した絶叫だったのか。判別はつかなかったが、しかし加虐者の側からすればそれがどちらであろうと構わなかった。

 どうせ戯れ以上の意図はないのだ。彼等は、自分達が楽しければそれでいいのだから。

 しかし、そこで彼等にとって予期せぬ事態が発生した。

 君が反抗したのだ。

 今までの君は、彼等にとって玩具でしかなかった。暴力に抵抗せず、精々が口先で喧しくさえずる程度だった君が、一転して暴力行為による反撃に出たのだ。

 それは人形がひとりでに動き出したのと同様の衝撃をもたらし、そして君が振るう拳の威力は、それ以上の脅威として彼等に牙を剥いた。


 君ががむしゃらに振るった拳は、けれど彼等の気概をくじくには十分だった。


 蜘蛛の子を散らすように子供達が退散していく。君はその背中に一瞥いちべつもくれず、大切な友達の下に駆け寄った。

 痣だらけになってしまったアランに顔を擦り付け、慰める。それに応えるように、友達もまた黒く変色した君の頬を舐めた。



 ―――人に危害を加えてはいけない。

 ―――人に与えられた命令に従わないといけない。

 ―――そして前二つの規則に反する恐れのない場合に限り、自己を護らなければならない。



 それが君にとっての成文律。だから君は人に攻撃できない。

 けれどそれは自己に限定した制約だ。友達を護るためならば、他者を害するのも止むを得ない――と、君は事の後に自身の行動を正当化させた。

 それは論理ロジックというにはあまりにも拙いものだったが、しかし弱り切った幼心を納得させるには十分だった。


 この一件を境に、君を取り巻く環境が変化した。


 直接的な暴力は鳴りを潜め、その代わり机や本などの所持品に悪戯を施されるのが主となった。

 悪口を書かれたり、ずたずたに傷をつけられた上でどこかに隠されたりなど、などと。それまでのことを思えば他愛のない所業ばかりであったが、周囲の何処かから嘲笑が噴き出す度に苛立ちが募るのはどうしようもなかった。

 責め苦は、他にもあった。

 毎夜、君は大人を相手に身売りを強要されていた。それに新しく与えられた自室のある建物は一種の売春窟かなにかだったようで、薄い壁を隔てた壁の向こうから怒号と嬌声と悲鳴がそこら中から聞こえた。

 他者の生活音が聞こえる環境は、人間にとってそれだけで不快だ。仕事と騒音に悩まされた君は、すっかり満足に眠ることができなくなっていた。

 食べずとも、眠らずとも、君は死ぬことはない。

 しかし食事を摂らなければ肉体の機能は鈍り、睡眠が不足すれば思考能力が著しく低下する。最早君は、生きながらにして屍と化しつつあった。

 仕事を務める前と後。姿見の前で身形を整える度に、君は自覚する。他人事のように思う。

 鏡に映る姿はどうしようもなく子供で。

 この子供は、弱い。

 手足は枯れ枝のように細く、同年代の子供と比べてその体躯は小柄。ともすれば記憶の中の幼い妹と大差がないようにすら見える。性差に乏しい未発達の肢体は、如何にも脆く頼りない。だから――そう、だから。自らを打ちのめすこの世の全てに抗う術はないのだと、君は認めていた。


 そんな君に――ある時、転機が訪れる。


 切っ掛けは些細なものだった。

 同級生の子供達が、君の教科書を戯れに地下に隠してしまったらしい。


 学園の地下には、溜息の母マーテル・サスピリオルムと呼ばれる恐ろしい魔女が住むという。もしも彼女の住処に迷い込んでしまったなら命はない――という怪談が密やかに、そして実しやかに囁かれているのを君は耳にしたことがあった。

 自身が死なないことをある程度正しく理解していた君は、怪談を怖れることなく真夜中に探索へと向かった。そこで校長室に設えられた秘密の入り口を発見する。

 壁に取り付けられた、三つの菖蒲アイリス彫り細工レリーフ

 その内の一つ――青い色の花弁を指先で動かすと、隠し扉が開いたのだ。

 扉の向こうには、地下へと続く降り階段が口を開けていた。

 君はアランを伴い、闇の中を降りていく。

 やがて広い部屋に辿り着いた。そこは暗くて詳しい部屋の様子は全く見て取れなかったが、寝台らしきものがあったので、どうやら寝室であるようだった。

 寝台の傍らには机があり、机上には数本のワインボトルと、黒色の薄い箱のようなものが幾つも並べられていた。

 黒い箱の表面には光が灯り、それが唯一の光源となっていた。青白い明かりには淡い像の輪郭が浮かんでおり、君はなんとなくソレが学園の各所を俯瞰から見下ろした図なのだろうな、と察した。

 机の前には一人の女が座していた。

 気怠げに頬杖を突いた彼女は、君の来訪に気付いていた。女は視線だけをじろりと動かして、君をめ付ける。


 その横顔は美しい。


 黒い髪。銀の瞳。白い肌。

 酷い既視感に眩暈がした。


『なぁんだ、君か。駄目じゃないか、ここに入って来ちゃ』


 くつくつと、女は陰鬱な笑いを漏らした。

 その姿を見て、君は確信した。彼女は魔女だ。目の前の女こそが、怪談で語られる邪悪な存在――溜息の母マーテル・サスピリオルムその人に違いないと。


 魔女は言う。


『残念だが、ここに君の探し物はない。早く引き返して、ベッドに入って眠ることだ。……と、言いたい所だが、ふむ。流石に死にかけの教え子を何もせずにそのまま追い返すのは、いささか教師としての沽券に関わるか。やれやれだ』


 魔女の声は低く、口調ともども男性的でさばさばとしていた。

 君はなんだか彼女の声に聴き覚えがあるような気がしたが、どれだけ頭を捻ってもなぜだかその詳細は思い出せなかった。


『不思議そうな顔をしているな。自分が不死身なものだから、死にかけに見えるっていうのが実感できないか? だが私の見立てでは、君の残りの寿命は年を越せるかどうか怪しいくらいだよ。残念なことにな。

 ―――「君の思想は君の脳髄の傷。君の脳は傷痕」

 紛れもなく今の君は死に体だ。肉体からだではなく精神こころがね。君を生かしているのは、生きたいと願う君の心だ。それが絶えれば本当に死ぬぞ』


 魔女の言葉は忠告めいたものだった。

 恐ろしい怪談の片鱗は全く窺えない。


『さて――そうなってしまっては私も困るな。君の監督は私の仕事だから。しょうがない、行き掛けの駄賃だ。君にこれをやろう』


 そう言って、魔女は何かを差し出した。君はそれを受け取る。

 それはソムリエナイフだった。どうやら旧暦時代の神様か何かの伝承をモチーフにした意匠を取り込んでいるらしく、かなり奇抜な形をしていた。

 バネ仕掛けの一工程シングルアクションで、留め金を外せば一瞬にして栓抜きスクリュー、ハンドル、ナイフが飛び出す仕組みであるらしい。


『刃物の扱い方は教えた筈だ。遊び終わったのなら、


 それだけ告げると、それでもう用は済んだとばかりに、魔女は君から視線を切って再び黒い箱と向かい合った。

 君はソムリエナイフを握り締めると、踵を返し、隠し部屋を後にする。

 階段を上がっている途中で、朗々と歌う魔女の声が聞こえた。



『―――「隷属の幸福を打倒せよ。

 憎悪よ、万歳。軽蔑、暴動、死よ、万歳。彼女が屠殺者の短剣を持ってお前達の寝室を通り過ぎる時、お前達は真実を知るだろう」』



 その夜、君は一人で寮の廊下を歩いていた。

 アランは部屋に置いてきた。これから君がすることを、なんとなく彼には見られたくなかったからだ。


 幽鬼めいた足取りで、君は夜の寮を歩く。

 やがて、君はとある部屋の前で止まった。


 君は息を殺し、静かに扉を開ける。

 部屋の中には寝息が二つ。名前は知らない、けれど顔だけは覚えている二人の同級生がぐっすりと眠っていた。二人は最も頻繁ひんぱんに君を虐げている子供だった。

 君はソムリエナイフの留め金を外す。

 パチン、と小さな音を立てて、凶器というには小振り過ぎる刃が飛び出した。


 片付けは、簡単に済んだ。


 いつものように、解体する。

 ■■の手足を切断し、止めに頭を切り落とす。使用した刃物は■■に対して随分と小さなものだったが、作業には特に苦心しなかった。ただ、焦げた悪臭が鼻に突くのが少しだけ不快だったが。

 あっという間に、君は二人分の■■をバラバラにした。

 ■■の五体をバラバラにする作業を指して『片付け』と称するのだと、君は教え込まれていた。そしてそれを実行した。ただそれだけだった。


 あともう一つ、片付けなければ。


 君は部屋を後にして、別の建物に向かう。

 大人達が眠っている場所。毎夜毎夜、君を抱きに現れる男。彼が眠る部屋の番号は教えられていた。いつでも夜這いに来てもいいぞ、とかなんとか言っていたので知っていたのだ。

 君は息を殺し、静かに扉を開ける。

 部屋に体を滑り込ませる。

 君はソムリエナイフの留め金を外す。

 パチン、と小さな音を立てて、凶器というには小振り過ぎる刃が飛び出した。


 そして――解体する。


 片付けは、つつがなく終了した。

 バラバラにした■■は、魔女がいた秘密の部屋に放り込んだ。あそこなら誰も近付かないし、ごみ箱代わりに丁度いいと思ったからだ。


 それから、君は夜毎に少しずつ学園の片付けを続けた。


 以前から思っていたことだ。

 何百人もの子供達が揃いの服を着て、同じ建物の中にひしめいている様は異様だ。滑稽であるとすら言える。全ての人間が同一の服装で、同一の規則に従い、同一の生活習慣を過ごす。教師おとなに抑圧された子供達の様相は、家畜小屋か、あるいは

 だから君は、片っ端から少しずつ片付けることにしたのだ。


 夜が来る度に、誰かが消える。

 その状況に、学園は徐々に混乱した空気に汚染された。


 その中でも冷静な子供がいた。最初に君を溺死させた女生徒だ。

 彼女は賢かった。二度蘇生した君から早々に手を引いた判断力も並外れて優れたもので、その聡明さは異常であるとすら言えた。だからこそ、一連の失踪が君の仕業によるものだと彼女は早期に感付いた。

 そして彼女には、いずれ自分も消されるに違いないという確信があった。

 だから彼女は、自分が消されるよりも前に、君を消すことにした。


 斯くして君は三度目の死を迎えた。


 手勢を従えて数にものを言わせ、秘密裏に農具で滅多打ちにされた。頭蓋を砕かれ心臓を抉られ腸をぶち撒けたが、しかし君の肉体は元通りに復元される。その様子を見た女生徒達は、君を焼却炉に放り込むことにした。

 バラバラに分かれた君のパーツを次々と焼却炉に放り込み、炉が壊れるのも構わずに最大火力で焼いた。結果、君は骨すら残らず灰となった。


 それでも尚、君は自己を客観的に俯瞰し続けていた。


 完全な他人事だった。

 肉体を喪失した以上、もう苦痛もなにもあったものではない。ある意味で、君は真の自由を手にしたと言えた。今ならどこにでも行けるだろう。妹にだって会いに行ける。しかし君は鬱屈とした牢獄の中に留まり続けていた。

 君には、ひとつだけ気懸かりがあった。

 アランは今、ひとりぼっちだ。大切な友達を置いていくのは躊躇ためらわれた。せめて彼の行く末だけは見守りたかったのだ。

 けれど、その、末路は。

 なんどもけられてめだまをとられてしたをぬかれてやめてやめてともだちなのたいせつなともだちなのやめてくちをむすんであしをしばってうめないでうめないでけらないでうめないでうめないでうめないでころさないでころさないでころさないでころさないで殺さないでころさないで殺さないでころしてやるころす殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる!


 だから、君は、もう一度蘇ることにした。


 根を張る。君は彼等の肉体を抉じ開ける。今の君は鉄の茨、つまりは有刺鉄線。君は彼等の血管、骨髄、脳髄の迷宮の中に住み着く。君は彼等の内臓の中に引き篭もる。どこかで沢山の体が破壊されている。どこかで沢山の体が開かれている。君は水に受け入れられた子供。首を吊られた子供。動脈を切られた子供。薬を飲まされた子供。君は君を囚人にする道具を、椅子を、机を、寝台を壊す。家だった戦場を完膚なきまでに破壊する。風と世界の叫びが入ってこれるよう、扉を全て壊そう。窓も打ち破ろう。君を寝台で、食卓で、床の上で使用していた大人達も例外なく。血塗れの両手で引き裂こう。君は牢獄に火を着ける。一切合切、何もかもをその火に投げ込んで燃料にしてしまえばいい。


 斯くして。


 愛読書である絵本をなぞった内容の寸劇は佳境へと至り、茨に閉ざされた石造りの屋敷は炎に巻かれる。勧善懲悪のお手本のような物語は、斯くして悪役の焼死という結末で幕を閉じた。


 ―――君はひとり、廃墟の中にいた。


 何もかもが黒く炭化した街の中で、君一人だけが元の形を保っていた。君は何をするでもなく、呆然と立ち尽くしている。

 君は最早、なにをする気にもなれなかった。

 けれどそこに、一筋の光が差し込む。


 ―――Bowwow!


 懐かしい、友達の声が聞こえた気がした。

 君は顔を上げ、周囲へくまなく視線を走らせる。すると、すぐに見慣れた友達の姿を発見した。

 アランは君に駆け寄り、人懐っこく頭を擦り付けてくる。

 それに満面の笑みで応え、君は友達を抱き上げた。二度と手放すつもりはなかった。だって大切な友達なのだから。


 その日、君は一日中友達と遊び続けた。

 翌日、友達はまったく動かなくなった。


 まるで死んでいるかのようにぴくりとも動かなくなったアランを、君は必死に撫で擦り、揺さぶって起こそうと試みた。けれど友達は動かない。瞼を閉じて、固く冷たく強張っていた。

 君が混乱しているところに、不意に魔女が現れた。


『随分と取り乱しているじゃないか。そんなにそのオトモダチが大事なのか?』


 嘲るように、魔女が言う。君は彼女を見上げた。彼女の姿は―――


 黒い髪。銀の瞳。白い肌。

 酷い既視感に眩暈がした。


『君が望むなら、そのオトモダチをもう一度動かしてやってもいい。ただし、条件付きだ。

 そもそもソレは私の魔術で蘇らせたものでな。もう一度その死肉を動かすには、燃料が必要なんだ。まあ、分かりやすく言うなら代価かな。人魚姫は声と引き換えに足と呪いを手に入れた。それと同じだよ。つまり――そのオトモダチを生き返らせるには、君は何か代わりのモノを捧げる必要があるってことだ。

 君にとってそのオトモダチが本当に大切だというのなら。その命の代価は、君自身か、君にとって大切な者の命で支払うのが妥当だろう。―――で、どうする?』


 そう言って、魔女は嫌そうに顔を歪める。こんな提案をすること自体が不本意だとでもいうように。けれど君にとっては、そんなことはどうでもよかった。


 自分が死ねば友達は助かる。

 妹を差し出せば友達は蘇る。


 ならばどうするか? 答えなど、


 この時、君は生まれて初めて確信した。

 君は――君自身のことが、


『よろしい。それでは最後の試験テストだ。―――遊び終わったは、どうするんだったかな?』


 そう言って、■■は何かを差し出した。君はそれを受け取る。

 それはソムリエナイフだった。どうやら旧暦時代の神様か何かの伝承をモチーフにした意匠を取り込んでいるらしく、かなり奇抜な形をしていた。

 君は無言で頷いて、友達だったものを片付けた。


 ―――チックタック、チックタック


 時計の針が進む。


 あまりにも長かった映画きおくは一旦幕を下ろし、小休止へと移行した。

 銀幕スクリーンの中で、時計頭の紳士が手回し式の映写機を回している。歯車の音を鳴らして空転する画面から、君は目を逸らした。


 君にとって、アランは友達だった。それは紛れもない事実だ。


 しかし、友達とはいっても。極論だが――なんて、あまりにも鹿


 だから君はここにいる。

 友達を見殺しにして、のうのうと生きている。


 君はひどい嫌悪と失望に苛まれていた。もしもこれが己でなければ、即座に縊り殺しているに違いないと確信する程だ。それ程までに君は自分自身を侮蔑し、心の底から憎悪していた。

 けれど。

 どれだけ憎たらしくても、それでも――死ねばいいと思うだけで、本当に死ぬ気なんて微塵みじんもありはしなかった。

 死にたくない。

 それこそ、

 その事実がより一層君の心を苛む。君は自らを進んで針のむしろへ追いやっていた。

 今、君が『アラン』の名前を継いで生きているのも、所詮は亡き友を見殺しにしたことに対する代償行為でしかない。君は、亡き友に怨まれているのだと確信している。何故なら君は彼を見殺しにしたのだから。もしも立場が逆だったなら、絶対に許しはしないだろう――と、本心から思い込んでいた。


 だって、許したくないのだ。


 君は、何があろうと絶対に許さない。君を弄んで傷つけ、何度も殺し、大切な友達すらもなぶり殺しにした連中を絶対に許したりはしない。、君自身もまた絶対に許されないのだと固く確信していた。


 だって、殺したのだ。

 たくさん殺したのだ。


 自分がした行為は殺害ではなく『片付け』だ――なんて、無様な言い訳をする気は微塵もなかった。この一点だけは偽ってはならない。君は沢山の子供を、大人を、■や■さえもその手に掛けた。

 当たり前だ。自分が許さないのに、自分だけが許されるなんて、そんな虫のいい話がある筈がないのだから。


 だから―――――


「―――――ううん。ボクはね、少なくともボクだけはね、君を許すよ?」

「………………………………………………………いま、なんて、言った?」


 ここにきて初めて、君は口を開いた。

 黒い犬の面を被った子供が席を立つ。彼は銀幕スクリーンを背に、君と真正面から向かい合った。


「ボクは君を怨んだことなんて一度もない。だって君は、ボクの友達だからね」

「………黙れ」

「それに君をうらむだなんて、そんなのは筋違いだし。君は本気で友達の身を案じてた。ただ、まにあわなかっただけでしょ? それに友達の死を心から悼んでいたからこそ、その尊厳を冒涜するようなことはしたくなかった。そうでしょ?」

「………黙れ」

「いい加減、君は前にすすむべきだと思うな。あの歌姫のおねえさんにも言われたよね、『君の言葉は君の本心ではあっても君のものではない』って」

「―――黙れ」

「君はいつまで先生のまねをしているつもりなの? 大人のうわべだけまねしていたって、大人にはなれないよ。そんなんじゃ、また大切なものをなくしちゃうよ。いつまで子供のままでいるつもりなのさ」

「―――黙れ、黙れ、黙れ、黙れッ!」


 激情に任せ、君は体を縛る拘束具を引き千切ろうともがいた。地団太を踏みしめる度、座席が不安定に傾ぐ。全身に巻き付く革の帯が、不吉な音を立てて軋んだ。


「お前が俺の友達を騙るな! ただの幻の癖に!

 お前なんてどうせ、俺の潜在的な逃避願望か何かが形になっただけの偽物だろう。お前の言葉に価値なんてあるものか! お前オレは絶対に俺を許すなんて言わない、許したりしない! 必ず復讐する! !」

「……復讐なんて無意味、とは言わないよ。でもね、君はもっと他のことにも目を向けるべきだと思う。これは……そうだね、友達としての忠告かな」

「―――黙れぇぇぇぇええええええええええええええええええええええええッ!」


 君は拘束具を引き千切った。

 君は犬面の子供に襲い掛かる。細い首に両手を掛け、全力で圧迫した。


「……分かったぞ。お前は魔術師ミスカマカスが作り出した幻だ。目に刺した端子から、視神経を通して直接俺の脳に電気信号を送ってこの幻を上映しているんだろう。騙されない。騙されないぞ。こいつの言葉は全て嘘だ。幻だ。欺瞞だ。信じない、信じない、信じない。俺は絶対に許さない。絶対に許さない。絶対に許さない」


 繰り返し、偏執的に呟く君の黒目は焦点を結ばず、忙しなく揺れ動き、白目は真っ赤に血走っていた。瞳孔は開き切り、病んだ狂気の光を孕んでいる。


「そうだ、絶対に許さない。俺を殺した奴等も、俺が殺した奴等も。

 ミスカマカス殺す。魔女殺す。青空教会に与する奴も皆殺す。絶対に許さない。邪魔する奴も全員殺す。それがたとえ先生だろうと友達だろうと家主だろうと父親だろうと妹だろうと姪だろうと俺自身だろうと関係ない―――――!」


 ―――殺す。

 ただ、殺す。


 それが君という存在の真価。君がまだ、君自身を存命させてもよい理由。それに従い、君は全力で目の前の敵を殺しにかかった。


「ボ、クは……君、のみかた……ともだ、ち……き、みを、愛して……―――――」


 ―――――ゴキン


 犬面を被った子供の首が、折れた。

 四肢をだらりと下げて、子供は動かなくなる。君はその死体を放り捨てた。


 ―――チクタク、チクタク


 時計の針が進む。

 小休止は終了し、次の映画が始まろうとしていた。君は無言で銀幕スクリーンにらむ。すると、君の視界は薄く伸びた白の中に吸い込まれた。

 銀幕スクリーンと網膜が連動する。君の視界は座席からの俯瞰ではなく、カメラが映す光景そのものへと変異した。


 再生される映像は君自身の記憶。語り部は君であって君ではない少年キミ

 だからこの先の出来事は知っている。先生と共に廃れた世界を巡って旅をし、時折妹へ会いに帰る日々。下らない茶番劇。それが終わって―――


 ―――チクタク、チックタック


 時計の針が進む。

 やがて始まる第三幕。そこで、少年キミにどうしようもない現実ぜつぼうが叩き付けられるのだ。

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