第二十五話 ERASING

 たっぷりと時間を掛けて十六年分の人生を振り返ってから、カルティエはようようと目を覚ました。

(生き、てる……?)

 小さく呻き、重い瞼を押し上げる。

 霞む視界を指先で擦りながら、カルティエは緩慢に首を動かして周囲へと視線を走らせた。しかし大した成果は得られない。墜落の衝撃で頭が呆けていることもあってか、薄暗闇の帳の下を捉えるのは極めて困難であった。

 唯一鮮明に感じ取れたのは、背中に触れる硬い感触のみ。それは金属のものだったが、しかし別段冷たさを感じることはなかった。

「―――――!」

 ハッとして目を見開き、カルティエは改めて辺りを見回した。

 先程とは異なり、暗がりの輪郭を蒼い双眸が正確に捉える。視覚を通じて、大破した地下道の風景が脳に強く刻み込まれた。

 少し離れた壁面には、焼け焦げた小型航空機が半ばめり込んでいる。

 天井には大きな縦穴が空いていた。信じ難いことにその穴は地上まで貫通しているようだが、どうやら余程の距離を隔てているらしく、真下から見上げたとしても裸眼で空を見ることは叶わないだろう。

(ここは、まさかヒュペルボレオスの真下――枢機基地ジオフロントの内部施設? 気絶していたのか……)

 徐々に頭が冴えてくる。

 カルティエは背面の壁に掌を押し付けてもたれるようにしながら立ち上がり、付近の壁面を視線で撫でた。

 目当てのものは直ぐに見つかった。

 現在位置を知らせる記号や数字、矢印等の刻印が、壁一杯に大きくオレンジ色の眩い蛍光塗料で描画されている。

 E017線。

 該当する情報を脳内で検索――結果、一件有り。

(以前、トライアドのデータベースにアクセスして鉄道見取り図を盗んだ時に見付けた、特防秘ブラックボックスの区画と一致する……まさか、枢機基地ジオフロントの資材搬入路と通じていたなんて。建築目的は何らかの脱法行為のため、か? これも母様の手引きなのですか?)

 歯を噛み締め、記憶の中の母を睨む。当然ながら、その虚像が真実を語ることはなかった。

 カルティエは、実母ヴュアルネのことをあまりに知らなさ過ぎる。

(知らないことを考えあぐねても仕方がない。詳しいことはこれから会って尋ねればそれで済む。まずはアラン君と連絡を……―――駄目か、通じない)

 耳に装着したインカムは正常に作動しているものの、通話出来る状態にはないようだ。どうやらアランの方がインカムの電源を切っているか、または何らかの理由で損傷でもしてしまったらしい。

 ならば、とカルティエは携帯端末を取り出す。

 スリープ状態を解除して電源を入れると、新着メッセージの着信を告げる文字が表示された。

 あまりにも簡素な一文に目を通す。


 ―――先に行っているぞ。


「あの人は……」

 思わずといった様子で蟀谷こめかみを指先で押さえ、カルティエは嘆息する。

 気の使い方を間違えているにも程があると、床に敷かれていたハンカチを拾いつつ思う。どうせならもっとスマートな侵入方法を選んで欲しかった、と。

 どう転んだとしても――どうせ、

(今回の一件に母様が一枚噛んでいるのであれば、彼女が青空教会と内通していたことはほぼ間違いない。であれば、トライアドの一部が向こう側に与していたのは確実だ。枢機基地ジオフロントに直結したこの隠し搬入路の存在がその証左。であれば―――)


 ―――その存在と構造を熟知していた彼は、一体何者であるのか。


(青空教会の信徒――では、ないのでしょうね。

 先刻――レナータ・ボーイトの人形を介して通信していたミスカマカスに対し、憤怒の感情を剥き出しにしていた姿を思い出す。あの言葉に嘘はなく、それは間違いなく本物の憎悪だったと、カルティエは直感していた。

 彼は青空教会を嫌悪している。

 そしてマニトゥは、そんな彼をして『この馬鹿げた事態を収拾するに能うだけの能力を、彼はきちんと備えているともさ。そこだけはボクが保証しよう』と太鼓判を押したのだ。


 であれば、アラン・ウィックの正体は次の二つの内のどちらかだろう。


 マニトゥの意向を受け、青空教会の信徒に成り済ましていた現地の特殊工作員ネイティブカチナドール

 あるいは、元々は青空教会に所属していたもののマニトゥに引き抜かれ、経歴を抹消し捏造した上でヒュペルボレオス側に降った使い捨ての少年兵ロストナンバー


 彼の初めから道案内を必要としていなかったであろう計画的な独断専行と、あまりに強力無比且つ出鱈目な魔術の威力を思えば、どちらであってもおかしくはない。そして

 マニトゥはヒュペルボレオスを守護する人工知能だ。

 どのような意図があるのかは不明だが、彼女は一度は青空教会に与していたであろう彼を許容している。であるのなら、


(まあどちらにせよ、私に渡されたアラン君とシャーロットちゃんのデータは偽りなのでしょうね。その事については後で独自に裏を取るとして……―――今は、自分の仕事に専念するとしましょう)

 アランのものと思しいハンカチを畳んでポケットに仕舞い、思考を一旦打ち切るべく深く息を吐く。そして手近な壁を二度、手の甲で軽く叩いた。

 コンコン、と軽快なリズムが小さく反響する。

 カルティエは過剰なまでに神経を研ぎ澄ませ、その音を視る。触れる。嗅ぐ。舌の上で転がし咀嚼そしゃくする。

「この音は――アラン君が随分と派手にやったようですね。それに、敵は武器人間か。……どうやら私のB級映画に対する嗜好は母様譲りのものらしい」

 自嘲気味に薄っすらと口角を上げ、カルティエはひとりごつ。

 無手のまま進むのは危険である。ならば武器を用意するべきだ。それも、これから現れるであろう敵性勢力に対して極めて有効な代物が。

 壁に激突し半ばめり込んでいる航空機の下へ、カルティエは歩み寄る。

 外装の表面は半ば融解しており、翼は砕け、車輪に至っては完全に消失している。想定されていた以上の過度な熱量を供給された結果だった。

 まるで燃え尽きた蝋燭のような有り様。二度と使い物にはならないだろう。

 カルティエは航空機底部のスタンド近辺に足先を伸ばし、不自然な輪っか状の出っ張りに引っ掛ける。そしてそれを引いた瞬間、航空機の外装が弾け飛んだ。

 有事の際にと仕込んでおいた機巧ギミックだ。

 格納されていた銃器が展開する。当然ながら先程の墜落で紛失した『シュネッケ』は残存していないものの、もう一挺の方は無事だった。

 それは銃であったし、同時に剣でもあった。

 旧暦時代に実在したという和郷ミシマ式の刀剣――刀。一メートル前後の長さを持つ、反りのない直刀である。その鯉口には銃器の機関部が備え付けられており、二種の箱型弾倉ボックスマガジンが突き刺さっていた。

 大口径鞘型長銃と直刀――『翁』と銘を切る、カルティエ手製の怪作である。

 ベルトと一体になった革のホルスターが巻き付けられたソレを抜き取り、腰に巻き付けて装着する。

 次いでカルティエは背腰の魔導書ライブラリに手を回し、タッチパネルを叩く。すると排出される余剰蒸気スチームに押し出され、歯車式開閉棚ラック・アンド・ピニオンが解放された。

 右手側から引き出た棚には、一挺の銃が固定されている。

 しかしその形状は既存の銃器と全く一致しなかった。白銀の銃身は大型拳銃のソレよりも更に分厚く、銃把グリップの底部には弾倉ではなくケーブルが生え、その先端には電子機器の接続端子が備わっていた。

 総じて、その外観は銃器というよりもむしろ工具に近いものだった。

 カルティエは右手で銃把を掴み取ると持ち替え、銃把から生える端子の先端を摘まんで魔導書ライブラリ上部の対応した端子に突き刺す。すると銃の側面に設えられていたバッテリーランプが碧く点灯し、充電中である旨を通知した。

 カルティエは背面から戻す手を開け放たれたままの棚へ送り、閉める。そして新たにパスワードを打ち込み、別の物品を取り寄せた。

 解放された棚には、箱型弾倉ボックスマガジンの束が並んでいる。

 カルティエはその内の一つを手に取り、きっちりと弾が装填されているか確認してから、それを左手に持つ銃――引鉄の前部に設えられたマガジンインレットに挿入し。銃把グリップの付け根から生える棹桿コッキングレバーに指を掛けて引き弾くと、薬室へ初弾を送り込んだ。

 専用弾仕様の大型拳銃――『エクレール』。

 それをベルトの右手側に吊り下げたホルスターに収め、カルティエは再度魔導書ライブラリの棚を閉める。そしてアランが向かった方向へ走り出した。


 暫くして、隔壁によって閉鎖された路地に辿り着く。


 カルティエは隔壁の傍の床に設置された非常用の端末を操作して、「Open Sesame」と呟きながら事も無げに閉ざされた壁を解放させた。

 幾重にも連なった歯車の重厚な稼働音が響くと同時に、ゆっくりと隔壁が開く。パズルのように組み合わさっていた四枚の隔壁が半ばまで開き、その向こう側の景色を覗かせた。

 熱風と悪臭が少女を出迎える。

 その先にあった光景は、まさしく地獄そのものだった。


 あらゆるものが破壊されている。

 あらゆるものが死に絶えている。


 燃え尽きた死体と、焼き融かされた残骸がそこら中に散乱している。裂けた死体と砕けた鉄屑が積み上がり、屍山血河に等しい瓦礫の山と化していた。

 人間と、人間の死体を組み込んだ機械が、見るも悍ましい亡骸を晒している。

 強烈な死臭――血肉が焼け焦げ、金属が融解した不快な臭いが鼻を突く。

 空調は正常に作動しているようだが、しかし荒れ狂った熱の余韻はその場に色濃く残留していた。行き場を見つけた温い風が雪崩れ込み、弾けて空気中に四散した脂肪がべたべたと肌に纏わり付く。

 あまりにも凄惨な有り様だが、しかしカルティエの反応は眉をひそめるのみだ。

 右手をホルスターに収めた『エクレール』の銃把グリップに添えて、カルティエは調子を確かめるように片足の爪先を持ち上げて一定のリズムで床を叩く。

 カルティエにとって、戦闘とは即ち音楽だ。

 連射する銃声の音がそれに似ているからではない。戦場を駆けずり回る者達の姿が楽団のそれに似ているからではない。ただ――その場で起こる全ての出来事が、楽譜に刻まれた予定調和ハーモニクスのように明瞭に分かるというだけのこと。

 ここから先は地雷原トラップゾーンだ。

 同胞の亡骸に紛れ、殺戮を至上とする機械人形が息を潜めて隠れている。その無機的な殺意は、余すことなくカルティエ一人に注がれていた。


 戦闘範囲内の敵対勢力実数――十二。

 最大戦力維持可能時間――およそ一分。


 ―――ガチリ、と脳細胞シナプスの回路を切り替える。


 情報を出力し、頭の中に世界を構築する。

 計算を弾き出し、俯きがちだった顔を上げる。

 少女の蒼い瞳が、黄金の輝きを宿す。

 カルティエは床を叩くのを止め、右足を一歩前へ踏み出した。そして数歩進んでから唐突に腰を深く沈み込ませると、発条バネのようにしならせて前方へ向かって自身を銃弾の如く射出する。

 直後、白い少女の残像を数多の制圧射撃が掻き消した。


 後方の天井――だらりとぶら下がる、自立した殺戮仕掛けの怪奇百足男。

 左方に積み上がった瓦礫の山――銃器を備える口部のみ残った哀れな蛙。

 右方前方の物陰――焼け爛れた体を懸命に動かす、鉄仮面を被った傀儡くぐつ


 三者が出鱈目に銃弾をばら撒いている。彼等は程なくして照準を修正し、少女の実像を挽肉に変えるだろう。

 けれどそれよりも、カルティエの方が早い。

 カルティエは伸ばした右足で着地すると同時に、ホルスターから『エクレール』の銃身を引き摺り出す。そして顔は

 照準器を意に返さぬ、射撃のセオリーを一切無視した構え。その態勢のまま、カルティエは躊躇いなく引鉄を絞る。

 銃声は轟かず、けれど不発ではない。

 爆ぜた火薬の閃光ではなく、青白い電光が大気を焼く。十三ミリの鉄塊は優に音速を越えて空を駆け、まったく正確に百足男の腹腔を抉った。


 軸足を畳んで着地の勢いを殺し、同時に左手をベルトのバックルへ伸ばす。

 指先が金具の一部を摘み、内蔵されていたワイヤーフックを剥がした。するすると音を立てて、連結した細いワイヤーが引き摺り出される。それと同時に、カルティエは『エクレール』を持つ右手の手首を返した。


 左方――丁度真横に位置する蛙を模した機械の残骸に向けて、発砲する。

 放たれた弾丸は瓦礫を掠めつつも蛙の額を貫き、その機能を停止させた。


 弾幕が薄れる。

 その隙を狙い澄まし、カルティエは左腕を振り上げてワイヤーフックを投擲した。ワイヤーは数十メートル上方に張り巡らされた鋼索の一本に絡み付き、フックがそれを捉えて固定する。

 カルティエはバックル部に設えられたボタンを押した。

 内臓されたモーターが駆動し、ワイヤーが高速で巻き取られる。特別製故の強靭なモーメントによって、腰部を中心としてカルティエの体が上へ圧された。

 間髪入れず畳んでいた足を伸ばして地面を蹴り付け、前進する。

 摩擦で火花を散らすワイヤーに吊られ、カルティエの体は空中で大きく弧を描いた。この状態では点攻撃の射撃はまず当たりはしない。

「いい銃ですね、間抜け」

 軽やかに言って、カルティエは『エクレール』を撃発する。

 ぶら下がっていた右腕を一切制御することなく、そのままの姿勢で撃ったのだ。そんな状態で行う射撃の精度がどんなものか、傍目には明らかだろう。そんなものは素人の射撃よりも危なっかしい上に当たらない――筈、なのだが。しかしそれは如何なる偶然か、弾丸は見事、傀儡の鉄仮面を粉砕してみせた。

 無論、この結果は偶然ではない。

 言ってしまえば手品のようなものだ。あらゆる物事には、必ず理屈と理論が存在する。当然ながらこの魔術にも、タネは存在していた。


 完全なる未来予知。

 それが、カルティエ・K・ガウトーロンの魔術。


 例えるならば、それは武術を極めた剣聖のみが至るという境地――無想の悟道。

 独立した受容体である五感――それらが混ざり合うことで、常人とは全く異なる世界を感知する共感覚能力。偉大なる一族クルーシュチャが持つその特異な遺伝形質を極限まで酷使することで、カルティエは場に存在するあらゆる情報を取得する。

 そしてそれ等を基にして、これから起こり得る全ての事象を測定し、それに対処する動作プログラムを構築しているのだ。

 信号を数値に変換し、脳に入力し、知られざる『未来の世界ビヨンド・ワン』を組み上げる。

 そこから導き出される計算の精度に不足や不備は一切ない。彼女の頭脳は、人類史上最高の性能を誇る階差解析機関ディファレンス・エンジン――人工知能マニトゥを擁する彼のスーパーコンピューターと同等か、それ以上の機構スペックを有しているのだから。

 明らかに人間が持てる領分を逸脱した、神の如き全知のチカラである。あたかも数学者ラプラスが提唱した悪魔を擬人化したかのような権能だ。

 黄金の魔眼は、それが異能であることの証。

 通常の人体運営から懸け離れた機能。それを行使し続けた場合の末路は想像に難くない。

 文字通りの智慧熱――酷使された機械が熱を持ち、やがて爆発するのと同じように。この魔術を長時間持続させた場合、カルティエの脳は脳細胞が壊死するほどの重篤な炎症を起こしてしまうだろう。


 故に、最大戦力維持可能時間は一分。


 世界の全てを捨て、置き去りにして――この一分以内に、カルティエはあらゆる雑事を終わらせに掛かる。


「―――――!」


 ワイヤーで上昇する傍ら、カルティエは左手を背腰の魔導書ライブラリに伸ばす。そしてブラインドタッチでコードを入力し、目当ての物品を取り出した。

 その大きさは掌に収まる程度。レンズの嵌った穴が複数空いた、天象映射儀プラネタリウムを小型化したかのような造形をしている。

 空中でぐるりと身を捻り、宙返りすると同時に装置を放る。―――瞬間、光が爆発した。

 あたかも閃光手榴弾スタングレネードめいて、眩い閃光が地下道の最果てまでを照らし上げる。

 けれどその輝きには視覚や聴覚を奪うほどの出力はない。

 その代わりとして、閃光の残滓は場に残留する。カルティエを含めた地下道を埋め尽くす物体の全てが、淡い紺碧の燐光をその身に侍らせていた。

 巻き取られるワイヤーの勢いに任せ、カルティエは

 右手は銃を握ったままで、クラウチングスタートに近い体勢で天井に留まる。髪は重力方向へ落ちず、ふわりと空中を漂っている。まるで天地が逆転したような有り様。その怪異を平然と受け入れて、カルティエは天井を蹴った。

 鋼索に結ばれたワイヤーを軸に、少女は宇宙空間での等加速度直線運動めいて、凄まじい速度で前進する。

 地下道は無重力空間と化していた。

 先程の閃光が発した光子フォトンは、惑星ホシが有する重力の働きを大きく阻害し、尚且つ万有引力に強く干渉する性質を持つ。それが表面にまとわり付くことによって、物体間が引き合う力を著しく強めているのだ。故にあたかも宇宙空間であるかのような動きが可能となるのである。

 彼女が独自に考案した、特許取得済みの超技術だ。

 カルティエは天井の鋼索を伝い、最適且つ最善、最速の道を行く。

 当然、それを黙って見過ごすものはいない。一定の範囲に差し掛かった段階で身を潜めていた敵は身を起こし、備わった銃器を乱射する。

 けれどそれは一発も少女の肢体を掠めることすら出来ず。

 敵が射線を修正する前に、カルティエは一射一殺によって無駄なく敵を屠る。


 専用弾仕様の対電子兵器戦闘用13mm拳銃――『エクレール』。


 火薬の爆発によって生じる燃焼ガスで弾丸を撃ち出す従来の拳銃ではなく、電磁誘導ローレンツフォースが生み出す磁場の相互作用によって射撃するEM銃――俗に言う電磁加速砲レールガンである。

 専用弾は13mm高速徹甲弾。

 重金属の硬い弾芯と、それを包む軽い金属の弾殻で出来た弾である。その構造の複雑さから、従来であれば戦車の主砲等の大型の銃器に使用される弾種だ。しかしカルティエはそれを持ち前の技術によって直径十三ミリ、全長五十ミリという破格のサイズにまで縮小し、その上で弾芯に特殊な機構を盛り込んでいる。

 着弾の衝撃と同時に、強力な電磁パルスを発するというものだ。いわゆるEMP兵器である。これによって弾丸は対象内部に侵入すると同時に、対象の制御系である電子回路を完膚なきまでに破壊するのだ。

 ヴュアルネの作品は生体ユニットとして人間の死体を使用しているが、それを制御し動かしているはあくまで後付けの電子回路である。この事実を鑑みるならば、彼女の武器の選択はまさしく最適解であると言えるだろう。


 天地を逆転させたまま目まぐるしく立ち位置と態勢を変え、予測通りに弾道を躱し、カウンタースナイプによって敵性勢力を各個撃破する。

 巧みな姿勢と重心の制御。ハーネスベルトの補助があるとはいえ、あまりにも神懸っている。


 決めた通りに肉体を動かす。

 決められた通りに敵を倒す。


 事前に確定した出来事をなぞる様。その単調ながらも血沸き肉躍る作業にあえて名をつけて呼ぶとすれば、それはまさしく、音楽という他に適切な表現などありはしないだろう。

『エクレール』の装弾数は六発だ。

 更に三体の敵を倒すと、カルティエは空の弾倉を落として迅速に新たなものと交換する。このタイムロスも計算の内だ。寸分の狂いもなく、カルティエは予定した通りに敵を制圧していく。


 七、八、九―――


 心中で数えていた撃破数カウントを鋭く切り、カルティエは唐突にワイヤーを自切して天井から離れた。

 直後、天井に鉄塊が激突する。

 鉄塊はアランによって破壊された機械の残骸だった。それがカルティエを狙って投擲されたものであることは疑いようもない。

 少女は落下の最中、襲撃者ではなく、着地点に銃口を向け発砲する。

 虚空に黒い穴が空いた。そしてその周辺の空間が熱に浮かされたように歪み、人間大の大きさの蛸の姿を浮かび上がらせる。

 光学迷彩によって姿を隠していた蛸の頭にカルティエが着地する。

 柔らかい素材に靴底が沈み込むのと同時に、辺り一帯に満ちていた引力増加の蒼い光子フォトンが効力を失って消滅した。

 カルティエは顔を上げ、目の前にそびえる敵影を睨め付ける。


 それは巨人だった。


 二本の足で直立した佇まいや、おおまかな輪郭は人間に近い。けれど逆三角形型にずんぐりと盛り上がった巨躯は、優に六メートルを超えている。そしてその両腕は肘を起点として二つに別れており、合計で四本の腕を有していた。

 首はなく、ちょうど胴の頂点に頭を有している。

 あたかもこぶのように醜く膨れた形をした丸い頭部には、唐竹割りにしたような亀裂がある。その内側には、掘削機を模した鋼鉄の牙がずらりと並んでいた。

 唾液でぬめった口部の両隣には、膿のように黄色く濁った一対の目が備わっており、それをぎょろぎょろと動かしながら卑しくカルティエを見下ろしている。

 地下道で遭遇した機械達とは、明らかに一線を画する風貌である。

 関節部には針金の体毛が生えた肉が、それ以外の部分は硬い鉄の外骨格で覆われている。そして口を始めとした身体各部にある排出口から、紫煙じみた灰色の蒸気を吐息のように吐き出していた。

 魔物は四本の腕で辺りに散らばっている残骸を拾い、咀嚼している。肉と金属のひしゃげる悍ましい音が少女の耳朶じだを侵食した。

 魔物。

 ヴュアルネが造り上げた兵器ではない。ヒュペルボレオス上空を埋め尽くしていた怪鳥達――ソレとは種族タイプが異なるようだが、彼等と同じ分類の生物であろうことは最早疑いようもなかった。

 何故そんなものがヒュペルボレオスの地下にいるのか――考えている暇はない。

 彼我の距離は十メートル前後。

 少女には遠いが、しかし魔物ならば飛び掛かっただけで十分に埋められる間合いだ。あまりにも危険な状況だが――しかし、カルティエの表情は無風の水面に似て凪いでいる。

 黄金の瞳で怪物を視る。

 魔物の神経系は金属繊維で出来ているが、電子回路は搭載していない。あくまで肉で出来た脳髄で思考し、活動している。よって『エクレール』の13mmEMP高速徹甲弾はやや攻め手に欠けていると判断せざるを得なかった。


 ならばどうするか――その結論は、既に出ている。


 破壊すべきは敵の脳髄。

 狙撃は真っ先に選択肢から除外される。曲面で構成された外骨格フォルムに対して、銃弾が有効角度で着弾せず最大威力を逸するという事態は、実戦射撃ではままあることだからだ。それでもカルティエの技量であれば仕留めることは容易いが、今はより確実性の高い手段を採る必要がある。


 先手を打ったのは魔物だった。


 魔物は右腕に持っていた二つの鉄塊を投擲する。狙いは杜撰だが、しかし迫る質量は絶大だ。十二分に直撃し得る。それでなくとも、牽制の役割は果たすだろう。

 カルティエは蛸の頭上から飛び降り、最低限の動きで鉄塊を躱す。そしてその合間に魔導書ライブラリを操作、箱型弾倉ボックスマガジンを二つ取り出した。

 辞書ほどの厚みがあるソレには『エクレール』ではなく、『シュネッケ』の専用弾が込められている。

 掴み取った弾倉を魔物の顔面めがけて放り投げる。

 即座に『エクレール』を構えて射撃し、一発の弾丸で二つの弾倉を一度に――その内部に収められた榴弾の雷管を正確に――撃ち抜く。それによって榴弾の塊が空中で誘爆し、黒煙を四散させて視界を遮った。

 姿勢を低くして、煙幕の中に飛び込む。

 暗闇を駆けながら立て続けに二射。高速徹甲弾の高い貫通力を生かし、これによって魔物の両膝関節の隙間を射貫き駆動系を損傷させた。

 魔物が膝を屈する。

 それよりも前に地面を滑り込むように股下を潜り抜け、カルティエは魔物の背後へと回った。そしてベルトのバックルから新たなワイヤーフックを引き摺り出し、魔物の頭上にある鋼索を狙って投擲する。

 カルティエは宙返りの要領で跳び上がり、『エクレール』の空の弾倉を捨てつつ即座にワイヤーの巻取りを開始。絶妙なバランスで逆さ吊りの態勢を維持したまま、魔物の頭上に躍り出る。

 新たな弾倉を挿入し、魔物の頭頂部に狙いを定めた。

 間髪入れずに猛射する。弾丸が最大威力を発揮する初速の破壊力で以って、弾頭を強引に魔物の装甲へと捻じ込み、頭蓋を割り砕いた。

 白目を剥き、呆気なく絶命した魔物が床に倒れ伏す。金属の擦れる重低音が反響し、その膨大な質量から地下道が僅かに震撼した。

 カルティエはワイヤーを伸ばし、緩やかに地面に降り立つ―――


 直後、重厚な刃が少女の身に襲いかかった。


 首を狙った横薙ぎの一閃。それを身を屈めて躱し、カルティエは床に手を突いて前転、勢いを利用して踵を返しながら体を起こすと、そのままバックステップで素早く移動し、新たな襲撃者から距離を取る。

 一拍遅れて、切れたワイヤーが揺れて襲撃者の体を叩く。襲撃者は返す刀でソレを切り払った。

 襲撃者は蟹だった。

 蟹鋏のような分厚い身幅を持つ義手シザーハンズを両腕に備えた、異形の益荒男。言わずと知れた、胎動卿が造り上げた死体流用の攻性兵器である。

(そろそろ時間切れ、か……)

 脳が茹るような頭痛に顔をしかめ、カルティエは僅かに歯噛みした。

 彼女の身体状況を反映したように、『エクレール』もまた度重なる射撃によって銃身が熱を持ち、半ば融解しかかっている。これ以上の使用は不可能だろうと判断して、カルティエは蒸気を立ち昇らせる試作品を躊躇いなく放り捨てた。

 そして長らく腰に差したままだったもう一つの銃器――『翁』に手を掛ける。

『翁』の設計思想は至ってシンプルだ。

 剣術における居合いの技、それを全くの素人であるカルティエ自身が使用出来るようにと開発された代物である。

 鞘の鯉口部分に設えられた機関部の薬室チャンバーにて専用弾の炸薬を爆裂させ、その燃焼ガスによって刀そのものを撃ち出すことで音速の斬撃を放つ――という、冗談のような仕組みの武器だ。

 ホルスターから『翁』を抜き、重心を下げて左半身を半歩退かせ、右手で柄を握った態勢で停止する。

 呼吸は止めず、ゆっくりと長く長く吐き出しながら相手の様子を見続ける。重要なのは間合いだ。それを正確に読み取り、正しく先手を打った方が勝つ。


 カルティエは不動の姿勢で動かない。

 蟹男は荒々しく肩を上下させ、けれど慎重ににじり寄る。


 互いが互いを得物の射程に収めた致死領域クロスレンジまで、あと数歩。

 少女の蒼い瞳に灯る黄金の輝きが、不安定に明滅する。

 蟹が威嚇する動作モーションそのままに、蟹男は両腕の鋏を振り上げて威圧している。その刃渡りは『翁』のソレよりも長大だ。その場で振り下ろせば、それだけでカルティエに届いてしまいそうに見える。

 戦闘開始から既に五十秒が経過。

 頭蓋を鍋代わりに、沸騰した血液が脳を煮込んでいる。全身に圧し掛かる気怠さに吐き気を催し、カルティエはひどい眩暈めまいに苛まれた。

 ぐらりと少女の体が傾ぐ。

 敵手の不調を好機と見たか、蟹男は大きく踏み込むと、振り上げていた鋏をカルティエの頭目掛けて全力で振り下ろす。けれどそれは彼女が意図して用意した偽りの隙だ。

 カルティエは即座に態勢を立て直して踏み込み、引鉄を引く。

 炸薬が密閉された薬室で弾け、生じた燃焼ガスが強烈に鍔を叩いて直刀を弾丸の如く射出する。その荒れ狂う馬車馬を右腕で懸命に繋ぎ止め、少女は見事神速の抜刀術を完遂させた。

 先んじた蟹男よりも先に、逆袈裟懸けに斬り上げる斬撃が音を越えて、彼の脇腹に到達する。鋭い刃金が肉に埋没し――しかし、その途中で止まってしまった。

(失敗した!?)

 剣が最大の武力を発揮するためには、相応の遠心力が必要不可欠である。

 よって物を斬る場合には鍔元よりも切先周辺に当りをつけ、斬りつけるのが鉄則だ。しかし今回は敵手との距離が近過ぎたことが災いし、刀身の丁度半ば辺りに照準がズレてしまっている。その結果として威力が半減してしまい、刃は肉を断つ途中で硬い骨や内部機関に阻まれあえなく運動を止められたのだ。

 痛恨のミスである。だが、それも予測の範囲内だ。

 

「ハァァアアアア―――――ッ!」

 怒号と共に、強硬手段へと移行する。

 カルティエは左手の鞘を蟹男の肉と『翁』の刃に押し当て、連続して引鉄を引く。激震する火薬の発破に押され、刀身はじわりじわりとより深く食い込み――ある一点を通過した段階で、勢いよく抜け出た。

 根負けしたのは蟹男の方だった。彼は上半身と下半身を分断され、ごろりと床に転がる。

『翁』の刀身は折れず、曲がらず、健在であった。

「―――――」

 重く、カルティエは溜息を零す。

 動力源である内燃機関を破壊された蟹男は、完全にその機能を停止させていた。これで合計十二体の敵性勢力、全てを撃破したことになる。

 額の汗をブラウスの袖で拭い、すとんと肩を落として荒く呼吸を繰り返す。

 平静から一転して早鐘を打つ心臓を胸の上から押さえ、カルティエは頭の中を空にして少しでも休息するよう努める。その最中――ありきたりな物音を感知した。

 足音が聞こえる。

 革靴が金網を踏みしめる音だ。それが少しずつ、カルティエの下に近付いている。

(追加の敵勢力―――?)

 訝し気に眉を潜めつつも、カルティエは迅速に戦闘態勢へ移行する。

 右の直刀はだらりとぶら下げたまま、左の鞘を薙ぐように振るう。すると左手が握っていた機関部が鯉口から小尻へ滑らかに移動した。

 カチリと、内部機構が切り替わる小気味良い音が響く。

『翁』に装填された箱型弾倉ボックスマガジンは二種。

 一方には直刀を撃ち出す為の、弾頭のない炸薬のみが詰め込まれた専用弾が。そしてもう一方には、ボトルネック構造の大型カートリッジを備えた被覆鋼弾フルメタルジャケットが込められている。機関部の稼働は、この二種の弾を撃ち分けるための機構だ。

 長大な銃身と化した鞘の銃口こいくちを音の発信源に向けて、カルティエは闇を睨む。

 何の捻りもなく、ゆっくりと人影が暗闇から姿を現した。そしてそれを目視した瞬間、カルティエは瞠目し息を呑む。

 現れたのは白い女だ。

 白い肌を白衣で包み、三つ編みにした白髪を肩に垂らした姿。病的ともいえる白い装いは、陰鬱に落ちくぼんだ蒼い瞳を際立たせている。けれどとは違い、彼女の蟀谷には小さな穴が空き、特徴的な白い装いは血で汚れていた。


 ヴュアルネ・クルーシュチャ――その死体だった。


 針金虫に似た機械が彼女の首元から生え、それが鎌首をもたげてカルティエを嘲笑うように見下ろしている。ソレが彼女の死体を操っているのだろうな、と少女は漠然と察した。

 ヴュアルネの手には九ミリ拳銃『カルメラ』が握られている。

 その銃で人の頭を撃てば、きっと彼女の蟀谷に空いた穴のような銃創が刻まれることだろう。

「かあ、さま。まさか、貴方も自殺したのですか」

 震える声で、呆然と呟く。

 なぜ、と問うた所で答えが返ってくる筈もない。死人に口無しと言うが――粗筋をなぞるだけならば、それは実によくあるありきたりな話だった。

 今回の事件を起こすための内通者として青空教会に利用され、その時点で用済みとなったためにヴュアルネは切り捨てられた。それ以外に考えられない。それ以外に、彼女が死ぬ理由がない。


 だから、彼女は死んでいる。

 自らの手で、自らを殺めた。


 ―――それは、本当に?


 レナータ・ボーイトの歌を聴いた者は自殺する。

 しかしその効果は聴いた人間の精神状態に左右されるという。心を病んだ者ほど受ける影響が大きく、自殺志願者であれば確実に死を選ぶ。けれど―――それは、逆に言えば。


 だからこそカルティエは生きている。

 だからこそヴュアルネは死んでいる。


 思えば、彼女が自死を遂げたのは当然の帰結だと言わざるを得ない。

 彼女ほどにこの国を呪い、自らの生をいとい、家庭に対し無関心を貫いた人間など、他には存在しないのだから。

「ならば、あの時……貴方は何故、私に、何を言おうと―――」

 当惑した面差しで、少女が呆然と譫言を吐き出す。けれど母がそれに応えることはなかった。

 ヴュアルネの死骸が、ゆるりと右手を挙げる。

『カルメラ』の照準器を白く濁った眼で覗き、引鉄に人差し指を掛ける。そして指に力を入れて射撃を―――――


 ―――――BANG


 乾いた火薬の炸裂音が地下道に轟く。

 血を滴らせた肉が地面にくずおれ、硬い金属が床にぶつかって弾ける音が虚しく響き渡った。

 その様子を、カルティエが無言で見下ろしている。

 気が付けば撃っていた。母の首から生える機械を狙撃して粉砕し、完全に機能を停止させた。

 母が死んでいる。

 その死体は動かない。

 もう二度と、誰かを傷付けることはない。

 ならば、これで良いのだと――そう納得する以外に、道はなかった。

 だが、その事実に悔恨の想いがある訳でも、ない。


(ああ、やはり。私は―――――母様の死を、そこまで恐れてはいなかったんだ)


 所詮は――どこまでも他人事に過ぎなかったという、それだけの話。

 しかし舌の根には、どうしようもなく苦いものが滲んでいた。母の死に動揺すらせず、ただ粛々と受け入れているだけの自分が、汚らしいほどに薄情なのだと――そう思えてならなかったのだ。

 この時、少女は生まれて初めて確信する。


 私は――私のことが、どうしようもなく嫌いなのだ。


「…………」

 いつかのように、母を前にして黙したままカルティエは硬直する。

 けれど、それも時間にして数秒程度の短い間だけだ。白い少女は俯きがちだった顔を上げて、進むべき道を見据える。そしてその場から逃げるように、全速力で走り出した。

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