第二十四話 チクタクマン

 赤い光が明滅している。無数の音が大気中で踊っている。

 ヒュペルボレオスの地下に広がる巨大な地下施設――枢機基地ジオフロント、シャルノス。其処は脳髄に例えられるほど国家にとって重要な役割を占める機関なのであるが、しかし今やその全域は、毒々しい色彩とけたたましい警鐘によって、余す所なく塗り潰されていた。

 警報アラートが止まる気配は一切ない。

 発生した異常を止められる人間が、誰一人として存命していないからだ。にも関わらず、無様にも、健気にも、無意味に警報は鳴り続けている。

 ―――否、それだけではない。

 ひどい爆音。凄まじい轟音。それが一秒毎に接近し、あたかも地震のように施設全体を豪快に揺さぶっている。

 天井が歪む。

 硬い建材が赤熱し、まるで空気を吹き込まれたシャボン玉のようにぶくぶくと音を立てて膨張した。

 万全な物理隔壁セキュリティが施されたヒュペルボレオスの中枢施設――あらゆる爆発物を封殺する筈の堅強な装甲版は、しかし瞬く間に耐久値の限界を迎えて弾け飛び、甚大な衝撃と共に、融解した鉄の飛沫を辺り一帯に迸らせる。

 その只中を突き破って現れたのは巨大な火の玉だ。

 ソレは床に激突すると勢いのままに滑走し、壁に激突したことでようやく停止する。


 鮮やかな赤が噴き荒れる。

 膨大な熱気で満ち溢れる。


 突如として大質量隕石が墜ちて来たのだと言われれば、誰もが納得するであろう状況。しかし実際の所、施設が被った被害はそれほど大したものではなかった。

 長さにして百十五キロメートル、直径はおよそ六メートル前後の綺麗な縦穴。それが地上から一直線に開通している。そのトンネル周辺の構造物は奇怪に歪んで捻じ曲がっており、あたかも鍾乳洞めいた様相へと変貌していた。

 融けた鉄の雫は元の黒い色彩を取り戻し、硬く冷え固まっている。


 ―――場を満たしていた蒸気と熱気が、一瞬にして消え去っていた。


「……侵入成功」

 硬く張り詰めていた全身から力を抜きつつ、アランがうそぶく。

 火の玉の正体はカルティエ手製の航空機だった。スラップスティックコメディを見事成功に納めた名機は、膨大な熱の余韻を残すことなく完全に沈黙している。

 彼は航空機の残骸にまたがったまま、注意深く周囲に視線を走らせる。赤い瞳が、油断なく闇の中を探った。


 其処は、巨大な地下道だった。


 汽車が同時に四台は行き交えるであろう広さ。

 そこは主に物資と人員の輸送を目的に建設された設備であり、地面には大型の線路が並び、天井には複数の鋼索が這っている。壁面はなだらかな楕円を描いており、現在地を知らせる幾何学模様のマーカーが引かれていた。

 非常灯と誘導灯以外の照明は機能していないためか、辺りは薄暗い。

 設置された機材のほとんどが剥き出しになっており、洗練されていない無骨な印象が強い場所だ。完全な移動用の設備であるからだろう、全体的に快適性を欠いた造りをしているようだった。

(上手く狙い通りの場所に出られたな)

 見覚えのある風景を一瞥いちべつしてから、ようやくアランは自身の背に目を向ける。

 ゴーグルを装着したカルティエが張り付いていた。彼女は目を回して気絶しており、アランの背中にもたれかかったまま動かない。

 アランはカルティエが車上から落ちないよう、彼女の身体を支えながら航空機から降りた。そして弛緩したカルティエの体を改めて観察する。

 どうやら負傷してはいないらしい。

 一通りの触診を終えた所で、アランは彼女の胴に腕を回した。そして一息の内に持ち上げると、肩に担ぐ形でカルティエを抱える。次いで手近な位置にあった物陰にまで移動すると、床にハンカチを敷き、その上にカルティエを座らせた。

 それで用事は済んだとばかりに踵を返した所で、しかし彼はふと何の気なしに思い止まる。

 アランはポケットから携帯端末を取り出し、メッセージを入力した。そしてそれを送信すると、今度こそその場から立ち去ることに決める。


 ―――マニトゥがカルティエを同行させるよう薦めた理由は二つ。


 一つは目的地までの道案内。

 一つは敵に奪われたシステムの復旧。

 

 そのどちらもが、偉大なる一族クルーシュチャであるカルティエの助力なしには成し遂げられない難事である。一般人であるアランが闇雲に駆け摺り回った所で、迷子になるのが関の山だ。時間の無駄でしかない。

 けれどそれは、あくまで

 アランは元々、カルティエに道案内を頼むつもりは毛頭なかった。求めているのは技術者エンジニアとしての役割のみ。それ以上の働きは不要であり、場合によっては、その存在はむしろ極めて有害な要素になりかねない程である。

 よって、カルティエが気絶のは完全な必然である。

 。何もかもが、マニトゥの思惑通りに進行している。そしてそれを承知の上で、アランは電子精霊の掌の上で整然と踊り狂う。


「さて、と。―――――征くか」


 呟くと同時に、アラン・ウィックは薄暗闇の中を走り出した。


 * * *


 凄まじい速力で、息せき切って線路上を駆け抜ける。

 人が歩行することを前提として設計された場所ではないため、足場は非常に不安定だ。床には隙間なくパイプが敷き詰められ、その上に簡便な金網が設置されているのみである。

 にも関わらず、アランの疾走は全くの一定だ。大型の肉食獣と同等の速力を維持したまま、決して短くない距離を、休憩もなしに走破している。

 視界の端で、壁面に描かれた標示を見やる。

 E017線からE056線への分岐点。見覚えのある刻印を脳裏に擦り込みつつ、それと照らし合わせながらアランは黙々と侵攻する。

「―――む」

 目前の風物に異常を検知して、アランは片眉を僅かに押し上げた。

 両壁際に設置された赤い回転灯が発光し、ブザーと共に重厚な駆動音がトンネルに響く。アランの進路上――数十メートル先で、分厚い隔壁が展開しつつあった。

 上下左右、四方から生える四枚の壁がパズルのようにゆっくりと組み合わさり、線路を封鎖せんとしている。その展開速度は亀の歩みほどに緩やかだが、それだけに超絶とした重量を持つことが容易に推測できた。

 まず間違いなく間に合わない。

 アランが両足を極限まで酷使して全力で駆けたとしても、隔壁が閉じる方が数秒ばかり早いだろう。であれば即座に道順ルートの変更を決定し、引き返すべきだ。


 ―――けれどそれは常人の思考。

 少年は魔術で以って条理を覆す。


 隔壁が半ばほど閉じた段階で、アランは踏み込みと同時に腰を落とした。その瞬間に靴底で炎が生じ、爆ぜて文字通りに弾丸の如くアランの体を射出する。

 巨象を軽く飛び越えるほどの跳躍。

 手足を折り畳んで隔壁の中心に空いていた僅かな間隙を寸での所で擦り抜け、アランは事も無げに着地してみせた。

 その瞬間、怖気が背筋を這い上がり、項の骨を軋ませる。

 獣じみた直感に従い、アランは顔を上げる。するとトンネルの内部を覆う薄っすらとした暗闇――その輪郭が、ゆらゆらとうごめいているのが容易に見て取れた。

 物陰から幾つもの人影が顔を出す。

 元々は此処、枢機基地ジオフロントの職員なのだろう。黒と赤に彩られた制服を着た男女が二十人ばかり集まっている。彼等はあたかも酔っ払いの千鳥足のようにふらふらと頭を揺らしながら、幽鬼めいた様相で至る所から次々と姿を現した。

 その面貌はことごとく、黒い鉄仮面によって隠されている。

 分厚い仮面は昆虫の糞虫スカラベを模した外観デザインをしており、まるで顔面に巨大な虫が張り付いているかのように見える。そしてよくよく見てみれば、頭を捉える脚部パーツの先端は頭蓋に深くめり込んでいた。

 電気刺激によって死体を操っているのか――あるいは、生者を洗脳して傀儡にしているのか。傍目には判別が付かない。しかしそんなものは些末事だ。

 それよりももっと重要であるのは、彼等はその全てが思い思いに持ち寄ったのであろう様々な種別の銃器を手にしており、そして尚且つその銃口をアランに向けているということ。

 そして、トンネルの奥からは金属同士が擦れる重低音が響いている。


 明らかな罠だった。


 進むことは能わず、退路は先程閉ざされたばかり。

 まさに虎口に自ら飛び込んだも同然の状況。ともすれば後は噛み千切られるように、弾雨の嵐をその身に受けて、骨肉を削ぎ飛ばされ石のように死ぬ他にない。


 ―――どうするのBowwow


 ふと、背後からそんな声が聞こえた。

 それは子供の声であるようにも聞こえたし、犬の鳴き声にも似ていた。

 声の主に視線を向けることはせず、アランは前方のみを睨む。しかし彼はソレがどんな姿をしているのか、おおよその察しはついていた。

 黒い犬の面を被った子供。

 ソレはいついかなる時も、アラン・ウィックの人生と共に在り続けるモノだ。


 ―――どうするのBowwow


 繰り返し、犬面の子供が背後から問いかけてくる。

 アランはその声に応答しない。彼は親指で人差し指から小指まで、四本の指を順繰りに押して歪な関節を鳴らしながら、あくまでひとりごつ。


 ―――ぱき、ぱき、ぽき、ぱき


「全て片付ける」


 言と同時に走り出す。

 有言を実行すべく、幻を置き去りにしてアランは前方の敵へ接近を試みる。しかし最も手近な位置にいる者ですら、間合いに捉えるまで数十歩を要した。

 銃器で武装した相手に対して、無手のアランは好むと好まざるとに関わらず、先手を譲らざるを得ない。

 職員達が各々手にした銃器が、薄暗闇の中で銃火ガンファイアを瞬かせる。幾つもの拳銃ハンドガンが、短機関銃サブマシンガンが、多銃身機関銃ガトリングガンが、獲物を屠るべく凶悪にして尖鋭な造形フォルムを象って量産された鉛のつぶてを吐き出した。

 閉所にて炸裂する弾雨を躱す術などない。無謀な突撃がもたらした当たり前の結末として、少年は数十キログラムの挽肉と化する――筈、なのだが。

 事ここに至るまでに幾度も覆されてきた条理が、性懲りもなく再び掌を返す。

 アランは両腕で頭部をガードしつつ、愚直なまでに猛然と突進する。

 弾丸が直撃し赤い飛沫を奔らせるが、どういう訳か彼の健脚に衰えた様子はない。二十以上の銃器が吐き出す連続した斉射を真正面から捻じ伏せて、アランは最も手近な位置にいた敵に肉薄する―――!

 敵を殺す。

 その行動に武器は不要。術理アーツも不要。アランは出鱈目に対象の胸部を目掛け、左の貫手を放った。

 左腕は紙細工を突いたように、呆気なく人体を貫通する。

 引き抜く手間を惜しみ、アランは放り捨てるように左腕を薙ぐ。すると彼の腕は死体の胸をいとも容易く裂き割り、脇腹から抜け出た。

 胸部を完全破壊された死体が、その場に崩れ落ちる。

 出血はない。その傷跡は醜く焼け爛れ、発火し、あまつさえ黒く炭化していた。


 ――


 それが、アラン・ウィックの魔術。


 寒さを感じず、航空機のエンジンの代替を務めることを可能とし、接触した物体を自在に焼き融かす力―――――即ち、熱量の操作能力だ。


 先天的に生まれ持った生態として、アランは自身とその延長線上にある物体に限定して、その内部熱量を自在に変動させる力を持つ。

 物体間がやり取りする熱の伝導を完全に遮断し、その上で自己を含め、接触した物体が保有する内部熱量を際限なく上昇させる――それは熱力学を完全に無視した、あたかも物理学者マクスウェルが提唱した悪魔を擬人化したかのような権能だ。


 其は無限の熱量。

 無から有を生み出す、二千年前に確立された技術である。


 仲間の死に一切動揺を見せず、元枢機基地ジオフロント職員である傀儡達は再びアランに照準を合わせて発砲する。


 再び襲い来る銃弾の嵐。

 それによってもたらされる結果は先程と完全に同一。鉛の礫はアランに触れるや否や、一瞬にして融点を超えて融解し、赤熱した飛沫となって大気を焼き焦がす。

 アランの肉体には傷一つ付いていない。

 けれど銃撃が全く無意味であるかと言われれば、決してそうではなかった。

 弾丸は触れた瞬間に雨の如く弾けてしまうものの、それでも音速を超えて飛来する以上は相応の運動エネルギーを有している。よって直撃した際に肉体に掛かる負荷は尋常ではなく、言わば超弩級の台風の中に晒されているようなものだ。

 銃弾が肉を穿つことはないが、負傷ダメージは重く内臓まで浸透する。普通ならその状況下で動くことは不可能だ。

 けれどアランは魔術ではなく、鍛え上げた鋼の如き肉体で以ってその条理を覆す。

 唯一の弱点となり得る部位――眼球の粘膜を護るべく両腕は頭部の死守に当て、アランは再び駆け出した。そして最も至近にいる者から順に、一撃必殺で確実に鏖殺していく。

 掻き出すように男の腹部を抉り取り、女の頭部を鉄仮面諸共蹴り砕き、老人を掌底の一撫でで爆裂させる。その一連の動きに躊躇いは一切ない。まるで作業のように、アランは黙々と殺戮を行った。

 彼等の正体が生者であれ死者の再利用リサイクル品であれ、関係はない。

 重要なのは、この状況でアランに対して敵対行動を取るという事実。それは即ちヴュアルネと同じく、マニトゥに仇為す国家の怨敵に堕ちたという証左に他ならないからだ。

 よって殺さなければならない。完膚なきまでに、破壊しなければならない。


「お前達は邪魔だが無視はしない――青空教会に与する者は、全て殺すッ!」


 明確に憎悪を発露させ、アランは十人目を焼き殺した。

 十人目の男が持っていた多銃身機関銃ガトリングガンが床に落ちる。その途中でアランは空中にて銃身から生えるガンベルトのみを左手で掴み取ると、手首のスナップでそれを中空にしならせる。そして敵が群集している辺りに狙いを定め、薬莢の尻を親指の腹で一気に撫で上げた。

 触れた傍から雷管が爆ぜ、弾丸を高速で撃ち出す。

 命中率は決して高くはないものの、過剰な火力によって撃ち出された七ミリの鉛玉は、掠めただけで手足を吹き飛ばし、遮蔽物に隠れた者の命まで奪う。

 残存する敵勢力は片手で数えられる程度。

 その段階に至ってようやく、遥か遠くから聞こえていた金属の擦れる重低音――その正体が姿を現した。

 蒸気機関によって駆動する巨大な貨物列車が、法定速度を完全に無視して爆走している。その体躯は通常の蒸気機関車よりも二回り以上大きく、背後に牽引するコンテナも同様に莫大な質量を備えていた。

 その運用用途は今回に限っては物資の運搬ではなく、意図的な轢殺である。

 周囲に点在した二十数名ばかりの傀儡は、アランの足を止めるためのもの。貨物列車を彼にぶつけるための捨て石だ。

 彼等は役割を果たすべく、鼬の最後っ屁よろしく銃の斉射をアランに浴びせる。

 線路上に縛られるアラン。その身体を挽肉に変えるべく、隔壁に激突することを承知で貨物列車は最後の加速を実行した。

 味方を轢き潰しつつ、超絶とした質量が、目と鼻の先にまで迫る―――――


「―――――退け」


 怒号と同時に右手をかざす。

 そこから先の出来事は、あたかも銀幕の中の映像を現実に投影したかのような、あまりにも馬鹿馬鹿しい様相を呈していた。

 貨物列車はアランによって受け止められた。莫大な運動エネルギーが荒れ狂い、アランの足元を大きく陥没させ線路を砕く。列車の先頭車両は膨大な熱と衝撃によって爆ぜてひしゃげ、後続の車両は蛇腹の如く縦に縮み上がった。

 次いで左拳を握り固め、アランは先頭車両の横っ面を全力で殴打する。

 その瞬間、アランの拳が爆裂した。

 正確には、拳と車両の接触面との間に突如として爆発が生じたのだ。活火山の噴火と同等の激震と爆炎に打ち砕かれ、貨物列車は黒煙を吐きながら反対車線の線路を越えて壁に激突する。

 様々な意味で惨憺さんたんたる有り様である。

 当然ながら、アランも無傷ではない。先程の銃撃のダメージを含め、手足の骨肉は裂けて砕け、内臓の一部にも損傷が認められる。しかし―――――アランはそれ等を歯牙にも掛けた様子を見せず、短く息を吐き残心した。

 総身が苦痛で満ちている。

 けれど今更そんなものに悲鳴を上げるような可愛げは、彼の中には存在しない。修羅の如き修練と戦闘経験から消えることのない傷跡を全身に刻んだ彼にとって、痛みは何よりも身近なものだ。

 アランが手袋を外さず、他人に肌を見せることを厭うのは、外的損傷によってその身が半ば異形と化しているからである。衣服で取り繕っているので傍目には人間の姿に見えてはいるものの、しかし碌な治療を施されぬまま骨折を繰り返した手足や指の歪さは最早人のソレではなく、獣の肢体に酷似している。

 常日頃から、呼吸一つ、指先の動き一つで痛みが滲むのだ。今更この程度の傷を負ったところで、眉一つ動かすにも値しない。

 とはいえ、アランを怪物足らしめているのは精神論のみの頑強さではなかった。

 アラン・ウィックは生来の生物兵器だ。攻撃性能は元より、耐久力に関しても高い数値が設定されている。骨折や内臓破裂をただ修復するだけならば、数十秒で事足りた。

 動けるようになるまであと数秒――その間に、何かが動く気配を認識する。

 先程の傀儡達の生き残り――ではない。横たわったコンテナの壁面が内側から押され、切り裂かれ、中から何かの群れが姿を現した。

 ソレは、機械だった。

 汽車を模した子供の玩具のような、複数の節で構成された細長い体構造を有している。全長は二メートル程度。針金虫に似た機械の群れがコンテナの中から次々にわらわらと這い出し、床の上でのたうち回る。

 その悍ましい塊を下から押し上げつつ、顔を出す異形があった。


 ソレは、蟷螂だった。

 ソレは、機械だった。

 ソレは、死骸だった。


 そうとしか形容できない何かが、そこにいた。コンテナから脚を出し、胴体を抜いて地面に降り立ち、熊を優に上回る巨体を直立させてみせた。

 四本の歩脚は、その全てがクレーンのような機械仕掛けの鋼鉄で出来ていた。

 内蔵された油圧ポンプとワイヤーの巻取りによって関節を自在に伸縮させ、順番に迅速に五メートル近い長さの脚を一本ずつ正確に蠢かせている。そして放射状に広がるソレの中心には、ヒトの死体らしきものが吊り下げられていた。

 らしきものと称したのは、それの見た目があまりにも常軌を逸していたからだ。

 死体の胸部や背面には機械が埋め込まれ、そこかしこにチューブやパイプが生えている。両腕は切り落とされ、両足には足首の代わりに鎌状の凶器アームが埋め込まれていた。

 そして股間部には、蟷螂の上体を模したセンサー機器があたかも男性器のように屹立している。

 ソレは触覚アンテナを振り、複眼サーモグラフにてアランの姿を捉え、行く手を塞ぐように鎌を振り上げて威嚇した。


 ―――死体を仰向けに四本の脚で吊るし、そのまま人体を蟷螂に似せて改造した醜悪な機械の怪物。それが今、アランの目の前に君臨している。


(さっきの連中の顔に張り付いてた糞虫スカラベと似通った意匠――ということは、これ全部ヴュアルネの作品か。本当に趣味が悪い)

 心中にて吐き捨てると同時に、アランは先手を打つべく地面を蹴り飛ばす。

 堂々と、愚直にも正面から突撃する。

 相手が形を持った物体である限り、アランが敗北する道理はない。臆することなく前進する――が、強引な手法によって阻まれた。

 何かが視界の端を過り、あっという間に埋め尽くす。

 それは人間の死体だった。焼かれ、砕かれ、轢き潰された人間の残骸が起き上がり、アランの周囲を取り巻いている。

 自力で起き上がったのではない。針金虫を模した機械達が床や貨物列車の運転席に転がる死体を貫いて連結し、脳ではなく脊髄を支配することで百足人間の如き怪物と化して大蛇のように蜷局とぐろを巻き、アランをその掌中に収めている。

 無数の手足がアランの全身を絡め取り、拘束する。

 その隙を突き、蟷螂が死骸ごとアランを両断しようと凶刃を振るうが――そのような小賢しい戦略など、全くの無意味だ。

 炎と爆発が死骸を吹き飛ばし、鉄と肉が散弾の如く弾けて蟷螂を後退させる。

 嫌悪感を剥き出しにしたアランの形相が露になる。蟷螂がそれを認識するよりも前に、アランは震脚を打つと、それを撃鉄として右拳にて渾身の拳撃を放った。

 下方から掬い上げるようにして打ち込まれた拳から、膨大な熱量が注がれる。

 それによって蟷螂に搭載された蒸気機関は完全に破壊された。あらゆるパイプが破断して蒸発した冷却液を溢れさせ、鋼鉄は融解し、肉は破裂して炭と化する。

 圧倒的な戦力差――それを見せつけられても、機械達は一向に攻撃の手を緩めない。

 残存した針金虫達が今度はアランの肉体を乗っ取ろうとその肢体に絡み付くが、触れた傍から赤熱する鉄の滴りとなって崩れ落ちた。

「……きもちわるい」

 汚穢を払うように腕を振るい、アランは改めて前方を見る。

 倒れたコンテナから次々と後続の虫が這い出していた。蚊、蜂、蟻、蝿、飛蝗、兜虫、蛞蝓、芋虫、団子虫、―――など、などと。鋼鉄と人の死体を使って造られた機械虫達は軍隊を成し、狂ったようにアランを目指して死の行軍に挑む。


 ―――ぱき、ぱき、ぽき、ぱき


「壊しながら進むか」

 その様子を冷めた眼差しで一瞥し、指を鳴らしながら事も無げにそううそぶいて、アランは淡々と進撃した。


 目につくものを片端から破壊していく。


 殴り、叩き、蹴り飛ばし、焼いて爆破して粉砕する。その度に、アランの視界は赤く明滅した。

 慣れた肌触りが気持ち悪い。痛烈な既視感に襲われ、紅い閃光フラッシュバックが瞬く。特に意味もなく強烈な吐き気が込み上げてくるが、アランはそれを強引に飲み下し、努めて迅速に前進した。

 それは雑な破壊だった。

 ただ出鱈目に力を揮う、技術アーツの一切を必要としない純然たる暴力。

 目的地へ向けて前進する片手間の一挙手一投足、全てを致死の攻撃として繰り出し、眼前の障害物を蹂躙する。殺戮する。そうして彼以外に動くモノがなくなった頃――気が付けば、目的地は目の前にあった。

 地下道を抜けた、研究施設である暗黒脳髄機構シャルノスが有する秘中の秘。

 三つある巨大な階差解析機関トリスメギストスの内の一つ――都市運営を司る、サードヘルメスが座する間への入り口。

 分厚い隔壁に触れる。

 すると接触面を中心として融解し、人間大の大きさの穴が空いた。そこを潜り抜け、アランは遂に大敵が巣食った伏魔殿へと辿り着く。

 内部の空間は存外に広々としたものだった。

 しかし実際のスペースとは裏腹に、辺りは奇妙な閉塞感に満ちている。灯りは等間隔に埋め込まれた足元のフットライトのみであり、頭上には深い闇が凝り固まっていて天井が視認できなかった。

 周囲には、黒い縦長の直方体が整然と並んでいる。

 それは幾何学模様めいて配置されており、一見した限りでは大型図書館を思わせる内装だが、しかしそれは本棚ではない。0と1を示す赤い信号ランプが無数に瞬く、サーバー用のハードウェア機器が形作った群体だった。

 床に敷かれた細長いレッドカーペットが、真っ直ぐに前方へ伸びている。

 見覚えのある景色には一瞥もくれず、アランは迷いのない足取りで上質な絨毯を踏みしめて奥へと進んだ。

 中央に近付くにつれ、他区画とを隔絶する壁は扇形に狭まっていった。

 程なくして最奥に至る。

 祭壇じみた壇上に安置されたソレは、この空間全ての機器を統括する巨大なコンピューターだ。この真下にあるオリジナルの永久蒸気機関クルーシュチャ・エンジンから直に電力の供給を受けており、尚且つ唯一マニトゥと有線で接続している。その為か、天井や床には機器を中心として無数の配管が張り巡らされていた。

 とても巨大な装置だ。

 しかしその外観は全く視認できない。

 現在、サードヘルメスはビロード生地の黒い布に覆われており、その形状を正しく測ることが出来なかった。そしてそれが今マニトゥの制御を離れ敵に制圧された状態であり、尚且つ布の下に不自然な盛り上がりが確認できることなどの状況から鑑みるに、何らかの大掛かりな改造が施されていると見るべきだろう。

 けれど、今はそんなことに注目している場合ではない。

 サードヘルメスとアランの立ち位置――その丁度半ばの位置に、一人の男が立っている。

 黒衣の黒人男性が、にっこりと微笑みを浮かべた。

「初めまして。わたくし、レナータ・ボーイトのプロデュース及びマネジメントを務めておりました。ナイ、と申します。どうぞ、以後よろしく―――」


 最後まで聞くことはなく、アランは一息でナイと名乗る男に肉薄すると、その顔面に拳を叩き込んだ。

 ナイの端整な顔面が爆ぜる。

 首から上を失った死体が吹き飛び、床に転がった。


「もうお前の茶番に付き合う気はない。さっさと姿を現せ―――ミスカマカス」


 意図的に感情を殺して、淡々と告げる。

 すると、頭部を失くした筈の死体が笑いだした。くつくつと忍び笑い漏らしながら、ソレは空気を吹き込まれた風船のように段々と膨張し――弾ける。


 びちゃりと、肉と血液が床に散らばる。

 その中心に立っているのは異形だった。


 ―――――チクタク、チクタク

『フフフ……お久し振りデスネェ』


 歯車が鳴る。発条が撓る。

 黒いタキシードと外套を纏い、同色のシルクハットを被った伊達男が具現する。

 その全身には脂肪が貯えられ、ぶくぶくと醜く膨れ上がっている。呼吸に合わせて胸が上下する度、内側から盛り上がる肉に押されて、シャツのボタンがみちみちと悲鳴を上げていた。

 シルエットだけならば、何かのロゴマークやマスコットキャラクターにでも起用できそうな出で立ちではある。けれどその本性はあまりにも醜悪だ。

 礼服の隙間から僅かに覗く肌は異様に血色が悪く、最早生物のそれとは大きくかけ離れている。体内に機械油と冷却液の循環する血管チューブがびっしりと張り巡らされているからか、肌の色はチープなホラー映画に登場するゾンビのように青黒い。

 しかしそれはあくまで彼が人間でないことを裏付ける要素でしかなく、最も目を引くのはソレのだった。

 輪郭やパーツの位置は、丸みが目立つが、人間とそう大した違いはない。

 けれど顔面を覆う肌は研磨された青黒い金属のフレームで、見た目は昆虫の外骨格に程近く見える。しかもその隙間からは皮膚と筋肉、歯車と発条が剥き出しになった内部機構がはみ出していた。

 そして左目がある場所には時計の文字盤が嵌め込まれ、右目は光を反射しない黒ずんだ色の片眼鏡で覆われている。ローラーチェーンで形成された歯列の奥では、奇怪な装飾の振子が左目の時計の動きに合わせて規則的に揺れていた。

 凹凸の綺麗な外殻を髑髏のようにがちがちと打ち鳴らし、異形が嘲笑う。


 ―――――チックタック、チックタック

 それはまさに、時計男チクタクマンとでも呼ぶべき異形の怪人だった。


『こんバンワァ……―――アァァァアアアラン・ウィィィィィイイイイイック!』


 何時か見た悪夢が、遂に現実へと追い付いた。

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