第二十八話 死闘

 一呼吸の内に真正面から肉薄し、右の正拳を叩き込む。

『アキャ―――ッ!』

 渾身の一撃は苦も無く回避された。

 続け様に床に転がった敵の顔面を狙い、左足で雑に蹴り上げる。

『ヒ! ヒィ―――イッ!』

 虚空を奔る足の遠心力を利用して、間髪入れず右の回し蹴り。更に相手の懐深くに踏み込むと同時、浮き上がった左の肘を顎に叩き込む――と見せかけて、鳩尾を狙った右手の掌打を放つ。

『ひゅわワワワッ!?』

 随分と情けない悲鳴が上がる。ごろごろと、道化が床を転がる。

 思わず失笑してしまいそうなほどに滑稽な醜態と声音。けれど所詮、それは機械スピーカーから流れる造られた音声に過ぎない。そこにあるのは恐怖ではなく、対手を心底から愚弄する嘲りのみであった。

「―――――」

 アランの脳は、苛立ちと憎悪の感情でどろどろと熱く煮詰まっている。しかし、こと思考の面においては冴えていた。

 ―――時計男チクタクマンとの戦闘は、これで五度目。

 その内の一度目、二度目、三度目は遠い昔――幼少期の出来事であったため、今は参考にならない。どのような兵器も、数年も経てば次の世代へと移行してしまうものだからだ。

 もっとも、当時の性能スペックを正確に知っているかと言われれば否であったが。

 当時のアランは未熟であり、体は小さく非力で魔術すら碌に使えなかった。そんな子供相手に、ミスカマカスが時計男に搭載した全ての機能を披露したとは思えない。

(……まあ、そもそもあれは戦闘と呼べたものじゃなかったが)

 過去を思い返し――ただ嬲られていただけだったと、結論する。

 苦い過去が脳裏を翻り、舌の裏に苦汁が沸く。それを無理やり飲み下して、アランは思考を切り替えた。

 ともかく比較の対象とするべきは、四度目の戦い。ヒュペルボレオスへ向かい、シャーロットと連れ立って逃避行を始めた折、会敵した際に得た情報のみ。しかしそれとて、大して現状を打破する役には立ちそうになかったが。

 何せ四度目の戦闘時間はおよそ一秒、アランの完勝で幕を閉じたからだった。彼の拳が、魔術の暴威が、宿敵を容易に爆殺せしめたのだ。


 まるで手応えがなかった。

 畑に棒立ちする案山子を圧し折ったような気分だった。

 今度もそうだろうか――答えはきっと否だと、アランは根拠もなく直感する。


(恐らく――前回のアレは、今回の為の布石ブラフ。あの機体には何らかの仕掛けがあるに違いない。

 こちらの性能は全て相手に知られている。何らかの対策を取られていると考えるべきだ。だが、それはなんだ? どういった機巧カラクリがあり得る? 何故、攻撃を躱すばかりで一度も反撃して来ない? こいつは一体、何を考えている―――?)

 考えてみるが、当然ながら答えは出ない。

 あまりにも情報が不足していた。

 混乱した思考が錯綜さくそうする。出口のない迷路に囚われたかの如く、少年の頭脳は堂々巡りを繰り返した。しかし唐突に、それはブツリと音を立てて途切れる。


 


 どうせ答えなど出はしない。それならば――今、己が為すべきことは明快である。そもそもアラン・ウィックという人間は、以外に能がないのだから。


 ―――壊す。

 ただ、壊す。


 それこそが己という存在の真価。人間の規格を模して生み出された、生物兵器としての性質なのだ。目前に敵がいて、且つ己が意気軒昂となれば、やるべきことなど明白過ぎる―――!

 躱されるのならより疾く。間合いを詰めて暴力を揮う。

 元よりアランの魔術は接触致死。無機有機を問わず、触れるものの全てを焼却し融解させ爆破する。であれば、一触した時点で勝敗は決するだろう。

「シ―――――!」

 風を切る鋭い呼気に乗せて、神速の正拳が放たれる。

 遂にアランの右拳は時計男の顔面を捉えた。

 殴打を浴びて仰け反る時計男の体躯が、不自然に停止する。アランが放った右拳を解いて時計男の襟を掴み、捕縛したのだ。

 そこから彼は腕を戻して獲物を引き寄せつつ、左拳で顎を打ち上げ、反動を利用して続けざまに肘を腹部へ捻じ込む。そして左足を踏み込ませて体を反転、勢いに任せて全力の回し蹴りを対象の鳩尾に叩き込んだ。

 蹴撃の瞬間、靴底が赤く爆ぜる。

 紅蓮の爆炎に飲み込まれた時計男は豪快に吹き飛んだ。ごろごろと床の上を転がっていく様は、まるで癇癪を起した子供が放り投げた玩具のようだった。

「…………」

 床上に転がった時計男を、アランは注意深く睨め付ける。


 異常事態であった。


 本来ならば、アランが最初に顔面を殴った時点で勝敗は決していた筈だ。何故なら彼に接触した物体は、その時点で保有熱量を極限まで高められて融解するからだ。何者であろうと、その法則からは逃れられない。

 しかし、何事にも例外はあるものなのだ。

 アラン・ウィックが有する生態機能――熱量操作能力を遮断する機巧。それが今、彼の目の前にあるモノの正体だった。

「お前――その機体、俺のからだを使ったな?」

 これ以上ないというほどの嫌悪の形相で、アランは問い質す。

 返る回答は嘲笑YESであった。

『―――御名答! この機体カラダには、貴方の体組織を再現した鋼材と有機部品が使用されテイマス。謂わば。まあ、流石に熱量を操作することは叶いまセンガネ? けれどその反面、この機体カラダには、貴方の命令コマンドを拒絶する信号を発信し、魔術による干渉を無効化する機構が搭載されテイマス。一発殴ればそれで終わりだなんて、そう簡単にはいきまセンヨォ?』

 ケタケタと、時計男が嗤う。

 本来、アランの魔術がその効果を発揮する対象は自己の内部――つまりは肉体に限定される。にも拘わらず衣服や武器等の『接触した物体』にも作用させることが出来るのは、彼の意識的な訓練による成果の賜物であった。

 異物を己の手足の延長として認識し、許容する。そうすることで対象を自身の一部として同化し、それによって初めて、アランは肉体の外部に対しても魔術を行使することが可能となるのだ。

 世界を認識する知性――それこそが、あらゆる魔術の源泉であるが故に。


『―――魔術とは謂わば、知性体が持つ常識ルールの具現デス』


 ケタケタと嗤いながら。二本の足を支点にして、ゆっくりと鉄塊じみた肥満体が起き上がる。

『この世に提唱されたあらゆる背理は現実にはナラナイ。

 俊足の英雄は容易く亀を追い抜き、弓聖の矢は当然の如く林檎ヲ穿ツ。全能者は全能であるが故に不能を許容し、一つの球を幾つに分割しようが二つにはならず、そして猫は常に箱の中で死ンデイル。―――何故カ? 何故かといえば、それはそれ等の理論を構築した者共の知性が、この惑星ホシの知性に大きく劣っているからに他なリマセン!』

 時計男が朗々と講釈を垂れる。それを聞き、アランは、自身が何か懐かしい感慨を覚えているのを自覚した。

(そうだ、先生も言っていた―――)

 ―――青空教会の教義に曰く。

 この世界を構築する要素は三つ。時間、物質、そして知性。中でも魔術とは、知性に深く根差した現実を凌辱する幻想法則アウトロウである――と。

『知性体が持つ常識ルールは、より高位の知性体が持つ常識ルールに打倒サレマス。

 人間ヒトの知性よりも惑星ホシの知性が勝るが故に妄想は現実には至らず、惑星ホシの知性は宇宙ソラの知性に劣るが故に死を免レナイ。この世の全ては物理法則の隷属下にあり、そして全ての法則は無知全能の神様カミに隷属スル。―――――さて、分かリマスカ?』

「……何が?」

『フフフ、決まっているデショウ―――?』

 出来の悪い生徒を見下す風情で時計男が肩を揺らす。そして唐突に、姿

「な……ッ!?」

 驚愕に目を見開くアラン。

 敵の姿を完全に見失ったアランであったが、しかし彼の直感は正確に敵の存在を捉えていた。位置は左側側面。極至近距離に、間違いなくソレはいる―――!

『―――貴方では吾輩には敵わない、というコトデス!』

 予想通りに、左耳が敵の存在を察知する。しかしあまりにも遅過ぎた。

 肉体に染み付いた戦闘経験から、アランは敵と正面から相対しようと反射的に身を捻った――その瞬間。一条の雷が、彼の胸を撃ち砕いた。

 肋骨の悉くが圧し折れ、心臓と肺臓が粗挽き肉と化して体内で揉みくちゃに混ざり合う。先刻に真っ向から迎え撃った貨物列車の衝突を上回る破壊力。その直撃を受けて、アランは空中を吹っ飛び、そのまま背後の壁に激突した。

 壁に背を預け、重力に従ってアランは膝を屈する。

 通常の人間であれば、まず間違いなく即死を免れないであろう致命傷である。しかし、それを受けても尚アランは生きていた。

(いまのはなんだ? なにをされた?)

 ごぼっ、と。肺腑から圧搾された血液を口から吐き出す。それは服を汚すことなく、赤い蒸気となって大気に溶け消えた。

 どのような比喩を以ってしても表すには到底足りない激痛と、いっそ胸に穴が開いた方がマシだと思えるほどの異物感が少年の脳を沸騰させる。まともな思考を組み立てる余裕がない。その中で、眼球が捉えた視覚情報だけが妙に鮮明だった。

 残心のつもりなのか。時計男は、攻撃を放った姿勢のまま停止していた。

(恐らくは縮地の歩法……箭疾歩センシッポの類。それと金剛八式、冲捶チュウスイの套路か)

 頭は茹だったままだが、しかし敵の武技アーツを看破する洞察力は生きていた。


 ―――武術において、拳とは腕力のみで振るうものではない。


 人体の構造的観点から導き出された、最も破壊力を発揮するのに適した動作フォーム。己の全体重を相手に叩き付ける重心移動法、そして一挙手一投足に連動する筋肉の運動モーメント。更にはそれだけでなく、震脚シンキャクによって生じる地面からの反動をも利用する場合すらあるという。

 それ等全ての要素が相乗することによって始めて、武は絶大な破壊力を発揮するのだ。

 先程の時計男の攻撃は、それを人工的に再現し超越したもの。

 肥満した鋼鉄の肉体が有する超重量と、間接各部の駆動系に仕込んだ電磁誘導システムによって重心の移動を完璧に制御する機構。そして旧暦時代に完成され、現代において復元された最強の格闘技法マーシャルアーツ。その全てが組み合わされることで放たれる神速の絶技――その名を曰く、電磁発勁レールガン

 電磁誘導ローレンツフォースの反発によって放たれる音速を超えた縦拳の一撃は、至近距離で迫撃砲が炸裂したに等しい衝撃を生み出す。もしも人間に直撃したならば、その五体と五臓六腑はまず間違いなく爆発したように四散するだろう。

 アランが原型を留めているのは、偏に時計男が手加減をしたからに他ならない。

『投降なさい、アラン・ウィック。魔術は通じず、更に徒手空拳で戦わねばならないこの状況で、勝てる見込みはこれっぽっちもないデショウ? 潔く我々の下に戻リナサイ。ホラ、今ならば幾らかの我儘も聞いてあげますから、ネ?』

 癇癪を起した子供を宥めるような語調で時計男は言う。実際、その言葉は彼にとっては額面通りの意味しか持っていなかった。

 アラン・ウィックは青空教会が所有していた生物兵器だ。

 マニトゥとミスカマカスによる滑稽な戦争ゲームの為の、貴重な駒だ。

 それが離反した。一年前――彼はあろうことか青空教会の支部であった街を破壊し、妹を連れて敵であるマニトゥの下へ降った。

 ミスカマカスにはそれが許せない。だからこそ、彼は今回の騒動を起こしたのだ。全てはアランの心を圧し折り、自由意志などという不確定な要素を今度こそ完全に消去せんが為である。

『今回の計画はね、本当なら元々はレナータ嬢の歌で大量虐殺を遂行するだけで済む予定だったンデスヨ? 貴方とエレナ、二人だけの人員で事足りる計画だっタノデス。だというのに……貴方がマニトゥに唆されてしまったものですから、全ての予定が狂ってしまイマシタ』

 困ったモノデス、と時計男はお道化て見せる。

『この一年……特に最近の一週間は、実に忙しいものデシタヨ。貴方の気を引く為、エレナそっくりの外見と、貴方好みの内面を備えた人形を用意シタリ? 追加の人員を手配シタリ? ヴュアルネに代わってこうして吾輩が直々に計画を実行しタリトカ? 他にも色々あるのですがね、まあ苦労話はここまでにしマショウ。それよりもまずは――オ返事ハ?』

 YES――それしか認めないと、時計男は脅迫する。

 もしも首を振ったなら、首肯するまで甚振られ続けるに違いない。そう理解していながら、アランは拒絶の意思を示した。


 曰く――死んでも御免だと、赫々と燃える双眸が訴えている。


 アランはゆるりとその場に立ち上がった。そして両手を陥没した胸に突き込み鷲掴みにすると、折れて肺に突き刺さった肋骨を一気に引き摺り出す。

 膨らんだ胸中に炎が満ちる。

 異物が残ったままでは再生が遅れるため、骨片が刺さった臓器はその骨ごと焼却し昇華させた上で再構築する。生物兵器としての絶大な再生機能。それによって、彼は仮に心臓や脳髄を粉砕されようとも問題なく蘇生出来る。

 活動についても同様だ。

 アランの魔術は熱量操作であり、その神髄は無から有を生み出すことにある。彼は己の内部と自身が接触している物体を触媒として、ありとあらゆる可燃物を生成することが可能だ。

 つまりは、喩え肺が潰れようが全身の血管が破裂しようが関係なく、全ての細胞に直接酸素を供給出来るのである。航空機で飛行していた際、アランとカルティエが平然と呼吸することが出来たのはこのためだ。

 喩え着の身着のまま宇宙空間に放り出されたとしても、アランは問題なく生存できる。

(破損した内臓の修復が終わるまであと二十秒強……―――待つ必要はない)

 口腔に溜まっていた血を吐き捨て、アランは真正面から時計男を睨んだ。


 ―――ぱき、ぱき、ぽき、ぱき


 右手の親指が伸び、他の各四指の基節を押す。その度に歪んだ関節が音を立てた。痛みを無視して、アランは後遺症の残る指を矯正しつつ、固く拳を握り締める。


 音速で動けるからなんだというのだろう。

 魔術を封じたからなんだというのだろう。

 素材が鋼鉄だからなんだというのだろう。


 そんなことが理由で勝った気でいるのなら、ミスカマカスはアラン・ウィックという存在をあまりにも侮り過ぎている。

「…………」

 アランは事此処に至って、初めて構えを取った。

 半身を前に出し、緩く開いた左手を前方へ流し。対照に、巌の如く固められた右拳を後方に引き絞る。肉を切らせて骨を断つ構えだ。魔術任せに無意味に暴力を振りかざすだけだった戦法スタイルを不適格と改め、次の段階へと移行した証左だった。


 アランのせんせい――エレナ・S・アルジェントは、格闘技の天才だった。


 エレナの武技は拳法家としては紛れもなく最高峰の代物であり、時計男のモーションパターンにも彼女の攻撃動作と型が採用されている。技量に関しては寸分違わない。その事実は先刻の一撃で嫌というほど思い知っていた。

 であるからこそ、突破は易い。この世で最も強い敵はこの瞬間、アランにとってこの世で最も戦い慣れた敵になり下がった。


 元より武器も魔術も無用。己が積み上げた功夫クンフーを以ってすれば、倒せない敵など存在しない―――!


 アランが仕掛けた。

 先の時計男と同じ歩法――たったの一歩で数メートルの距離を埋める、縮地の奥義だ。互いが互いを必殺の間合いに収める。

 鉄槌の如く振り下ろされる震脚シンキャクの踏み込みは、しかし無音であった。衝撃は散ることなく、全て余さず引き絞られた右拳の一点に収斂される。

 返礼の拳撃。

 先刻、時計男がアランの胸を砕いた一撃の再現であった。

 時計男はそれを脅威と認め、防御に走る。

 小さな円を描くように肘と肩を捩じるように回し、その回転にアランの右拳を巻き込む。斯くして鋼を砕く正拳は弾き、逸らされた。

『―――――!?』

 驚愕は時計男のものだ。機械で構成された無貌が歪む。

 アランと時計男の腕が接触した瞬間、接触部位が爆ぜたのだ。


 時計男にアランの魔術は通用しない。

 それは事実だ。


 確かに時計男が保有する熱量を操作し、融解による自壊や自爆を促すことはできない。しかし接触面に関しては話が別だった。時計男と同等の拳法に加え、更に爆発によって拳撃の威力を増大させることは可能なのだ。

『アノ時――吾輩をタコ殴りにしていた時に、情報データを採取シタナ!?』

 答えることはせず、アランは文字通りに一蹴する。


 互角の戦いであった。


 速力と膂力に関しては確かに時計男が勝る。しかしこと戦闘技術においてはアランに軍配が上がった。

 そも彼等武術の使い手にとって脳髄など不要物。信頼すべきは脊髄――その身に刻んだ鍛錬の蓄積こそが全てである。反射行動として行使される域にまで極めた術技アーツは、己の武器として機能するだけでなく、対敵手が打つ次の一手すらつまびらかにした。

 聴勁チョウケイ

 機械には望むべくもない、達人にのみ許された絶招ゼッショウの境地である。

 更には魔術による爆発。これは拳打の威力を増強するだけでなく、足捌きによる機動力をも変則的に加速させていた。

 動きは直線的になるものの、匙加減と移動方向はアランの思うがままである。更に炸裂する熱波は敵のセンサー機器にも影響を及ぼし、状況を把握する機能を低減させていた。カルティエのように未来予知を可能としない時計男を相手取るにあたって、それはこれ以上ないほどのアドバンテージとして機能している。

 だが、決定打には届かない。

 元より相手は鉄製である。普通、人間の拳では砕けない。実行するには十分に丹田に力を巡らせ、発勁ハッケイにて渾身の一撃を打ち込む必要がある。

 無論、むざむざとそれを許す時計男ではない。

 アランがそんな構えを見せようものなら止めに掛かるし、間に合わずとも逸らすことは十二分に可能だった。

 状況は完全に膠着こうちゃくしていた。

『これハコレハ――随分と成長しましたね、嬉しイデスヨ。身体能力に関しては、こちらが想定していた以上ニ強イ。育てた吾輩も鼻が高イデス』

「ふざけろ。お前に育てられた覚えはない!」

『おやおや、釣れない台詞デスネェ。ですがまあ、いいデショウ。今から親睦を深めていけばいいだけの事なのデスカラ。―――さあ、講義の時間デス。問一、貴方はこれをどう躱すべきなのでしョーゥカ?』

 アランの猛攻をいなしながら、時計男は軽く片手を振る。するとその掌の中に筒状の黒い物体が出現した。

 紛れもなく手品である。恐らくは袖かどこかに仕込まれていたものだろう。

 何処から取り出したのかは問題ではなかった。重要なのは、ソレがこの場においてどのような効力を発揮し得るのか――その一点である。

(まず―――――ッ!)

 不意の事態に驚愕し硬直する脳髄は役立たずだ。妨害は間に合わない。であるならばと、アランは脊髄の判断に従い、襲来するであろう衝撃に備える。

 口を開け、両耳を掌で塞ぐ。視覚に関しては諦めた。


 時計男が取り出したのは閃光発音筒スタングレネードだった。


 掌の中の筒を親指で弾き、宙へ飛ばす。安全ピンは既に外されていた。黒い筒は一瞬、空中で静止した後、眩い閃光と音響を辺り一面に巻き散らす。

 真っ白い闇によって、アランの網膜は瞬く間に焼き尽くされた。

 時計男が使用したのは非致死性の制圧兵器である。手榴弾の一種であり、爆発時に生じる閃光と爆音で一定範囲内に位置する敵勢力の無力化を可能とする。その影響によって、アランは視覚の喪失を余儀なくされた。

 閃光発音筒スタングレネードの効果は一時的なものだ。五秒から六秒程度の極短い時間の内に感覚は戻る。しかしこと戦闘時において、その僅かな隙こそが命取りであった。

 肉薄し、時計男は容赦なくめしいと化した敵を砕きにかかる。

 喉を狙い、抉り込むように打ち込まれる掌底。

 音速を超えた一撃。たとえ眼を奪われていなかったとしても、その拳を視認することは難しい。しかしそんな見えざる死神の魔手を、アランは正確に捉えていた。

 武術の達人ともなれば、拳を交わした時点で相手の次の一手を予測することは容易い。アランは既に時計男のパターンを看破していた。

 敵は左右の掌打と肘を繰り返し叩き込む連撃によって、対手の頭蓋と胸郭、更には腕部をも完全破壊する腹積もりだ。であるならば―――

「―――――」

 左手で時計男の掌底を払い、逸らし。出鼻を挫かせたところで、触れた腕の袖を掴む。そして相手を引き寄せつつ、半ば頭突きする形で対手の懐に踏み込んだ。そのまま身を捻り様に勢いに任せて時計男の巨体を両肩に横担ぎにし、持ち上げ、頭から床に投げ落とす。

 黒い肥満体が餅のように跳ねた。

 間髪入れずアランは追撃を試みるが、しかし手応えはない。時計男は一瞬早く持ち前の俊敏さで以って間合いから離脱しており、戦況の仕切り直しを図っていた。

『成ル程――良い、実ニ良イ。反応も耐久性も、攻撃性能もまた申シ分ナイ。認めマショウ。この場においては、貴方の方ガ強イ!』

 称賛の声を、アランは黙殺した。

 視界は完全に復調し、明瞭である。薄暗闇の中、やや離れた位置の壇上に立つ時計男の姿を確と見据えていた。

 時計男が立つ壇上――その後方には都市管制を担う階差解析機関トリスメギストス、サードヘルメスの本体がある。迂闊に仕掛けるのは躊躇われた。

『ここまでの試験ゲームの結果は上々デス。敵地へ迅速に侵攻した手腕、吾輩の魔術対策ピンポイントメタに惑わされずこの場での継戦を選んだ状況判断、そして無想の域にある反射と卓越した攻撃性能。どれをとっても素晴ラシイ。立派な兵器ニンゲンに育ちマシタネ! 吾輩、感無量デス! ―――では、次の問へいきまショウカ』

 楽し気にうそぶくや否や、時計男は唐突に踵を返した。そして背後にあったサードヘルメス本体へ近付く。

 一体何をするつもりなのか――アランは注意深く眼をすがめた。

 時計男の挙措に害意はない。ただ、蛇蝎の如く汚穢で悍ましい悪意を、詫びれもなく発散していた。

『さあ、問二デス。―――?』

 そう言って、時計男はサードヘルメスへ手を伸ばす。そしてその全貌を覆うビロード生地の黒い布を掴んだ。

 勢いよく暗幕が剥ぎ取られる。隠されていた機関が露わになる。

 その瞬間――アランは、眼を見開いた。


「な―――――」


 思わず息を呑む。酷いものを見た、という不快感があった。

 祭壇じみた壇上に安置されていたのは、巨大なコンピューターだ。この真下にあるオリジナルの永久蒸気機関クルーシュチャ・エンジンから直に電力の供給を受けているソレは、唯一マニトゥと有線で接続した端末でもある。その為か、天井や床には機器を中心として無数の配管が張り巡らされていた。

 その形は大型管楽器パイプオルガンに似ていた。

 段状に重なった多数の鍵盤型のキーボードの上に、楽譜台めいたモニターが設えられている。無意味に洒落た造形の輪郭は、アランが以前目にした形と一致した。

 全体像に変化はない。ただ一点のみ、異常な部品が混ざっている。


 ソレは、人間だった。


 まるで大木に寄生する植物のように、モニターの上の辺りから生えている。

 胸像のように腹部から下と両腕を切り落とされ、その断面からは幾本ものパイプやチューブが伸びていた。大小に関わらず、あらゆる管がサードヘルメス本体に直接繋がっている。

 生気はない。

 血液は抜き取られ、代わりにどす黒い油と冷却液が体内を循環しているのが見て取れる。青く変色した唇は白痴めいて半ば開いており、その隙間からは口部に埋め込まれた玉口枷ボールギャグに似た形状のスピーカーが覗いていた。

 白濁とした眼球に理性の色はなく、何の感情も浮かんでいない。

 力なく項垂れた頭は、長い黒髪で覆われている。手入れされることなく放置された髪は傷んでおり、垢で薄汚れていた。

 人間が、部品として機械に組み込まれている。

 それだけならば驚くには値しない。既に幾つも、似たようなものをアランは目にしている。ヴュアルネが生み出した兵器群とそう大差はない。問題があるとすれば、それは―――


(レナータ……―――?)


 違う。

 頭の中に浮かんだ名前に、即座に否と唱える。そもそもアランはレナータ・ボーイトの生身の姿を知らない。彼が知っているのは、ある人物の姿を模して造られた人形の貌だ。


 では、その『ある人物』とは、一体誰だったか。


 少年の心臓が早鐘を打つ。


 黒い髪。銀の瞳。白い肌。

 その美しい面差しは、紛れもなく天下一品。少年と苦楽の旅路を共にした、先生と仰ぐべき唯一の人物。


 ―――エレナ・S・アルジェント。


 少年にとって親代わりであった愛しい女――が、そこに在った。


「……何故だ」

 呟きは空虚な響きを湛えていた。声の主である当人にすら、他人のものと思えるほどに。いっそ投げやりであるようにすら感じられた。

「何故、そんなことをした。先生に。いや、それだけじゃない」

 沸々と、少年の心の奥底から湧き上がるものがあった。それは無貌めいた寒々しい無表情と乾いた声の裏側で、どろどろと赤く茹だっている。

 少年の脳裏に、ある情景が浮かぶ。

 それは目の前の凄惨な有り様と重なって、彼の腹に巣食う最も原始的な感情を燃え上がらせた。


 ―――許せない。


 目の前の存在が許せない。絶対に生かしてはおけない。憤怒と憎悪が少年の脳髄を沸騰させ、眼前の敵を一刻でも早く殺すべきだと訴える。

「お前達が――お前のせいで、シャーロットは……!」

 網膜が赤く煮立つ。脳の奥で紅い閃光が瞬く。かつて直視した/心を切り刻む光景が/頭のどこかで点滅している。


 男と、男と、男と、男と、男と、男と―――――それから。


 


 最愛の少女の姿を思い出す。

 彼女の言動は幼く愛おしいもので、その健啖ぶりは愛嬌がある。それは事実だ。だが、果たして――そんな彼女の有り様は、傍から見て正常なものに映るのかどうか。


「シャーロットは――もう、んだぞ」


 たまらず喉から漏れた声は、むしろ悲壮な色を帯びていた。


 ―――シャーロットの右腕に嵌められた白い腕輪は、機械だ。


 白いボックス型の装置と、それを中心として手首に薄い合成樹脂で包まれた輪が密着している。その腕輪が有する機能は二つ。

 一つはシャーロットの生体情報バイタルサインを読み取り、アランの携帯端末にインストールされた『Charlotte VSM』というアプリケーションへ情報を定期的に自動送信するというもの。そして、もう一つは、

 そもそもシャーロットの腕輪には魔導書ライブラリとしての機能はない。であれば、あの黒い液体生物は何処から出てきたのか――答えは明白だ。


 シャーロットは受胎機能を喪失している。


 彼女の胎には、既に子供がいるからだ。新たに子を孕むことは出来ない。

 そしてその子供は化け物だった。臍の緒を通じてシャーロットから栄養の供給を受けると、その対価として黒い液体の怪物を生成して血管に流す。故に彼女は魔物に襲われても傷つかない。


 シャーロット・ウィックは愛らしい少女だ。


 傍らで微笑まれれば愛さずにはいられない、そんな生き物だ。彼女の言動は幼く愛おしいもの/年不相応に幼稚で白痴めいている。病んだ子供そのものだ/で、その健啖ぶりは愛嬌/ただ怪物に供給する為の養分を補給しているだけだ/がある。


 それは、あまりにも悲惨な真実だった。

 悍ましい実験に加担した者共――その悉くを殺さずにはいられないほどに。

「だっていうのに、お前は、先生まで。何故だ。ふざけるな、ふざけるなふざけるな、ふざけるなよお前! 何故そんなことをする――お前は一体何なんだ!?」

 虚ろだった声を一転させて、少年は喉から反吐をぶちまける思いで、絶叫じみた詰問を迸らせる。

 訳が分からなかった。

 何故、自分がこんな目に遭っているのか。何故、彼女達がそんな目に遭わなければならなかったのか。今日、この地上で唯一楽園と呼ばれる都市を襲った全ての悲劇に対し、少年は憤慨し、悲嘆し、また同時に強い疑念を膨らませていた。


 何故、こんなことになったのか。

 何故、こんなことを仕出かしたのか。

 何故、何故、何故、何故何故何故何故何故何故何故何故何故―――!


 常軌を逸した形相で怒り狂う少年を前にして、時計男は。


『嗚呼――そういえば、直接名乗ったことはありませんデシタネ』


 ことりと首を傾げた後、合点がいったとばかりに手を叩く。

 無貌の機械は嗤っていた。嘆息し、嘲笑い。この世の全てを馬鹿に仕切った大仰な仕草で、極めて慇懃に一礼する。


『吾輩はミスカマカス。

 この世を統べる知性の総体たる、這い寄る混沌より直接別たれた分霊わけみたまガ一柱。悪夢を織ル機械。土曜日の交差点にて佇ム男爵。呼び名は幾つもあリマスガ――親しいものからは時計男チクタクマンと、そう呼ばれテイマス』


 けたけたと、けたけたと、うたうしゃれこうべ。

 人の死を喜ぶ髑髏の嘲笑――そんなお伽噺を思い起こさせるような、あまりにも醜悪な電子音。それそのものの名乗りの口上。それは悪意の篭った怨念を具象化した、この世で最も恐ろしくて悍ましい、死者の怨嗟の声そのものだった。

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