第四十二話 怪獣大決戦 2

 左腕に全ての力を込め、逆立ちの要領で無理やりに態勢を変え回避する。

 光の刃が危うく鼻先を掠めた。のみならず、毛髪の一部が根元から犠牲になる。今回設定された飛程は一メートル・幅は直径にして五センチメートル――その範囲内で『悪を裁つ枢機の剣プロヴィデンス』の射線上にあった物質は、空気中の塵はおろか空気そのものに至るまで、その全てが跡形もなく消し飛んでいた。

 有り得ぬ事態である。

 先の熱光線レーザーがそうであったように、実体を伴わない指向性エネルギー兵器ではアランの身体には傷一つ付けられない。たとえ髪の毛の一本であろうと損なう恐れなどないのだ。にも拘らずアランは彼の兵器を脅威と見做し、そしてそれは現実となった。

 しかしそれも道理。

 其は対魔物ならぬ対神用兵装。

 構成理論は単純故に強力無比。『悪を裁つ』という銘に嘘はない。

 魔素――外宇宙線COOSを用いてこの世に存在するあらゆる力場の相互作用引力を破壊、対象を素粒子レベルで分解すると同時に膨大な熱で跡形もなく昇華させる、無毀なる刃。来たるべき『血戦』に備え、その身に魔術を宿す神の仔と、彼等を生み出した邪な神様カミ等を滅することを目的として設計された最強の第一種必滅昇華兵装――その試作品なのだ。

 仮に直撃していた場合、髪と同様、アランの顔面は素粒子にまで分解され綺麗な穴が開いたことだろう。

「糞ッ、ちょっと禿げたじゃないか!」

 既に髪は再生しているが、そんなことは関係ないと罵る。

 左腕を発条にして跳び上がり、空中で上下を反転。固く両手の指を組んだ拳を振り上げる。その拳は正しく鉄槌。傍若無人な妖精騎士に仕置きを食らわせる。

『ぬわ―――!』

 頭部装甲に、物理的な打撃と爆撃が炸裂した。

 ベテルギウスは錐揉み回転しながら落下。その途中で背面のメイン推進機スラスターと機体各部の補助推進機バーニアを吹かせ、どうにか姿勢を安定させる。

 その後を追う形で、重力に任せて降下しつつ、アランは考える。

(直撃したが、大した損害は無しか――思ったよりかなり硬いな。

 さっき触れた感触からして、装甲自体の強度は低いと見ていたんだが。衝撃に応じて変わるのか? どういう仕掛けだ。それにあの視えない壁みたいなのは……バリアか? もうなんでも有りだな。まったく、面倒臭いことこの上ない―――!)

 馬鹿げた戦闘の苛立ちで脳髄は煮立っているが、その一方で理性だけは鋼の如く凍て付いていた。長い年月を掛けて培った経験と戦術眼を総動員して、冷静に敵情を分析する。

 とはいえ、やるべきことはいつもと同じだ。

 これまでの様子からして、不可視の防壁が長時間展開できるものでないことは明らかだ。ならば難しいことを考える必要はない。二段以上の連撃で、確実に致死の一手をくれてやればいい。

 追撃を見舞おうと、拳を握り直す。

 直線距離で十二メートルの隔たり。落ちる速度は風よりも疾く、再び拳の間合いに捉えるまで一秒と掛からないだろう。

 しかし――敵の一手は、それを上回った。

 危機を察知した補助人格『エイダ』は、主の命を待たずして、冷徹に兵器を起動させる。

《攻撃の必要性を認識しました。肩部発振口、展開します―――》

 ベテルギウスの両肩を鎧う装甲が数センチばかりスライドするようにして開き、中央に嵌め込まれていた球形の装置を迫り上がらせる。碧い光がエネルギーラインを走り、両肩部の球状装置に集中した。

 外宇宙線COOSを介し、異なる空間と空間、相違の力場と力場が連結される。

 そして――音ならざる音が、波濤となってアランに襲い掛かった。

「―――――ッ」

 口から全ての内臓が飛び出たのだと錯覚した。

 それほどの衝撃。それほどの不快感。

 凄まじい音圧により光が屈折し、周囲の景色が歪み、捩じれ。建物全体の窓という窓が砕け散った。

 当然、間近でその威力に晒されたアランは無事では済まない。鼓膜と耳管が破壊され、更に骨伝導によって全身に浸透する超音波振動が直に脳を揺さぶる。結果、彼は白目を剥いて口端から反吐を零しながら、水底に沈む虫けらの様に、無様に墜ちていく羽目になった。

 発生源は当然、白い妖精騎士の両肩部。球形の振動発生砲ヴァイヴロカノン

 光、音、重力、電波、電磁波、放射線――など、などと。これ等の自然現象は、突き詰めれば全て『振動』である。規模、場、波形や性質、更に伝導の媒介となる素粒子の違いなどにより名称が異なっているだけだ。

 彼の兵器はそういった『振動』をするモノ。

 ベテルギウスの両肩部に備わった指向性発振装置は、魔素・外宇宙線COOSを介することであらゆる場・空間を連結し、発生させた振動を任意の物体・物質へと伝播させ意図した通りの効果を得ることを可能とする。

 今回はアランの耳――その固有振動数に合わせた超音波を発し、共振させることで物質崩壊へと導いた。結果、まんまと彼の聴覚器官を完全破壊することに成功したのである。

 ―――気体、光、そして音。

『触れた』と認識できないが故に、彼の魔術の対象外となるモノ。怪物アラン・ウィックの弱点。一度明確に突き付けられても尚、未だ克服は叶わずにいる、生物的欠陥だった。


 王手。


 先程とは真逆の構図。あるいは、振り出しに戻ったとも。

 墜ちていく黒い少年を見下ろして、白い妖精騎士は滔々と謳う。

『「禁断の愛にラヴ・イズ・フォービドゥン・啼き吠えるウィー・クローク・アンド・ハウル」――決して結ばれぬ運命を嘆く恋歌。王妃に恋焦がれ、長い永い葛藤の果て……遂に主君を裏切り、愛する者の手を取り戦った騎士の唄。その胸を裂く慟哭は、さながら雷鳴の如く。竜の咆哮となって敵を吹き飛ばし、その悉くを再起不能にしたという……』

 陶酔に満ちた独白は、脳内にて過剰生産される快楽物質の作用がもたらしたものか。それとも本人の素なのかは定かではない。今はまだ。

 吊るされた刑死者のように、逆さの姿勢で落ちて行くアラン。

 三十メートル近い高さからの自由落下。当然、そのままではただでは済まない。頭から地面に激突すれば即死だ。五点接地などの受け身を取ることが出来ればその限りではないが、今のアランは平衡感覚を失調し天地を正しく認識できない状態にある。どう転んでも敗北は必至だった。

 もっとも――それは以前のアランならば、の話である。

 尋常ではない吐き気と眩暈。強烈な耳の痛み。上下どころか四肢の感覚すら不明瞭で、脳味噌は完全に役立たずと化している。それでも尚、腕は動いた。脳ではなく脊髄の反射反応が身体を動かしている。偏に日々積み上げた功夫の賜物だった。

「―――――」

 両手が耳朶を覆う。瞬間――爆ぜた。

 魔術を用いて頭蓋の中で小規模な爆発を起こし、聴覚器官を破壊リセット。そして一から鼓膜を再生させ、耳管内の耳石やリンパ液などを元の正常な状態に修復する。酷く無理やりな手法ではあるが、これによって平衡障害から脱することが叶った。

 先程耳を爆破したのもこれと同様。

 正常な感覚を取り戻すために態と自傷することを選んだ。先の時計男戦での敗北からアランが学び、彼なりに編み出した、音を武器とする攻撃への対処法である。

 肉体の制御が復調する。

 即座に身を捻り、逆さの体勢から反転。天を仰ぎ敵を視界に収めると同時――彼の左目の周囲で、赤い稲妻が奔った。

 落下の恐怖も、待ち構える墜落の事実も意に介さない。

 焦点に確と敵の姿を据えて。決して閉ざされることが無いよう、左手の中指と薬指で瞼と眼輪筋を固定し、左眼球に全神経を集中。視界の半分が、血の色よりも禍々しい赤色に沸騰する。左目と周囲の空間が帯電し、火花を散らした。

《目標に高エネルギー反応―――》

『何―――』

 彼等が察知した時には、既に遅かった。


 瞬間―――――光が、溢れた。


 黒い少年の左目を中心として発生する十字の発光現象。

 摂氏にして約百万度の熱量。放たれた不可視の光線が、一瞬にして建物の五階から上部分を丸ごと蒸発させる。それから一拍遅れて、大規模な融解と爆発が起こった。眩く輝く赤雷と紅蓮の炎に大気が根こそぎ食い尽くされ、そこにあった物質の悉くが膨大な熱によって吹き飛ばされる。

 衝撃波と共に音が到来したのは更にその後だ。振動の波濤が周囲にあったあらゆるものを呑み干して、揉みくちゃに歪め捩じる。無事なものは何一つない。

 半壊する校舎。その様子を、難なく着地した黒い少年が見上げている。

 まさに灼熱地獄。建物内部の気温は千度近くまで上昇しており、到底生き物が生存できる環境ではない。また周囲に与えた被害も甚大であり、半径数百メートル圏内にある建物の窓という窓が砕け散り、壁がひしゃげて罅が入っている。しかし彼は、それ等の一切に頓着した様子を全く見せなかった。

 唯一、左の眼窩にのみ虚ろな孔が開いている。

 アランは空になった左目の瞼を閉ざし、掌で押さえた。彼は残った右目で敵影を探る。


 其れこそは荷電粒子砲――俗に言うビームである。


 アランは魔術により自身の眼球――その内部で血液と眼房水を沸騰・電荷させ、生成した荷電粒子を極限まで圧縮・加速。極短時間の内に約二億キロワットもの莫大な電力を生み出し、眼球の水晶体を照射装置代わりとしてエネルギーを収束させ、ビームとして発射したのだ。

 単純な熱量だけで言えば水素爆弾の爆発と同等。視線がそのまま射線となるため命中率も高く、個人が行使する『兵器』の火力としては完全な規格外に位置する。

 しかし、欠点リスクもある。

 眼球そのものを弾として消費するため、当然ながら発射後は視覚を喪失する。継戦の必要がある場合、再生を終えるまでの数十秒の間、片目で戦わなければならないのだ。言うまでもなく不利ハンデである。そして目玉そのものを損なう以上、心因的なショックによって失明する可能性も考慮しなければならない。もしそうなった場合、無事である筈の眼まで永久に視力を喪失する羽目になるのだ。

 また周囲の環境にもたらす損害も計り知れないが故、アランがこの技を使うことは滅多にない。先の時計男との戦いで使用しなかったのも、戦場が熱に弱い精密機械のすぐ傍で且つソレが奪還対象だったからだ。そうでなければこのように、簡単に事件は解決していただろう。

 もっとも、あちらが戦略としてアランが全力を出せない状況を整えたのだから、そのようなを唱えることに意味はないが。


 それはさて置き。


 嫌そうに目を細めて、アランは密かに舌打ちを零す。

 赤い視線の先にあったのは白い妖精騎士の姿だ。しかも傍目には一切の損傷が見受けられない。完全に不意を打ち、且つ直撃した筈だが、それでもベテルギウスは依然として健在だった。

 ゆっくりと降下し、地面に着地。千度近い外気の中、フレンドリーに相対する。

『今のはちょっとヒヤッとしたぞ、ミスター・ウィック。死んだかと思った!』

「…………」

 黙殺し、改めて相手の様子を具に観察する。しかしどれだけ注意深く見やっても、無惨に赤く融けた建物とは対照的に、妖精騎士の白い装甲に欠けた所など一つもなく。まさに意気軒高といった様子だった。

(極限まで出力を絞ったとはいえ、今のも効かないか。こうなったら直接殴って融かすしかないな)


 ―――ぱき、ぱき、ぽき、ぱき


 右手の親指を使い、人差し指から小指の基節を押し砕き指を鳴らす。自らの精神のスイッチを切り替える。遊びはこれまで。一切の雑念を払拭し、アランは己を一個の殺戮人形へと変革させた。

 構えるべく半歩引いた右足が床材を砕く。顔を覆っていた左手を放し、ゆるりと前方へ流す。

 開かれる左目。

 既に眼球は再生を終えて、瞳に湛えた赤い憤怒の色をギラギラと輝かせている。

 それを認め泰然と頷く白い妖精騎士。常時継続投与されている興奮剤の影響で非常に『曖昧な状態』になっているダーレスだったが、目の前の少年が放つ殺気が本物であることは辛うじて理解できた。故に礼儀として真っ向から応じる。

『よくわからないが、どうやらようやく彼も本気になったようだ。であれば、こちらも奥の手を使うとしようッ! ―――マイ・ディア! モード・チェンジ! 裏コード「Dweller in Darkness」!』

諒解Ia。信号送信――承認されました。変態メタモルフォーゼを開始します》

 その音声ガイドを引鉄として、ベテルギウスは量の拳を握り、気合いを貯めるように腰の高さに据えた。エネルギーラインが碧い光で満ち、眩い輝きを発する。それが臨界に達した瞬間――腕部が変形した。

 両腕の外部装甲。肘部分が大きく突き出した手甲状のユニットが薄っすらと持ち上がり、くるりと百八十度回転。機械の掌マニピュレーターをすっぽりと覆い隠し、入れ代わる形で、格納されていた三本のブレードが伸長。隠されていた三つの関節が露わとなり、本来の容である鉤爪の形態を取る。

変態メタモルフォーゼ』の工程は更に続いた。

 ベテルギウスの特徴であった無機的な白い装甲が、有機物じみた紫がかった暗黒に染まっていく。そして美しかった翡翠色のかんばせが血を零したような不吉な紅色に代わり、頭頂から伸びるたてがみもまた同様の色に染まった。

 それは怪物だった。

 明らかに人型を逸脱した輪郭シルエット。爬虫類じみて大きく突出した前腕部に、尻尾状の第三脚。そして紅い無貌と揺らめく鬣。それはまるで、黒い怪物が天に向かって血塗られた舌を伸ばしているかのような――そんな様相を呈していた。


 暗黒の化物ケモノ


 強烈な既視感に眩暈がする。

 まさに奇縁。ソレが奇怪な機械であるが故か――アランには、今のベテルギウスの姿が宿敵・時計男と重なって視えた。

「―――――」

 殺さなければ。

 意思ではない、もっと根源的な衝動。産まれ持った指向性。遺伝子に刻まれた本能が、目の前の物体を完膚なきまでに破壊すべきだと訴えている。全身の細胞――脳髄から産毛の末端に至るまでが、一刻も早く「ソレを殺せ」と叫んでいた。

 聴こえざる殺意の潮騒が高まる。

 この緊迫感に比べれば、先程の戦闘は完全な児戯だ。これより始まるのは本物の殺し合い。それも天地創造と比肩する、神話の域の戦争である。その火蓋が今まさに切って落とされようという、その瞬間―――


 ―――唐突に、ベテルギウスが機能停止に陥った。


「は?」

 突然の出来事に、アランは思わず間の抜けた声を漏らした。

 敵がいきなり、がくん、と前傾姿勢に傾いだまま動かなくなってしまった。発光していたエネルギーラインと貌は輝きを失って色褪せ、鬣も消える。装甲の色も白に戻った。展開していた翅も元の板状のユニットとして折り畳まれる。

《安全装置が作動しました。「臨界性二十四シャイニング・面空間充填媒体トラペゾヘドロン」を強制閉鎖、全機能を停止しました。お疲れ様でした》

 合成音声のアナウンスを最後に、妖精騎士は完全に沈黙する。

 アランは構えを維持したまま慎重に距離を詰め、伸ばした左手の先でベテルギウスの頭部に触れる。しかし何の反応もない。

 エネルギー切れである。

 動力源たる永久蒸気機関クルーシュチャ・エンジンは永久機関。無からエネルギーを生み出し、文字通りに機械を永遠に動かすことが出来る。しかし一度に発電可能な電力量には限界があった。

 多大な電力を消耗する『エルダー・サイン』の連続展開と、極め付けには『変態』機構の発動。これによってベテルギウスの電力消費量は完全に供給量を上回ってしまい、暴走を避けるべく安全装置が作動。動力源である『臨界性二十四シャイニング・面空間充填媒体トラペゾヘドロン』の強制停止を余儀なくされたのだった。

 他にも理由はあるが……―――当然、アランがそんな事情を知る筈もない。

「…………」

 警戒心はそのままに、アランは構えを解いた。

 怪訝そうに片眉を上げて、右手の甲でコンコンとベテルギウスの頭部を叩く。それでも反応がないのを確認すると、拳を振り被ってベテルギウスを殴打した。

 糸の切れた人形も同然に、力無く倒れ伏す。

 硬いゴムを叩いたような感触。先程のような手応えはない。電荷状態でない場合、ベテルギウスの装甲の防御能力は失われるからだ。

「……はあ。さて、これからどうするか―――」

 嘆息。から続く独り言は、最後まで形になることはなかった。

 校舎が崩壊したからだ。

 アランとダーレスの交戦による損害ではなく――今現在も尚撃ち込まれている、多数の戦車砲の乱れ撃ちによって。


 * * *


「ちょっ……ちょ、ち、ちょちょちょっと……ウィル、ウィルバー……? ぃぃぃ、いま! いまッ……なに、なにを……ッ!」

「エッ? なに、ジュニア坊。コレ押しちゃ駄目だった? 駄目なヤツだった? おいおい、それならもっと見るからに『取り扱い注意!』みたいな感じにしといてくれよ~! カバーとか着けてさ~! いやまあ、それでも押したケドナ!」

 HAHAHA、と軽薄に笑うウィルバー。そんな彼の様子とは真逆に、ジュニアは全身から大量の汗を分泌している。その顔色は真っ青だった。

 ウィルバーが押したのはジュニアが操作している簡易制御卓コンソールのキーボード――無線戦車隊に命令を入力するツールだ。そして下された命令は砲撃。結果として、校舎を包囲していた戦車の悉くがその巨砲から火を噴いたのである。

「いや……! そんな、中にっ、まだ人がッ……! ダーレスも……!」

「いやいやいや、撃った弾はまだ一カケル四十五発だけっしょ? そんな程度であの二人が死ぬ訳ないじゃん? っつー訳でオラ――必殺、十六連射だゴルァ!!」

「ちょっ待―――わああああああああああああああああああああああ!」

 ジュニアが止める間もなく、ウィルバーはキーボードを連打した。

 送信された命令を忠実に実行し、完全に無人化された戦車隊は機械の動作によって独自に給弾・発射・再給弾・再発射を実行。

 連続して鳴り響く轟音。爆音。立て続けに放たれる砲弾。秒速にして千七百メートルもの運動エネルギーを余すことなく叩き付ける、暴力の権化だ。それが連続して雨霰の如く荒れる様は大嵐どころではない。スイッチ一つで起こされた人工の天災は、容易くコンクリート製の校舎を粉砕し、紙屑も同然に吹き飛ばしていった。


 アランのビームによる損害もあって、既に倒壊寸前だった校舎はあっという間に瓦礫の山と化した。


「ふぅ……哀しい戦いだった。争いとは斯くも無益なものなのだな……」

 さも一仕事やり遂げたましたという清々しい表情で、ウィルバーは額を拭う。

 隣のジュニアはあわあわと絶句するばかりだった。

 撃ち方を止めた戦車の砲口から、ゆったりと煙が立ち上る。都市の狭間に砲撃の残響が木霊して長く長く響き渡り――当たり前のように、更に巨大な轟音によって掻き消された。


 噴火したのだ。


 巨大な赤炎と黒煙の柱が立ち昇る。それはまさに活火山の噴火現象そのものだった。

 爆心地は言わずもがな瓦礫と化した校舎の下。しかしここは人の手によって築かれた尖塔都市の中腹である。当然、そんな所に火山などある訳がない。爆ぜたのはもっと凶悪で危険なとびっきりの爆弾――熱量操作の魔術を有する化け物だ。

 煙の中に浮かび上がる人影。

 黒い粉塵を擦り抜け、悠然と歩み出て来たのは赤い双眸に炎を灯す黒い少年。その姿を認めて、ウィルバーは軽薄に口笛を吹き、ジュニアは震え上がる。

「な……なな、な……っ!?」

「何なのかと言われれば、まあアレだ。未来から来た殺人ロボットってヤツ? ハハハッ! 笑えねー! ―――オラ、呆けてんなよジュニア坊! 戦車隊、全軍突撃ー! あの化け物を踏み潰せー!」

 制御卓コンソールを操作し、四十五台全ての無線戦車を目標に向けて突貫させる。前面に設えられた機関銃が一斉に火を噴き、更に鉄の巨体で圧し潰すべく殺到した。

 アランは気怠げに一瞥してから――駆けた。

 機関銃の掃射は甘んじて受ける。頭のみ両腕で守り、金剛石も同然の硬度を持つ筋肉の鎧によって全身に叩き付けられる礫の群れを弾く。そして進撃する戦車を真っ向から迎え撃ち、全力でその鼻っ面を蹴り上げた。

 再びの爆発。

 アランの卓越した膂力と魔術による爆撃を受け、戦車が吹っ飛ぶ。宙を舞う。アランは連続して拳打と蹴撃を見舞い、手近な位置にいる戦車から順番に、千切っては投げ千切っては投げることを繰り返した。

「…………ターミネーターっていうか、あれって怪獣……」

 現実離れした光景を見せつけられたジュニアがぽつりと呟く。それにウィルバーは哄笑を返した。

「ハハハ、言えてる! ―――って、ヤッバ!」

「うわっ、わわわわわ!」

 血相を変え、ウィルバーはジュニアの首根っこを掴んで指揮仕様の戦車から飛び降りた。そして全力で退避する。直後――上空から降ってきた多数の戦車の残骸によって、彼等が乗っていた戦車が圧し潰された。

 瞬く間に四十五台――全ての戦車をスクラップに変えた化け物が、塵を見るような冷ややかな眼差しを二人に向けている。

「誠に遺憾だが、こりゃーやるしかない感じだ」

「ぜんぶウィルバーのせいじゃないですかぁ!」

 珍しく怒声を上げるジュニアを放り捨て、ウィルバーは威嚇するように指の関節を鳴らした。

 アランは無言。

 そもそも言葉を交わすに足る相手と認めていない。それ故に問答無用。

 深く身を沈み込ませ、地面を蹴って走る黒い影。猛然と迫り来るアランを前にして、ウィルバーは不敵な笑みを浮かべたままだ。

 彼我の距離は二十メートル以上。

 数秒で無になるであろう間合い。

 しかしウィルバーは焦った様子を見せず、悪戯っぽく楽し気に嗤っていた。彼は懐から財布を取り出すと、中から一枚の百ドル紙幣を抜く。そして――山羊のように、紙を食んだ。

「―――――」

 アランが怪訝に思ったのは一瞬。止まることなく前進する。

 味のない紙幣をずるりと飲み下したウィルバーは、灰色の貌を悪意に満ちた好戦的な表情で彩らせた。そしてアランに向けて腕を伸ばす。


 その瞬間――ウィルバー・ウェイトリィの魔術が発動した。


「ぐ、が―――ッ!」

 唐突にアランの足が止まる。正確には固定された。

 足ではなく、喉を。

 発達した筋肉で鎧われた首に、が巻き付いている。しかしソレは。この世の誰にも視認することの出来ない見えざる腕が、凄まじい握力でアランの首を圧搾している。

 アランは拘束を剥ぐべく自らの首に手を伸ばすものの、指先が掻くのは虚空のみ。不可視の腕に触れることすら叶わなかった。

(糞、これは、魔術か―――!)

 直感で判断し、アランは敵を睨む。

 宙に伸ばされたウィルバーの腕は、何かを掴んでいた。彼は文字通り己の腕の延長として、見えない腕を操っている。

 ウィルバーが腕の角度を上げると、それに連動してアランの身体が浮き上がった。首を支点にした宙吊りの体勢で、アランはもがく。

「―――ッ!」

「無意味な抵抗は見苦しいぜ? アンタはチェスや将棋で言う所の王手詰みチェックメイトに嵌まったのだ! なんてな! さ~て、さてさて~? これからどうしてやろうか……―――なんとぉ!?」

 ウィルバーの下卑た笑みが、一瞬にして消える。彼は驚愕に眼を見開いていた。

 アランが魔術によって自らの首を爆破したのだ。

 触れることの出来ないウィルバーの『腕』。直接的接触が不可能である以上、アランの魔術の影響を受けることはない。しかしそれでもという事実は変わらないのだ。

 故にアランは『腕』に掴まれている首の薄皮一枚下を爆発させ、生じた圧力で無理やりに拘束を振り払った。

 その影響か、不可視の『腕』の代わりにウィルバーの右腕が爆ぜる。火傷を負った。上着の袖と着けていた指抜きグローブが破け、灰色の肌が露わになる。そこには黒い刺青がびっしりと刻まれていた。

 まんまと魔術から抜け出し、アランが落下する。

 着地と同時に大きく体を沈み込ませ、全力で地面を蹴った。文字通りに爆ぜる地面。弾丸の如く撃ち出される黒い体躯。相手を脅威と認め、全力で叩き潰すべく肉薄する。

 一足で十メートルの距離を零にする。殴り合いの間合いクロスレンジ

 先手を打ったのは――ウィルバーだった。

 上半身と下半身を別々に振り回すような攻撃動作。上体を伏せ、片足を突き出す様は卍蹴りに近い。長い手足に遠心力を乗せて撃ち出す蹴撃カポエラの妙技である。

 アランは咄嗟に右腕を前に出して、蹴りを確と受け止めた。

 しかしそれだけでは不十分、と灰色の少年はほくそ笑む。ウィルバーは身体を捻り、旋回の勢いに乗せてもう片方の足を振るい二段目の蹴りを放つ。それは死神の鎌の如く、アランの無防備な首を刈り取る――筈だったのだが。

「―――ありゃ?」

 必殺の筈の一撃は実に呆気なくいなされた上に、ウィルバーの体は空中でぐるりと回っていた。

 技を技で返された。アランは右半身を半歩後ろに流しつつウィルバーの蹴りを左の手刀で迎撃し、返す刀で足首を上に向けて払ったのである。両足を攻撃に使用したウィルバーの踏ん張る力は零に等しく、結果として彼は一切の抵抗らしい抵抗も出来ず空中に浮いたままひっくり返ったのだ。

 どうしようもなく隙だらけである。

「ぶぼっ!?」

 アランが放った渾身の下段突きが、正確にウィルバーの顔面を捉えた。

 拳が振り抜かれ、カンフー映画さながらにウィルバーの痩躯が吹っ飛んでいく。彼は何度も地面の上を跳ねた。殴られた顔面は、ゴム製の玩具のように著しく陥没している。

 やがて彼の身体は勢いを失った所で止まり、「前がみえねェ」とだけ呟いた後、ウィルバー・ウェイトリィは完全に沈黙した。

 アランは無言で制服の襟元を正した後、徐にまだ残っている敵――ジュニアに視線を向ける。

「ひっ!? ひぇぇぇ……あ、あの……おれは、その……―――」

 目尻に涙を湛えて弁明を試みる。しかし突然、視界からアランが消えた。

 素早い動きと死角に消える歩法で以ってジュニアの背後に回り、アランは彼の細い首に腕を巻き付けた。

 頸動脈を圧迫すること数秒。意識を失ったジュニアを放す。

 細く小さな少年の身体が、糸の切れた人形のように地面に倒れた。

「…………」

 アランは携帯端末を取り出し、画面に光を灯す。そして件の特設サイトに接続アクセスし、状況の把握に努める。


 アラン・ウィック:50+150P


 しっかりと三人分の得点が加点されているのを確認してから、アランは携帯端末を懐に仕舞い直し、悠然と歩き出した。

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