第三十七話 我が名はダーレス

 雑貨屋兼探偵事務所『ジグソウ』の地下には物置きを兼ねたガレージがある。

 天井に備え付けられた蛍光灯が発する白い光に照らし出されたのは、広く寒々しい空間だった。床と壁は建材であるコンクリートが剥き出しになっていて、足元には幾何学模様の白線が引かれている。そしてそれに沿う形で、雑多な機械群が静かに整列していた。

 エドガーの愛車である『スナフキン』の他、トライアドの所有物と思しき黒塗りの高級車やカルティエが発明した大型の駆動車類が綺麗に並んでいる。


 アランとカルティエは多数の二輪駆動車ガーニー・バイクが安置された区画へ足を運ぶ。


 カルティエはガレージに常備してあるライダースーツをロッカーから引っ張り出した。自身の体型よりも一回り程大きいスーツの袖に腕を通し、指先から足首まで全身をすっぽりと覆い隠す。

 このライダースーツは既製品だ。

 生地に特別な素材が使われたこのスーツは、手首のスイッチを押すと電気信号が発せられ即座に着用者の体に合わせたサイズに縮むという特性を有している。フリーサイズでカラーリングも豊富であり、防寒性に優れることから、バイクやオープンカーのオーナー達の間で広く愛用されている商品だった。

「一応、アラン君の分も用意してありますが」

「その好意だけ受け取っておく」

 素っ気ない答えに「ですよね」と頷いて、カルティエはロッカーから二つのヘルメットを取り出す。そして一方をアランに向かって投げ渡した。

 アランは危なげなくヘルメットを受け取る。

 二人は予め自分用にと定めておいた二輪駆動車の下へ向かった。駐車してあるスポーツタイプの巨大な車体を後方へ引っ張り出し、跨ってヘルメットを被る。

 キーを差し込み、捻る。

 瞬間、二台のバイクに搭載されたエンジンがほぼ同時に咆哮を上げた。

 アクセルを吹かし、カルティエを先頭にして二台のバイクが発車する。瞬き三つの内にガレージ内を走破して出口の傾斜を昇り、公道へ出た。


 法定速度に則って、閑静な住宅街を駆ける。


 空には雲一つなく。けれど大気は灰色に冷めていて、色彩というものに欠けている。天から地上を睨めつける太陽の輝きに生気は感じられず、風景は寒々しく凍えて青白く煙っていた。

 ヒュペルボレオスの全高は凡そ八千メートル。二人はその上層部から出発し、更に上へ上へと移動している。

 普段と比べて、道路は混雑していた。

 先の事件時――青空教会が行った集団自殺の喚起によって地下鉄道にて多数の脱線事故が発生し、更には超法規的措置の名の下に地下深くまで大穴が穿たれてしまった為、ほぼ全ての鉄道が運休を余儀なくされているのだ。

 地下鉄道はヒュペルボレオスにおける交通機関の要だ。それが使用不能になっている以上、住民は他の移動手段を使う他ない。結果として地上の道路は渋滞によって混雑し、空では小型の飛行船が引っ切り無しに短距離を行き来していた。

 けれど――そんな事情があるにも拘わらず、二人は呆気ないほどスムーズに目的地へと辿り着いた。偏にカルティエの卓越したナビゲート技能の賜物である。

 目的地――即ち、『オルガン・アカデミー』。

 ヒュペルボレオスが有する唯一にして最大の教育施設。旧暦時代における国営の高等学校や大学に相当する機関である。その規模は広大で、単純な広さだけで言えば一つの都市区画を丸ごと占領しているが為に学園都市とも称される場所だ。


 アカデミーが擁する学部・学科の数は優に四百を超える。

 これは国家公務機関『カチナ・オルガン』が有する部署の数とほぼ同一の数字だった。


 アランとカルティエは、今日、アカデミーに入学し。カチナ・オルガン直属の組織である特務機関『ココペリ』への就職を目指して修学に励む運びとなっていた。

 アカデミーの区画内は交通機関が整備されており、歩道には通行者である生徒や教師達の姿が散見され、車道にはバスやタクシーの類が行き交っている。その隙間を縫うように進み、アランとカルティエは生徒用に宛がわれた駐輪場を目指した。

 駐輪場に二輪駆動車ガーニー・バイクを駐め、車体にヘルメットとライダースーツを収納し軽く身支度を整える。そして入れ替わりに通学用の鞄を手に、カルティエは事故もなく無事に登校を終えられたことを安堵してそっと胸を撫で下ろす。

(……長かった。いつか『同い年のお友達とツーリングしてみたい』と思い煩うこと幾星霜――今日! 遂に! 夢が叶いました!)

 そして胸の内に秘めていた慎ましやかな野望が実現した感激を噛み締め、固く拳を握り締めた。

 もっとも、ツーリングと称するにはあまりにもささやかな旅路だったが。

 そんな少女の感動はさて置いて、アランは携帯端末を操作して周辺の地図を画面に表示させた。そしてそれを見て、少しだけ眉を曇らせる。

「確か授業の前に委員会のミーティングがあるんだったか。それで、これから俺達が向かう目的の校舎は……少し遠いな。急ごう」

「あっ、はい! ……あ、アラン君、こっちの道から行った方が近いですよ。俯瞰の地図だと校舎で道が塞がれているように見えますが、図書館の横のところに反対まで抜けられる通路がありますので」

「なるほど。……その様子なら、案内は任せてもいいのかな」

「はい! お任せください!」

 得意気に胸を張り、カルティエが先陣を切って歩き出す。その後にアランが続いた。

 林立する白い建物の隙間を通り抜ける。

 学園アカデミーである以上、周辺の建造物は校舎、あるいは何らかの学習に際して使用される施設に違いはあるまい。実際その通りなのであるが、傍目にはどれも同じものに見える。少なくとも、アランには区別がつかなかった。

 背の高い四角い建物が並ぶ様は、学園というよりはむしろオフィス街といった風情だ。

「それにしても」

 不意に、アランが口を開いた。

「君はともかく、俺まで工学部の所属になるとは。俺は機械類の扱いはてんで駄目だっていうのに。嫌がらせだろうか、これは」

「えっ、アラン君は自分で工学部を選んだ訳じゃないんですか?」

「違うよ。その辺りのはマニトゥに一任してたからな」

 あっけらかんと言うアランとは逆に、カルティエは少しだけ残念に思う。、彼と一緒に同じ学部の講義を受けることを密かに楽しみにしていたからだ。

 アランとカルティエはオルガン・アカデミーの工学部に所属する生徒である。

 学生証にも同様の内容が記載されているし、実際に授業を受けることになってもいる。しかしそれはある種の偽装工作だ。

 保秘の観点から、特殊工作員を育成する機関はその存在が一般には伏せられる場合が多い。オルガン・アカデミーでもそれは同様で、ココペリへの入隊を目指す学生の教育課程とその現場は秘匿されているのが現状だ。

 アラン達の場合、表向きは工学部所属の風紀委員生徒となっているが――重要なのは学部ではなく委員会の方である。


 風紀委員――正確には『風紀委員会作業班』。


 その名称は一種の隠れ蓑コードネームであり、この組織に属する人間は全て特務機関『ココペリ』への入隊を希望する訓練生で構成される。アランとカルティエは既にその一員に組み込まれているという寸法だ。

「ですがそれなら、やはり機械工学に関する知識は一通りあった方がいいのではないでしょうか。ほら、映画なんかでも敵地に潜入したスパイがコンソールなんかを操作して情報を盗んだりとかしてますし。少なくとも、できるようになっておいて損はないかと」

「……うん。まあ、その通りなんだがな。どうにも苦手意識が―――……ん?」

 ふと、アランは足を止めて視線を下げる。

 隣に犬がいた。

 何時の間によって来たのか、一匹の犬がアランを見上げている。

 かなりの大型犬で、引き締まった筋肉質な体躯と、人間くらいならば容易く噛み殺せるであろう鋭い牙が目を引く。ともすれば闘犬のような厳つい見た目だが、しかしアランを見上げる円らな瞳と、千切れんばかりに尻尾を振り回して喜びを示す様は正しく愛玩動物の仕草であった。

「警備用の番犬ですね。アカデミーの色んな所に配置されていて、それぞれの区画を巡回しているんです。基本的には人に近づかないよう訓練されていると聞きましたが……」

 そう解説したカルティエの視線は犬の首輪に向けられている。

 首輪には小型のカメラとマイク、それからスピーカーが装備されている。彼女の言の通り、学園の警備システムの一環としてマニトゥが管理・運用しているもので間違いなさそうだ。

「ふぅん」

 素っ気なく頷くだけに留めて、アランは歩を再開した。

 犬は後をついて来る。まるで親を慕う子鴨のように、アランに追随した。

「ふふ、どうやらアラン君に懐いちゃったみたいですね」

 鈴を転がすようにくすくすと微笑み、どこか悪戯っぽい仕草でカルティエはアランを見上げる。しかし当のアランは「どうだかね」とつれない反応だ。

 二人は犬を伴ったまま路地を進む。

 角を曲がり、目印にしていた図書館の横を通り抜ける。―――その途中で、不意に爽やかな大声が二人を撃ち抜いた。

『そこの二人! ここから先は立ち入り禁止になっているである! 見物に来たのなら立ち去れ! ただ通りたいだけならば、残念だが諦めて迂回して貰いたい!』

 目の前に少年が立ち塞がっている。

 齢は丁度アランやカルティエと同じ頃だろう。身長もアランと同程度――同年代の男性の中では高い部類だ。しかし服の上からでも武骨な造形を感じさせるアランとは異なり、その少年は完璧に均整の取れたすらりとした体型。その上顔立ちも整っていて、鼻が高く彫の深いメリハリのついた造りをしている。

 彼は上品な長身にオルガン・アカデミーの制服をきっちりと着こなしている。左目には片眼鏡を着け、そして肩に掛かるほど長い金色の髪をさらりと流した姿は、古い絵画に描かれた貴族像をそのまま抜き出してきたかのようだった。

 優れた特徴の中でも、最も目を引くのは――眼だ。

 いやに惹き付けられる。深く昏い色の瞳の中に、黄金の光を放つ数多の天体が渦巻いている。それはまるで、宇宙の中心で輝く銀河の眼ギャラクシー・アイズだった。

 総じて、絵に描いたような爽やかな人柄の好青年といった風情の少年だ。しかしその一方で、どこか無機的な印象がある。それがアランには、まるでロボットが人間のフリをしているかのように思えた。

 ……とあるヒューマノイド・ロボットの面影が、アランの脳裏を過ぎる。

 しかしそれはただの感傷。詰る所、錯覚だ。彼は歴とした人間なのだから、その在り方は彼女と根本から異なる。


 少年の背後にあるのは立ち入り禁止の黄色いテープライン。

 その内側には、白線で描かれた人間の輪郭と、地面を汚す赤黒い染みがあった。


『―――む? おお! 貴公は我が従姉妹のミス・ガウトーロンではないか! おはよう! こんな所で出会うとは奇遇であるな!』

「……おはようございます、ダーレス」

 器用にも目を見開いたまま相好を崩す金色の少年。

 それよりも驚くべきは、彼が口を閉じたまま喋っているという事実の方であろうか。その割に語気は明瞭で聞き取ることに支障はないのが奇妙ではあった。

 彼は気品溢れる佇まいに反し、極めて快活に言葉を発している。対して、カルティエは伏し目がちに目礼するに留めた。彼女はほんの少しだけ気まずそうに顔を強張らせている。それはまるで――否、正しくあまり会いたくない知り合いと遭遇してしまった人間の反応そのものだった。

「えぇっと、アラン君。彼は私の従兄弟で、名前は―――」

『―――我が名はダーレス! 貴顕たる正義の騎士、レプリディオール・ダレス・クルーシュチャである! 皆からは親しみを込めておどけものオーギュスト・ダーレスと呼んで貰っているぞ! 良ければ貴公もそう呼んでくれると嬉しい、ミスター・ウィック!』

「よろしく。……なぜ、わた――俺の名前を?」

 訝しむ感情を面には一切出さず、アランは差し出された手に自らの手を重ね握手を交わす。その傍らで、相手の情報プロフィールを脳の裏側から引っ張り出していた。


 レプリディオール・D・クルーシュチャ。


 名が表す通り、カルティエと同じ偉大なる一族クルーシュチャの一員である。

 当代最高位の碩学にしてヒュペルボレオス人類代表の誉れも高い枢機卿オブレイ・クルーシュチャの一人息子。その肩書に相応しく、良い意味でも悪い意味でも品行方正な性質であると評判の人物だ。

 そしてアランやカルティエと同じ、風紀委員会作業班の一員でもある。

 金色の少年――ダーレスは顔面筋を全く動かさないまま、よく通る声で応える。

『知っているとも! なにせ貴公等は有名人であるからな! 先日、青空教会が引き起こした凄惨な大事件を解決した、カチナドールの若きホープ! そして今日から共に同じ師の下で正義の薫陶を受ける同志なのだから、知っているのは当然というものである!』

 ダーレスの言に、アランは「なるほど」と頷いた。

 少し話しをしただけで分かる。間違いなく、彼とカルティエの相性は最悪だろう。そしてアラン自身もあまり近付きたくはない手合いだった。

 正義。

 その言葉は、アランとカルティエにとってあまりにも縁遠い。

『察するに貴公等もこの場所で起こった事件について捜査のため訪れたクチなのであろう! 正義のために! わかるとも!』

「いいえ、たまたま通りがかっただけです。ここで何があったのですか?」

『で、あるか! 早とちりをしてしまった、済まない!』

 ハキハキと元気よくダーレスは言う。そんな彼の佇まいに、アランは拭い難い違和感を覚えていた。

 銀河の瞳が正面から真っ直ぐにアランを見据えている。その双眸に灯る熱き輝きが瞼によって閉ざされることはない。つまり――彼は、

『本日未明、この場所で殺人事件が起こったのである! 犯人は未だ不明! 遺体が発見されたのはつい数時間前のことであるが、被害者は学生証を所持していたため既に身元の特定は済んでいる! 名前はデクスター・ウォード十九歳! オルガン・アカデミー考古学部所属の学生である! 発見当時、被害者は頭に巨大なオレンジを被っていたが、端的に言って意味不明! 以上!』

 カルティエは「オレンジ?」と訝しげに首を傾けるが、あえてそちらには触れないことを決めてからアランは口を開く。

「監視カメラの記録は?」

『確認したが、残ってはいなかったであるな!』

「む、それは奇妙ですね。何かあっても必ずその記録が残ることだけが、この管理社会における唯一の長所だっていうのに。それが殺人ともなれば猶更だ」

『僕も全く同意見である! 恐らく、犯人が証拠隠滅のため意図的に消去したのであろう! 紛れもない悪事だあるな! 決して許されることではない!』

 断言するダーレスにアランが首肯を返す。どのような事情があるにせよ、殺人は決して許されることではないからだ。

 ―――一連の推測が正しければ、犯人は高度な電子戦の心得を持った工作員ということになる。

 だとすれば、これも青空教会の仕業であると考えれば一応は辻褄が合う。

 アランの脳裏を過るのは、先日の青空教会が凶行に及ぶ直前――ジェームズ・エリスの洋裁店に勤めていた四人の行方不明者の存在だ。彼等の姿は都市の監視システムの記録は愚か、アランとシャーロットの記憶からも消えている。この事実から、あの四人は青空教会所属の工作員であった可能性が高いとされていた。


 決め付けるのは早計だが。

 この殺人が、彼等の仕業である可能性を否定することはできない。


「死因は?」

『詳しいことは、検死の結果が出ないことにはわからないが! 僕は失血性ショック死であると見ている! この通り、派手な出血痕が残っているであるからな!』

 そう言って、ダーレスは地面にこびりついた赤黒い染みを指差した。血痕の範囲は広く、素人目にもそれが致死量を超えていることが容易に見て取れる。

『今の僕が持っている情報はこのくらいである! ちなみに、僕は正義のため風紀委員作業班としての使命に従い、事件発覚後、今朝の午前六時からここで自主的に警備活動を行っている! が! 今のところ特に成果はない!』

「なるほど。ご苦労様です。で、カルティエ、君はどう思う?」

「……えっ? は、はい?」

 横へ顔を向けて問いかける。

 アランとしては極自然な流れで意見を訊いたつもりだったが、しかしカルティエにとっては完全に寝耳に水だったようだ。彼女は鳩が豆鉄砲を食らったような表情で幾度も目を瞬かせている。

「ここで起こった殺人事件について、君の見解が聞きたい」

『僕もミスター・ウィックと同意見だ! 「三人寄れば文殊の知恵」というが、若き天才碩学と名高い貴公が加われば正しく百人力であろう! 是非とも力を貸して欲しいである!』

「いえ、その……今の情報だけではなんとも……」

『なるほど! 「今はまだ語るべき時ではない」、ということであるか! わかるとも!』

「ちが……っ! わ、私は、そういうことが言いたい訳では……!」

 なんとも歯切れが悪い様子を見せるカルティエ。普段とは異なる彼女の調子にアランは目を細めるが、ダーレスは一切気にしていないようだ。ということは――つまり。カルティエは、ダーレスの前ではいつもなのだろう。

(如何にも気まずそうだな。見てられない。話を振ったのは俺だし、助け船を出した方がいいか……―――)

 気を回して口を開きかけた所で、噤む。

 濡れた鉄の悪臭が鼻腔を突く。そして何かが這いずるような音が、三人の直ぐ近くから聞こえた。

 死臭が漂う。

 アランは咄嗟にカルティエを庇うように彼女の前へ出た。そしてそれに追随する形で、彼の足元に行儀正しく座っていた警備犬がその前へ躍り出て警戒心と歯を剥きだ出しにして唸り声を上げる。

「―――げえ。マジでいやがる。こーんなとこでなにやってんだよ、アンタ等」

 不意に横合いから声を投げかけられる。

 低い声音に反して、発せられた言葉の響きは厭に剽軽だ。気安いと言えば聞こえはいいが、明らかな悪意を孕んでいる。

 現れたのは少年だった。

 齢は十代の半ば――アラン達と同い年だろう。オルガン・アカデミーの制服を着ているが、緩く結ばれたネクタイに大きく開かれた胸元、ズボンを低い位置で履くなど、だらしなく着崩している。ひどい猫背で姿勢も悪い。その上、彼はピアスやチェーンといったシルバー系のアクセサリーを幾つも身に着けていた。

 痩せているが上背があり、同年代の男性の中では長身の部類であるアランやダーレスよりも更に頭一つ分以上背が高い。細い四肢はよくよく見れば鍛えられた筋肉が見て取れる。一流のアスリートのような、一切の余分が削ぎ落された肉体だ。

 その肌は黒い。

 肌に色を入れているのだろうか。黒色人種特有の濃褐色とは異なる人為的な肌色。薄墨色の皮膚を肉に張り付けた彼の姿は、酷く不気味だった。

 ある種の色香が漂う美丈夫ではある。

 ヘアバンド代わりに黒いバンダナを巻き荒々しく逆立てた白い髪は脱色ブリーチした痕跡が容易に見て取れ、もつれた前髪の隙間からは昏い紫の双眸が覗いていた。それがアランの姿を映すや否や、愉快気に歪められる。その瞬間、アランの肌が粟立った。

 慣れた怖気に背筋を撫で上げられた。

 悪戯じみた悪意が、自分に向けられていた。

「コンニチワァー」

「……こんにちわ」

 人懐っこい笑みを浮かべて軽く会釈をする灰色の少年に、アランは応えた。

 彼は右手に帯で縛り上げられた黒いを引き摺って近付いてくる。その度に、ずるずると這いずるような音が聞こえた。

 どうやら、袋には

 悪意に満ちた紫の瞳。未発達で細い顎と尖った耳は、山羊を思わせる。そして死体袋を引き摺った様と相まって、その姿は正しく悪魔そのものだ。

 更には。

(鉄と独特な油の臭い。それに、両脇の服の膨らみ……銃を持ってるな)

 鼻を鳴らし、アランは警戒を強めた。

 その一方で、昵懇の間柄らしいダーレスが灰色の少年に溌剌と応える。

『無論、事件現場の自主的な警備及び監視である! 犯人は現場に戻ってくると相場が決まっているからな! 故にこうして張り込みをしているのである!』

「アッソウ、それはご苦労なコトで。―――……あぁーあ、テープラインは兎も角、ご丁寧に白線まで引きやがって。映画とかドラマの観過ぎだろ。学生が勝手に現場を荒らすなよ面倒臭ぇな……」

 首を巡らせ、如何にもうんざりした表情で、少年がぶつぶつとぼやいている。

 聞こえているだろうに全く頓着せず、ダーレスが水を向ける。

『ところでウィリー、君が検死を務めたと聞いているが、終わったのであるか?』

「あーはいはい、終わりましたよーそりゃーもう。ったく、どいつもこいつも人使いが荒いんだからよ。入学初日から検死をやらされるハメになるとは思わなかったぜ。まっ、前の自殺騒動で医者も人手不足らしいから仕方ねぇんだけど」

 死体袋を爪先で小突き、少年は不満気に言う。その一方で口元に笑みは絶えない。ケタケタと歯を打ち鳴らして笑う様は、髑髏のように不吉だった。

 ―――不快な既視感に眩暈がする。

 アランは厭そうに目を細めた。無意識に親指が動き、人差し指と中指の基節を押す。ぱきん、と軽い音が重なって響いた。

「お前、どこかで会ったことがあるか?」

 唐突に、アランはそんなことを口にする。

 痩躯の少年はぽかんと口を開けて呆けた後、嫌そうに顔を歪めた。

「えっ、普通に初対面だと思いますけど? 面識があんのカルティエ嬢だけだし。えっ、なに? もしかしてナンパ? 悪いけど俺見た目通りの草食系だから、そーいうのはちょっと。っていうかオタク、そういう趣味? えっ、なに、引くわぁ……なにがとは明言しないけど引くわぁ……」

「…………」

 引き気味に後ずさりながら、しかしヘラヘラとした態度は崩さないまま少年は言った。アランはその様子を具に観察するが、やがて頭を振る。

「……失礼。勘違いでした。俺はアラン・ウィック、工学部の学生です」

「あっそ、まあいいや。俺はウィルバー・ウェイトリィ。所属は考古学部で風紀委員。ダーレス大将の子分その一ッス」

「考古学部……?」

 確か件の被害者も考古学部の生徒だったと聞いている。何かしら接点があったのだろうかとアランは空想するが、否定とは異なる形でそれは不正解だと告げられた。

 ウィルバーがからからと悪戯っぽく笑う。

「別に珍しいことでもないぜ。そっちのカルティエ嬢も似たようなもんだし。生き物を解剖したり標本造ったりするのが趣味なんでね、それが高じて監察医の資格を取ったんだわ。考古学部なのは建前上の籍ってワケ。まっ、アンタも死んだ時はちゃんと俺が視てやるよ。……ああ、そういや名前なら聞き覚えあるな。確か同じ委員会だっけ? 何にせよ長い付き合いになりそうじゃん。コンゴトモヨロシクってな、アラン・ウィック=サン?」

「…………」


 ウィルバーは右手を差し出す。


 差し出された手を前にして、アランは僅かに硬直した。一瞬、その視線がウィルバーの引き摺る死体袋に向けられる。

「ああ、ちょっと死体を解剖した後だけど気にしなくていいぜ。ちゃんと手は洗ってるからさ。いや、あれか? 現在進行形で死体を連れてるような奴と握手なんてできねぇってか?」

「……いいえ、よろしく」

 挑発的な物言いに乗せられて、アランはウィルバーの手を握った。

「―――――」

 その瞬間、アランの表情が不自然なほど綺麗な笑みに変わる。

 二人は満面の笑みを浮かべて、固い握手を交わした。

 奇妙に長い時間、二人は互いの手を握り続けている。その様子に、カルティエとダーレスは小首を傾げた。


 傍から見ている二人には分からないことだが。

 ウィルバーは掌の死角に針と剃刀を仕込んでいて、アランはそんなウィルバーの手を砕きにかかっている。


 ウィルバーの手骨に罅を入れた所で、アランは彼の手を解放した。

「いやぁー、中々負けん気が強くてイイね。仲良くなれそうな気がする」

「さて、どうでしょうね。俺は先行きが不安で仕方がないのですが」

「またまたー。ってか、俺相手にですますとか気を使わなくていいから。俺達の仲だし、遠慮はなしにしよーぜ。それに大きなお世話だろうけどさ、アンタ、そーいうの似合ってないように見えるケド?」

 良い意味でも悪い意味でも裏表のない性格なのだろう。不躾な物言いだが、その一方で語調そのものは親し気だった。

 アランは言葉では答えず、心底嫌そうに顔を歪めて見返すだけに留める。

『―――よし! では全員が友人となった所で、話を元に戻そう! ウィリー、検死では犯人確保の糸口となるような情報は得られたのであるか?』

「いや、何度も言ってるけどこれはお前が考えてるような事件じゃねーって。殺人っちゃ殺人だけど事故みたいなもんっつーか。それに多分、死んだのはコイツの自業自得って感じだし」

「あの……それって、どういう意味ですか?」

 おずおずと、カルティエが尋ねる。

 それに対し、ウィルバーは人差し指で足元の犬を指差した。

 犬は牙を剥き出しにし、激しく唸っている。

「だって犯人はソイツだし」

『む?』

「はい?」

「なんだって?」

 三人がほぼ同時に間の抜けた声を発する。ウィルバーは面倒臭そうに頭を掻きながら答えた。

「そこのおどけものドン・キホーテにアンタ達が何を聞かされたかは知らねぇーけどさ。そもそもこの遺体につけられた傷は刃物とかそういうのによるものじゃーない。大型の肉食動物に喉笛を噛み砕かれたのが致命傷だ。状況から察するに、どうやら夜中に図書館に侵入しようとした所で、番犬に見付かって噛み殺されたみたいッスね。おーこわ。見ろよ、そこの犬も俺を食い殺そうと虎視眈々だぜ」

「えぇ……」

 カルティエは半眼でダーレスを睨め付ける。

 そんなささやかな抗議には反応せず、ダーレスは徐に頷いた。

『なるほど。では、その番犬は今どこにいるのであるか!』

「さあ。死人が出てるからな、もう殺処分されたんじゃねーの。知らんけど」

『番犬が何者かによって操られていた可能性は!』

「ありえねぇーよ」

「あの……ちなみに、オレンジを被っていたというのは?」

 控え目にカルティエが挙手すると、ウィルバーは「さぁねえ」と肩を竦めた。

「襲われる前から被ってたみたいだし、単純に顔を隠したかったんじゃねぇの? 物取りだったんじゃないッスか?」

『―――そうか! 手を煩わせて済まなかったであるな、ウィリー! そしてミスター・ウィックとミス・ガウトーロン! 話は聞いての通りである! 僕の考え過ぎだったらしい! お騒がせして申し訳ない!』

 表情を一切変えないまま、しかしダーレスは誠意を以って深々と頭を下げる。

「いや、まあ……」

「別に、構わないが……」

『ありがとう! そう言って貰えるとこちらも嬉しいである! では行こうか、ウィリー!』

「えっどこに」

『察するに、その死体を安置所モルグへ移しに行くところなのだろう! 僕も手伝うぞ! 正直、いくらなんでも引き摺って行くのはどうかと思うである!』

「よければ俺も手伝いましょうか?」

「いやいいって、アンタ等は先に教室に行ってくれて構わねーから。確か委員会のミーティング? があるんだっけ? っていうかあるだろ? 先に行っててくれ。んで、俺はちょっと遅れるって伝えといて」

 ウィルバーは死体袋を肩に抱えると、ひらひらと手を振って足早に歩き出した。その様があまりにも不審者のソレだったからか、アランは訝し気に目を細める。

 不審。そう、不審だ。

 ただの直感でしかないのだが―――

(……何かな)

 確証こそないものの、アランは確信していた。あの灰色の少年は、確実に何かを誤魔化し情報を偽っている。だが彼の言葉と行動の全てが無暗矢鱈に悪戯じみた悪意によって彩られているものだから、その正体まではとても判別できないのだけれども。それだけは断言できた。

 一方でダーレスとカルティエは彼の嘘に気付いた様子もない。

 ダーレスは手を振りながら『それでは、また後で! である!』などと高らかな宣言を浴びせるのみだし、カルティエは彼が路地を曲がり姿が見えなくなるのを黙って見送っている。ただ犬だけが、咎めるように吠え立てていた。

(呼び止めて追及、を……―――)


 ―――――?


 はて、と思わず首を傾げる。先程まで何を考えていたのか――、アランもまたダーレスやカルティエ同様に死体を運ぶ不審者を黙って見送ることにした。

『―――さて! それでは行くとしようか、二人共!』

「……いいのですか? ここから離れてしまって」

『先程聞いた通り、事件性はないとのことであるからな。言伝を頼まれたことであるし、今は委員会のミーティングへ向かうことを優先しようと思うのであるが、どうか!』

「なるほど。じゃあ行きましょうか。……どうした、カルティエ?」

「……え、あ、はい? なんですかアラン君?」

 不意に声を掛けられ、カルティエは頓狂な声を漏らす。

 如何にも心ここに在らずといった様子で固まっていた状態から我に返り、急いで笑顔を取り繕った。そんな彼女の不自然な反応に内心で首を捻りながら、アランは先行するダーレスを顎で指す。

「そろそろ時間も押してきている。早く教室に向かおう」

「そ、そうですね。はい、急ぎましょう」

 愛用の懐中時計を取り出して時間を確認すると、慌てた様子でカルティエは歩き出した。その後をアランが追う。


 三人は並んで路地を歩いた。


「……ところで、先程から気になっていたのですが」

 やや遠慮がちにアランが口を開く。

 彼の言わんとしていることを察したのだろう、慣れた様子でダーレスは応えた。

『訳あって、僕は脳の一部を機械化しているのである。いわゆるブレイン・マシン・インターフェイスというヤツであるな! しかし施術の後遺症で言語野と神経系の一部に障害が生じてしまっているので、発声や外界の視認は機械に頼っているのである!』

「そうですか。不躾なことを訊いてしまいました」

『気にしないで欲しい! 他にも気になることがあれば、どんどん聞いてくれて構わないである! 新たなる友よ!』

 アルカイックスマイルで固定されたかんばせが、心なしか親し気な色に変化する。表情を一切変えないまま身振り手振りでのみ感情を表に出す彼の仕草は、確かに道化師のようだった。

 アランはウィルバーについて尋ねる。

 ダーレスは彼が如何に素晴らしく頼りになる人間であるか、過去のエピソードを交えて滔々と語り始めた。


 そんな二人の姿を――気が付けば、カルティエは後ろから眺めていた。


 歩みが遅れている。

 足が重い。何かがまとわりついているような気さえする。その慣れた感触を一歩ごとに踏み潰しながら、カルティエは自嘲した。

 友達を取られた――そんな醜い嫉妬心が、少女の心の内で鎌首を擡げている。

 もちろん、アランとダーレスにそんな意図がないことは理解している。アランが誰と話していてもそれでカルティエとの関係性が崩れる訳ではないし、ダーレスもそんな意地の悪いことをする人柄ではない。そう分かっているにも拘わらず、子供じみた孤独感と独占欲に駆られる己のなんと醜いことか。

 ダーレスは正義に燃える男だ。

 表裏のない性格で、誰に対しても分け隔てなく優しい。道化とからかわれてもものともせず、自分を貫き通す芯の強さを持っている。そんな彼の存在をいつも眩しく思っていた。だからカルティエは、彼が苦手だった。


 そして何より、そんな風に思う自分が嫌いでならない。


(変わりたい。でも、どうすればいいんだろう?)


 少女は強くそう願う。けれどどうすればいいのか、答えは出なかった。


 やがて三人は目当ての教棟に辿り着いた。

 彼等が校舎に足を踏み入れると、犬はそれ以上は追ってこなかった。彼は敬礼するように行儀良く座って、三人を見送った。


 アラン、カルティエ、ダーレスの三人は予め指定された教室の戸を開けて中に入り込む。

 講堂じみた広い教室の中では、これまた珍事としか言いようのない光景が広がっていた。


「―――訓練教官のシャーロットマン軍曹である! 貴様らのような容貌値APP3以下のブタ野郎に人権はない! 話し掛けられたとき以外は口を開くな! 口でクソを垂れる前と後には必ず『サー』と言え! 分かったかこのウジムシ共ッ!」

「「さ、サーイエッサー……」」

「ふざけるな! 大声出せッ! タマ落としたかッ!」

「「サーイエッサーッ!」」


 黒い軍服を着たシャーロットが、エドガーと見知らぬ少年を恫喝していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る