第二十一話 Suicide Cycle 3

 こうして、私は死んだのだ。

 それを知覚した瞬間――


『―――――えっ?』


 呆然と呟きが漏れる。それは、

 明らかな異常に反応して私は咄嗟に喉を押さえ、視線を下方へと落とす。その瞬間、尋常ならざるものが視界に飛び込んだ。

 私の胸から、巨大な拡声器スピーカーが生えている。

 皮膚組織を内側から突き破り、人の頭ほどの大きさの物体が顔を出していた。肌色に近い、淡い色合いの無機質な造形物フレームが人体から飛び出た様は、生命に対する冒涜めいて禍々しく目に映る。それを認めると同時に、私は唐突に事実のみを悟った。

 ああ――は、人間ではないのだ。

 よくよく見てみれば、破れた皮膚の下から覗く組織は全て人工物だった。

 肌の下には脂肪の代替のように分厚いシリコンが纏わりつき、その隙間からは汚穢なオイルを垂れ流す破断したチューブが毛細血管のようにのた打ち回っている。その奥には人工筋肉と電子基板がぎっしりと詰め込まれ、外気に触れた内燃機関が奇しくも臓物はらわためいてじっとりと湯気を立ち昇らせていた。

 なんだこれは。なんだこれは。なんだこれは。

 見たくもない現実を突きつけられ、私は幾度となく同じ言葉を反芻はんすうする。けれどその反応でさえどこか不自然だ。

 例えるならば――台本をなぞり、あらかじめ決められた行動を実行しているかのような、そんな感覚。私という人物を構成する肉体だけでなく、自分の頭の中すらもが機械仕掛けの機巧カラクリにでもなってしまったかのように錯覚してしまう。

 ならば、この私は偽物ということになのだろうか。

 レナータ・ボーイトと名乗った、とある女の妄執が宿った生き人形。その呪いが、この大惨事を引き起こしたのだろうか―――――?


 ―――――大惨事。


 脳裏を過ったその言葉にハッとして、私は周囲を見渡す。

 そこは完全な地獄と化していた。あらゆる人間が奇怪な死骸オブジェへと変貌を遂げている。血と肉と骨と臓物と汚物をぶちまけて、誰も彼もが絶命していた。

 それは、見覚えのある光景だった。

 時刻にして、今から丁度一週間前。

 私というが歌手として世に登場するにあたって、初めて開催された小さなコンサート。そこに集った人間達が、放送された音楽を聴いた人達の一部が、こぞって高層ビルの屋上から身投げしたあの事件。

 決して思い出さぬよう何者かによって忘却ロックされていた記憶データが復元され、鮮明に蘇る。

 あの日、私の歌を聴いた人達が死んだ。

 そして今日この日――目の前で、私の歌を聴いた人達が死んでいる。


 ならばそれは―――――私が殺したのと、同義ではないだろうか。

 ―――――――――――――チクタク、チックタック……ガチン


 歯車の音が途絶える。私の肉体が、精神が、限界に近付いていた。

 私の左腕が、肘の辺りからぼとりと落ちる。それは硬い音を立てて床に転がった。断面には作り物の肉と、ひび割れた歯車が覗いている。

 崩壊は連鎖した。

 私の体を構成する部品のことごとくが不調を訴え、壊れ、崩れ落ちていく。まるで屍が腐敗していく様を早回しショートカットで見ているかのように、みるみる内に私という個人が損なわれていった。

 物理的な外面の損傷は、当然内面をも犯す。動作保証期間を過ぎた私という機械は役目を失い、廃棄物として朽ち果てるのを待つのみだった。

 視界と聴覚のほとんどがノイズの洪水で流され、外界を認識することすら困難になる。どうやら私は足を失い、倒れたらしいが、硬い床の感触すら最早満足に知覚できなかった。

 絶望に塗り潰されながら、私というものが壊れていく。


 私は死ぬ。

 無様に、無益に、もう一度死ぬ。


 だってこれは、そういう契約だったのだから仕方がない。あの魔術師メフィストーフェレは、私の夢を叶えると約束した。その結果としてのだ。

 これは取引なのだと、魔術師は言った。


 貴方を歌姫にしてあげマショウ。

 貴方の呪いを叶えて差シアゲル。


 そうして私は第二の生を獲得し、魔力を帯びた歌声を貰い受け、歌姫の地位すら授けられた。その代償は、後々の歴史にまで残る大量殺戮兵器としての汚名だろうか。しかしだからこそ、私の名は永遠に人類史に残るだろう。

 偉大なる先人達と同様に、私の音楽は世界に刻まれたのだ。

 だからこれこそが、レナータ・ボーイトという歌い手に相応しい終焉。世間を恨み、世界を呪い、何もかもを投げ出した女に相応しい末路だった―――――


 ―――――

 そんな馬鹿なことがあってたまるものか……!


 私は、こんな有り様は一切望んでいない。

 そもそも一体誰が「生き返らせてくれ」などと頼んだのだ。私は半年前のあの日、人知れず死んでしまってよかった。子供の頃の大切な思い出を胸に抱いたまま、夢に破れて散れたならば、それはそれで満足だったのだ。

 歌手になるという夢も、私個人の努力が結実してこそだ。他者の思惑に利用されて居座るプロフェッショナルの肩書など御免被る。私にとっては人間わたしの歌が全てなのだ。たとえ機械わたしの歌がどれだけ評価され、絶賛され、讃えられようとも、そんなものにびた一文の価値も見出せやしない!

 あんなものは私の歌ではない。

 あんな無価値なものに、レナータ・ボーイトの名がおとしめられるのは我慢ならない。私の歌は人々に感動を与えるものだ。そう在るようにと謳ったものだ。人々を呪い殺す魔術なんて、そんな愚劣で悪辣なものでは断じてない!


 けれど、ああ……―――けれど。


 それならば、私の歌は――誇りある私の人生おんがくとは、一体、どんなものなのだったっけ……?


「―――――レナータ」


 不意に、誰かの声が聞こえた。


 それは私にとって特別な人の声だった。出会ったのは極最近だったが、それでも、私にとっては最愛の人だ。

 何故なら、彼は私の■を好きだと、そう言ってくれたから。


『……アラ、ン、君?』


 満足に聞こえない耳を頼りに、満足に見えない目を凝らして、愛しい人を探す。

 その人は目の前にいた。

 ぼんやりとにじ視界ノイズを押し上げる。すると、見知った少年の顔が視界に飛び込んできた。

 炎のように赤い瞳と、視線が交錯する。

 彼は眉をしかめて、とても複雑そうな顔で私を見下ろしていた。その様相は泣きそうに歪んでいるようにも見えるし、理不尽に対して憤っているようにも見える。

 もしそれが自殺した人々に対する嘆きや、自殺騒動の引き金になった私に対する怒りで歪んでいるのだったら――そう考えると、私は途端に怖くなってしまう。独りきりで暗闇の中に放り出されたかのような、孤独感で胸が締め付けられる。


 彼にだけは誤解して欲しくなかったのだ。私の■を。

 私の■を好きだと言ってくれた彼にだけは、決して。


『わた、し……ガガッ、わた、私の歌は……うた―――ジジッ』


 思い通りに言葉を紡げない喉が、舌が、もどかしい。

 私は少年の顔に、そっと腕を指し伸ばす。柔らかな頬に指先が触れた。この動作だけで寿命が半分くらい縮んでしまったけれど、掌に溢れる温もりだけで冥土の土産にはもう十分なのだと思えた。

 少年は私の手に、自身の掌を重ねる。

 彼は頷きを返し、真摯に私を見返してくれた。その赤い瞳に宿る感情の名を、きっと私は知っている。


 幼いあの日の出来事を、私は今でも鮮明に憶えている。


 それは茶褐セピア色にせてしまった、けれどとても大切な古い写真のような――私という、個人を形作る原風景。私も音楽家になるのだと、祖父に泣いて縋り付いたあの頃の私と同じ目だ。

 憧れの的に向けた、尊敬の眼差し。


 少年は祈るようにささやく。


「ああ……俺は、君の歌を知っている。覚えている。君の歌が好きだ、レナータ」

『―――――――――――――――――――――――――――――――――――』


 少年の言葉が、魂の琴線に触れる。

 温かくて、張り裂けそうで、どうしようもなく胸を掻きむしりたくなる気持ちが全身を貫いた。哀しくなどないのに、ただただ、涙が溢れて止まらない。


 芸術品とは、購入されない限り無価値である。

 芸術品とは、評価されない限り無価値である。

 芸術品とは、認知されない限り無価値である。


 故に、私は無価値だ。

 全ては虚構で偽物だ。


 私という人間は、既に死してこの世に亡い。この私はただの機械に過ぎず、歌姫の肩書きも、他者に用意された仮初のものでしかない。私という存在の何もかもが、出来の悪い滑稽な偽物でしかなかった。

 しかし、それでも。

 私の全てが、誰かの偽物なのだとしても。それでも、彼が抱いた想いと言葉だけは本物なのだと――そう願う。


 思えば、恥の多い生涯だった。


 どうしようもない人生だった。

 どうしようもない役回りを演じてばかりだった。

 きっと私は、そのまま終わるべきだった。無念を胸中に抱きながら、無様に壊れるべきであったというのに――彼はこんな私の人生に、ただ一つの救いを与えてくれた。


 ありがとう。ありがとう。ありがとう。


 たとえこれが全て仕組まれたものであったとしても。

 貴方が私に出会ってくれたこと。私の歌を聴いてくれたこと。私、の歌、を好きだと言ってくれたこと。それが嬉しくてたまらない。貴方に私の全てを捧げたい。


 だから、私は歌おうとして。

 無様に、無益に、無価値に――石のように、呆気なく死んだ。



 Renata.exe を終了しました。


 * * *


 人形が物言わぬ鉄屑と化したことを確認して、アランは深く溜息を吐いた。

 彼は頬に触れていた人形の手を、葬礼を模してそっと胸の上に置く。

 人間として見せるための機能が喪失したためだろうか、その姿は先程までとは大きく異なっていた。肌が半透明に透け、内部の機械的な構造が露呈している。特に顔面部分は見る影もなく、まるで腹話術人形のような奇怪カラクリになり下がっていた。


 アランはそっと人形の両眼に掌をかざし、まぶたを閉ざす。

 そして右手を岩のように固く握り締めると、凍り付いた無表情のままで拳を振り上げた。


「―――待て、早まるな!」


 拳が叩き付けられる寸前に、制止に入ったエドガーがアランの腕を掴む。

 アランは見開いた眼をじろりと動かして、邪魔者を睨み付けた。赫然と血走った双眸に射貫かれてエドガーは一瞬怯むが、どうにか気を持ち直して説得に当る。


「悪いが、このヒューマノイドは今回の事件を捜査する上での重要な物証になる。気持ちは分かるが、壊させてやる訳にはいかない。―――カルティエ!」

「……っ!? はい!?」

「さっきの魔術師とやらが何処の端末からこのヒューマノイドに接続アクセスしていたか、逆探知トレースして調べてみてくれ。恐らく、それでやっこさんの居場所が分かる筈だ」

「い、了解Ia!」

「……………」


 敬礼をして応え、ぼんやりと空を眺めるシャーロットを置いて、カルティエは人形の下へと駆け寄り腰を落とす。

 彼女は据わった眼をしているアランに怯えた視線を向けつつも、淀みなく与えられた指示を実行に移ささた。

 腰に装備した魔導書ライブラリを操作し、キーボード付きの小さな機械装置デバイスを取り出す。そこから伸びる二つの端子プラグを引き摺り出して十分な長さまでケーブルを伸ばすと、片方を自身の携帯端末に、もう一方を人形の耳の裏に備えられた専用の接続口ジャックに突き刺した。

 装置デバイスと携帯端末の両方を手慣れた動作で操作し、複数のアプリを立ち上げる。電子世界にて繰り広げられる巧みな追走劇――その終焉は、異様に呆気なく訪れた。


「……えっ?」


 表示された結果に、カルティエは瞠目する。

 彼女の様子に尋常ならざる気配を感じたのだろう、エドガーは身を乗り出して、カルティエの掌中にある携帯端末の画面を覗き込んだ。そしてそこに表示された一文を読み上げる。

「トリス、メギストス……?」

『―――説明しよう!』

 疑問に答えるように、アランの形態端末からマニトゥの合成音声が発振された。

『トリスメギストスとは、このヒュペルボレオスの地下にある枢機基地ジオフロント――暗黒脳髄機構シャルノスに根差す、巨大なスーパーコンピューターに与えられた名称だ。ボクこと人工知能マニトゥが国家運営を司る頭脳ならば、トリスメギストスはさながら脊髄といったところかな?』

 軽快な調子でマニトゥは言う。しかしその愉快気な様子に一切同調することなく、カルティエとエドガーは顔を真っ青にした。

「脊髄を敵に押さえられてるってお前……」

「控えめに言って、かなり不味いのでは?」

『いやいや、そうでもないさ。ボク自身の稼働率から鑑みるに、どうやら占拠されたのは三つあるトリスメギストスの内、一つだけのようだからね』

 けれどもだ、とマニトゥは一度言葉を切り、続ける。

『ボクは外界の異常をほぼ知覚できない状態にある。手足である国家機関カチナ・オルガンすら満足に動かせないし、そもそも国民がどれだけ死んだのかすら判断できない。こうして君達と通信するので手一杯という訳だ』

 先程までとは打って変わって、著しく声のトーンを落としてマニトゥが囁く。その声が持つ絶望感に煽られ、カルティエとエドガーは絶句した。

 ヒュペルボレオスは楽園ではない。

 そしてこの手の悪質な事件が起こるのは、比較的よくあることだ。しかしそれでも何だかんだで人が居つき、文明を築いているのは、偏にそれ等の事件がマニトゥの敏腕によって迅速に解決されてきたという実績に依る部分が大きい。

 所詮、他人の死は他人のものだ。他者の痛みを知覚する術がないからこそ、人は他人の痛みを無視して生活することができる。その考えは非道ではあるが、しかし生き物として何よりも健全な反応だ。

 何処から悲鳴が飛び出して来ようとも、全体の安寧は決して揺るがない。ならばそれで問題ない筈だ。

 しかしその根底が、今――音を立てて崩れ落ちた。

 今のマニトゥに事態を収拾する機能はない。期待できない。

「そんな状況で、一体どうすりゃいいんだ……?」

 嘆くように掌で顔を覆い、エドガーは床にへたり込む。カルティエもまた同様に、沈痛な面持ちで歯噛みするのみだった。

「…………」

 アランは無言で人形を見下ろす。

 機能を停止したソレに生前の面影はない。機械であった彼女は、生前の人格レナータを模した偽物でしかない。しかし、アランの記憶に刻まれた思い出だけは――美しい歌声は、確かに本物だった。


 だから――仇を、討ってやらなければならない。


 彼女を不当に貶め、悪事に利用した輩に誅罰を下す必要がある。何があろうと、必ず報復しなければならない。何故なら自分アランは――彼女の歌に心を掴まれた、紛れもない愛好者ファンなのだから。

 その事実だけは、最早何があろうと誰にも否定させはしない。絶対に。

「ミスター・ボウ」

「……なんだ?」

「シャーロットとカルティエを連れて、何処か屋内に避難して下さい」

 言いつつ、アランは立ち上がった。彼は目を細め、ヒュペルボレオスを囲む外壁の向こう側――遠くにある空を睨んでいる。


 ―――GYAAAAH! GYAAAAH! GYAAAAH!


 その時、悲鳴にも似た悍ましい鳴き声が聞こえた。

 金属を擦り合わせる甲高い異音と、けたたましく泣く赤子の声を混ぜたような、あまりにも奇怪な咆哮。それが幾千、幾万と折り重なって大合唱している。

 カルティエとエドガーは表情をハッと一変させて、アランが見ているのと同じ空へ目を凝らす。

 シャーロットは蠱惑的な笑みを浮かべて、ソレの来訪を待ち構えていた。

 奇怪な鳴き声を上げる羽虫めいた黒い点の群生が、灰色の空を覆い隠していた。

 その姿はさながら怪鳥だ。機械と血肉とで出来た、無機物と有機物が結合して出来た怪物。旧式の不出来な蒸気機関を動力に、可燃物を貪り食って黒い排煙を吐き出す害悪の化生。

 魔物と呼ばれる怪生物の群れが、大挙してヒュペルボレオスに押し寄せていた。

「そんな……魔物が、壁を越えて街に入り込んで来るなんて。都市の迎撃システムはどうなっているのですか!?」

 瞠目してカルティエが叫ぶ。

 それに答えるのはマニトゥだ。彼女は愉快気に、淡々と事実のみを宣告する。

『残念ながら死滅しているよ。トリスメギストスを掌握されたのと同時にシステムは乗っ取られ、迎撃を実行すべき人員は先程の騒動で皆自害した。飛行船も軒並み墜落したようだしね。魔物に関しては打つ手がないかな。でもまあ、あの種の魔物は比較的温厚な性格だから、アラン君の言った通り、下手に刺激したりせず屋内に引き籠っている限りは問題ないさ』


 彼等の目的は、あくまで死体ねんりょうの方だからね。


 けたけたと、他人事のようにマニトゥは笑った。

 彼女の言う通り、魔物達はヒュペルボレオスに充満した人間の死臭に惹かれてやって来たのだ。肉を燃料として経口摂取し、内燃機関に火を灯すことで彼等は命を繋いでいる。そういう生態をしている。

「―――重ね重ね、その娘のこと、頼みます。それでは」

 言葉を切り、アランは踵を返して歩き出した。

 彼は一体、何処へ行こうというのだろうか。

 その問いがカルティエの脳裏をひるがえった瞬間、先程目にした光景が、瞼の裏側で虚像を結ぶ。鮮烈な想起は不吉なイメージを伴って、幾度となく彼女の脳内で再生された。


 自殺は連鎖する。

 彼はその輪の中に加わろうとしているのではないか?


「ま――待って下さい!」

 カルティエは手にした機械装置デバイスと携帯端末を放り出して、アランの下へ駆け寄り、彼の腕を強く握り締めた。

 勢いに任せ、鬼気迫る表情でカルティエは言う。

「一体どこに行く気ですか! 避難するなら、貴方も一緒じゃないとダメです!」

「悪いが、俺にはこれから仕事がある。君達と一緒には行けない」

 当惑するカルティエを気怠そうな流し目で見やり、アランは淡々と口を開く。

「アイツは『ゲームを始める』、と言った。拠点で待ち、一定時間が経過する度に弔鐘を打ち鳴らすと。……恐らく、アイツの言う鐘とは先程のあの催眠兵器のことだ。アレが何度も放送されれば、今生き残っている人間――つまりは俺や君達が狂い死ぬことになる。―――そうだろう、マニトゥ」

肯定Ia。その通りだとも、アラン・ウィック君。君の推測は正しい。付け加えるなら、あの口振りから察するに、この国で生き残っているのが君達四人だけ、なんてこともないだろう。むしろ生存者は意外と多いと見るべきかな』

 くすくすと笑い声を零しながら、マニトゥは状況の補完を続ける。

『旧暦時代に生み出された楽曲の中に「暗い日曜日」という題のものがあるが、それを聴いた者は悉く自殺してしまったというよ。詳しい原理は不明だが、アレはその伝承を科学的に再現したものと考えるべきだろう。効果は人によりけりのようだがね。精神を病み、問題を抱えた人間――いわゆる自殺志願者ほど術中に陥り易い傾向にあるようだ』

 聴覚を媒介に五感を狂わせ、発作的に死を望むほどの幻覚を見せる。

 それこそが此度の事件を引き起こした引鉄。色や香りに付随する味覚フレーバーの錯覚を代表例とした、人間の持つ共感覚性――それを最大限に利用した、人を死に誘う催眠兵器のからくりだ。

 病んだ人間がこの歌を聴けば自殺する。それを理由に自殺者と親身にあった人間は精神に多大な負荷を抱える結果となり、その隙に付け入る形で悍ましい幻覚を擦り込まれ自らの命を絶つ。こうして自殺は連鎖する。

 もう一度あの歌が放送されれば、その度に死者は鼠算式に増えるだろう。

『―――と、まあ、そういう訳で現状がどれほど危機的状況にあるかは理解して頂けたかな? この楽園を管理する者として、国家滅亡の事態だけは防がなければならないからね。その為なら使える手駒ものは何だって使うさ。という訳でカルティエ君、命令だ。君は

「…………へっ?」

 生徒を諭す教師のような語調で、マニトゥは穏やかに囁く。それに対して、カルティエは間抜けな声を返すことしか出来なかった。

 彼女がマニトゥの意図を理解するよりも早く、エドガーが異論を差し挟む。

「な――何を馬鹿なことを言ってるんだ!」

『おやおや、そう怒鳴らないでくれたまえよ。こわいこわい。それに自分で言うのもなんだけれど、あまり現実離れした命令ではないと思うのだけどね?』

 血相を変えて駆け寄り、携帯端末のマイクに怒鳴り付けるエドガーとは対照的に、スピーカーから聞こえる合成音声は普段以上に飄々ひょうひょうとしたものだった。

 いいかい? と前置きして、マニトゥは此度の采配の根拠を論ずる。

『ボクは生物で言う所の、脊髄に相当する重要な機関を乗っ取られてしまっているんだ。その弊害へいがいとして端末の位置情報どころか、監視カメラの映像すら受信できない。こうして音声通信する以外のことは全く出来ないと断言しよう。よってボクが代行者エージェントであるアラン君を目的地まで誘導することは不可能だ。それに敵はEMP兵器の類を使用しているようでね、システムの復旧には高位の技術者が必要になる。……ここまで言えば、ボクの考えもある程度は理解できるだろう?』

 絶望的な状況とそれに由来する根拠を語られ、エドガーは思わず口をつぐむ。

 彼の代わりに、アランが答えた。

偉大なる一族クルーシュチャである彼女ならその両方が実現可能だ、と。そう言いたいのか」

『ああ、そうだとも。―――ねぇ、君もそう思うだろう? カルティエ君?』

 挑発するような口振りで、マニトゥが尋ねる。

 それを受けて、カルティエは困惑の様相で固まる。彼女は思考を巡らせながら目を閉じ、一呼吸置いた。

 血生臭い冷えた空気を吸い込み、吐き出し、彼女は強い決意と共に瞼を開く。

 アランの赤い瞳を正面から見据え、カルティエは固い決心を口にした。

「―――――はい。私なら可能です。連れて行ってください」


 偉大なる一族クルーシュチャの名に懸けて、必ず使命を全うして見せましょう。

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