第三話 スチームパンク

 飛行船等で外部からヒュペルボレオスに発着した者は、厳重な審査を通過しなければ国内には進入できない仕組みとなっている。その理由はひとえに、未知の感染病などを始めとした、人命を脅かす危険物の侵入を防ぐためだ。

 街を外部から厳重に隔離することで、楽園は安寧を保っている。だが都市内だけで生活を完結させることは不可能だ。

 娯楽であれ資源であれ、外に求めなければいずれは枯渇してしまう。何もせず安全な環境に篭ることは緩やかな自殺と同義だ。だからこそ都市外へ派遣される人間は必須であり、帰還した彼等の健康を確認する術は必要不可欠なのである。


(……だからって、長過ぎだろ)


 胸中でぼやき、アランは大きく溜息を吐く。事前に時間が掛かると知ってはいたのだが、それでも実際に経過した時間は大きく予想を超えていた。


 ―――チクタク、チクタク


 時刻は十一時三十分。

 アランとシャーロットの二人は、数時間にも及ぶ手続と検査から漸く解放された。飛行船が空港に着いたのが七時前後だったことから、優に四時間以上経過している計算になる。

 実に退屈な四時間だったと思い返し、アランは不機嫌そうに眉間に皺を寄せた。

「? どうかしたの、お兄ちゃん。お腹痛いの?」

「んー? いや、なんでもない。さ、早く行くぞ」

 腰を折り曲げ、心配そうな表情でシャーロットはアランの顔を覗き込む。するとアランは咄嗟とっさに表情を笑みに切り替え、荷物である赤褐色の大きなキャリーケースを引いて歩き出した。

 シャーロットはそっか、と納得した風に頷くと、その後に続いた。だがしばらくするとそわそわと周囲へ視線を向け始める。

 二人が歩いているのは空港のロビーだった。手続を終え荷物を受け取った以上、ここに留まる理由はない。長時間拘束され続けた反動か、アランは早くそこから出ることしか頭になかった。

 黒いタイル張りの床と、淡いベージュ色の大理石で出来た壁が目立つ広い内装のホールは、意外に人が多い。恐らくアラン達と同じ旅行客や、航空に携わる従業員達が出入りしているのだろう。

 そんな彼等が作る疎らに空いた人波の中央を堂々と通り抜け、アランとシャーロットはガラス張りの自動ドアを潜り外へ出る。


 四角く区切られていた風景が、視界一杯にその姿を晒す。

 途端に、シャーロットは眼を輝かせて感嘆した。彼女は半ば飛び跳ねる勢いで前へ出て、周りの景色を食い入るように見詰める。


「わぁ……―――すごい! なんだろこれ! なんかすごいよお兄ちゃん!」


 先程よりも更に忙しなく視線を巡らせて、シャーロットは歓声を上げた。それを聞き、アランも淡く笑みを浮かべる。純真な反応は実に微笑ましい。

 目の前にあるのは、赤いレンガの敷き詰められた広場だった。

 所々に白線が引かれ、それに沿うようにして人々が白い息を吐き出しながら往来している。一部は小休止を目的とした場所なのだろう、街路樹が植えられた小さな広場が幾つかあり、その近くにはベンチが設置されていた。

 そしてそれ等の隙間をうように、あるいは掻き分けるようにして、バスやタクシーなどといった交通機関用の蒸気式四輪駆動車ガーニー蒸気馬スチームホースに牽引された箱馬車が前進している。

 それは蒸気機関スチームエンジンによって起動する機械の群れ。直線と曲線が多用された無骨なデザインと色合いの車体は、見る者にレトロな印象を抱かせる。更にはそこから伸びる筒状の器官から白い蒸気を吐き出す威容は、子供の玩具をそのまま大きくしたかのようだった。

 どうやらシャーロットは随分と車に執心しているようで、目に付いたものを片っ端から目で追っている。そんな彼女に淡く微笑みを向けて、アランは口を開いた。

「まあ驚くとは思ったけど、『なんかすごい』ときたか。抽象的すぎてよく分からない感想だな」

「えへへ、だってさ、本当に見たことないものばっかりなんだもん! いっぱい人が乗ってて……すごいなぁ。ねねっ、私達もあれに乗るの?」

「いいや、もっと凄いのに乗る」

 不敵に笑ってそれだけ告げると、アランは歩き出した。広場の一角にある、地下へと続く階段へ向かう。その後をシャーロットが追った。アランの言う『もっと凄いの』がどんなものなのか気になって仕方がないのか、かなり浮き足立っている。

 斯くして階段を降りた先に待ち構えていたのは、広々とした地下施設だった。

 壁と天井には等間隔に照明が配置され、下手をすれば地上よりも明るい。そして閉鎖的な空間だからだろうか、往来する人の数もまた地上よりも多く感じられる。

「ここの構造は複雑だから、一度迷ったら外に出られなくなる。絶対に手を離すんじゃないぞ、シャーロット」

「う、うん……! 絶対に離さないからね!」

 あえて脅すように低い声を出し、アランはシャーロットの手を握る。それが余程堪えたのだろう、シャーロットは強張った表情でアランの手を強く握り返した。

 決して少なくない人混みの中を、アランはシャーロットの手を引いて先導する。

 どれほど進んでも風景は全く変化せず、土地勘がなければ直ぐにでも迷ってしまいそうな複雑な構造の施設を、彼は黙々と前進した。その歩調に乱れはなく、自信に満ち溢れている。まるで通い慣れた道を行くように、アランは闊歩かっぽした。

 四辻の角を曲がり、短い階段を昇り、緩やかなカーブを描くスロープを進み、幾つも脇道のある廊下を暫く直進し、異様に深く長い階段を降る。その先に現れた奇妙な空間で、アランは足を止めた。

「……?」

 ここが目的の場所なのだろうか――そう考え、シャーロットは周囲へと視線を走らせる。

 全体的な構造は先程までと変わらない。タイル張りの床と、照明や街灯が点在する明るい場所だ。だがそこには壁がなかった。転落防止のための手摺りのような、腰ほどの高さの柵があるだけだった。

 右手側と左手側、両方共にぽっかりと暗い空間が覗いている。どうやら其処に照明は設置されていないようで、闇の中に何があるのか、見て取ることは不可能だ。


 ―――チクタク、チックタック


「もうそろそろ、だな」

 広場の中央に設置された巨大な柱時計で時間を確認し、アランは呟く。

 シャーロットは彼とは別の方向に目を向け、そこにある奇妙なものを凝視した。彼女は小首を傾げ、天井から下がる電光掲示板に流れる文字を口に出す。


「じゅうごばんホームに、まもなく、きしゃがまいります?」


 ……『きしゃ』って、なに?

 そう呟いた瞬間、ソレは甲高い金属音と共に己が存在を主張した。


 左手側に空いた闇の奥――そこから一筋の光が差し込む。眩く白い閃光は、人工のものに違いなかった。

 光源らしき物体は、金属同士が擦れたとき特有の耳障りな軋みを上げて、どんどん間近へ迫ってくる。その重厚な圧迫感のある気配はまるで壁が押し寄せてきているかのようであり、金属音に紛れて聞こえる荒々しく息を吐き出すような異音は、ソレが巨大な生物であることを予感させた。


 ―――――無機と有機の融合した、異形の化け物。


 シャーロットの脳裏に、そんな恐ろし気な怪物の姿が一瞬だけ形作られる。重く巨大な体を持ち、耳障りな金属音を侍らせて呼気を吐き出す存在など、そのような超常のモノ以外にありえないからだ。そして何よりシャーロットは、そのような存在に

「…………」

 眼を細めて視界を狭め、シャーロットは重心を低く落とした。

 いつでもアランを庇えるように左手に握った掌の感触だけで彼の存在を捉え、それ以外のすべてを意図的に意識の外へと切り離す。そして調子を確かめるように右手の指を開閉させ、手首に嵌る白い腕輪に全神経を集中させた。

 ぐるりと、シャーロットの腹中で臓腑が捩れる。それと同時に彼女の顔から血の気が引き、視界が色褪せ狭まった。

 シャーロットの様子が眼に見えて変わったのを目撃し、アランは片眉を跳ね上げる。どうやら彼女はすぐ傍にまで迫る怪物の様子を探るため、外部からの不要な情報を全て排除し、その上で

 その表情に先程まであった年相応な愛らしさは面影すら残ってはおらず、冷静に冷徹に、氷のように冷然とした形相で殺気を放っていた。

 そんなシャーロットの姿をばつが悪そうに眺め、アランはどうするべきか思案する。何か声をかけて誤解を解き、肩の力を抜かせてやるべきか……と考えるが、結局声をかけることはせず、黙って成り行きを見守ることにした。

(……まあ、問題はないだろ。俺も最初にここに来たときはこんな感じだったし)

 深く考えることを止め、アランは視線を前に戻す。既にその表情はいつもと変わらないものだ。ただどこか遠くを見るように、己の過去に思いをせている。

 かつてこの場所を訪れた時、アランもまた今のシャーロットと同じように、暗闇から迫る異形の存在に殺気を剥き出しにして警戒したものだ。だがそれだけだ。警戒するだけで、具体的なことは何もしていない。

 その理由は単純で、隣に佇む自分よりも強く誰よりも信頼できる人物が、迫る怪物に対し何のリアクションも示さなかったからだ。だから当時のアランは動かなかった。そしてそれはシャーロットも同じだ。

 その人に全幅の信頼を寄せているからこそ、真に自分を危険に陥れるような目には合わせないだろうと心のどこかで確信している。だからただ待ち構える。知らず知らずの内に、暢気にも後手に回ることを是としているのだ。


 ―――まったく、気を抜き過ぎだな、君は。正直、君のその信頼がむず痒いよ。


 一瞬、アランの脳裏にとある人物の言葉が過ぎる。

 くすぐったそうに苦笑して頬を掻く姿を想起し、その人物と同じようにアランもまた苦笑を浮かべた。


 あの人は今、どこで、何をしているのだろうか。もしかしてこの街にいるのか。

 そんな風にぼんやりと考えている内に、遂に怪物が暗闇からその体貌を現した。


 車と同じく曲線と直線を多用したデザインの、玩具を思わせるレトロな造形。しかし車とは比べ物にならないほど、ソレは巨大で長大だった。

 幾つもの節に別れた光沢を持つ黒鉄の長い体躯と、頭から生える筒状の器官から白い蒸気を吐き出すその威容は、見る者の尽くを圧倒する迫力がある。

 なるほど、確かに怪物と見紛うほどの存在感だ。だからこそ目の前に現れ、何をするでもなく停止したまま微動だにしないソレにシャーロットは戸惑う。しかし直ぐに興奮と喜びで感極まり、けれど驚きのせいか言葉を発せないまま、身振り手振りで感情を露にした。

「―――――……ッ! すごい! これが『きしゃ』? これに乗るのッ!?」

「ああ、そうだ。これが汽車――いわゆる蒸気機関車だな。これからは乗る機会も増えてくるだろうから、今の内に慣れておくように」

了解Iaーッ!」

 鉄の怪物こと蒸気機関車を指差して、シャーロットは握った手でアランの腕をぶんぶんと振り回す。

 それに対しアランは曖昧な笑みを浮かべ、やんわりとした口調で言った。彼女の素直な反応と周囲からの視線を受けて、僅かに気後れしたからだ。シャーロットの年相応な子供らしい振舞いは実に微笑ましいが、明らかに悪目立ちしている。

 彼は興奮の冷め切らないシャーロットの手を引き、周りの視線から逃げるようにそそくさと移動する。それと同時に柵の一部――ホームドアが解放され、車両の扉が開かれた。

 中から少なくない人数の乗客が降り、入れ替わりに待機していた人達が車内に乗り込む。その中に紛れ、アランはシャーロットの手を引いて先頭の旅客車両に搭乗した。

 ホームの混雑具合に比べて、先頭車両は酷く閑散かんさんとしている。だからこそなのだろうか、内装は実に豪華だった。

 通常の蒸気機関車の旅客車とは、明らかに根本から造りが異なっている。

 まず、そこには座席がなかった。まるでホテルのように、車両に添う形で廊下が真っ直ぐ伸びている。その床や壁は青と黒を基調としたビロードに覆われ、目前の壁には瀟洒しょうしゃな装飾が施されたドアが等間隔に三つ並んでいた。

 照明すらシャンデリアのように絢爛けんらんで、けれど奇妙に薄暗い。悪趣味の一歩手前という絶妙なバランスを維持して、その空間は成り立っていた。

 ある意味では分かり易い美術品の類がないだけマシだと言えるかもしれないが、それでもこの内装からは常日頃からこの車両を利用している客や、汽車そのものを運営している者達の俗物さが透けて見えるような気がして、アランは少々不快そうに目を細める。

 どうやらこの駅で乗降する客は他にいないようで、外の雑踏に比べて車両の中はいやに静かだ。もしかしたら他に利用者はおらず無人だったのかもしれない。

「うわー、うわー、うわー! この壁すごい感触だよぅ、気持ちいいー」

「やめなさいシャーロット、汚いからやめなさい。成金趣味がうつるぞ」

 とても幸せそうな顔で壁に頬ずりをするシャーロット。そんな彼女の襟首を摘み上げて壁から引き剥がし、アランは彼女を自身の足元に下ろした。

 シャーロットはいつも通り、その場の雰囲気など知ったことではないとばかりに自由奔放に振舞っている。アランからすればそれ自体は特に問題ないのだが、出来得る限り行儀の悪い行動はつつしんで欲しいというのも、紛れもない本音であった。


 この場にいる乗客は、アランとシャーロットの二人のみだ。

 しかし、だからといって、それ以外には誰もいないという訳では決してない。


「―――お取り込み中のところ、失礼致します」


 呼びかける声は、アランに向けられたものだった。

 優しげな女の声だ。だがそれだけではない。抑揚に富み聞き取りやすい語調ではあるのだが、一音一音が妙に間延びしていて、声そのものが粘性を持って耳に絡みついてくる。男を腑抜けにするような、実に甘ったるい声だった。

 アランは返事をせず、眼球だけ動かして声の主を見やる。視界に入った女の姿は、やはりアランの想像通りだった。

 長く伸ばされた色素の薄い金色の髪をバレッタでアップにまとめ、白い項を惜しげもなく晒している。髪と同色の瞳は蕩けるように緩み、ふっくらとした唇は蠱惑的に弧を描いていた。控えめな化粧に反し、その艶やかな美貌と豊満な肉体は男好きしそうな女の典型そのものだ。

 そんな彼女が着ているのは、車両の内装と同じく青と黒を基調とした制服だ。どうやら車掌を務めているらしい。車両の端で微動だにせず石像のように佇んでいたのが嘘のように、柔らかな物腰で彼女はそこに立っていた。

 車掌の女性は穏やかに微笑むと、決して事務的でない粘ついた声音でアランに尋ねる。

「お二人はアラン・ウィック様とシャーロット・ウィック様で間違いありませんでしょうか」

「ああ、そうだが……身許が確認できる物を提示した方がいいのかな?」

「いいえ、その必要はありませんわ。お二人のことはかねてより窺っております。それでは、こちらへどうぞ。ご予約して頂いた客席へ案内させていただきますわ」

 車掌の女は左端にある『01』とナンバープレートの打たれたドアの下へ移動し、鍵を開け、手慣れた動作で丁寧に押し開けた。

 彼女は掌で部屋を指し、入室するよう促してくる。アランは無言で部屋に入り、シャーロットはその後に続いた。

 客室の内装は廊下のそれと同じで、青と黒を基調としたゴシックな造りだった。

 窓際には四人掛けの対面席があり、その間にテーブルが設置されている。

 他にも食器棚や小型の冷蔵庫、隣室に繋がるドア、果てにはチェスの駒に似た形状の、上部に金属製の管が二本生えた奇妙な黒い機械装置があった。オブジェか何かだろうかと、アランは内心で首を傾げる。

 長方形の広い室内を横切り、キャリーケースを壁際の空いているスペースに立てかけ、アランとシャーロットはそれぞれ向かい合う形で座席に腰を下ろした。

 車掌の女もまた二人に続いて部屋に入り、ドアを閉める。そして食器棚から盆とティーセットを取り出すと、茶の用意を始めた。

 ティーポットの蓋を開け、例の奇妙な装置の上部にあるバルブを捻る。そして装置から生えている金属管の真下にポットを持っていくと、足で装置の根元にあるペダルを踏んだ。

 それを合図スイッチとして、管の先端――蛇口から液体が勢いよく吐き出される。湯気の立つ透明なそれは、どうやら湯であるらしい。

(随分と仰々しいだな)

 心底呆れたという様子で、アランは黒い給湯器オブジェをそのように評した。

 彼は座席の肘掛に頬杖を突いて寛ぎつつ、視界の端に車掌の女を収めてその挙動をつぶさに観察している。特に不審な動きは見受けられない。手際よくテキパキと紅茶を淹れる姿は堂に入ったものだ。本職は車掌ではなく給仕なのかもしれない。

「こちら、サービスになっております。どうぞ」

 備え付けの冷蔵庫から取り出されたカット済みのケーキと、湯気の立つティーカップがそれぞれ一つずつ、アランとシャーロットの前に並べられる。

「仮眠をとられる場合はあちらのドアから隣室へお入りください。仮眠用のベッドがあります。用を足される、あるいは入浴なさる場合は、その奥の部屋にトイレとユニットバスがありますので、好きに使用していただいて結構です。その他車内の設備や飲食物もご自由になさってください。―――それでは、私は廊下の方に待機しておりますので、入用の際は遠慮なくご用命くださいませ」

 車掌の女は慇懃な口調で柔和に微笑むと、優雅に一礼して踵を返し宣言通り退室した。

 きびきびとした迷いのない歩調は見ていて実に気持ちがいいものだ。その凛とした後ろ姿を見送って、シャーロットは大きく溜息を吐く。

「うぅ、なんか緊張した……。今の女の人すごい美人だったし。いいなー、私もああいう風になりたいなー」

 肩を落として唇を尖らせ、シャーロットは貫頭衣の下でもぞもぞと手を動かした。どうやら胸を軽く叩いているらしい。彼女の体付きは良くも悪くも年相応だ。今後どんな風に成長していくかは、まさしく神のみぞ知る訳である。

 シャーロットは着ていた貫頭衣を脱ぐと、座席の空いているスペースにそれを置いた。そして背筋を伸ばしてから一気に力を抜いて、全身の緊張を解している。人見知りという訳ではないが、慣れない状況ということもあり、初対面の相手に少なからず気後れしていたらしい。

(そういえば随分静かだったな。乗る前はあんなにはしゃいでたのに)

 今になって、シャーロットの不自然な様子にアランは気が付いた。

 思い返せば車掌の女が退室するまで、シャーロットはずっと俯いたまま押し黙っていた。恐らく、誰もいないと思って自身が仕出かした奇行が他人に見られたことを恥じ入っていたのだろう。実に難儀な性格だった。

「お兄ちゃんはどう思う? ああいうエロい人、好き?」

「別に」

 興味津々といった様子で半ば身を乗り出すシャーロット。

 しかしアランが紅茶をすすりながら素知らぬ顔でにべもなく一言で切って捨てると、がっくりと項垂れた。

「別にって……それじゃ会話が終わっちゃうよ。男の人なんだから、もっと言いたいこととか言えることがあるんじゃないの? それとも私が妹だからって遠慮してる? いいよ心配しなくても、ヒいたりしないからさ。大丈夫だよ、自分をさらけ出してみて? 私はお兄ちゃんが年上好きでもホモでもロリコンでもペドフィリアでも、一切迷いなく受け止めてあげるからさ……!」

「お前が迷いなく受け止めてどうするんだ。それに生憎と俺は恋愛なんてする気はないし、性癖だってノーマルだよ。同性と近親と手垢のついた女は完全に守備範囲外だ」

 拳を握って力説するシャーロットを半眼でやんわりといなし、アランは再びカップに口をつける。力強く豊かな印象の、芳醇な香りが鼻腔を満たした。

 渋みのある甘過ぎないすっきりとした味わいを舌先で転がし、アランはほっと溜息を吐く。実に美味な紅茶だ。

 アランの素っ気ない態度にむくれ、もう、と嘆息してシャーロットは深く椅子に座り直す。それを尻目に、アランは何気なく小さな声で呟いた。

「まあ――強いて言うなら、創造性の豊かな人……かな」

 不意に零れた心根を聞きつけ、シャーロットがニヤリと笑う。彼女は何かしらはやす言葉を吐き出そうとしたが、途端に甲高い騒音がホーム全体に鳴り響き、見事なタイミングで話好きの少女の口を塞いでみせた。


 ―――ジリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリッ


 打ち鳴らされる鉄と鉄の音。

 ホームに備え付けられたベルが、汽車の発車を告げている。


 旅客車両のドアが閉まり、次いでホームドアが通路を封鎖する。それを合図に機関車に積まれた蒸気機関スチームエンジンが始動した。

 車体後部にある高圧シリンダーに蒸気が供給され、内部に格納されていた数本のピストンが派手な音を立てて車外に突き出される。するとそれは虫の節足じみた動きで滑らかに上下し、圧力を生み出し動力を育んだ。その後使用済みとなった蒸気は導管を通り車体前部に備えられた低圧シリンダーへ送られて、熱を絞られ押し潰され、再び運動エネルギーへと変換される。

 単式機関よりもより高い出力を得られる複式機関。機関しんぞうより吐き出され、決して止まることなく全身を巡る蒸気けつえきの運動。それによって駆動する巨大な鉄の怪物が、煙突から過剰分の蒸気を呼気のように吐き出して、ゆっくりと前進を始める。

「あっ、動き出した!」

 嬉しそうに顔をほころばせ、シャーロットは楽し気にぱたぱたと足を振った。

 汽車は徐々に加速する。多気筒によりトルクが平準化されているからだろう、騒音や振動はほとんどなく、乗り心地はすこぶる良好だった。

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