閑話 おやすみなさい

 自室へと戻る道中で、アランはポケットから携帯端末を取り出した。

 休止スリープ状態を解除して、黒い画面に光を灯す。青白い発光の中には無数の文字列が浮かんでおり、アランは指先でタッチパネルをスクロールしながら表示される情報を脳に擦り込んだ。


 半年間における自殺者一覧

 (※一家心中者につき姓のみをまとめる。詳細は後記)


 ―――クルーズ、プレンダー、クロンプトン、ケアード、リトルトン、ペイス、ソーントン、レコード、ロイド、マクファーレン、ピンター、スタイルズ、フィンドレイ、キャターモール、バクスター、ツァン、ロジャーズ、マグワイア―――


 それはここ半年間における、ヒュペルボレオス国民の自殺者リストだ。その数は優に三万人を超えている。

 ちなみに、ヒュペルボレオスの年間自殺者数の平均値は三万を下回るのが通例だ。その事実を鑑みるならば、この数は明らかに異常であると言わざるを得ない。

 たとえ彼ら自殺者達の行動や思想に関連性が、共通する交友関係ものだとしても。遺書の有無すらまちまちで、その内容が多岐に渡っていようとも――特に接点の無かった数多くの人間が、何の合図もなしに、同一の場所で同時に自殺を決行するなどという事態は

 人間という生き物は社会性こそあれど、決して群体ではないのだから。

 であれば、この不自然な自殺騒動の裏で何らかの意図が働いているであろうことは想像に難くない。

 故に楽園の運営者たるマニトゥはこう考察した。―――この不可思議な事態を仕組んでいるのは、彼の者共に違いないと。それこそは彼等にしか出来ない完全な不可能犯罪だと、そう秘密裏に断定したのだ。


 青空教会。


 其は楽園たるヒュペルボレオスの内に沸いた病巣の一つ。知名度と歴史の長さにおいてはトライアドをも凌駕する、星暦開闢以来の大悪疫だ。


 彼の者達は思想家テロリストである。

 彼の者達は宗教家レフティストである。


 ソレに象徴シンボルはなく、指導者ビショップもまた存在しない。一切の屋根も垣根も持たず、純粋な思想のみが、まるで伝染病のように人々の間を伝播し感染する。故に何者であれ、参入するも離脱するも完全に自由。実体を持たない透明な組織――故にソレは青空教会と、そう呼ばれるのだ。

 その性質から根絶は難しく、共存することは不可能に近い。身勝手な主張をまき散らして暴力を振りかざす者共――マニトゥが最も忌み嫌っている存在だ。

 だからこそアランはマニトゥのスカウトを承諾し、現実世界に実態を持たない彼女の手足エージェントとなることを決意した。

 全ては、青空教会に属する者を根絶せんがために。

 しかし当然ながらカルティエに語った、シャーロットを幸せにするためというのも動機の一つではある。けれどそれ以上に、最愛の妹を傷付け、自分達の信頼を手酷く裏切った教会へ復讐を果たすべく、彼はマニトゥに頭を垂れその走狗――即ちカチナドールとなることを選んだというのが実情だ。

 事情を知っていて、あえて下宿先にカルティエの家を選んだと言ったのも同様。かねてより、トライアドには青空教会と組織的な繋がりがある疑いがある。もしそれが事実であるならば、カルティエを足掛かりとして壊滅させてしまおうとアランは考えていた。

 こんな話は到底人に聞かせられるものではない。

 利害の一致した共謀者マニトゥは別にして、ではあるが。


 それにしても―――


(てっきり働かされるのは学校を卒業してから、になると思っていたが……これはまた、随分と幸先が良い)

 口端を歪に釣り上げて、アランは凶悪に嗤う。

 憎悪。憤怒。殺意――喜びとは程遠いそれらの感情を並べ立てて、アラン・ウィックはこれ以上ないという程に歓喜していた。

 秘密裏であるとはいえ、国家において最高権力を有するマニトゥが直々に、憎き怨敵たる青空教会を討つべく代行者アランに情報と指令を送ったのだ。恐らくは今回の事件が法的に立件できないからだろう。教会からの不可視の暴力に対して、彼女は非公式の暴力で以って打って出る心算なのである。

 待ちに待った復讐ができる。

 それも何ら後ろ暗いもののない、法務によって肯定される暴力で、だ。こんなに嬉しいことはないと、破綻し切った精神でアランは笑う。


 復讐を遂行すること。


 その一念のみがアラン・ウィックという人間が負うべき、人生の命題だ。人生を賭け、投げ打つに値する仕事なのだ。ソレを果たす為ならば、命など幾ら捨てても惜しくはない。

(問題は、この騒動の原因をどうやって解明するかだが……)

 一転して自らの狂気を意識の奥底に沈ませて、アランは正常に思考する。けれど答えは簡単に見つかりそうにない。

 青空教会という組織が関わっている以上、何らかの超常現象が関与している可能性が高いからだ。

 このヒュペルボレオスという楽園では、現実では決してあり得ない事象――それが。怪談、都市伝説、荒唐無稽の噂話。奇妙な物語ウィアードテイルズ――そういったものが実在するが故に、この国はこんなにも危険で溢れている。

 だからこそ、ヒュペルボレオスは楽園などでは決してない。

 死の可能性など、考えていてはキリがないのだ。

(何らかの形で現行犯を捕らえる以外にない、か。幸いにもあの愚物は堪え性がない。俺がシャーロットを連れて離反したのを知ったなら、直ぐにでも馬鹿でかい騒ぎを起こすだろう)

 丁度自室に辿り着いた辺りで考えを打ち切り、アランは携帯端末の電源を切って上着に仕舞う。そしてドアノブを掴み、押し開けた。

 暗い部屋の電灯を点ける。

 すると妙なものが視界の端に映ったが、アランはあえてそれを無視した。彼はクローゼットの下まで移動すると、戸を開けて上着を脱ぎ、ハンガーに掛けて片付ける。そして踵を返し、ベッドに向かって歩み寄った。

 真っ白いシーツに包まれた掛布団は、何故かこんもりと盛り上がっている。

 アランは無言で布団を掴むと、勢いよく捲り上げた。するとよく見知った顔が目に入る。

 シャーロットが身を丸めて隠れていた。

「何をやってるんだお前は」

「…………………てへっ?」

「疑問形で言われても意味するところは理解できんよ……まったく、寝るなら自分の部屋で寝なさい。っていうかお前、なんで俺のシャツを着てるんだ?」

 呆れた様子でアランが脱力する。それを受けて、シャーロットはえへへ、と無邪気に破顔した。

 シャーロットは洋裁店で購入してからずっと着ていたドレスを脱ぎ、Lサイズの簡素なシャツのみを纏っている。剥き出しの白い足を挑発的にくねらせて態勢を変え、シャーロットは自身の横に空いたスペースを軽く手で叩いた。

 どうやら一緒に寝ろ、と言っているらしい。その意図を察して、アランは溜息を吐きつつも、緩慢な動作で布団に潜り込んだ。

「えへへ、お兄ちゃんと添い寝ー」

 歌うようにさえずりながら、シャーロットはアランに抱き着き、首筋に顔を埋める。

 アランはされるがままに体を預け、枕元に置いてあった端末リモコンで電灯の明かりを落とした。

 完全な暗闇の中、直に触れるシャーロットの肌の温もりだけが鮮明に感じられる。アランは肌を重ね求めるように、シャーロットの細い腰と肩に腕を回して、小さな体を掻き抱いた。

 一つの枕に二つの頭を乗せ、二人は虫の交配のように親密に足を絡ませる。

 シャーロットの下ろされた黒い髪を、アランは優しい手付きで愛撫する。彼女はくすぐったそうに目を細め、しかし不意に問いかけた。

「お兄ちゃん、あの後カルティエさんとはどうなったのかな?」

「さて、どうだろうな」

「ふふっ、煙に巻くってことは進展があったんだ。カルティエさんって可愛いよねぇ、まるで昔のお兄ちゃんみたい。なんとなく嗜虐心を誘って、それでいて甘やかしたくなる感じがそっくり」

「…………」

 アランは無言で顔をしかめる。そして緩慢に腕を持ち上げてシャーロットの頬に触れ、指先で摘まんだ。

「まあ、確かに可愛い娘にはいじわるしたくなるかな」

「それがお兄ちゃんの性癖?」

「性癖ってほど大層なものじゃない」

 もちもちとしたシャーロットの頬を指先でこねつつ、アランは反論する。すると、今度はシャーロットがふぅん、と鼻を鳴らした。

「でもカルティエさんは可愛い娘に該当するんだ? 汽車で会った車掌さんとは、体型も口調も結構似てたと思うけど。二人ともお胸がすごく大きいし。いいなぁ……私も夢と希望を詰めれば大きくなるかな?」

「それは頭の中に詰めておけ。……というか、あの二人では雰囲気ジャンルが大きく違うだろ。そもそも比較にならないよ」

「なるほど……つまりお兄ちゃんは、年上のお姉さん系よりも年下の子犬属性な女の子の方が好みなんだ」

「…………さて、どうだか」

 長い沈黙を挟んでから答え、アランはシャーロットの顏に掛かる髪を後ろに撫でつける。すると、白い首が露になった。

 黒い髪。白い肌。

 それを認めた瞬間、アランの網膜が紅く弾けた。


 紅い閃光が瞬くフラッシュバック


 ―――黒い髪。銀の瞳。白い肌。美しい面差し。柔らかな肉。ぶつかる感触。焼ける臭い。地獄絵図。折れた手足。絡める五指。その細い首を、首を、首―――


 君のこと、愛してるよ。

「―――――お兄ちゃん」


 声を掛けられ、アランは漸く我に返る。

 アランの右手は、シャーロットの首に五指を掛けていた。握力を込める寸前で、危うく停止している。

「お兄ちゃん、大好きだよ」

 そうささやく声が聞こえる。

 しかしシャーロットがどんな表情をしているのか、アランには分からない。その理由とて部屋が暗いからなのか、そもそも自分が彼女の顔を見ようともしていないからなのか、判別がつかなかった。

 アランは右手を放し、代わりにシャーロットの矮躯わいくを抱き締める。

「シャーロット」

「なぁに?」

「おやすみ」

「うん、おやすみなさい」

 固く瞼を閉ざす。

 暗い夜闇に煩音は一切届かない。心臓の鼓動すら遠く、あるのは互いの血肉の確かな感触のみ。その温もりに溺れながら、シャーロットは不意に口を開く。

 鈴を転がすように、くすくすと笑う。

「でもね、私はね? そんなお兄ちゃんが傍にいてくれるだけで幸せなんだよ?」

 答えはない。

 アランは最愛の妹が抱くささやかな祈りを強硬に無視して、ひとり夢の中へと落ちていった。

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