第十六話 ニアリーイコール

 重厚な木の扉を押し開けて、店の中へと身を滑り込ませる。

 薄暗い店内は完成済みの衣服で溢れ返っていた。その種類は多岐に渡り、防寒性に優れた無骨なものから、服としての機能性を排した過激カジュアルな見た目のものまで実に様々だ。

 穏やかな店内BGMに耳を傾けつつ、埃っぽい店内を見回りながら、アランとレナータは奥へと進む。

 布とレースの海を掻き分けた先には、見知った顔の老人がいた。

 エーリッヒはアランとレナータの顔を交互に見比べてから、からかい混じりに口角を上げる。

「なんだ、今度は他の女とデートか?」

「違います。服を汚されたので、彼女がその弁償をすると強引に……ん?」

 親し気な様相で近づいてくるエーリッヒに対し冷静に応じながら、しかし特に抵抗なくアランも同様に歩み寄る。しかし背後で微動だにしない者の気配を感じて、困惑気味に振り返った。

「どうかしたのですか?」

「――――――――――」

 目を丸くした面持ちでエーリッヒの顔を凝視したまま、レナータは瞬き一つせず一ミリも動いていない。アランの呼びかけにすら応じる気配がなかった。

「……ミス・レナータ?」

 怪訝に目を眇めて、アランが名を呼ぶ。

 すると、レナータが反応した。彼女は罅割れたような、目を丸くし複雑に口端を歪めた表情のままで、歯車仕掛けの人形めいた動きでアランに顔を向ける。そして彼と目を合わせた瞬間に、その異様な様相は白紙へと変貌した。

 完全な無表情で、レナータは言う。

。アラン君、私ちょっとお店を見て回ってくるわね。貴方に似合いそうな服、しっかり探してくるから!」

「主旨が変わってはいませんか? ……って、聞いちゃいない」

 言うが早いか、レナータは店員を捕まえると、さっさと店の奥へと消えていった。楽し気な背中には、当然の如くアランの指摘など届いていない。

 アランは嫌そうに眉根を寄せ腕を組む。すると、エーリッヒが彼の肩を叩いた。

「まあ、女なんてのは大抵あんなもんだ。猫みてーに気分屋だからなぁ。俺が若い頃も大変だったさ。孫が出来てからはもっと大変だったがな」

「ようは言っても聞かない、ということですか? まあ、それならそれで構いませんが」

 言いつつ、アランは腕組みを解いて歩き出した。その背中にエーリッヒが声を掛ける。

「ん? どうした?」

「少し外に出ています。お手数をおかけしますが、もし私が戻る前に彼女が仔細を訪ねてきた場合は、店先で電話をしている、と伝えてあげてください」

 では、と言伝を置いて、アランは店外へとおもむいた。

 往来する人々を尻目に、アランは閉ざしたドアのすぐ横の壁にもたれかかり、長穿のポケットから携帯端末を取り出す。そして内蔵された『Charlotte VSM』というアプリケーションを選択し、起動した。

 黒い画面に、赤い文字が乱舞する。

(異常なし、か……)

 表示された幾つもの数値やグラフ――その全てに目を通し終えると、ほっと溜息を吐いてからアランはアプリケーションを終了させる。次いで、通話機能の使用を試みた。


 盗聴される恐れのない守秘回線を通してから、ある番号へ接続する。

 コール音は一度として鳴ることなく、一瞬にして彼岸へと繋がった。


 暗転した画面にカチナ・オルガンを象徴する紋章と、『MANITOU SOUND ONLY』の簡素な文字が浮かび上がる。

 スピーカーから流れる声は、半ば聞き慣れつつある人工音声だった。

『―――やあ、アラン君。そちらから掛けてくるとは珍しいね。何か用かい?』

「ああ……単刀直入に聞きたい。俺と一緒にいたあの女、アレは何者だ?」

 携帯端末を耳に当て、アランは注意深く尋ねた。

 先程まで一緒にいた女の顏を思い浮かべる。黒い髪。銀の瞳。陶器めいた白い肌。端整な凛々しい顔立ち。―――そのが、彼の知るとある人物と


 はじめまして。君が■■■だね?

 ―――――君は、今日から私の生徒だ。


 かつての出来事。大切な思い出。

 確かな記憶を懸命に反芻して、その上でアランは断言する。

「アレは、。最初はエレナそのものだと思った。だが体形と声が違う。しかし全く同じに見える。むしろその二つの相違点の存在が、どこか却ってほどだ」

 焦燥に駆られた声音で、アランは言う。

 締め付けられるように痛む胸を片手で押さえて、少年は舌をもつれさせながら、すがるように弱々しく喉を震わせた。

「アレは――誰だ?」

 様々な感情が複雑に捻じれ、それが頭蓋の中で混ざり合って混沌を生み出している。その情動を表すには、その問いはあまりに簡素に過ぎた。

 けれど回答は、即座に返される。まるで最初から用意されていたかのように、極めて迅速に、だ。

『レナータ・ボーイト。先程君が彼女と接触し保護するに至るまでの経緯は、一通り把握しているよ』

 そう前置きして、マニトゥは担当の警官から提出された調書を元に説明を始めた。

『まず彼女を追い回していたあのトライアド構成員二名だが、どうやらとあるヒューマノイド・ロボットの回収任務に当たっていたそうだよ。本社に問い合わせたところ、「搬入中の不手際と手違いで発生した事故、及びその後始末」だとさ。そしてその回収任務に宛がわれた彼等だが……どうやら二人とも、揃って人相の識別能力に相当な難があることが確認されていてね。どうやら彼女は「ただそこにいただけで追い回された可哀そうな国民A」である可能性が高い――と、いった所さ』

「……その『可哀そうな国民A』とやらが、偶然街中で俺にぶつかってきた、と? なら先生にそっくりなあの貌も、偶然、か?」

『ははは、その言い方、病んでるねぇ。ボーイ・ミーツ・ガールでも期待しているのかい? それとも単純に、彼女が君の先生――エレナ・S・アルジェント本人である可能性を望んでいるのかな? 彼女が、と。ボクには分からない心理だなぁ、ソレ。。随分と考えるものだね、君は』

 くつくつと笑う声が耳朶に染み込む。それを受けて、アランは固く歯噛みした。

 本心――あるいは、それに近いものを言い当てられたからだ。

 昨晩、アランはカルティエに対して「先生とは喧嘩別れした」と言った。それそのものは嘘ではない。ただし、今後二度と彼女とまともに再会することはないだろうと、漠然とそう思っていた。

 アランはシャーロットを連れて、青空教会を離反したのだ。

 その際にヒュペルボレオスの壁外にある、青空教会の支部であった街一つを完全に破壊している。そしてその現場に遅まきながらもエレナが現れ、そして―――


 ―――君のこと、愛してるよ。


 ■そうとしたのだから、きっと、もう、にどとあえない。

「…………」

 アランは俯き、黙り込んでしまう。その横で、ふむ、と声が流れた。

『だが、確かに、君の言う通りエレナ君とレナータ君の容姿が似通っているのは事実だ。手元のデータと照合してみたが、二人の外見的特徴の共通項は軽く万以上……同年代における一卵性双生児と比較しても圧倒的、か。確かにきな臭い。それに、他にも気になることはあるしねぇ』

「……? 他に気になること、とは?」

『うん。レナータ君ことレナータ・ボーイトの職業は歌手でね。それも今日の祭事で主役を張って貰う予定になっている程の大物なんだけれど―――』

「―――どこが『国民A』なんだ、それは」

『話の腰を折らないで欲しいなぁ。トライアドの件とは別件だから、話さなかっただけじゃないか。他人が情報選択の取捨に注ぐ個別な重要性の偏向――それを尊重こそすれ、是非を説い正した所で、意味なんかないだろうに。どうせ、他人なんだからねぇ』

 AIボクのように並列化出来ないんだから、そこは君が折れてくれたまえよ。

 不機嫌そうに、けれど不遜にマニトゥが言う。アランはそれに応答せず、無言で以って先を促した。

『まあいいさ。さて、これで名実共に、ボクと君の知るレナータ君への共通認識は「名のある歌姫」となった訳だ。けれどそれが分かったからといって、彼女の正体が知れたことにはならないよねぇ?』

「……レナータ・ボイートは芸名? まさか、身元が分からないのか?」

『半分は正解だ。レナータ・ボーイトという人間の戸籍は確かにある。だがなのさ。住所、家族構成その他は、全て出鱈目である可能性が高い』

「妙な言い回しを……推測は立つが確証が持てない、ってことか?」

『うん。この国は今、先の自殺騒動で身元不明な死人だらけなものでね。彼女の情報の大半――あるいは歌手の地位も含め、未確認の死者から流用したものである可能性が高い。まあ、確証はないけれどね。……慢性的な人手不足なものでね、確証を得るには時間のかかる案件だよ』

 面倒臭い。と、忌々しそうにマニトゥがひとりごつ。ただしそれは、どこか含みがあるようにアランには感じられた。

「…………」

『あっ、ちなみに民間人からの善意の協力はいつでも歓迎だからね。そこのところヨロシク』

「何がヨロシク、だ。なんだかんだ言いつつ、お前だって気になってるんじゃないか。そんな面倒な手順を踏むくらいなら、さっさと俺を正式にカチナドールにすればいいだろう」

『ボク的には、そちらの案を採用する方が面倒な手間が増えるから却下ー♪』

 くつくつと、歌うような声でマニトゥが飄々ひょうひょうと笑う。

 アランは溜息を吐くと、「まずは彼女に関して解っているだけの情報をくれ」と催促した。

 マニトゥはうむ、と答え、資料を読み上げる。

『元よりレナータ・ボーイトという名義そのものはインターネット上で複数件確認されていてね。最も古いものが、七年ほど前に音楽サイトに投稿された自作楽曲の投稿者のハンドルネームなのだよ。そこから現在に至るまでの音楽業界の流れを鑑みるに、そのアマチュア歌手が念願叶ってつい一週間前にデビューした姿こそが、君の出会ったレナータ君なのではないか……というのがボクの推測さ』

 そこで一度言葉を切ってから、マニトゥは核心に触れるように語調を強める。

『―――問題は、そこまで推測が立っていながら、彼女の正確な身許が割り出せない、という点だね。少なくともボクの知る限り、エレナ君の貌は正真正銘の一点ものだ。アレとほぼ同一の美貌を持つ国民はまず間違いなく存在しない』

「……天然ものではないのなら、人工物である可能性はないか?」

『それは整形のことを言っているのかな? まあ、現代の技術なら骨格だってどうとでもなるしね。でも手術したなら、それ以前と以後の貌が揃って記録される筈さ。それが見当たらないのだから、道理に合わないよ』

 なるほど、と呟いて、アランはマニトゥが語った情報を精査する。

 中でもやはり幾ら匿名のサイトが由来であるとはいえ、ヒュペルボレオスの全域をこの二千年間、一秒の漏れもなく監視・管理してきた存在であるマニトゥが素性を割り出せないなどという状況には、どうにも拭い難い違和感を禁じ得なかった。

 であれば、何らかの隠蔽工作が行われている可能性が高い。

 そこまで思考を巡らせてから、アランは注意深く問いかける。

「教会が関与していたと仮定した場合ならどうだ?」

『ふむ。ありえない――とは言い切れないだろうね。もしそうだった場合の筋書きは、二重スパイだったエレナ君に整形手術を施して別人として再利用し、君をもう一度自陣に引き戻そうと画策している……といった所かな。とはいえ、確率にして数パーセント程度だろうけれど』

「何故だ?」

『そりゃぁ君、青空教会の陰謀云々なんてよりは、ただの偶然で片付けてしまう方が余程現実的だからさ。確かにならやりかねないだろうが、それだけだ。どちらにしろ確たる物証でもない限りはなんとも言えないし、何も出来ないね。少なくとも信憑性のない情報に割ける人手はないかな。なんであれ、彼女は既に盤上から落ちた駒に過ぎないのだから、ねぇ?』

 一旦言葉を切り、話題を繋げるようにマニトゥは言葉を続ける。

『それに教会に関することなら、裏切り者ダブルクロスだったエレナ君が片棒を担いでいた計画の方がよっぽど気になるよ。まったく、よりによってEMP兵器なんて。あんなもの一体何に使う予定だったんだろうね? 昨日送った情報データはそれに関するものなのだけれど、何か知らないかい?』

「……専門外の分野だ、申し訳ないがまったく分からない」

『そうかい。やはりその手の事柄は専門家に当たった方が早いか。エドガー君を引き戻すべきか迷うね。まあ、何か思い当たる事があったらいつでも電話してくれたまえよ』

 けらけらとマニトゥが笑う。

 彼女の呑気な台詞に、アランは先程よりも一層強く焦燥感を募らせる。彼は眉根を寄せ歯を噛み締めるが、数秒後には一転して冷静になるよう努めた。

(『確たる物証』……つまり、それを見つけるのが俺の役割ってことだ。―――問題はない。彼女は何も言わずに立ち去ろうとした俺を、わざわざ引き留めた。それに今の状況も彼女の働きによるものなんだ……このまま同行していれば、何らかの真偽は見えてくるはず)

 本当にそんなものが見付るかどうかは別としてそう結論付け、アランは出来得る限り気楽に構えられるよう肩の力を抜く。

「分かった。このまま俺の方で、出来る限りレナータの素性を調査してみる。定期報告は……必要ないよな?」

『もちろん。ボクはいつでも君を見守っているよ―――』

 怖気で背筋が粟立ったので、アランは半ば反射的に通話を切った。

「……ん?」

 するとタイミング良く着信音が鳴り響く。シャーロットからの電話だった。

「もしもし?」

『―――あっ、お兄ちゃん! 今どこ? 私達はメイトリクス大佐みたいな装備で迷子センターに突撃しようとしてるカルティエさんを止めてる所なんだけど!』

「…………分かった、本人に代わってくれ」

 当惑し切った表情で言うアランとは対照的に、携帯端末のスピーカーから聞こえるシャーロットの声は楽し気だ。

了解Iaー!』というシャーロットの応答からそう間もなく、別の少女の声がアランの鼓膜を打つ。

『アラン君! 無事ですか!? 今どこにいますか!? 豚のマスクを被った異常者に拉致され、目が覚めたら何処か知らない廃墟に鎖で拘束され閉じ込められたりした上に、極めつけに謎の人形から合成音声で「I want to play a game」とか言われたりしていませんかッ!?』

「なんだその特殊過ぎる状況は。少なくとも、そんなスリラーな目には遭っていない。とりあえず落ち着いてくれ」

『本当、ですか? トラバサミを改造した拷問装置を頭に取り付けられたりとかしてませんか?』

「そんなもの付けた状態で電話なんて出来る筈ないだろう。……こちらが勝手に集団を離れ、引率者の君を混乱させてしまったことは申し訳ない。ただ成り行きとはいえ、どうにも手放せない案件に関わってしまって身動きが取れない状況なんだ。なのでとにかく落ち着いて、冷静にこちらの話を聞いて欲しい」

『身動きが取れない状況……やはりスリラーな事件に巻き込まれて……!』

「君、映画と現実の区別くらいはつけような」

 言ってから、真顔だったアランの表情が少しだけ苦々しいものに変わった。


 ―――ボーイ・ミーツ・ガールでも期待しているのかい? ボクには分からない心理だなぁ、ソレ。


 先程まで聞こえていたマニトゥの声が、耳元で蘇ったようにアランは錯覚する。

(俺も他人ひとのことは言えないか)

 カルティエほど荒唐無稽ではないが、それでも傍からすればアランのレナータに対する認識は悪い方に偏重し、あまつさえ考え過ぎている。そのことを自覚してから漸く、アランは本当の意味で肩の力を抜くことが出来た。

『あの、アラン君……?』

「ん、なんでもない」

 多少軽くなった口振りで応えて、アランは携帯端末を通してカルティエに経緯の説明を開始した。

「こちらでトライアドの下層構成員二名に追い回されていた女性を保護した。どうやら彼等は、搬入中の事故で紛失したヒューマノイドの捜索途中で見つけた彼女を目標と誤認し追い回していたらしい。二人は今、警察に拘留されているが……何か知らないか?」

『いえ、私は何も……』

「そうか。まあ、末端の構成員のようだったし、是非もないか。何にせよ、とりあえず一旦合流しよう。待ち合わせ場所は―――」

『あっ! どうせなら私、さっき見た公園がいいな! 公園がいいな!』

『わ、シャーロットちゃん……えぇと、さっきの公園というと、野外の特設音楽ホールの真上にあったあれ、ですか? いやでも、アラン君が何処にいるか分かりませんし……』

「いや、問題ない。シャーロットの言った公園で大丈夫だ。……そうだな。今は一時だから、余裕を持って三時を目安に集合ということで構わないだろうか?」

了解Iaー!』

『あ、はい……アラン君が構わないのであれば、大丈夫です……それでは』

 終始ハイテンションであるシャーロットとは逆に、カルティエの声はトーンダウンしている。そしてそのまま電話は切れてしまった。

(やはり勝手にいなくなったのは不味かったな)

 携帯端末をポケットに仕舞い、自分の落ち度について考えながらアランは店に戻る。すると折よく、レナータとエーリッヒが服を抱えて話している場面に出くわした。

 レナータはアランが戻って来たのを認めると、笑顔で手にしていた服を掲げる。

 中世の軍服と貴族服を混ぜたような、少女漫画カートゥーン・コミックの登場人物が着ていそうな代物だった。

「待ってたわ! さあ、着てみて!」

「―――却下します」

 アランは即答した。

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