第22話 タイマン 弐

 でかい。

 こうして正面から相対して、今更ながらそんな感想を抱いた。

 おそらく体長は二メートル以上。四肢の太さは人間のそれではなく、首に至っては巨木のそれを思わせる。

 そのくせ愚鈍さを感じないのは、先ほどの動きを見ていたからだけではない。身のこなしとでもいえばいいのか。

 一瞬でも、視線の一つでも外せば全てをもっていかれる。

 そんな予感があった。

「         ッ!」

 咆哮。

 腹の底まで響く恫喝。

 全身を奮わせて叫ぶ姿は獣のそれ。猛禽類などとは比較にならない凶暴性が、なんの呵責もなく叩き付けられる。

 怖い、と思う余裕もない。

 逃げるという思考は最初に捨てた。

 戦うという思考も既にない。

 勝負は一瞬、思い浮かべるのはただ一つ。

 打ち込む。

 拳一つ。

 あの化け物の暴威に襲われる前に、一つでも多くぶん殴る。

 それだけに意識を集中した。

「         ッ!」

 来た。

 コンマ一秒。

 瞬き一つの間で化け物はこちらの間合いを殺す。

 全身をぶつけるような突進は、しかし本命ではない。大きくあけ放たれた口蓋から図太い牙が飛び出している。

 こちらの反応を一切無視し、最短で迫る牙。

 その軌道の中途。

 そこに拳を置いた。

 かつん、と軽い音。

 かすかな手ごたえだったが、その音を聞いた瞬間、全身に鳥肌が立った。

 入った。

 確信と共に思考が加速する。

 半歩、半歩だけ前に進む。

 そう思った時には足が進んでいた。直後、背後で地面を滑る音が聞こえる。

 反転し、構える。

 土埃が舞い、視界が妨げられた。

 来る、と何故か確信した。

 踏み込み、何もない場所に拳を放つ。

 瞬間、

「         ッ?」

 全身を稲妻が駆け抜ける。

 痛みではない。

 確かな手ごたえ。これまで放ったどの拳よりも確かな感触は化け物にすら有効だった。

 巨体が『く』の字に曲がる。

 地面に向かって倒れる様を目に焼き付け、頭部が地面に接する瞬間を狙って踵を振り下ろす。

 ぐしゃり、と鈍い感触。

 黒い何かが飛び散ったのを見て、間合いを取った。

 動かない。

 頭部を潰したのだ、当たり前と言えば当たり前か。

 全身の高揚感、乱れる呼吸、高ぶる鼓動。

 全てが収まるのを待って、ようやく構えを解いた。

「…あっ、と」

 立ちくらみ。

 踏ん張ろうとしてそのまま膝から崩れる。尻餅をつき、両手で上半身を支えた。

「…いてえ」

 痛みがぶり返す。

 節々が悲鳴を上げ、全身の至る所が熱い。

 なのに、

「…はは、いってえな」

 何故か、笑えた。

 自然と零れた笑いは、とめどなく湧き上がってくる。寝転がって腹を押さえても、まるで止まる気配がない。というよりも、止める気にもならなかった。

「…はは、痛っ、やりゃ、できんじゃん。あたたたた…ってか、しゃ、洒落になんね、ははは」

 全身から力を抜いた。

 仰向けのまま空を見上げ、深く息を吸った。

 出来る事はやった。

 むしろ大金星だ。

 あの化け物を一人で仕留めたのは大きい、と思いたい。

 なんだかいろいろ考えるのが面倒になってきた。

 意識が遠のいていく。

 疲労感がピークに達し、こちらの意志とは無関係に睡魔が襲って来た。どこか心地よさすら感じるそれに抗うことも出来ず、おれは瞼を閉じた。

 最後に、セルタ達の行方を知ろうとして、


「…は?」

 

 一気に目が冴えた。

 遙か上空。

 先ほどまで漂うように宙に浮いていた影が、まるで縫い止められたかのように不自然に停止していた。周囲には夥しい数の影、その全てが見覚えのあるシルエット。

 蜂が、フローラに群がっている。

 だが、なによりも問題なのは。

 セルタがいない。

 流れ込む情報のどこにもセルタの影はなく、どんなに周囲に焦点を合わせても彼女を捉えることができない。

「…嘘だろ、おい」

 攫われた。

 現実を突き付けられ、おれの頭は真っ白になった。

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