第23話 すべきこと

                   *


『なにぼさっとしてやがるッ!』

 はっとした。

 ノイズ混じりの声に停止していた思考が動き出す。眼前、ほんの数メートル先に見慣れたシルエットがあった。

 蜂。

 落下速度を加味した衝突は鈍った頭で躱せる代物ではないと判断した。と、同時に躱す必要性も感じなかった。

 落下地点は腹。野太い針がほぼ垂直に迫るのを半ば呆然と、半ば無関心に目視する。腹筋に力を入れ、衝撃に備え、脇を締める。

 一度堪えればそれで十分。

拘束される前に距離をとり、できるならばこれを撃退する。

 イメージはできた。その時点で極太の針が腹部に切先を突き立てるところで、

 

 ぐしゃり、と。


 ありえない音を聞いた。

「…ぁっ?」

 熱い。

 これまでとは違う、体の芯まで凍りつかせる衝撃。

 どんな猛攻であっても、遙か上空からの墜落であっても堪え凌いだ装甲が容易く貫かれた。その事実に思考が停止し、熱と錯覚する激痛が襲って来た。

 限界だった。

 いくらこの鎧でも、あれだけ酷使すれば

 響く嘲笑。

 こちらを見下ろす蜂がけたけたと顎を鳴らして嗤っている。

「んの、やろぉおおおおおッ…!」

 掴む。

 野太い針は鉄のように硬い。そのくせ生暖かく、粘性の液体が滴っている。ぬめりのせいでうまく掴めなかったが、それでも渾身の力で握りしめた。 

 ばきり、と鈍い感触が掌から伝わった。

「                ッ?」

 直後、甲高い奇声と共に腹に掛かっていた重量が消える。

 全身を捩る。何度も地面を横転し、距離をとった。

 のたうち回る巨体。

 羽を無様にばたつかせ、奇怪な顎から唾液のような何かを噴き出している。痙攣にも似た不自然な蠕動は徐々に小さくなり、動きを止めた。

 腹に残った針を引き抜き、放り投げる。

 ドクンドクンと腹の傷が疼いた。

「はぁっ…はぁッ…クソ、マジかよ」

 荒い呼吸が止まらない。

 情報が流れ込む。

 周囲に他の蜂はいない。

 腹の傷も思ったより深くなかった。内臓に損傷はなく、出血自体も少ない。腹を刺されるなんてことは初めてで、自分の状態もよくわかっていなかった。

 いや、今はそんことはどうでもいい。

 セルタだ。

 セルタは何処にいる?

 情報のどこにも彼女の存在を知らせるものはない。過去の履歴を探っても、おれが把握していたそれと違いがなかった。

 突然だった。

 彼女は突然いなくなり、それからほどなくフローラは包囲された。

「そうだ、フローラは…?」

 焦点を合わせる。

 座標に動きはない。

 代わりに、周囲に群れる蜂の数だけが加速度的に増えている。まるで繭のようだ。フローラを中心に円形を広げ、どんどん巨大になっていく。

 あかつき丸の時と同じだ。

 違うのはフローラ自身が無傷であること。生体活動に支障もなく、どうやら意識もあるようだった。

 なのに、彼女はその状況から抜け出せない。

 何かあったのか?

 それを確認しようとして、

「ごふっ」

 喉元からなにかが飛び出した。

 ファイスガードの中に吐き出したはずだが、すぐに和感が消えた。鎧が吐き出したものを全て吸収したのだ。

 直後、警戒音が鳴る。

 しつこいくらいになり続ける甲高い音。それを止める余裕もなく、おれは吐き続けた。吐けば吐くほどに音量が増していく。

 毒。

 襲い来る吐き気としびれ。

 他人事のように頭の中は冷静だったが、身体は違う。熱いのか寒いのか、痛いのか気持ちいいのか、なにもかもわからない。

 音が徐々に遠ざかり、それに合わせるように視界が歪んでいく。


『返事しろつってんだろうが、クソガキッ!』


 ノイズ混じりの濁声。

 途切れかけた意識が辛うじてつながった。

 うすらぼんやりとした頭を無理矢理働かせ、立ち上がる。

 倒れた。

 地面が揺れている。いや、毒のせいで平衡感覚が歪んだだけだ。阿呆くせえ、そんなことを考える暇があるなら立て。

 何度か視界が回り、ようやく見慣れた光景が広がった。

 延々と響く声にため息を一つ。

 ゆっくりと声を出した。

「うるっ、せえんだよ。おっさん。聞こえて、るっ、ての」

『よし、生きてるな。お前の鎧にも索敵機能が付いてるはずだ。そのデータをこっちによこせ。おれのはぶっ壊れて使い物にならん』

「使え、ねぇな、おい」

『とっとと寄こせ、時間がねえッ!』

「やり方、は? どうすりゃ、いいんだ?」

『知るか、適当にやれ!』

「し、ね…!」

 通信の遮断。

 あれだけ騒がしかった濁声が消える。直後に何かがこちらをせっついているのを感じた。

 ああ、なるほど。

 コツを掴んだ。

 情報が何を指すのかわからなかったが、そのままスティーブの元へ送る。イメージも何も必要はない。あくまで自分が何をしたいのか念じれば、鎧は答えてくれる。

「…ぁ?」

 くらり、と意識がまた遠ざかった。

 どくんどくんと腹の脈動が大きくなっている。

 そっと腹部に触れる。

 いつの間にか装甲が塞がっていた。だが、傷口は塞がっていない。溢れる血は鎧に吸収されていたが、止まる気配がなかった。

 ここまでか。

 不思議とそんな風に思った。

 半死半生の肉体と度重なる疲労で限界の鎧。

 おれの持ち札はそれだけで、その二つが使い物にならないならばどうしようもない。なによりあの男に引き継ぐことができた。

 それで十分じゃないか。

「がはっ…うぁ…」

 ぐらり、と身体が揺れた。

 しびれが全身にゆっくりと広がっている。吐き気や寒気はもう感じなかったが、猛烈な睡魔が襲ってきた。

 あとは、それに身を任せればいいというところで、


「ばかじゃ、ねえのかッ!」


 傷口に向かって鉄槌を叩き込む。鎧の上からでも衝撃が伝わって、あまりの痛みに視界が明滅した。

 何を寝ぼけたことを考えている。

 やるべきことは一つだけだ。

 決めたのならばやり遂げろ。

 そのための手段はいくらでもある筈だ。少なくとも、諦めたらそこで終わりだ。傷口を抉ってでも意識を保て。

 チャンスは来る。

 絶対来る。

 そのためにおれがすべきことだけを考えろ。

「…最後に、あいつを見失った場所は、どこだっけ?」

 遙か上空。

 肉眼では見ることは不可能な高度。

 この鎧の力でも情報以外では確認のしようがない場所。いくら焦点を合わせても得られるものはなにもない。

 だからこそ、そこが始まりなのだ。

 何故、彼女が消えたのか。

 考えられるのは一つ。

 傍らで頭を潰されたまま動かない人型の化け物、あいつが複数いたのだ。ここにいるのは囮で、他の連中がセルタを攫った。

 どういう原理か知らないが、こいつはこちらの情報網に引っ掛からない。先ほど追跡できたのも、セルタの反応を追ったからだ。

 その方法をセルタに対して使ったならば、今回のことは説明がつく。

 消えたわけではないなら追うことも出来る。

 あとはフローラの現在地からある程度の方角を決め、索敵を行う。そのものを捉える必要はない。風の流れ、大気中の埃の有無。なんだっていいから位置を掴むための情報を得ようとして。

 何かが高速で接近していることに気付いた。

「なッ!」

 んだ、と言葉を続ける時間もない。

 高速で飛来した何かは途中で落下した後、大地を削りながら俺に向かって来た。上がる土埃。震動に足をとられそうになったが、何とか踏ん張った。

 現状では躱すことなんて不可能。受け止めようと身構えたが、その手前で停止した。

 白い箱。

 傷だらけで薄汚れているのは元からなのだろう。中央に線が走り、何かを内蔵しているようだった。どこか冷蔵庫のようにも見える。

 冷蔵庫は一人でゆっくりと開いた。

 中には一本の棒、いや、槍だろうか。

 穂先には機械的な何かが着いている。外装は予想外に白く、まるで新品のように艶がかっている。

 それが何なのか、鎧がすぐに答えを出した。

 愕然とした。

「マジ、かよ、あのおっさん」

 先ほどからこちらをせっつく通信に応える。音量は最小で。響く声に備え、無意味とわかっていながら耳元を抑えた。

『てめ、マジで殺すぞゴラァッ!』

 響く怒声。

 最小の音量でも響く声に辟易しながら応答する。

「あー、もしもし」

『あ? 届いたか。なら何すればいいかわかるな? やれ』

「…んの、やろ」

『あ? とっとやれつってんだろ』

 無駄に偉そうな声に殺意が湧いた。だが、ここで口論をする時間も余裕もない。

 辛抱して言葉を続けた。

「セルタは、どうするんだ?」

『あ?』

「セルタは他の奴に、連れてかれた。さっきのデータがあんだから、あんただって、わかってんだろ。急がないとあいつが」

『馬鹿か、お前は』

「…あ?」


『セルタはフローラと一緒に居る。だからこそ、そいつをお前に渡したんだ』


「…は?」

 思わず目が点になった。

 あまりに確信的な言葉に自分が間違っているのかと錯覚した。だが、既に情報の精査は終わっている。どう情報を見直してもセルタは観測されていない。

 そう反論しようとして、気付く。

「しまった!」

 徐々に、ではあるが。

 フローラを捕えた繭が動き出した。

『時間がねえ! お前にしかできねえんだ、はやくしろッ!』

 通信を切る。

 やるべきことは決まった。

 あのクソったれ馬鹿野郎の言うことを聞くのは癪だったが、こうなっては仕方がない。なによりあの老害が言うことが間違いでないならば、手段は一つしかないのだ。

 白い槍を掴む。

 重さはあまり感じなかった。

「しかし」

 上空を睨む。

 黒い雲霞の向こう、上空七千メートル。

 そこに標的がある。

「ほんと、いくらなんでも、むちゃくちゃ、だよなぁ」

 呟きは風にかき消された。

 速度を増して離脱していく黒い繭。

 おれは荒い呼吸のまま、構えた。

 

 あれ、槍投げってどーすんだ?


                   *

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