第11話 転機


 ゲーセン、ゲームセンター。

 無駄に効いた空調と無駄に騒がしい音、無駄に狭く設置された筐体。無駄に取りにくい無駄にでかい景品や菓子の数々。

 全てに無駄が付く空間であり、時間を無駄にするという落ちまで着く場所である。

 社会人が定期的に立ち寄るには周囲の目があるし、学生では懐が寒くなる。なんの意味もなく毎日通った時期もあったが、その度に時間を無駄にしたと後悔したものである。

 無駄、無駄、無駄の三拍子。

 そんな場所に今更向かうのは正直気が進まなかったが、級友たっての頼みである。考えてみれば年代的にはふさわしい遊び場だった。

 昔取った杵柄、ダンレボでもあればそこそこ時間つぶしが出来るだろうと考え、

 

「はい、チーズ♪」


 おれは、天国にいる気分を味わっていた。

「ねー、これよくない?」

「目が変だって目が! 無駄にでかすぎでしょ、これ!」

「だれだ、無い乳とか書いたやつッ!」

 きゃぴきゃぴと黄色い声が鼓膜を揺らす。眼前には陳腐な液晶。そこに映る仏頂面と華やかな面々を見て、無性に気恥ずかしさを覚えた。無意識に緩む口元をごまかすことに専念する。

 プリクラ。

 存在自体は知っていた。自分とは無縁の長物。決して近づくことのないスペースに設置された目障りでしかなかった筐体が、まさかここまで素晴らしいものだとは思っていなかった。 

 無機質な内装であっても男女四人で乗り込めば十分に華やかになる。液晶に向かってなにか面白いことをやろうと意気込めば、それだけで楽しくなってくるから不思議だ。

「ねー、テツオも笑えばいいじゃん。なんかおっかないよー」

「いやいや、照れてるだけだって。うちの弟も似たような顔するし」

「あー、ちっちゃい子がするあれかー」

「て、照れてねーしっ!」

「うっそだー♪」

 いや、もう、なんていうか、はい。こんなわくわくする雰囲気を味わうことができるなんて思っていもなかった…!

 これだ、これなんだよ…っ!

 野郎同士でつるんでてもつまんねーのはあったりまえだったんですよっ! やっぱ女の子と交流しなきゃ人間枯れるっつーもんなんですよっ!

 内心の叫びを押し殺し、おれはひたすら今を楽しんでいた。

「ねね、もう一枚撮ろっ! 次は、もっと、こー派手な奴!」

「て、ていうかさぁ。目とか大きくできるならぁ、他の部分も大きくできたりしたりしてぇ」

「はいはい。次はテツオが選ぶ番でしょ。ほら、はやく」

「お、おう」

 液晶の前に立たされ、適当なアイコンにタッチする。何をすればいいのか正直よくわからなかったので見様見真似で操作する。いや、我ながら恥ずかしい話なのだが、プリクラというものに本当に縁がなかったのだ。

 拙い操作ながら何とか目的の画面に辿り着く。

 さぁ、これから面白くしようと考えを巡らせたところで、


「はーい、しゅうりょーでーす。後がつっかえてるんで出てくださーい」


 無慈悲な宣告が下された。

「ちょっ、ここからがいいとこ」

「はーいはーい、テツオはこっちですからねー」

 反論する間もなく引きずり出される。

 エリスだ。

 眼鏡っ娘なのでもっと非力かと思ったが、あんな化け物と対峙している時点で非力もくそもなかったことに気付いた。

「おー、おかえりー」 

 引きずられた先は自販機が置いてある一角だった。まばらに置かれたテーブルの一つにセルタとフローラ、カレンが座っていた。

 エリスがようやく手を離したのでそのまま空いてる椅子に腰掛ける。

「飲む?」

「お、ありがと、う?」

 セルタが缶ジュースを差し出して来た。受け取ると何故かほかのかに暖かい。ラベルを見て、何故か妙に納得してしまった。

 おしるこ。

 一口啜ると甘ったるさと生ぬるさが相まって胸焼けを起こしそうになった。

「長過ぎ。鼻の下伸ばしてんじゃないわよ」

 妙に不機嫌そうなフローラが睨みつけて来た。

 ゲーセンに来てからこっちこの調子である。何が気に入らないのかよくわからないが、おしるこを差し出した。

 そっぽを向かれた。

 そのくせお汁粉はしっかりと奪っていく当たりさすがである。一息に飲み干すと、また不機嫌そうに口元をへの字に曲げた。

 なんなんだ、一体。

「気にしないでください。彼女、ああいうのだめなんです」

「ああいうの?」

「機械って言うんですかね。画面を見るのが嫌なんですって」

「なんでまた?」

「何を考えてるかわからなくて気持ち悪いんだそうです」

「は?」

「エリスッ!」

「はいはーい♪」

 フローラが鬼のような形相でこちらをにらんでいる。エリスはあっけらかんとした笑みを浮かべた。

 眼鏡っこなイメージが強かったので真面目な子かと思ったがそうでもないらしい。

 茶目っ気のある笑みはどこか憎めないなにかを持っている。フローラは舌打ちをして、またそっぽを向いた。

 本当に不機嫌そうである。エリスの言ったことはあながち間違っていないらしい。

「あのさー、あれって何が楽しいのかな?」

 カレンが心底不思議そうに首を傾げた。

 視線を追えば、先ほどまでおれもいた楽園があった。…少し脳みそがいっちまったらしい。プリクラの筐体があるだけである。カーテンの向こう側から楽し気な声が聞こえる。

「そりゃ、みんなでわいわいやるとこだろ?」

「ふーん」

「興味ないのか?」

「ないわけじゃないけど、あたしは合わないかなー。もっとこう、体を動かすやつがいい」

 みんなでやるってのもピンとこないし。

 欠伸交じりの言葉が妙に印象に残る。どこかさっぱりとした言動には気付いていたが、ここまでとは思っていなかった。

 同じテーブルに座って、改めて感じることがある。

 この三人は本当に奇妙な組み合わせだ。あの化け物と戦えるという点以外で共通点はなく、傍目で見ていると驚くほど馬が合っていない。

 気分屋に悪戯っ子に一匹狼。

 それぞれの個性が強すぎて、今こうしてこの場に集まっていること自体が不思議でしょうがなかった。

 余計なことを考えている。

 自分の思考を無視し、話を振ることにした。

「エリスは撮らなくていいのか?」

「私はもう十分撮りましたから。実は基地の中にもあるんですよ、こういう場所」

「え? んじゃ、学校にもあるってことだよな」

「だめだめ。基地の人間しか使っちゃいけないんだって。訓練の延長みたいな機械もあるから、みんなは遊べないの。あたしはそっちの方が好きなんだけどね」

「あー、あれね。やり過ぎはだめよ、カレン。この間、徹夜してリックストンに怒られてたじゃない」

「あの時は散々だったなー。……ていうか、それチクったのあんただったよね?」

「え、ごめんなさい。全く覚えてないわ」

 ばちりと火花が散った。

止める気もないのか、フローラは相変わらず不機嫌そうにそっぽを向いている。

 いや、止めろよ。

 目線を送っても知らんぷり。

 二人のにらみ合いは続き、徐々に不穏な空気が漂って来た。

 この三人の関係は本当によくわからない。

 関わるのも面倒だったが、このままにしておくわけにはいかなかった。宥めようか話題を変えようか迷っていると、

「でも、遊ぶ時間もあるんだ」

 ぽつり、とセルタが言う。

 一瞬、質問の意味がわからなかった。というよりも、その言い方だとどこか馬鹿にしたようにも聞こえる。

 カレンとエリスもぽかんとした表情をしていた。

「そりゃ、一日ずっと訓練ばかりしてるわけじゃないわ。そんなんじゃ身体が持たないだろうし、書類仕事なんかもあるってパパは言ってた」

 フローラが言う。

 未だに不機嫌そうだが、妹に対する態度は十分に優しげだった。

「言ってた? でも、お姉ちゃんも一緒にしてるんだよね?」

「ううん、私達は訓練なんてしてないわ。ただあそこに閉じ込められてるの」

「え?」

 意外な言葉にセルタは目を丸くした。

 エリスとカレンもフローラの言葉に続く。

「そうそう。でも、ごはんは出るし居心地いいんだよ?」

「ゲームとか漫画も置いてあるしね。遊びには事欠かないから、あたしは悪くないかな」

「……そう、なんだ」

 どうにも想像と違っていたらしい。

 セルタはどこか期待外れのような呆けた表情をしている。無理もない。あの凄まじい光景を見て、彼女達が相当の修羅場を潜ったように見えたのだろう。

 空を覆う巨大な化け物。

 それに立ち向かう輝く少女達。

 だが、その光景を見ていたからこそ彼女たちの言葉が、謙遜でもなんでもない事実であることがわかる。

 あれは見ていてひどかった。

「じゃ、あの力は本当に生まれながらのものなのか?」

「は? ……ああ、リックさんから聞いたのね。そうよ、あたしたちは生まれつきあの化け物と戦える。だから、こんなとこにいなきゃいけない」

 本当、めんどくさい。

 吐き捨てるようにフローラは言う。

 一瞬の空白。

 何故か、言葉を続けられない。

 地雷を踏んだ。そう思ったが、不思議と冷や汗は出なかった。

 生の感情、とでもいえばいいのか。

 彼女が吐き捨てた言葉にはそういった類のなにかが込められていた、ような気がしたのだ。その事実が不思議と平静を保たせた。

 彼女は本気で面倒だと言った。

 それはどう考えても。

質問の答えとしてはあまりに。

「お前」


「黒崎、こっち来てよ!」

 

 視界が傾いた。

 完全に意識の外からの奇襲である。バランスをとろうにも片腕がうまく動かせない。椅子ごと倒れないようにたたらを踏んだが、それ以上に強い力に引っ張られていることに気付いた。

 アンナ。

 赤い髪が揺れ、意外に広い背中が見える。早足で進む姿はどこか焦っている様にも見え、握られた手首は妙に暖かかった。

「いっしょに撮ろ! ねっ!」

「お、おう…?」

 ぐいぐいと押し込まれながら、筐体の中へ。

 後からほかのクラスメートも続くかと思ったが、何故か誰も入ってこない。二人だとさすがに少し広い気がした。

「ね、ね、どれがいい? 私ね、これがいい!」

「ちょ、ちょっと、わかったって。少し落ち着いてくれ。その、胸が…っ!」

「あ、これもカワイイっ♪」

 ぐいぐいと肘に柔らかい何かが押し付けられている。

 気が付くと、手首どころか腕ごと抱きかかえられていた。画面を見つめる彼女の横顔は赤く、不自然なほどこちらと視線を合わせない。徐々に増していく柔らかさと暖かさ、更には何故か自分の以外の鼓動まで感じて。

 ていうか、まさか、これは。

ブラして、ない?

「黒崎ってば!」

「ひゃ、ひゃいっ!」

 噛んだ。

 一瞬、頭が真っ白になる。が、すぐに正気に戻った。

 見つめる眼差し。

 真っ赤に染まった相貌とうるんだ瞳が脳髄を刺激する。甘い香りが鼻腔を擽り、動悸が鼓膜に直接響いた。

 いや、ちょっと待て。

 全身が硬直し、時が止まるかのような錯覚を覚える。

頬が熱くなり、背中に汗が伝うのを感じた。前後不覚、曖昧模糊。それでも理性は僅かに稼働しているようだ。

 これ、いくらなんでもおかしすぎだろ。

「ちょ、ちょっと待ったっ!」

「ふぁ、ふぁい!」

 思いの外大きな声が出た。

 それに驚いたのか、抱えられた腕が自由になる。一歩引くと彼女も同じく一歩引いた。

「ご、ごめんなさいっ! いや、ちがくって、その、あの。あたし、エロじゃないからっ!」

「え、えろ…?」

「そう、エロじゃないからっ!」

 とりあえず、落ち着こう。

 僅かに働く理性が警鐘を鳴らすが、未経験の事態に対処法が浮かばなかった。

どうやら、おれは緊急時に停止してしまう人間らしい。逆に彼女は無駄に動く性質のようだ。

マシンガンのように弁明染みた何かを怒涛の如く叫んでいるが、こちらはこちらで頭が真っ白になってうわ言のような返事を返すことしかできない。

 やがて冷静になったのか、彼女は頭を抱えて黙ってしまった。

 気まずい沈黙。

 更に数秒後、動機もようやく静まってきた、彼女は頭を抱えるのみならず、抱えたまましゃがみ込んでいるしまっている。

「ちがう、ちがうの…」

「…あー、その、なんだ」

 ようやく冷静になることができたが、今度は困った事態になった。

 蹲る少女に対して何をすればいいのか皆目見当がつかない。かと言って外に助けを求めるのは自分の身の安全と彼女の沽券に係わる事態に発展するような気がした。

 結局、おれは彼女が復活するまでの間、立ち尽くすしかなかった。


                *


「その、仲良くなろうと思ったんだ。こっちに来たばっかだし。いつもカレン達とばっか一緒にいるから、こっちから行こうかなって」

 あははー、と作り笑いを浮かべるアンナ。

 軽い調子で言われたが、内容があまりにもストレート過ぎて反応に困る。アンナの空笑いも続かず、また気まずい沈黙が訪れた。

 いや、実際どーしたもんか。

 不安げにこちらを見上げる視線が痛い。

 正直こんな状況では何を言っても墓穴を掘る気がする。だが、このまま黙っていても状況は悪化するばかり。

 なにを言えばいいのか、まるでわからない。

「あー、その、気持ちは、嬉しいです」

「そ、そうですか」

 何故か敬語。

 アンナもどう反応していいのかわからないのか、そのまま返された。

 またも気まずい沈黙が――ええい、めんどくせえっ!

「アンナ!」

「は、はい!」

「これからもよろしく頼むっ!」

「はいッ!」

 がしっと握手を交わす。

 勢いでやったが、存外悪くない選択だったようである。

 証拠に固かった彼女の表情が若干和らいだような気がする。いや、というよりもこれは。

「ふふふ、あははははっ!」

 笑われた。

 突然の爆笑に呆気にとられたが、なんだかしらないがこちらもおかしくなってきた。 

「あは、ははは」

「あはははは!」

「ははははははは!」

「うふ、はははははっ!」

 なんだ、これは。

 冷静な思考は残っていたが、どうにも止められない。

 緊張状態からの解放感と言えばいいのか、なんと言うのか。強いて言えば彼女が笑っているのでおれも止められなかった。

 それからしばらくお互い笑い合って、息が続かなくなったところでようやく終わった。

 アンナは涙目で明るい笑みを浮かべている。

 先ほどまでの作った笑みとは違う、自然な笑み。

 ようやく肩の力を抜くことができた。

「あは、ごめんごめん。テツオって面白いんだねっ! ここまで笑ったのはひさしぶりかもっ!」

「そりゃひどいな。おれの方もびっくりしたよ。あんなに強引に連れてこられるとは思ってなかったし」

「だってあの娘たちとばっかり一緒にいるんだもん」

「それでプリクラ?」

「やってみたかったの。エリスが楽しいって自慢してたから」

 一度打ち解ければ、それだけで会話は弾む。

 もともと快活な性格をしていたのだろう。溢れんばかりの笑顔はそれだけで場の雰囲気を明るくしてくれる。

 テンポよく進む会話にこっちもすっかり安心してしまった。

「ねえ、これってテツオの世界にあったものなんでしょ? あっちで流行ってるの?」

「ああ、どこにでもあるよ。おれはあんまり使わなかったけど」

「え、なんで?」

 こんなに楽しいのに、と言いたそうな目で見られた。

 いや、実際たのしかったけどね。でもね、根本的にそういう楽しさと縁のない人間もいるわけで。

 なんて言い訳がましい言葉が脳裏に浮かんだが、正直に言うことにした。

「使う機会がなかったし、一緒に映るやつもいなかったんだ」

「…テツオって友達いなかった?」

「いや、いるし! 超いるし、百人ぐらいいるしっ!」

「…へ、へぇー。でもさ、こういうのってなんかわくわくしない?」 

 なに、その間。

 のど元まで出かかった言葉を飲み込み、会話を続ける。というか、わくわくと言われるとなんだかこそばゆい気がした。

「そんなに写真を撮るのが珍しいのか?」

「んー、それもあるんだけど。そうじゃなくて、私、こういう機械を見るとすごくわくわくするんだ。どうなってんだろーって」

 楽しそうに液晶を触るアンナ。

 それは液晶の扱いに慣れていると言った手つきではなく、むしろ慣れていないからこそどんな反応を示すのか興味津々な様子だった。

 なるほど、とポケットに手を伸ばす。

 なら、これは気に入ってくれるだろう。

「え、それって」

反応は予想以上だった。

 見開かれた瞳は食い入るようにスマホを見つめている。恐る恐る手を伸ばす姿は、どこか小動物染みていて微笑ましくなった。

 そっと手渡す。

 よほど大事なものに見えるのか、アンナは両手で包み込むように抱え込んだ。

「…すごい」

 液晶画面に浮かぶ幾何学模様を見つめ、アンナは呟いた。茫然と魅入る姿は、渡したこちらが戸惑うほど真に迫るものがある。

 と、同時になんとなくうれしくなった。当たり前のことだが、誰かを喜ばせることはとても心地いいことなのだ。

「綺麗だろ? でもさ、それだけじゃなくてもっとすごいのは」


「言語解析と感覚同調による同時通訳。処理速度は旧型に比べて四割増。印の構造及び配列は従来と同じ。直列ではなく並列処理することで相互に連鎖反応を引き起こすことで処理速度を向上させている。記憶媒体の領域が従来のものと比べ二割ほど多いのはこちらの言語体系を収集するためと考えられる」


「は?」

 思わず聞き返す。

 アンナは返事をしない。

相変わらずスマホを見つめていたが、その様子は明らかに一変していた。

 輝いていた瞳は暗く冷徹に。

 表情すらも別人のように変貌させ、彼女はひたすら何かを呟いている。聞き取れる内容はスマホの機能についてらしいが、果たして、おれにはどこまで正しいのかわからない。

 いや、そもそも、何故彼女にそんなことがわかる?

「接続準備」

 アンナの指先が液晶に触れた。

 なんの反応も示さない。

 当然だ。それはおれ自身が散々試したことだったし、やる人間が代わったからと言って、

「開始」

 突然、アンナの指先が滑らかに動いた。

 不規則に変化する幾何学模様に沿うように、あるいは交差するように。どんな法則性なのか、傍で見ていても理解できなかったが、それによる変化は劇的だった。

 アンナの手からスマホが飛び出した。

「嘘、だろ…?」

 揺れる。

 中空に固定されたスマホが、いつかと同じように揺れ出した。

 周囲の空間を巻き込むように徐々に大きくなる振動は止まることをしらない。このまま世界までをも揺らし、元の世界へ飛ばされるのかと思ったが――

 

――画面から、無数の模様が飛び出した。

 

 線が走る。

 飛び出した模様は絶えずその形を変化させる。複数の模様が絡み合って新たな模様を生み、あるいは模様を構成する線と線が彼方へと向かっては模様が消える。

 狭い室内を所狭しと網羅する光景は神秘的であり、見る者を圧倒させる。

 その中であっても、

「ちがう、これじゃない。これも、これも違う」

 彼女は紛れもない自分の意志でこの状況を受け入れていた。

 絶えず変化する模様を追うように視線を巡らせている。違う、とつぶやく声にはどこか焦りのようなものが聞き取れる。

 いや、ちょっと待て。

 突然の出来事に停止していた思考がようやく動き出した。

スマホの揺れはますます酷くなり、周囲に浮かぶ模様も空間における許容量を超えている。気のせいか、模様の変化の速度も上がっている気がする。

それでもなお、彼女は視線を巡らせている。

「おい、アンナ……!」

 呼びかけても彼女は当然答えない。

 肩をゆすっても視線をこちらに向けない。両肩を掴み、こちら向かせる。視線と視線を合わせたが、彼女はすぐにどこかへ視線を飛ばす。

 今度は怒鳴ろうとして、


「見つけたっ!」

 

 彼女の叫びに虚を突かれた。

 アンナの視線を追う。無数の模様が漂う空間にあって、他よりもシンプルな紋様。それが彼女が探していたなにからしい。

 視線をアンナに戻し、その瞳の輝きに困惑した。

涙まで浮かべ、彼女はその紋様へと手を伸ばす。

それを止めるべきかどうか判断する前に。

 まったくわけもわからないまま、おれは意識を失った。

 

                   *

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