第二章

第10話 放課後って懐かしすぎる。

「今から二十年前、我らが祖国である■■■■■■■が三十二の未到達点を発見した。時の王であるダルキシス四世は大開拓団の編成および特別法の制定を行った。これにより我らは新天地をめざし、今日に至っている」

 教壇に立つ偉丈夫は、教科書の内容を簡潔にまとめている。

 黒板に書かれた文字は未だに理解できなかったので、聞いた内容をそのままノートに書き込んでいくしかなかった。リックストンも心得ており、何度も手と口を止めて授業を行ってくれている。

 歴史の授業。

 この世界のこれまでをおよそ一時間にも満たない時間で教わっている。当然細部までは全く触れられていない。大雑把な内容は、当然おれに向けてのものである。これから同じ学び舎で学ぶ者として付いてきて貰わなければ困るとまで言われた。

 おかげで大体のことは理解できた。

 この世界、というよりも彼らの祖国は貧しい国だったのである。

 増える人口、目減りする資源。経済的にも裕福と言い難く、産業としても確かなものを持てなった国家。いや、おれ自身国家なんてものを論ずるほど博識ではなかったが、リックストンの言葉を聞く限りではそうとしか思えなかった。

 というよりも、リックストン自身がそう考えているのだろう。決して貶めるような言葉を使ってはいないが、一度も祖国を誇ることのない語り。年号と人物、それにまつわるエピソードはあまりにも素っ気なさすぎるように感じた。

「未到達点。新天地と呼ばれる場所には全てがある。資源、土壌、水、土地、緑。我らが生きるために必要な全てがそこにあるのだ。だからこそ我らは二十年にも及ぶ時間を掛け、様々な困難を乗り越えてここまでやってきた」

 淡々とした口調でありながら熱の入り方が違う。

 黒板に刻むチョークの音が良く響く。瞬く間に地形が描かれ、国名が記された。

 複数の陸地とその外に広がる巨大な大陸。

 所々途切れているのは幾筋かの川が流れているせいだ。大陸のそこかしこに国名と思しき文字が記され、最後に二点を付け加えた。

 黒板の端と、それより少しばかり中心に寄った点。

 リックストンは中心に寄った点を指した。

「ここが、今我々がいる場所だ。これを見て思うことはないか、セルタ」

 突然の振り。

 あまりにも唐突だったが、セルタは淀みなく答えた。いや、思ったことをそのまま言ったと言った方が正しい。

「はい。近いです」

「その通り。既に我々は目的地の目と鼻の先にいる。ほんの僅か、あとほんの僅かで長い旅路を終えることができる。我々の悲願は間もなく成就する。そう、我々は思っていたのだ。あれと出会う前は」

 ざわっと、教室が騒がしくなった。

 ノートから顔を上げると何故か周囲の雰囲気ががらりと変わっている。

 皆一様に表情を強張らせている。三人娘すらも目を丸くし、セルタに至っては信じられないものでも見たようである。

 リックストンはそれに構わず授業を続ける。

 天井に手を伸ばし、スクリーンを引き出した。教室の照明が突然消え、背後でプロジェクターが起動した。

 いつの間に準備したのか。そんな疑問も画面に映ったそれを見て消えた。

「これが、我々がこれまで遭遇した脅威。名前はない。番号で奴らを識別している」

 その数、三十五。

 いずれの形状もばらばらだったが、そのどれもが凶悪な面をしている。おぞましいと言った方が正しいのかもしれない。一番隅っこには見覚えのある姿があった。

 巨大すぎる咢、この艦すらも消し飛ばさんばかりの光の奔流。

 それが他にも、これだけいたのだ。

「推測でしかないが、奴らの目的は我々を未到達点へとたどり着かせないことだ。何者かの意志によるものなのか、奴らが他にもまだいるのか。我々はまだ何一つわからない。ただ言えるのは、奴らを乗り越えなければ我々には未来がないということだ」

 

「諸君らに期待する。我々は既に船員ではない。一人一人が祖国の命運を握る戦士だ。皆が最善を尽くし、祖国を救ってほしい」



 出されたのは、味のないスープと干し肉、野菜らしき物体が混ぜ込まれた粥だった。

 飲み物は水だけ。給水器もなくおかわりはないらしい。

「なにか?」

 給仕のおばちゃんがマスクの上から鋭い眼差しを向けてくる。渡すときは優しい目をしていたくせに、お残しは許しまへんで的な目は止めてほしい。

 文句も言えぬまま席に向かう。

 わいわいと騒がしい食堂の一角に見知った顔を見つけた。

 セルタ、フローラ、カレン、エリス。

 おれ達は授業を終え、昼食をとりに食堂へやってきていた。

「相変わらず、ここの飯だけは慣れないなぁ」

「まだ二週間ですから。私なんて慣れるまでは一か月くらいかかりましたからね」

 二週間。

 改めて言われると、随分とあっという間の出来事のように感じた。

 最初は授業についていくことどころか、文字を読むことすらできなかったことが懐かしい。家に帰ってからの復習とセルタによるマンツーマンの指導で大分理解できるようになった。

 まだ自分で文章を書くまでは至っていないが、それでも十分だろう。

 その間にこの世界のことについてもいくらか知ることができた。

 何より、彼女達と親しくなれたのが一番の収穫である。

「贅沢な奴だなー。腹に入れば全部同じなのに。なぁ、フローラ」

「ううー、あたしだって慣れないわよー。ああ、クレープが食べたいー」

「お姉ちゃん、贅沢言わないの」

 スプーンを粥に突っ込む。

 どろっとした感触は、まぁ気にするほどでもないが、口元に持ってきても匂いもしないのは如何なものか。湯気だけは微かに感じられるものの、どうにも食欲がそそられない。昨日の時点で味を知っているのだから、なおのこと気が進まなかった。

 そっと、一口啜る。

 なんて味気ない。

 塩っ辛さもなく、白米の甘さも感じられない。野菜を食べても苦味もなく、口当たり自体はまともなせいでなんとも言えない気分になった。

 不味くもなく、美味くもない。

 話題にするのも難しい、そんな味だった。

「もっと、こう、なんていうかな。塩っからさとかしょっぱさというか。色んなもんが全然足りてないぞ、これ」

「確かに。塩はいる」

「あら、セルタちゃんも贅沢病? 変なこと教えないでくださいよ、可愛そうに」

「そうだぞ。飯なんて腹いっぱいになればなんでもいいじゃん」

 不満げなおれ達とは対照的に、カレンとがつがつと、エリスはぱくぱくと皿を片付ける。周囲を横目に覗いても特に不平不満はなさそうだった。

 慣れというやつだろうか。いや、いくらなんでもこれに慣れるとは思えない。

 一口が重い、というのは初めての経験だった。

「ううー、お姉ちゃんは全然なれないよぉ。セルタぁ、お姉ちゃんを助けてぇ」

「おい、泣いてるやつもいるじゃねえか。これは直訴すべきだろ」

「お姉ちゃんを泣かせないで。飯まずは滅ぶべき」 

「無いものねだりは見苦しいですよー」

 いくら騒いでも飯は美味くならない。エリスに宥められながら、渋々スプーンを動かす。一皿平らげるころにはすっかり会話がなくなってしまった。

 周囲の騒騒しさとは対照的な雰囲気に堪えられなくなって、おれは適当な話題を振ることにした。

「さっきの授業面白かったなぁ」

「面白い?」

 一番早く反応したのは意外なことにカレンだった。食後のお茶もどきを啜りながら、不思議そうにこちらを見ている。

「ああ。なんていうのかな。おれ達の世界だと歴史の授業ってもっと殺伐としてるっていうかさ。身近な話じゃないんだよ」

「それってどうゆう意味ですか?」

「おれ達の世界、っていうかおれが習った歴史って基本は戦争が中心で話が進むんだよ。どこどこでどこの国とどこの国が争いましたってな感じでさ。その結果、どっちが勝ってどんな影響があって今の世界になりましたみたいな。けど、こっちの歴史は違う。いついつにどんなものが開発されて、それが未だに残っていてこういう技術や文化が発展しました。そのお蔭で現在の生活が出来ていますみたいな感じじゃん。そもそも戦争自体が少ないみたいだし」

 年号、国家、人物、それに付随した出来事。

 その全ての結びつき方がこれまで耳にした授業のそれとは違っていた。リックストンの教え方のせいかもしれないが、戦争ではなく文化で紡ぐ歴史は個人的に新鮮だった。

「へー。あーでも確かに。戦争ってのはあんまりなかったかもなー」

「それよりさー、そんなことを考えてることの方がキモいんだけど。授業の話を昼食時にするとか空気読めなさすぎ」

「あ、気にしないでください。フローラは寝ていたので話に混ざれないから拗ねているんです」

「ちょ、エリス。あんた裏切る気っ?」

「それより」

 ぽつり、とセルタが言葉を発した。唐突なタイミングに思わず視線を向ける。普段と変わらぬ無表情のまま彼女は言う。

「どうして、あれを見せたんだろう。私だって、こないだまで見たことなかったのに」

 あれ。

 思い浮かぶのは、スクリーンに映し出された三十五体の写真だ。あれを見た時のセルタの反応と教室のそれは確かに印象的だった。

 僅かな沈黙。

 カレンが口を開いた。

「そういう段階になったってことだろうねー」

「ちょっと、カレン、あんた…!」

 がしゃん、とフローラが台を叩いた。

 身を乗り出してカレンを睨み付けている。カレンは目線を外して素知らぬ顔をした。

「まぁまぁ。落ち着いて、フローラ。実際、リックストンはそれを伝えたかったんだと思うわ。ようやくその時が来たってね」

「エリス、あんたまで…」

「しょうがないんじゃない? 二十年待ったんだしさ」

「……っ!」

 会話の流れがつかめない。

 事の発端となったセルタも目を丸くしている。

 フローラの表情は険しくなる一方で、カレンとエリスもどこか尋常ならぬ雰囲気を発し始めている。

 一触即発。

 わけがわからないまま、どうにか場を納める方法を考え、


「あ、黒崎。隣良いかな?」


 突然、声を掛けられた。

 見るとこれまた見知った顔がそこにいた。確かクラスメートの、誰だっけ?

 カレンが不思議そうに首を傾げた。

「あれ、アンナじゃん。今日、午後から休みじゃなかったっけ? 収穫あるっしょ」

「ああ、うん。なんか気分じゃないって言うか、ね」

 そそくさと空いている席に座る少女。

 赤毛でそばかすのついた活発そうな顔。そういえば、と思い出す。教室でカレンとよく話していた少女だ。

 急な珍客に驚いたが、それで終わりではなかった。

「やっほー、テツオ」「黒崎、ここいい?」「あ、テツオー」「テツオ、おつかれさん」「はーい、黒崎」

「んんっ?」

 ぞろぞろとやってくる少女達。いずれもクラスメートであり、まだ碌に話したこともない面子である。

 おれだけが声を掛けられる理由はよくわからない。しかも、彼女らはおれ達のテーブルを囲うように立っている。

 不審に思ってフローラたちを見てみれば、何故か憮然とした顔をしている。

 アンナが何故か、頬を赤くして言った。

「あの、さ。放課後ゲーセン行かない?」

 

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