第9話 今更、学校ってどーなのよ? 二
あっという間に放課後になった。
まさかレクリエーションもなく当たり前のように授業が進むとは思わなかった。しかも、隣の女子に教科書を見せてもらう、なんてドキドキのシチュエーションすらなかったのだ。
教科書どころかノートに参考書まで一式全てが揃えられていた。なにが書かれているかなんてのは当然ながら理解不能。ただ、アプリに辞書らしきものがあったので帰ってから翻訳することはできそうだった。ノートには似たような模様を適当に書いておいた。教科書の頁数は聞き取ることができたのでそこだけはメモした。
「そんじゃ、またねー」
大きく手を振るクラスメートたちにこちらも手を振り返す。
それぞれ実家の手伝いがあるからと早々に教室から出ていった。違いは店先に立つか田んぼや畑を耕すか。学業が終われば家計のために働くのがこの世界のスタンスらしい。
「…いや、ま、いいんだけどね」
もうちょっと、こう、なんだろう。
放課後と言えばもっと雑多な感じだった記憶がある。やれ部活に遅れるだのどこどこのラーメン屋がうまいだのウイイレやろうだのと。思い返すと男としかしゃべっていないことに気付く。女子と会話なんてもちろん女子の会話すら聞いた覚えがない。おかしいな、おれ共学に通ってなかったっけ。
「テツオ、どうかした?」
「いや、なんか悲しいことを思い出した」
「え?」
「いや、すまん。なんでもない」
「変なの」
セルタは不思議そうに首をかしげた。
「おーい、はやくいこうよー」
廊下から声が聞こえた。
見れば、扉の外から三人娘がこちらを見ている。三人とも鞄を持って帰り支度は済んでいるようだった。
「みんなで街に行こうって」
「街?」
「テツオにこの世界のことを知ってもらおうと思って。行くよね?」
「ああ、もちろん」
「じゃ、はやく準備して」
セルタはそうとだけ言って教室を出た。
おれは急いで鞄に荷物をしまい込む。鞄は用意されてあったものだ。だが、通学用のそれでは明らかに許容量を超えてしまった。重量もさることながら片手で持ち運びするタイプだったのでひどく運びにくい。
なんとか教室から出る。
えっちらおっちら運ぶおれを見て、フローラが笑う。
「だっさ。置いとけばいいじゃん」
「うるせえ。何書いてあるかわかんねえから帰ってから確認すんだよ」
「おー、テツオって真面目なんだね。あたし、教科書なんて読んだことないよ」
「カレン、それはさすがにまずいと思う…」
「おお、エリスも真面目だったっけ。あ、そうだ明日宿題写させてね。あたしじゃ解けないし」
「あ、あたしも! あの禿マジ教え方ヘタじゃね? えっらそうだしさー。リックさんならもっとわかりやすく教えてくれるのにさー」
「宿題は自分でやりましょう! ていうか、それでこないだ私怒られたんだよっ?」
わいわいがやがや。
無駄に姦しい会話に混ざりながら学校を出た。
*
やべ、超楽しい。
出来立てのクレープもどきを頬張りながら、おれは幸福をかみしめていた。
ここはフローラたちのなじみの店だ。女子高生らしくクレープや甘いものを取り扱う店のようである。
店内にはおれ達以外客もいない。窓から見える景色には、おれの世界にあった建物と同じような物が並んでいる。看板に踊る文字だけが、おれの知っているそれとは違っていた。
「けどさ、実際こことそっちって何が違うわけ? うちの親父に聞いても教えてくんないんだよねー」
巨大なパフェらしきものを崩しながら、フローラは言う。
口元に付いた白いクリームのようなものをセルタがハンカチでふき取っている。どちらも嫌な顔をしていないのが不思議だったが、それ以上にこの光景に違和感を覚えないのが不思議だった。
いや、まぁ、仲のいい姉妹にしか見えないからかもしれない。
「大して変わんないからな。実際、おれが住んでたとことそんなに違いもないし。人種? くらいじゃないか」
「なんかつまんないねぇ。そっちは、もっとこう、なんかあるのかと思ってた」
大げさなジェスチャーをするカレン。
小食らしく小さな器の餡蜜らしきものをちまちま口に運んでいる。
「なんかっていわれてもなぁ」
「お菓子の家とか空に浮かぶ島なんかはないんですか?」
眼鏡を光らせながらエリスは言う。
どうでもいいがフォークを向けるのは止めてほしい。そもそもホールのケーキをそんなもので食べるのは間違っているような気がする。いや、正確にはホールのケーキのようなもので、一人で食べるものではないと言った方が正しいか。
突っ込むべきか悩んだが、結局スルーして質問に答えた。
「それこそこっちにありそうなもんじゃないか。おれんとこにはこんな移動する怪獣みたいな乗り物はないしな」
しかも動力が腕力とか冗談にもならない。
中にいて振動を感じないのは何かしらの仕組みがあるのだろうが、それなら動力の方をなんとかすべきではないだろうか。
いや、ま、異世界の事情なんてそれこそよくわからないが。
「え、じゃあ、どこで暮らしてんの? 地下にでもいんの?」
「そりゃ、地上だろ。お日様の下」
「「「えええええっ!」」」
何故か、全員が目を輝かせる。
セルタまでも驚いた顔をしていた。
リックストンの話を思い出す。
生存圏を広げるための開拓団。存外、この世界は生きにくい世界なのかもしれない。
「やっぱり、テツオは坊ちゃんなんだ」
「坊ちゃんってなんだよ」
セルタが言う。
突然何を言いだすのかと思ったが、何故か周囲は納得したような反応である。フローラに至っては何故か鼻で笑うような顔をしている。
「なんだよ、言いたいことがあるならはっきり言えよ」
「いやいやいや、ねぇ?」
「まぁ、ねぇ?」
「んー、そうなのかなっていうか、ねぇ?」
「うん」
「うんじゃねーだろ!」
益体のない会話が続く。
適当な話題に適当な返し。盛り上がったり、盛り下がったり。中身ではなくその場の雰囲気とノリを合わせた会話がここまで心地よいとは思わなかった。
「まぁ、でも育ちはいいって感じ? あたしらもその気はあるけどさ、なんていうか、お坊ちゃんっぽいんだよね」
「そうそう。男らしさが足りないって言うかガキっぽいっていうか。下ネタもないし」
「下ネタはともかく、たしかに礼儀正しいと思います。ただちょっと真面目過ぎる気がするというか」
「お日様の下に暮らしてるし」
「こっちではそれが普通なの! ていうか、真面目ってなんだよ! 悪口ですらねえじゃねえか!」
「もうその反応があれだよね」
「あれだね」
「あれだよねぇ」
「あれだってさ」
なんだこの空気は。
多勢に無勢。
思い出した、女との会話ではいつもこうなるのだった。一対一ではそうでもないが、多対一だと何故かこちらを弄り始める。
全くもって面倒くさい。
おれはクレープに集中することにした。
「もうその反応があれ臭いんだよね。テツオって彼女いなかったっしょっ?」
「やかましいわ!」
けらけらと笑う三人娘。セルタもまんざらではない顔で笑っている。
本当に意味のない会話である。だが、結局話題は尽きず、夕方まで居座った。
なんというか、まぁ。青春ってのはこういう時間の積み重ねなのかもしれない。
どうでもいい話だが、夕方までおれ達以外の客は来なかった。だから、どうという話でもないが、何故かそれが妙に気になった。
*
空が赤い。
屋内という事実を知らなければ素直に感動しただろうが、どうにも斜めに見てしまう。グラフィックなのか何なのかわからないが、ここまで見事過ぎると逆に白けてしまうのだ。
通りには相変わらず人通りが少ない。
その大半が人型であり、異形の存在はあまりにも少ない。
それでも何食わぬ顔で過ぎ去っていく様子が異常と言えば異常なのだろう。正直、何かしら物足りなさがあるが。
「あー、今日も一日頑張ったーっ!」
フローラが叫ぶ。
全身をフルに使って叫ぶ姿は気持ちよくなるほど清々しい。なんて男らしいのだろう。見た目はお子ちゃまのくせに大したもんである。
「頑張ったっつっても、授業受けてくっちゃべってただけじゃねえか」
「おお、テツオがまた白けること言ったぞ。そんなんだから彼女できないんだぞー」
「そうそう、会話はお互いのことを知るための第一歩なんですから。おろそかにすると痛い目見ちゃいますよ?」
「見ちゃうってさ」
「へいへい」
短い間に人間関係は構築される。
小一時間話をして思ったことは年齢に関係なく男は女に口でかなわないということだった。いや、思い返せば小中高大学とどの段階でも勝てた覚えがない。まさか年下にここまでいいようされるとは思わなかった。
まぁ、それもどこか懐かしく感じる自分がいるのも確かだ。
僅か数ヶ月とはいえ、社会に出るとそれまでの関係性が大いに変わる。学生の頃と社会人としての異性の関係は全く異なるのだ。
社会人はよく言えば節度を持ち、悪く言えば距離を置く。
その関係性をどこか冷たく感じたのはおれだけなのだろうか。
こうしてまた学生のころのそれを経験するとそれがどれだけ大切なものだったのか、よくわかる。
「テツオさぁ、あたしらより五つも上で彼女なしとかマジヤバすぎるっしょ」
「さすがにいたことはあるでしょ。三日くらいでフラれてそうだけど」
「なんか一回デートしてそのままって流れじゃないですか? ね?」
「そうなの?」
「お前らほんといい加減にしとけよ」
どれだけ大切なものだったのか、よくわかるのだ。
通りをしばらく歩くと風景がまた一変した。
坂道の向こうに無数の篝火が見える。照らされているのは先ほどまで学生で溢れ返っていた校舎である。
それだけではない。
先ほどまでなかったはずのものが見える。
校門の前に立つのは衛兵だろうか。
銃のような筒を掲げた異形の者達が睨みをきかせていた。
遠目でもわかるのは、その体格故だろう。校門の塀は見上げほど高かったが、それよりも頭一つ分は大きい。下手したら三メートル近い長身である。人間では考えられない。
「ここは」
「ああ、あたしたちはここで寝泊まりしてるの。驚いたでしょ」
「昼は学校だけど夜は軍事基地ってことなんだって。どういう仕組みなのかよくわかんないけどさ」
「へぇ。あれ、でもおれ達は」
「テツオ、帰りはこっちからじゃないと着かない」
「あ、そうなのか」
「道を覚えるのは大変だと思いますけど、コツをつかむと簡単ですよ」
坂道を上る。
案の状、門番は人間ではなかった。
一つ目の巨人と牙の生えた巨人。
異形ではあって愛想はあるらしく、彼女達に笑顔で挨拶を交わす。おれも会釈すると笑顔で会釈を返してくれた。
校門を潜ると、もうそこは記憶にあるそれとは違っていた。
「馬鹿野郎共、てめえらには金玉ついてんのかぁっ!」
怒号が響く。
グランドの一角。昼までは芝生まで敷かれた競技場が何故か泥だまりになっている。そこに数人の男が立って泥に向かって罵詈雑言をあびせかけている。よくよく見れば泥の中心部にはなぜか男たちが座り込んでいた。
他にもグランドを列を為して走る男達。匍匐前進で進みながら障害物を乗り越える男達。何故か無駄に筋トレを続ける男達もいた。人型だけではなく異形の者達も混じっている。
なんだ、これは。
華やかだった学校が数時間で無駄に男臭い空間へと早変わりしていた。
「あ。おーい、パパぁッ!」
フローラが叫ぶ。
泥だまりの方に手を振っているが、誰も反応しない。
目を凝らしてようやくその人物を見定めた。
スティーブである。
何故かグラサンをし、罵詈総合をあびせている。
こちらに気付いていないのか、泥だまりから目線を外さない。フローラも飽きたのか手を振るのをやめた。
セルタが首をかしげている。
「お父さん、どうしたの?」
「訓練の時はいっつもあーなの。まったく可愛い娘がわざわざ呼びかけてあげてるってのにさー。そりゃ忙しいのはわかるけどさー」
そう言いつつ、フローラもむすっとした顔をしている。
訓練。
空を見上げれば星が瞬いている。こんな時間からとは随分とご苦労なことだ。
濁声は止むことはなく、どんどん声高になっていく。
「もう、行こ。明日も学校あるし」
「うん。テツオ、セルタまた明日」
「ばいばい。二人とも、明日の宿題忘れちゃだめだよ」
三人娘は校舎へと向かった。
罵詈雑言を背に、おれ達は帰路につく。
こうして、学校初日は終わった。
*
『いや、実に素晴らしい。モニターの前で延々と雑事に追われた俺からすれば、とても興味深い話だ。まったく、君は恵まれているなぁ。死ねばいいのに』
くたびれた、弱弱しい罵声。
ハイになってはいないようだが、それでも何かしら限界を迎えているようである。言動が妙に回りくどいのは惰性でしゃべっているせいか。かたかたと何かを叩く音がかすかに聞こえるのは気のせいだと思うことにした。
「そう言われましても。実際、授業を聞き流してくっちゃべってただけみたいなもんですよ?」
『異なる環境に順応するのはそう簡単なことじゃない。大学生になって一人暮らしをすることとはわけが違う。その点だけは、君は誇っていい』
それは違う、全部彼女達のおかげだ。
おれは口がうまい方ではないし、当然ユーモアのセンスなんてもんもない。ずかずかと踏み込まれるのは少し閉口したが、そのお陰でいくらか馴染むことができた。
あれが十代特有の距離感なのか、彼女達だからなのかはわからない。それでも救われたのは確かである。
『まぁ、上手くやっているのはいいことだよ。どこにいっても人間関係は大事だからね』
「ええ。親交を深めていきたいと思います」
『ああ。けれど、そうだな。思いの外、順調なようだし。そろそろ本業を始めてもらってもいいかもしれないな』
「本業ですか。しかし、依頼人の方が」
『それももちろん大事な仕事だ。けれど、うちが何によって儲けを出しているか。君はその点を忘れているようだな』
儲け、と言われてピンときた。と同時に違和感を覚える。
「異世界の技術ですか。でも、ここはもう取引がありますよね」
『技術というのは一定ではない。どこかで改善され、または淘汰される。まして異なる世界同士の技術ならば異なる環境に適合した技術の進歩が発見できるはずだ。これまでもそうだったしね』
技術の適応。
小難しい話はよくわからないが、大事なのは仕事だということだ。この世界の技術で元の世界で使えるものを手に入れろということなのだろう。
「わかりました。なにかしら探してみます」
『難しく考えることはない。存外、身近なものにこそ価値ある何かがあるものだからね』
それじゃ、と通信は一方的に途切れた。
背筋を伸ばす。
既に夕飯は済ませた。
一日の行事はほぼ終わった。残るは明日のために行うべきことだけである。既にセルタは部屋に篭り、とりかかっている筈だ。
「宿題なんて久々だな」
教科書とノートを取り出す。
宿題の内容は教科書に書かれた練習問題だ。基礎の基礎であるらしいが問題の内容すら理解できていない自分としてはきちんとできるかわからない。
ノートと教科書を開き、スマホを翳す。
直後、文字が形を変えた。
「…ほんとに、どうなってんだこれ」
瞬く間に日本語に変換される教科書。こんな魔法みたいなことができるのに、異世界の技術なんて本当に必要なのか疑わしくなる。
と言っても、お仕事なのだから仕方がない。
初任給もまだとはいえ、サラリーマンとは上からの命令に逆らえない人種なのだから。
せっせと宿題に取り掛かる。
文字を読めれば、内容もある程度理解できるものだった。これなら徹夜しなくて済むかもしれない。
「しっかし、なんで授業中は使えなかったんだ?」
そうすりゃ随分と楽だったのに。
恨み言を口にしても、当然スマホは何も答えない。
機嫌を損ねるのも嫌だったので、それ以上は口にせず宿題に集中することにした。
*
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