第8話 今更、学校ってどうなのよ?

 学校。

 大学を出て、まだ数か月の身であってもその響きは随分と懐かしいもののように感じる。というか、三年までで単位をとっていたし、卒論なんざ自分との戦いでしかないのだから当たり前の話なのかもしれない。

 学校に通う。どころか授業に出るなんて、それこそ悪い冗談にしか思えなかった。

 そもそも年齢的にもアウトだし、セルタの口ぶりでは学校に通っているのは女子だけなのだそうだ。

 女子だけ、つまり女子高。

 まったく、やってられない。

 確かに字面だけ見ればハーレムだのとなんだのと胸が躍る気分にならなくもないが、二十歳を過ぎた男としては面倒な気分になる。しかも相手が十代なのだ。本当にやってられない。世代間ギャップどころか大人と子供の線引きとなる年代がどうして同じ机を並べて学ばなければならないのか。

 まったく、本当にやってられない。

「…おはようございます」

「おう、おはよう」

 寝ぼけ眼のセルタが現れた。

 水色のパジャマには色気なんてもんはまるでなかったが、丈の合わないそれはこちらが微笑ましくなるような愛らしさがあった。

 不機嫌そうに眉をしかめながらこちらを見つめている。

「朝、早いんですね」

「そうか?」

「それに、その服」

「ああ、これか? なんか玄関先にあってな」

 袖口をひっぱてみる。

 黒を基調にした生地は思いの外弾力がある。着心地自体も悪くなく、サイズもぴったり。見た目は、まさしく学生服だった。

「これ着て来いってことなんだろうけど。まったく、準備が良過ぎるよなぁ。ここまでされちゃいかないわけにも行かないっていうかさ」

「…そう」

 セルタはそのまま居間を横断し、水場へと向かう。

 ばしゃばしゃと顔を洗う音がした後、再び居間に現れる。

 しかめっ面が消え、普段通りのすまし顔。セルタはエプロンを身に着けるとすぐに台所に向かった。

 待つこと数分。

 出て来たのはどう見てもスクランブルエッグとベーコン、そしてサラダである。これだけ見ると本当に異世界なのか怪しくなってくる。最後にごはんと味噌汁のようなものまで出されてしまっては、もはや考えるのもばからしくなった。

 テーブル越しにセルタと向かい合い、合掌。

「いただきます」

「いただきます」

 しゃきしゃきとサラダから食べる。

 歯ごたえは記憶のそれに違いないないし、味も同様だった。ただスーパーのそれよりは新鮮な気もした。

 卵はふわふわのとろとろで調理人の技量がそのまま美味さに表れている。ベーコンも焼き加減が絶妙で、ごはんとの相性が抜群だった。豆腐のような物体が浮かんだ味噌汁のような…面倒になった、味噌汁もほっとするほどよくできている。

 食事はあっという間に終わった。

 会話の一つもない食卓だったが、それでも満足出来た。

 対面に座る彼女については、まぁ、よくわからないが文句があるような感じではないようだった。

 セルタは食器を全て持って台所へと消えた。直後、カップを一つもって戻って来た。

「珈琲、どうぞ」

「…ありがとう」

 まんまじゃねーか。

 もう突っ込む気力もなくなって、カップを受け取る。

 セルタはその足で台所へ。

 かちゃかちゃと食器がぶつかる僅かな音がした、と思った時には居間に戻って来た。相変わらず出鱈目なまでに手際が良い。

「着替えてきます」

「ああ」

「覗かないでくださいね」

「ああ」

「…本当にですよ」

「わかったって」

 何故かつまらなそうな顔。

 いや、普段の表情と変わりないように見える。が、雰囲気というかなんというか。どこか不満げに彼女は自室へと向かった。

 心なしか階段を上る音も硬い気がする。

 さて、彼女は何を求めていたのだろうか。まぁ、おれの返しにセンスがなかったのも間違いないだろうが。

「着替えてきました」

 何故か、そう宣言するセルタ。

 居間の引き戸を開けて、そのままこちらを見ている。

 ポーズを決めているわけでもないが、なんとなく次の言葉を待っている気がした。

「おお、似合ってるな」

「そうですか」

 セルタは相も変わらず不愛想に答える。

 だが、心なしか満足そうにしているような気がする。台所に向かう足取りも、どこか軽やかに見えた。

 いい加減冷めてきた珈琲を啜る。

 なんだ、これは。


                *


 登下校の風景が懐かしい。

 セウタの家を出て数歩。例のごとく周囲の風景が瞬く間に変わり、おれとセルタは校門と思しき建物の前にいた。

 周囲には学生服を纏った少女達。

 一番のラッシュ時に来たようで、近くにいる少女達の会話まで聞き取れる。でさー、えー、でもー。翻訳機のせいかもしれないが十代の少女の会話はどうにも話の内容がつかめない。無駄に伸ばす語尾はどの世界でも共通なのだろうか。

「すごい」

 セルタが隣で呟いた。

 普段の不愛想な表情と打って変わって輝かんばかり瞳を見開いている。周囲の女生徒を遠慮がちに見つめる様は小動物の挙動に似ている様に思えた。

「すごいって、いつも見てるんじゃないのか?」

「初めて見ました」

「初めて?」

「はい、学校に通うのも初めてです」

「え?」

 

「あー、見っつけたーっ!」


 甲高い声が響く。

 ただ高いだけでなく周囲に良く通る声は行き交う人々を一瞬で足止めした。一瞬驚いたが、聞き覚えのある声と上空から降り注ぐ眩い光でその声の主を特定できた。

 太陽よりなお赤い光。

 その光源である彼女は、


「セルタ―っ! お姉ちゃん待ってったよぉーッ!」


 ほぼ垂直にセルタへ向かって落下してきた。

 

「ばっ」

 かじゃねーか、と言おうとしたんだと思う。

 叫ぶ前に身体が反応し、セルタを突き飛ばす。次いで、落下してきた少女を抱き止めようと腕を掲げ、目を疑った。

 するりと。

 彼女は慣性の法則やらの物理法則を無視してセルタへと抱き付いた。いや、ほんと、いっそ気持ち悪いくらい滑らかな動きだった。

 少女、フローラは猫のようにセルタに刷りついている。

 セルタもセルタで、どこか困ったようなうれしいような顔をしていた。

「お姉ちゃん。びっくりした」

「あは、ごめんごめん。もー居てもたってもいらんなくてさー。お姉ちゃんは感激ですっ」

「だめだよ、もう」

 きゃっきゃと姉妹で戯れている。

 おれは前に突き出した両手を引っ込め、咳払いをする。セルタがそれに気づき、フローラにも立ち上がるよう促した。

 直後、赤い火の玉ガールの牙が抜かれた。

「ちょっとテツオ、あんた、セルタを突き飛ばすとか何考えてるわけっ? セルタは女の子なのよ、もっと繊細に扱ってよねっ!」

「お、おう」

 いや、それよりもさっきのはなんだ。

 そう言おうかと思ったが、その質問自体が無意味であることを思い出す。

 空を飛ぶ姿は既に目撃していたし、先ほどよりも自由自在に動き回っていた。吹き飛ばされなかっただけ加減していたと思うべき、なのだろうか。

「お姉ちゃん、私は大丈夫だから。それにさっきのはお姉ちゃんに問題があると思う」

「えー。そんなことないのにー」

 ぶーぶーと文句をいう火の玉ガール。

 あまりに派手な登場に周囲の人間も何事かと注目しているかと思ったが、先ほどと同じように校門をくぐっている。

 見慣れた光景なんだろう。

 そんな事実に頭が痛くなってきた。

「おー、その子が妹?」

「結構大人びてるねー」

 頭上から更に二つの声。

 見上げると二人の少女が宙に浮いていた。

 もう一人は黒髪のロングヘアー。きりりと眦が上がり、不敵な笑みを浮かべる様は見ていてすがすがしさを覚える。

 一人は、緩いウェーブがかかった栗色のショートヘアーに眼鏡を掛けている。鼻筋が高く、彫りも深いので大人びて見えるがどこか柔らかい雰囲気がある。

青と緑。

 いまでこそ光を纏っていないが、あの時の二人で間違いないようである。

「はじめまして、私はカレン」

「私はエリス、よろしくね」

「セルタです。よろしくお願いします」

 少女達はお互いに自己紹介を交わす。

 次いで、おれを見た。

「で、そっちがテツオ?」

「異世界から来たんだよね」

 馴れ馴れしいと思ったが、文化が違うと自分に言い聞かせる。そんな些細なことに文句をつけてもしょうがない。

 なにより、

「ああ、これからよろしく」

 これから同じ学び舎で学ぶ者同士でいがみあっても仕方がないのだから。彼女達も通りにいる少女達と同じように学生服を着こんでいる。

 

                   *


「本日より諸君らと共に学ぶ新しい生徒を紹介する。黒崎、前へ」

「はい」

 二メートルを超える上背と厚みのある身体。教壇に立てば普段よりも威圧感が数倍に増す巨漢に促され、前に。

 四十の瞳に曝され、少しばかり気おくれした。

 いや、受け狙いの出し物ならばまだ勝手がわかるが、どうにも自己紹介というのは苦手だ。なにか仕掛けようにもこちらの常識を知らない。結局、名前を名乗るだけにとどめておくことにした。

「黒崎哲夫です。よろしくお願いします」

 ぱちぱちとまばらな拍手。

 なんとなしに目を向けると三人娘がいた。

 フローラ、カレン、エリス。

 三人とも愛想よくこちらに拍手をくれていた。

「知っている者もいると思うが彼は異世界から来た人間だ。こちらの常識をほとんど知らない。言葉については通じるようだが字の読み方や書き方までは理解していないそうだ。これから様々な場面で彼が不自由に感じることが多くあると思う。その時は同じ学友同士助け合うことを期待する」

 はーい、と明るい返事が返ってきた。

 いやいや、なかなかどうして、これは。

 緩みそうな口元を気合で引き締める。

 なんというか、面倒そうとか思ってもみたけれどこれはこれでありなのやもしれぬ。我ながら現金だと思うがこうも心地いいとは思わなかった。女子校生って素晴らしい。もちろん、下心はまるでない。ないったらないのだ。

「そして、もう一人。こちらは諸君らもよく知っているだろう。セルタ、前へ」

「はい」

 おお、とどよめきが起こる。

 教室の女子の視線はそれこそ射抜かんばかりに少女を見つめていた。

 あれ、なんかおれの時と違くね。

「セルタです。よろしくお願いします」

 ぺこり、と頭を下げる。

 それだけである。それだけなのに、何故か教室中が歓声を上げた。

 拍手喝采、雨あられ。

 十代特有の黄色い声援はもちろん、フローラに至ってはセルタに抱き付いている。驚くのはそればかりではない。

 何故か二メートルの巨漢、リックストンも涙目なのである。

セルタはといえば、困ったようなうれしいような曖昧な表情。

なんだ、これは。

 と、唐突に先ほどの言葉を思い出す。

『はい、学校に通うのも初めてです』

 …まぁ、さすがにその意味まで理解できたわけではないが。それを問い質すのもなんだか無粋な気がしたので拍手に加わる。

 ぱちぱちぱち。

 こうして学園生活の主役は華々しくデビューしたのであった、まる。


                   *

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