第7話 長い一日の終わり

                 *


「ごめんねー、うちの馬鹿親父っていっつもあーだからさー」

 あはははー、と無駄に明かる声。

 親父がぶっ飛ばされたにしては随分と軽い反応である。

 件の親父はリックストンの鉄拳制裁を受けた後、そのまま連行された。狭い室内にはおれを含め三名が残されている。

 フローラは笑みを浮かべてベッドに腰掛け、セルタは無表情のまま椅子に座っている。おれは立ったまま二人と向き合っている。

 なるほど、見比べれば確かに姉妹としての面影はあるなと思った。

「それでさー、クロサキテツオは…あー、略称で呼んでいい? クロテツとかサキオとか」

「テツオでいい」

 サキオって誰だ。

 んじゃそれでー、とフローラは満面の笑みを浮かべる。

 なんというか随分とふわふわとした雰囲気である。チャラついているとも違う、妙な不安定さ。表情がころころ変わる様はある種魅力的なのかもしれないが、どうにも付いていけない。

 何よりこちらを見つめる視線がむず痒い。

 相手の目を見て話すというのは常識だが、どうにも彼女は行き過ぎている気がした。まるで、こちらの中身を見通そうとしているような。

 大きな目が暴力的に輝いている。

「それでさ、テツオはなんでこっちに来たの? ていうかどうやって来たの? あたしもあっちに行ける? あっちってどんなとこなの? おいしいものある?」

「お、おう」

 矢継ぎ早の質問に生返事で返す。

 というか近い。

 身を乗り出して聞いてくる様は幼稚園児よりなおひどい。何が酷いって、女子高生くらいの歳のくせに随分と無防備すぎる。気のせいか無駄に胸を強調している気がした。

 …まぁ、なんだ。

 おれの趣味からは離れているので助かるが、だからといってこのまま質問され続けるのも疲れる。

どうしたもんかと困っていると、

「姉さん、テツオをいじめないで」

 セルタが助け船を出してくれた。

フローラと比べ、随分と落ち着いた声である。

「えー、イジメてなんかいないよー。ていうか、留守番してなきゃだめじゃない。ちゃんと戸締りしてきたの?」

「私、そこまで子供じゃないわ」

「私からしたらまだまだ子供ですー」

 もー、と唇を尖らせるフローラ。

 その仕草こそ子供そのものである。対するセルタは、言葉とは裏腹に不満はなさそうだった。大人しく聞いているというか、見守っているというか。

 この姉妹の会話はいつもこんな感じなのだろうか。

「とにかく、私は弱い者イジメなんかしないの。ただコミュニケーションをとろうとしただけ。異世界人なんてパパ以外いなかったし、いろいろ聞きたいじゃない」

「でも、彼も疲れてる。さっき喚んだばかりだし」

「えー、でもー」

「それに」

 セルタはおれを見た。

 労わるような視線――ではない。

 どこか非難するような視線。

「あんなに暴れたんだもの、少し落ち着いてもらわないと」

 驚いた。

 彼女は怒っている。

 それが何に対してなのか、なんてのは考えるまでもない。

 それでも怒気を露わにしないのは彼女自身もわかっているからだ。先に手を出したのは父親であること。

 それでも父親がぶっ飛ばされたことは納得できていない。

 なるほど、筋が通っている。

「そうだな。おれも少し頭を冷やした方がいいのかもしれない」

 深呼吸を一つ。

 とにもかくにも、依頼の内容と対象は確認したのだ。ひとまず腰を落ち着けよう。…なによりあの出鱈目っぷりについて自分なりに落とし込むことが必要だ。

「じゃ、一度家に帰ったらいいんじゃない? ここにいるとまたあの馬鹿親父が来るかもしれないし」

「うん、そうする」

 セルタが立ち上がる。

 こちらを見たので、頷いて返す。

 実際、ここは居心地が悪い。医務室か何かなのだろうが、消毒液の匂いはあまり好きではなかった。何よりほかに行く場所もない。

 セルタの後に続いて、外へ向かう。

「じゃあね、お姉ちゃん」

「ん、またね」

 セルタは一度手を振ってから扉の外へ出た。

 おれも後に続こうとして、たたらを踏む。

 襟首を掴まれた。

 抗議しようと振り返って、フローラと正面から目が合った。

 笑顔。

 笑顔だったが、有無を言わさぬ何かを感じた。

「一つだけ言っておくけれど」


「あの娘に手をだしたら殺すから」


 二度目の宣告。

 その迫力たるや前回の比ではなく、頷き返すことしかできなかった。


                   *


「父とは五年ぶりに会いました。姉とは二年ぶり、です」

 山盛りの生野菜とビーフシチューに似た煮物。お椀のような陶器には奇妙なことに米がのっている。

 夕餉の準備はセルタが一人で行った。

 手伝いを申し出たが、あまりの手際の良さになにもすることがなかった。なんの下準備もない状況から瞬く間に調理する姿に感動してしまったほどだ。

 いただきます、と木製のスプーンらしきものを伸ばした時に、セルタは言った。

 何事もないように、ごく自然に。

「…え、なんて?」

「二人とは数年ぶりに会うことができたって言いいまし…言ったの。元気そうで安心した」

 セルタは淡々と言葉を紡ぐ。

 敬語を言い直したのは、こちらの要望である。堅苦しいのは苦手だったし、これから生活する上でそのままと言うのは味気なさすぎる。

「じゃあ、さっきは久しぶりの再会ってわけか。ごめんな、台無しにしちまって」

「あれはお父さんが悪いから。けど、すぐに暴力に訴えるのはどうかと思う」

「いや、あれは……はい。あの、本当にごめんなさい」

 視線が痛い。

 頭を下げるとセルタも納得したようだ。

 しばらく沈黙が続く。

 シチューらしきものは絶品とはいえないまでもなかなかにうまい。味付けはこちらの世界のものに近く、食べていても違和感は感じなかった。生野菜も同じだ。しゃきしゃきとしていて生きが良い。

 なにより素晴らしいのは、米である。

 炊き方が良いのだろうか、一つ一つ粒が立ったそれは随分と旨みがあった。そのまま食べてもうまいが、シチューをかければなお素晴らしい。

 熱々のまま頬張るのが最高である。ただ、頬張る度に鈍い痛みが走るのが気になった。まぁ、我慢できないほどじゃない。

 ふと、セルタがこちらを見ていることに気付いた。

「ん?」

「そっちの世界だとシチューはごはんにかけるの?」

「? ああ。その方がうまいし」

「…そう」

 どこか複雑そうな顔をしてセルタは食事を再開した。

 以降、会話もなく食事は終了した。 

 食器を片付け、食後にお茶を淹れてもらった。

 紅茶ではなく緑茶。

 異世界の技術を転用する。

 なるほど、さっきの肉ももしかすればこちらの世界と同じものだったのかもしれない。

「ところで」

「はい」

「数年ぶりに会ったって言ったけど、普段は別々に暮らしてるのか?」

「ええ。あそこは最前線だから」

 ずずず、と茶を啜る。

 最前線。

 思い浮かぶのは道端に座り込んだ異形の者達。

 鉄を打つ音は大地を砕く音。

空は暗雲に覆われ、緑すら自生しない大地に世界の終わりを予感した。

 いや、それよりも、もっと。

「あの化け物はなんなんだ?」

 地平の彼方、暗雲よりもなお遠い場所から顕れた化け物。

 龍、とでもいえばいいのか。

 生物というにはあまりに規格外の存在が圧倒的な敵意をもって対峙したのだ。

「…わかんない。本物は初めて見た」

「初めて?」

「あれは、本当は見ちゃいけないの。お姉ちゃんやおとうさん達だけが見ることができる」

 お姉ちゃんやお父さん達。

 三色の光と人型のなにか。

 あの光景だけは未だに受け入れがたい。

 何が起こったのか、何故ああなったのか。

 動きは見えた。それに伴って化け物が吹き飛ぶ様も。

だからと言って、あんな少女達が打ち負かす姿は冗談を通り越して悪夢に近い。なまじっか、実物を間近で見たのだから当然と言えば当然なのかもしれない。

「見ちゃいけないのか」

「そう。本当なら、私はあそこに行くことも出来ない筈だったのに」

 そこでセルタは口を閉ざした。

 心なしか、落ち込んでいるようにも見える。と、同時に怒っているようにも見えた。

 雰囲気が重くなる。

 セルタはそれきりなにも話さず、食器を片付ける。皿洗いぐらいならとも思ったが、やはり手際の良さは一級品である。瞬く間に洗い物を終わらせた。

 セルタはそのままテーブルに着くことなく、居間を通り過ぎた。

「こっち」

階段を上り、二階へ。

 扉は三つあり、セルタは一番奥の扉を開けた。

 ベッドと机。

 それ以外はなにも置かれていない。

 どうやら、ここがおれの部屋らしい。

「寒かったら言って。毛布を出すから」

「あ、ちょっと待った」

 そのまま退室しようとするセルタを呼び止める。

 呼び止めておいてなんだが、特に聞きたいことがあったわけじゃない。ただ、このまま一日を終えるにはあまりに味気ないと思ったのだ。

 数秒の間。

 セルタが不思議そうにこちらを見つめている。

「あー、その、なんだ」

 聞きたいこと、聞きたいことと考え、もっとも大事なことを聞いていなかったことを思い出した。

 ……思い出したくもないが、あの男こそ今回のキーマンなのだ。

「助けてくれって依頼だったけど、あのおっさ…あの人をなにから助ければいいんだ」

 

「…私にもわからない」

 

 一瞬、耳を疑った。

 冗談かとも思ったが、セルタはどこか気まずそうに視線を逸らすと早足で部屋を出ていった。

 階段を降りる音。

 それきり物音ひとつしなくなった。ため息を一つ。我ながらわかりきっていたことではあるが、

「女の子は何を考えてるかわからん」

 特に十代。もうなにもかもがどうでもよくなって、おれはベッドに身を預けた。


                   *


『はーい、くっろさっきくーん。今日も一日お疲れ様でしたーっ♪』

 突然の奇声にベッドからずり落ちそうになった。

 いや、意味自体は聞き取れたが、その声音というかノリがおれの知る人物からすると明らかにおかしい声だった。なにより、着信音すらならなかったから随分と驚かされた。

 ポケットからスマホを取り出す。

 液晶を覗くと奇怪な模様が現れては消えていく。

 佐伯章介。

 つい昨日できたおれの上司である。

『まだ寝るには早いんじゃないか? 社会人は報連相がなにより大事なんだぜ?』

「はぁ、すんません」

『おいおいおい、なんだいその返事は? もっとこう、あるだろ? 若いんだからさぁ、もっと、こう、ほら。な?』

 死ぬほどうぜえ。

 何故かハイテンションな声に殺意を覚えつつ、ベッドから身を起こす。室内は明るいままだ。灯りの消し方をセルタに教わっていなかったし、そんなことに気を回す余裕もなかった。

 うとうとしていたのは数分程だろうか。窓の外は暗いままだったし、それほどけだるいわけでもない。おれは伸びを一つしてから、スマホに向き合った。

「無事に一日を終えました、以上です」

『ははは、それは報告とは言わん』

 何故か説教された。

 本当にノリがわからない。面倒だったが、今日の一日を事細かに説明した。

 セルタとの出会い、外の世界、化け物、三色の少女達。

 そして、スティーブというセルタの父のこと。

『なるほどねぇ。はじめてにしては随分とハードなところに送り込まれたもんだ。あの人も君を気に入ったみたいだね』

「はは、そうなんですかね」

 あの人とは社長のことだろう。

 顔すら見たこともないのに気に入られていると言われても実感がわかない。というより、現状では嫌がらせをされているとしか思えなかった。

『君は運がいいよ。初日で居住先も食事の目途もつくなんて滅多にないからな。その点は誇りに思っていいよ』

「それって普通のことなんじゃ」

『甘いな。それは日本基準だ。こっちでだって保障されていない場所なんかどこにでもある。ましてや異世界なんだから、今の立場に感謝した方が良い』

 内情を聞けば聞くほど逃げ出したくなってくる。

 ブラック企業も真っ青な労働環境だ。資金を持たされずに食事も住居も自前で調達するなど不可能である。今回のように依頼人に面倒を見てもらえるならば別だが、そうでなければ野垂れ死になってもおかしくない。

 そう考えると運が良かったともいえるかもしれないが、それよりもっと厄介な問題がある。

『わからない、ね。依頼人はそう言ったんだな』

「はい。冗談で言ったのか、誤魔化したかったのかはわかりません。でも、私には真剣に言っている様に思えました」

『なるほどねぇ』

 数秒の沈黙。

 さすがに意味を掴みかねているようだった。というか、意味もくそもない。

 依頼人自身がわかっていないことをどう応えればいいのだろうか。

「あと、もう一つ報告があります」

『ん? なんだい』

「今回の依頼対象であるスティーブは、以前我が社で働いてらっしゃったとか」

『スティーブ、か? わからないなぁ。話を聞いて記憶を探ったが聞いたことのない名だ。うちは入れ替えが激しいわけじゃないんだがなぁ』

 それにうちは外人とらないし、と佐伯は言う。

 おかしな話である。

 あの男が嘘をついたとしてもなんの意味もないし、佐伯が嘘をついているとも思えない。もしかすると佐伯が勤めるよりも前の話なのかもしれない。

 まぁ、この件に関しては深く考える必要もないだろう。

『とにかく今は研修期間中だ。社長には伝えておくからそちらの世界を堪能してくれ。そのうち、彼女自身から依頼の真意も聞けるだろうさ』

「わかりました」

『それと、何か困ったことがあったらこのスマホを翳せ。普段は通訳機にしかならないが、相応に役に立つ』

 それじゃ、と軽い調子で通話は終わった。

 液晶の模様が変わる。画面に手を触れても変化はなく、外付けのボタンを押してもなにも起きない。

 自然とため息を吐いた。

 完全に状況に流されている。これ以上考えても仕方がないと割り切って、寝ることに決めた。ただ、どうにも天井の灯りが煩わしい。

 数瞬悩んで部屋を出る。

 灯りの消し方はセルタに聞くしかない。

 階段を降りると居間が明るかった。引き戸を開けるとセルタの背中が見える。耳元に何かを当てていることに気付いた。

 電話、だろうか。耳を澄ませばぼそぼそと声も聞き取れた。

 こちらが声をかけようか迷う前に、セルタは受話器を置いた。振り返る。相も変わらず不愛想に彼女は言った。

「明日から」

「ん?」


「明日から学校に行くことになったわ。私とあなたで」


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