第12話 絶望
思い返せば、立ち止まってばかりの人生だった。
何をするにしても人より遅く、やりたいことが見つかった時には大抵手遅れだった。部活も、勉強も、受験も、就職活動も。人生の節目を見抜く感性もなく、世間一般の常識に対する危機感が薄い。周囲の人間が影ながら努力をしていることを薄々察しながらも、それを見て見ぬふりをするだけの男。
そんな奴がまともに社会へ適応できる筈がない。
在学中から卒業まで採用が決まらなかったのは時勢の影響でもなければ、身の程を弁えていなかったからでも、面接が不得意だったからでもない。
単純に、資質を見られたのだ。
社会人として将来生きていけるか、あるいは有望そうなのか。
その条件として、誰よりも先んじて行動できること。あるいは状況を見て行動するための適応力。突発的な事態に対応できる応用力。
そのどれも、あるいはそれ以外の何もかもが足りなかったのだ。
大学まで行った人間がそのどれも磨いてこなかった。
その事実こそが、おれの現実である。
だからといって、自分の人生を諦める理由にはならない。
やりたいことがないということはなんでもできるということだ。何をやるにも人より遅いなら人より早くはじめればいい。今まで磨いていなかったなら、これから磨けばいい。
当たり前のことを当たり前に考える。ポジティブシンキングなんかではなく、そうしなければならないからそう考えるのだ。
なにより負けっぱなしでは終わらないのが人生だ。
しぶとく、根強く、諦めない。
一度決めたことは最後までやり通す。
それこそが、おれの唯一の長所である。
異世界に飛ばされ、化け物に襲われ、女子高に通う。
そんな状況であってもまだ投げ出さずに済んでいるのは、きっと、そういうことなのだろう。
流されるままにここまで来た。だから、どうしようもない。
そんな言い訳をしても何も変わらない。言い訳をして済むのは学生までの特権である。社会人であるならば結果こそがすべてだ。
どんな状況であれ、望む結果を得るために行動をすべきなのだ。
だから、
「起きて、テツオ! テツオっ!」
いつまでも寝ている場合ではないのだ。
「セ、ルタ…?」
「テツオっ!」
「動いちゃダメ! まだ治ってないの!」
うすらぼんやりとした思考。
瞼を開けるのも億劫で、聞こえる声は妙に遠い気がした。
微かに見えるのは、くしゃくしゃに顔を崩した少女と淡い輝く緑色の髪をした少女。セルタとエリスだ。エリスは普段の柔らかい表情をこれ以上ないほど険しくしている。
「な、なにが…?」
声を出そうとしてもうまく出ない。
のど元に違和感を覚え、咳き込んだ。
痰が無駄に絡み、何度も何度も吐き出す。その度に全身に激痛が走った。筋肉痛とは全く違う骨の芯まで響く痛み。寒気と吐き気が襲い、意識が遠のいた。
「テツオ、テツオッ!」
響く声が辛うじて意識を繋ぎとめる。
自分より一回りも下の少女に泣かれては放っておくこともできない。何とか笑顔を作る。それでもセルタは泣き止まない。と、いうよりも更にひどくなった。
そんなにひどい顔をしているのだろうか。
「テツオ、寝ちゃダメだからね。自分の名前はわかる? 私は? ここがどこかわかる? しゃべれないなら瞼を閉じて。わかるなら一回。わからないなら二回」
矢継ぎ早の声に瞼を一回閉じて見せる。
エリスは頷いてから、質問を繰り返した。答えは全て一回。彼女はどこかほっとした様子でこちらを見つめている。
「大人しくしててね。もうすぐしゃべれるくらいにはなる筈だから」
とてもじゃないが、そうは思えなかった。
だが、彼女の言葉は正しかった。
霞んでいた視界が鮮明になり、音が戻って来た。全身に走る激痛も和らぎ、寒気と吐き気は完全に消えた。まるで言うことを聞かなかった四肢に感覚が戻り、強張っていた神経がようやく正常に戻る。
深く息を吐き、ようやく声が出た。
「何が、起きたんだ?」
自分のものとは思えない掠れた声。
それでも意味は伝わったらしく、エリスは言葉を続ける。
「あいつらが来たの。ごめんね、突然のことで守り切れなかった」
あいつら。
思い浮かぶのは空を覆う化け物。
なるほど、と我ながらあっさりと納得できた。つまり、また襲われたというわけだ。
いや、ちょっと待って。
「おそ、われた?」
「ええ」
「アンナ、は? いや、他の皆は?」
返事がない。
もう一度聞こうとして気付いた。
霞んでいた視界に色が戻っている。
全天を覆う黒雲。
頬に当る風は乾いていて、何故か寒気がした。
周囲には無数の瓦礫が積み重なっている。アーケードの筐体らしき物体が、その下敷きになっていることに気付いた。傍らにはエリスとセルタ。その二人だけ。
さっきまでの光景が脳裏によぎる。
たしか、あそこにクラスメートの誰かがいて、あそこにも誰と誰がいて、そして、あそこにも誰かがいた筈だ。
その全てが瓦礫の山であり、そこにクラスメートの姿はない。
だから、おれの近くに彼女の姿がある筈もなく。
その事実に、ただ愕然とした。
「テツオ、よく聞いて。今からあなた達を避難所に移動させる。リックストンもそこにいる筈だから、あなた達はそこで指示を受けて。いいわね?」
声が遠い。
言葉は聞こえている筈なのに、まるで頭に入ってこない。
死んだ。
目の前でクラスメートが全員死んだのだ。
視界がぐらりと揺れ、吐き気ともいえない気持ち悪さが胸を焼いた。突然の出来事の連続で訳がわからなくなっている。それを自覚していながら、どうしようも出来ないことがあるとはじめて知った。
セルタとエリスが懸命に訴えかけてくる。
それもわかっているのに思考が付いていかない。応えようにも、なにをしていいのかもわからない。ただ、ただそこにいることしかできなかった。
赤い少女を見るまでは。
*
「セルターッ!」
大音声が世界を揺らす。
直後、遙か上空で赤光が瞬いた。
フローラ。
赤い少女は華奢な四肢を奮って、空を舞う。その度に赤い閃光が迸り、文字通り黒雲を蹴散らした。
なんて凄まじい。
だが、瞬く間に雲間は黒く染まっていく。執拗にまで空を覆い尽くす様は、何かの意志を感じさせる。揺れ動く雲海に、おれはありえないものを見た。
なんだ、あれは。
「…虫?」
ぎちぎちと、ぎちぎちと。
互いを貪り合うように蠢く光景があまりにもおぞましい。それがこの空全てを覆っているという事実に、今度こそ全身から血の気が引いた。
「来たっ!」
エリスが叫ぶ。
次いで、鼓膜を立て続けに殴られるような重低音が響いた。耳を押さえ込んでもまるで意味がない。音の発生源に目を向け、息を呑んだ。
無数の瞳が俺たちを捉えている。
シルエットは蜂に近い。無機質な瞳には何の感情も浮かんではおらず、細かく口元を動かす仕草が妙に怖かった。
眼前に迫る脅威に為す術はない。
数秒後の未来を予感し、
「だぁりゃあああああああああっ!」
赤い光が全てを焼いた。
瞬きの間すらない。
状況は刻一刻と変化している。
目の前の危険が消えたと理解したと同時に、船体が揺れた。
不規則な震動は以前感じた移動によるものとは違う。床に身を伏せ、傍にいたセルタを抱き寄せた。
土埃が舞い、視界が霞む。
その間も震動が収まることがない。なにも出来ずにいると、誰かが肩を掴んだ。
「無事かっ?」
一つ目の巨人。
いつか校門で見た男が目の前に現れた。
一瞬、呼吸を忘れた。が、すぐにこの世界にはそういうのもいることを思い出す。 ここ最近は見ていなかったが、むしろそういうのの方が多いという話だった。
男はおれとセルタを軽々と担ぎ上げた。
周囲には幾人かの男たちの姿が見えた。それぞれがどこか見覚えのある、いや、元の世界にあった装備を身に着けている。掲げた銃は映画で見たそれと同じもののように思えた。
男たちはハンドサインで合図ようなものを送るとそのまま消える。エリスはそれを見届けた後、空に向かった。
「テツオ、セルタ! セドの指示に従って。大丈夫、あとは何とかするから」
緑の閃光が走る。
彼女は一言だけを残し、黒雲へと突っ込んだ。
「行くぞ。痛みはないか?」
思った通りというか、なんというか威厳のある声に反応が遅れる。
「は、はい」
「よし」
男はおれとセルタを抱えたまま走る。
瓦礫を躊躇なく踏み抜いたときには文句の一つでも言おうかと思ったが、それ以上に真剣な目に何も言えなくなった。いや、顔の構造が違うので深く感情を読み取れたわけじゃないが、なんとなくそう思ったのだ。
例のごとく、一瞬で視界が変わる。
瓦礫の山から整地された通路へ。
間もなく、避難所らしき広い空間についた。
幼い子供と老人が座り込んでいる。蒲団や手荷物が所狭しと置かれ、足の踏み場もない。男に床に降ろされ、ゆっくりと中に入る。
一つ目の男は蒲団の上をずかずかと進む。その後をおれとセルタは付いて歩いた。
奥へ向かうとまた通路が見えた。
視界の切り替えはない。
通路の先にまた扉があった。スライド式に開き、また別の空間が現れた。
無数のモニターとオペレータ。
船内外の映像を映すものもあればよくわからないグラフやら数値が映るものもある。共通しているのは現状を打破するために必要な情報なのだろう。そうでなければあれほど真剣に喧々諤々と叫び声を上げる筈もない。
その中央に件の男がいた。
リッククストン。
「連れてきました」
「ご苦労。無事だったようだな」
紛糾する周囲の雰囲気などまるで意に介さず、泰然とした様は実に頼もしい。なにも状況は改善していないのに、何故かほっとした。
「何が起きてるの?」
セルタが言う。
リックストンはモニターの一角を指した。
「針のむしろだ」
船外の光景が映る。
無数の蜂が外壁に向かって突っ込んでいくのが見える。尾から飛び出した図太い針が外壁に触
れる度に青色の燐光が飛び散った。その度に蜂は霧散するが、後続がまるで絶えない。
燐光が無数に舞い、ちかちかと目がくらむ。
それがあちこちで起きているようで、モニターのほとんどは青く染まっている。
「外壁を破られたのは奇襲の一度のみ。船内への潜入は未だない」
「なら、このままでも大丈夫なんですか?」
モニターが全て青く染まった。
襲撃は苛烈さを増している。そのくせ衝撃すらもまとも感じない現状では、危機感すらどこかに行ってしまった。
考えてみれば、先ほどもフローラが一群を軽く一ひねりにしてしまっている。
目の前で慌しく叫んでいる人達も、それだけ現状の収拾に奔走しているということである。あながち楽観的とは思えなかった。
が、
「んなわきゃねえだろっ! 馬鹿か、てめえはッ!」
突如響いた罵声が思考を中断させた。
モニターの一角にもの凄い形相をした男の顔が映っている。
スティーブ。
何故か、あの男がいた。
「貴様、また勝手に乗り込んだなっ!」
リックストンが血相を変える。
落ち着きはらった態度が嘘のように消え、今にも食いつかんばかりだ。その迫力に怯むことなく、モニターの男は叫んだ。
「んなこと言ってる場合じゃねえんだよっ! リック、六番と八番のモニターを見ろ! 手が足りねえっ!」
「何だとっ?」
「だからっ! でっけえのが来るつってんだよっ!」
衝撃。
床から足が離れ、顔面から突っ伏した。
鼻の奥にじんわりと鉄の匂いが広がる。揺れも相まって頭がくらくらしたが、何とかすぐに立ち上がることができた。
突然の衝撃の影響で周囲は完全に沈黙した。
モニターの一部が消え、席からはじき出されたオペレータたちがへたりこんでうめき声を上げている。
その中でもリックストンだけは直立したままモニターを見据えている。
「何が起きたっ!」
「現在状況を確認中! …そんな、あかつき丸の進行が停止しています! 動力に異常なし、原因不明!」
「なんだとっ!」
「周囲に未確認物体を補足! 数は四! モニター出ます!」
「これは…っ!」
モニターが切り替わる。
映ったのは蜘蛛のような姿をした巨大な化け物だった。
それぞれが八本の長手足を大地に打ち付け、口元から図太い針を突き出している。それがこちらの船体に突き刺さり、宙づりにされているのだろう。
モニターの端であかつき丸の剛腕が所在なさげに揺れているのが見えた。
と、
「艦内に感あり! 避難地区に侵入された模様っ!」
突如、オペレーターが悲鳴のような声を上げた。
モニターが切り替わる。
その光景を見て絶句した。
蜂である。
人間よりも大きな身体を震わせ、画面から溢れんばかりに蠢いている。まるでハチの巣だ。外の光景に近いようにも見えたが、
「…食ってる」
凄惨としか言いようがなかった。
赤い血が飛び、人体の一部が見え隠れしている。腕や足だろうか。一瞬しか映らないので判然としなかったが、まず間違いないだろう。
不意に、目が合った。
幼い女の子だ。
涙を流し、カメラに向かって必死に何かを訴えている。音声がないのでその内容を知ることはできない。
それでも彼女が何を言っているのかなんてのは明白で。
何かを言う前に、女の子は飲み込まれた。
おそらくは一瞬の出来事。
なのに、その光景は脳裏に焼き付いて、
「…うぇえええっ」
胃の中の全てをぶちまけた。
セルタの声が聞こえる。大丈夫と気遣う声が遠い。息切れが止まらない。あまりの嫌悪感に死にたくなった。ここにいる自分、モニターの前で憐れむ自分、何もできない自分。胃の中の全てを吐き出してもまだ足りない。
ここは地獄だ。
その事実をようやく理解することができた。
*
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