第13話 変身
「現時点を以って侵入された避難地区を破棄! および、周辺区域ごと隔絶せよ! 奴らをここへ来させるわけにはいかん!」
怒号が響く。
凍り付いた空気が溶け、オペレーター達が活気を取り戻した。
矢継ぎ早に飛ぶ指示。忙しなく飛び交う言葉の応酬は先ほどのそれとなんら遜色ない。だが、そこには決定的な違いがある。
破棄、隔絶。
彼らは、仲間を見殺しにするつもりなのだ。
「ふっざっけんじゃねえぞっ! リックっ! てめえ、なに寝ぼけたことぬかしてんだっ!」
ノイズ混じりの罵声。
モニターの一部が復旧したようだ。
リックストンは不快気に眉根を寄せる。
「整備長風情が黙っていてもらおうか」
「おれはエースだっつってんだろうがっ!」
「だからなんだ!」
「おれがなんとかするつってんだよっ!」
更なる衝撃。今度は先ほどの比ではなかった。
突如全身を貫いた衝撃は思考を一瞬で刈り取った。どれだけの時間そうしていたのか。気が付くとおれは床に尻餅をついて、衝撃の原因を見つめていた。
天井から巨大な突起物が飛び出している。
モニターの光景を思い出す。
針のように見えたそれは、実物の迫力とは程遠い。こうして生で見るとスケールの違いを嫌でも思い知らされる。
と、
「うそだろ」
思わず声が漏れた。
突起物に割れ目が入った。まるで蕾が花開くように、中から何かがゆっくりと押し出されてくる。
半透明の球体、それが無数に実った棒状のなにかである。
透けて見える球体の中身は見覚えのあるシルエット。脳裏に少女の泣き顔が浮かぶ。
あの針はこちらの動きを止めるためのものではなかった。
デカブツはあくまで運び屋。本命は目の前のあれ。
シルエットが揺らぐ。
ぎちぎちと、ぎちぎちと。
むき出しの悪意が牙を剥こうと、
「やらせねえって言ってんだろがっ!」
炎。
猛烈な熱気と煌々とした赤い光。
目の前の脅威が瞬く間に消し炭へと変わる。あれほど禍々しいシルエットが崩れる様は、安堵感よりも恐怖心が煽られる。
揺らぐ視界の先に、おれは見た。
「どうぉおおだ、クソガキィっ! この俺様の勇姿っ! 目に焼け付けとけよぉ!」
ぼろぼろに罅の入ったボディ。
あるべき場所にあるものが何一つなく、つぎはぎだらけのその姿は見ていてあまりにも頼りなさすぎる。
それでも男は威風堂々と、声高らかに名乗りを上げる。
「有限会社黒賀屋商会製造甲殻式甲冑対大型害獣特化型兵装『高氏』、推して参る!」
*
薄っぺらな覆面がこちらをひどく不安にさせる。
口元には不敵な笑みが浮かぶもバイザーらしき部分は割れ目が入り、片方の目が丸見えだ。四肢には無駄にごてごてした装飾。年季が入った装甲は見るもの全てに満身創痍を印象させるだろう。
そのくせ妙に恰好のいい立ち姿なもんだから、見ていると妙に不安になってくる。
「兵器の二ィッ!」
スティーブが両腕を突き出し、腰だめに構えた。直後、ごてごてした装飾から砲身が飛び出した。
狙うは燃え盛る蜂の群れ。
一拍の間を置いて、二つの砲身が火を吐いた。
「うおおおおおりゃああああっ!」
まるで鼓膜と腹の底を直接ぶん殴られている気分。炎に打ち込まれた弾丸は目に見えないものの、一瞬の揺らぎに見えた光景はこちらを委縮させるのに十分な効果を発揮している。
粉々に散らばる蜂の体躯。
それでもなお、男は打ち止めにする気はないようだった。
「テツオ、あれ、おとうさんだよね」
傍らでセルタが囁いた。
いや、実際は大声を上げたのかもしれなかった。間近で見た彼女の表情は普段の不愛想とはかけ離れたもので、必死そのものだ。ただでさえ途絶えることのない銃声のせいで耳が馬鹿になっている。
頷いて返すと、彼女はなおも何かを訴えて来た。服を掴み、懸命に訴えている。
おとうさんを、助けてほしいのっ!
思い出すのは初めて顔を合わせた時のこと。
けれど、眼前の光景は明らかにスティーブの方が優勢である。叩き込まれた弾丸は数え切れず、
煌々と燃え盛る炎は未だに衰えることはない。
傍目に見ても勝敗は決している。
この状況でおれに出来る事なんて――と考えて気付いた。
途切れることのない銃声、勢いを増して燃え上がる炎。どう悲観的に見てもこちらの優位は動かない。
そう、動いてはいない。
優位が動いていないだけで、何も状況が変わっていないのは何故か。
「セルタっ!」
疑念はすぐに確信へと変わった。
セルタの腕を掴み、駆け出す。そこで、ようやくオペレータたちが我先にとこの場から逃げ出していることに気付いた。
この間抜け!
舌打ちを一つ。
狭い通用口に殺到する人込みに飛び込んだ。押し合い圧し合いになるかと身構えていたが、思いの外すんなりと進む。中ほどまで進んで、
「おとうさんっ!」
セルタの悲鳴が聞こえた。
直後、何かが頭上を通過する。
目前まで迫った通用口に、その何かが突っ込んだ。鈍い音が響く。あれほどやかましかった銃声がいつの間にか止んでいる。
一拍の間。
静寂は悲鳴へと変わり、人の流れが逆流した。
倒れ込みそうになるのを我慢し、セルタを抱き寄せる。オペレータたちはあっという間に距離をとり、おれとセルタだけがその場に取り残された。
そして、息を呑んだ。
「が…はっ!」
スティーブ。
幾人かのオペレータを下敷きにし、ぐったりとしたまま仰向けになっている。ぼろぼろの外装に無数の穴が出来ていた。口元からは大量の吐血。全身を襲う痙攣は失血のせいだけではないようである。
反射的にセルタの目を覆い、強く抱きしめる。
が、すぐにそんな場合ではないことに気付いた。
羽音が聞こえる。
かすかに聞こえていただけのそれは、徐々に厚みを増していく。背筋が凍る。全身を射抜かんばかりの視線を感じ、身動ぎ一つできなくなった。
死。
数秒先の未来を予感し、思考が加速する。
どうすれば生き残れるか。
避難所へ向かっても意味はない。立ち向かうなど以ての外。増援に期待しようにも対抗できるのはあの三人のみ。敵は数にあかせて攻め込んでおり、おそらくは彼女達も手一杯のはずだ。オペレータを盾にしようにも多勢に無勢では意味がない。スティーブはスティーブで既に限界に達している。
万事休す。
それでもなお思考は止まらない。一人であれば走馬燈を見る余裕もあっただろう。だが、この腕の中にはほかならぬおれ自身に助けを求めた少女がいるのだ。
絶対に諦めるわけにはいかない。
ポケットに手を突っ込む。馴染んだ固い感触。
相応に役に立つ。
日常生活の必需品であることは間違いない。だからといって、この状況下で役に立てるとはとても思えなかった。
けれど、
『見つけたっ!』
あの目を信じてみることくらいはしてもいいと思った。その結果、彼女の行為が全て偽物であったと証明することになったとしても。
握りしめたスマホを掲げる。
無数の羽音、響く悲鳴。
背後から迫る敵意に決して怯まぬ様に、ただ真っ直ぐに突き上げた。
*
変化は一瞬。
全身を包む高揚感なんてものはなく、ごく当たり前に現状を受け入れることができた。
*
背中を押された。
それも強くではなく、これ以上ないほど弱く。感じたのはそれだけで、予感していた衝撃が襲ってくる気配すらない。
腕の中でセルタがこちらを見上げていた。大きく開かれた瞳には見慣れないシルエットが映り込んでいる。
一言でいえば、無骨そのものだ。特撮物のヒーローとしてはどこか華がなく、そのくせ妙に印象に残る顔。
それが、今のおれである。視界に映る自分の腕にも無骨な装甲が張り付いている。
株式会社クロガヤ製造甲殻式甲冑対生物災害鎮圧兵装『武蔵』。
無駄に長ったらしい名称が頭の中に浮かんだ。次いで、その使い方も。知る筈のない知識が思い浮かぶのに驚きはなかった。その理由も既に知っている。
この鎧は、あの化け物共と戦うためにある。そのための武器も、知識も、全てが込められている。
自分が何をすべきか、どうすれば奴らを殺せるか。
その全てをこの鎧が教えてくれるのだ。
「テツオ、その姿」
セルタの呼び掛けを敢えて無視する。
より胸元に引き寄せ、首だけを背後に向ける。
いた。
思ったよりもでかい。
間近で見た感想はそれだけで、恐怖はまるで感じなかった。蜂である。威嚇するように口元を開く様は生生しくて気味が悪かったが、それだけだ。尾から飛び出した図太い針が中ほどから折れている。
どうやら背中を小突かれたらしい。
その事実も、別段驚くようなことではないと感じた。
他の蜂たちは遠巻きにこちらを見ている。一度に襲い掛かってくると思っていたが、どうやらそのつもりはないらしい。
その理由についてもすぐに理解する。
恐れているのだ。
少女を抱えた、この鎧を。
「 っ!」
甲高い音が響く。
兜を身に着けてなお鼓膜を揺さぶる高音は周囲に絶大な効果を発揮した。オペレーター達が苦悶の表情を浮かべて蹲っている。セルタも耳を押さえたまま、ひたすら身を強張らせていた。
眼前の蜂の声。
威嚇音の一種なのかもしれない。
証拠に、蜂は間髪入れずにこちらへ突っ込んできた。胴体に比べて針金のように細い手足を駆使し、こちらを抱え込もうとする。
「セルタ、すまん」
「へ、きゃあっ?」
なるべく丁寧にセルタを放り投げる。
オペレーター達は驚愕の表情を浮かべ、セルタは何が起こったのかわからないようだった。鈍い音が聞こえたが問題ない。なるべく大柄の男に向かって投げたから怪我もしていないはずだ。
それよりも、まずは自分のことである。
細い手足が絡みつき、蜂はこちらの動きを封じた。思いの外、締め付ける力が強い。
再び奇声が上がる。
直後、眼前で蜂の顎が開いた。
牙のように対を成す大顎が首筋に食い込んだ。無機質な複眼がこちらを見つめている。ぎちぎちと鈍い音を立てながら首筋を引きちぎらんばかりに締め上げて来た。
動けない。
辛うじて動くのは指先だけでそれ以外はピクリとも動かなかった。どころか、このままでは押し切られてしまう。倒されたが最後、遠巻きにしている蜂たちも襲ってくるだろう。
そこからの乱戦は想像するだけでもゾッとする。懸命に抵抗するも体格差だけはどうにもならず、徐々に体勢が崩されていく。
まぁ、
「武装展開、兵器ノ弐」
だからといって、どうということもないが。
情報が頭の中に流れ込んでくる。
搭載された兵器は百を優に超えているが、その中から現状に最も適した武装が思い浮かぶ。その用途や使用法も同時に理解することができた。
音声認識による起動を確認。照準を付ける必要はない。当たり前だ、たとえ使い方を理解できていなくてもこの距離で外すはずがない。
鎧が駆動する。
異変に気付いたのか、蜂の方が動きを止めた。込められた力も緩んだが、拘束を逃れられるほどではない。
中途半端な対応。
どうせなら拘束を強めるか、いっそのこと距離でもとればよかったのに。まぁ、それこそ本能で動く化け物に言っても無駄だろう。
そもそも、どちらを選んでも結果は同じなのだから。
「カグツチ」
絶叫が響く。
人間のそれとはまるで違う声。眼前の蜂が喉元に食い込ませていた大顎を外し、全身から絞り出すように叫んでいる。威嚇音の時とは違う、罪悪感を覚えてしまうような悲壮な声音。表情などわかる筈もないのに、苦痛に悶えているのがわかる。
熱。それも、圧倒的な高温が鎧に宿ったのだ。接触部位は全て白煙を上げ、肉を焼く不快な音と匂いを感じた。
だが、これすらも準備段階。
本命は、胸部装甲から発射されるプラズマ弾である。
全身に広がる熱はあくまで余熱でしかない。それでもなお、燃えさかる炎の前にいるような気分させられた。汗が吹き出し、目眩が幾度も襲ってくる。耐熱処理が施された鎧の内側ですらそうなのだから、密着しているこの蜂にとっては拷問そのものだろう。それでもなお、手足の拘束を外さないのだから大したものである。
今、楽にしてやる。
胸部装甲が開く。
眩い光が視界を白く染めた。圧倒的な熱量が臨界を越え、無色の暴力が解き放たれようとしている。
その事実を眼前の蜂は理解しているのか、いないのか。
せめてその最後は見届けてやろうとして、
「は?」
全身から熱が去った。
視界を染めた輝きも消え、何事もなかったように風景が色を取り戻す。眼前の蜂も、周囲から刺さる視線も先ほどと何も変わらない。その事実が、おれの頭の中を真っ白にした。
何が起きたのか、何が起きているのか。
流れ込む情報の中にも答えは見つからない。起動は正常。音声認識、安全装置の解除も正常に機能している。誤作動ならばシステムに問題があるのだろうが、こちらが把握する限りでは起動法に至るまで何一つ問題がない。
なのに、なんで――。
そこで気付く。
この鎧には使用者制限が掛けてある。いつの間にデータを入手したのか、おれ個人の情報が入力されている。
経歴、身長、体重、血液型、知能指数、嗜好傾向、果ては恋愛経験の有無についてまで。
まるで自分の自伝を読んでいる気分だった。
二十数年程度の長さでも意外に内容はあるような気がする。自分のことだから、というのも当然あるだろうが、思い返せば色々なことがあった。その時々の情景が不思議と鮮明に思い浮かぶのはまるで走馬灯のように思え――ってそうじゃないっ。
問題は過去の情報ではなく、その表題だ。
黒崎哲雄。
「おれは黒崎哲夫だっ!」
あのおっさん、マジでふざけんじゃねえ!
たかが漢字の間違い一つでこのあり様。脳裏に浮かぶ渋みのある笑みが殺したいほど憎らしくなった。
*
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