第14話 スティーブ
「がはっ!」
思考が途切れ、現実へと戻される。
気が付くと眼前の蜂に押し倒されていた。固い感触を背中に感じ、なんとか抵抗を試みても後の祭りだった。
無数の蜂が視界を埋め尽くす。直後、衝撃が全身を貫いた。
針である。覆いかぶさる蜂ごと突き出された毒針を幾度も叩き付けられている。
痛みはない。
だが、途切れることなく小突かれ続ければそれだけで行動することも出来なくなる。一定の間隔で揺らされ続けるせいか、頭の働きも鈍くなってきた。
無理だ。
武装がつかえない以上、出来る事は何もない。この状況から抜け出したって、対抗する術がなければ何もできないじゃないか。
気力が萎えていく。
そのまま意識までも手放そうとして、
「兵器の二ィ!」
視界が赤く染まる。
絶え間なく続いていた衝撃が途切れ、思考する前に体が動いた。文字通り転がってその場を離れる。
勢いのまま立ち上がり、身構えた。
思わず息を呑む。
スティーブが、おれを見ている。
「なにぼさっとしてやがる。そんなに死にたいのか、馬鹿野郎」
罵声を浴びせられた。
なのに、まるで怒りが湧かなかった。
全身から流れる血。不自然に曲がった左腕と無数の穴が空いた装甲はあまりに無残過ぎる。フェイスガードは完全に拉げ、そこから覗く肌は真っ青になっていた。
情報が流れ込む。
全身打撲、左腕上腕骨折、内臓損傷、出血多量。数え上げればきりがないほどの損傷が、鎧を通して全て理解できた。
死に体。
生きているのが不思議なほどの重体なのに、どうしてこの男は立っているのか。
「おい、聞いてんのか」
「は、はい! …いや、聞いて、ます」
低く重い声。
思わず声が上ずった。
目だ。
こちらを見つめる瞳が、明らかに常軌を逸している。ぎらぎらとしているのに物静かで、何故か目を離せない。
「その、武装がつかえなくて」
「使えない? やり方はわかるはずだ」
「いや、やり方というか、なんというか。ええと、途中まではできるんだけど」
しどろもどろ。
口が上手く回らず、自分でも何を言っているのかよくわからない。原因はわかっている。だけど、それを認めるのはあまりにも情けなさ過ぎる。
ビビっているのか、おれは…!
「とにかく、使えないんだよ!」
反射的に目を逸らす。
罵声が飛んでくるだろうと予測したが、
「そうか」
一言。
ただの一言で済んでしまった。
あまりにも意外過ぎて呆気にとられる。視線を戻すとスティーブは既に動き出していた。
「兵器の一ィッ!」
砲声が轟いた。
未だに孵化しようともがく蜂に掃射を開始した。殻が砕け飛散するも、中身は未だに健在。なおも銃撃を浴びせ、ようやく何匹かが動きを止めた。
だめだ、足りない。
生れたてのくせに随分と硬い。ほとんどの個体が銃弾の衝撃に身を竦ませるだけで、致命傷に至るのは数匹程度。鎧から流れ込んでくる情報はいやというほど現実を思い知らせてくれる。
この男だってわかっている筈なのに。
なのに、止まらない。
ひるむことなく銃弾を撃ち込んでいる。
「…そうだ、セルタはっ?」
はっとする。
視線を巡らせる。セルタの姿どころか、オペレーター達も消えていた。広い空間には瓦礫の山と蜂の群れ。そして、おれ達しかいない。
情報が流れ込む。
セルタ達は無事に逃げたようだ。
この空間とは別の場所。
正確な位置まではわからないが、その生存を確認できる。位置がわからない理由は空間自体を認識する機能がついていないから、と鎧は結論付けた。
と、同時にある事実も伝えてきた。
「おい、おっさんっ!」
叫ぶ。
スティーブはこちらの呼び声に反応すらせずに銃撃を続けている。砲声のせいで聞こえていないのか。肩を掴み、耳元で先ほどよりも大きな声で叫んだ。
「おっさん、逃げないとやばいっ!」
がくん、と震動が伝わった。
地震の揺れとは違う、大きな震動。と、同時に奇妙な浮遊感が神経を逆なでる。この感覚は良く知っている。日常の中にあり、それを利用する人間であれば毎日体感するであろう感覚。
まるで、エレベーターに乗った時のような。
直後、全身を押し潰さんばかりの圧迫感が襲った。
「ざっけんじゃねええええッ!」
床が迫る。
比喩でもなんでもなく、おれは床に押し付けられていた。理由は既に知っている。けれど、その事実が信じられない。これまでこんなことを体験したことは一度もなかった。
投げられたのだ。
あの大地をも穿つ巨大な腕に。
衝撃が全身を襲う。
周囲の光景はむちゃくちゃになり、目の前の光景がスローモーションで流れていく。二度目の衝撃。三度目の衝撃、四度目の衝撃からは何も考えられなくなった。
改めて思う。
この世界は、何もかもがむちゃくちゃだ。
*
生きている。
黒い空を見上げ、ただその言葉だけが頭に浮かんだ。
驚いたことに怪我一つしていない。頑丈さだけは間違いないなく破格の部類である。これで武装さえ使えれば、何も文句はないのだが。ていうか、漢字が違うだけで使えないって意味がわからない。一体、どうすればそんな事態になるのか。
周囲に蜂の反応もないせいか、のんきにそんなことを考えていた。
そんな場合ではないことはわかっていたが、どうにも頭が鈍くなっている。
突然の出来事付いていけないのだ。いくら鎧から情報を伝えられているからといっても、こんな馬鹿げたことを経験したことはない。
瓦礫にめり込んだ腕と機材に押し潰された脚。
圧迫感はまるでなかったが動こうとしても動けない。痛みがない分、却って何もできない事実が圧し掛かる。
立たなくては、そう自分を奮い立たせようにも、
「…どうしようもねえな」
ため息を一つ。
ただ空を見上げ続ける他ない。
「おい」
びくりとした。
聞き覚えのある声はすぐ近くから。情報がながれてこない。どうやら、この鎧でも先ほどの衝撃は答えたらしい。
首を動かし、声の主を見た。
スティーブだ。
「生きてる、みたいッ、だな」
息も絶え絶え。
洗い呼吸を零しながら、懸命に全身を奮わせる姿は、見ているこちらの背筋を震わせる。右半身が瓦礫に潰され、左半身だけで抜け出そうともがいているのだ。
「あ、あんたこそ」
大丈夫なのか、とは言える筈もない。
無理だ、と思った。
鎧からの情報はなかったが、明らかに瀕死の状態である。意識があるだけでも信じられない。
何を言えばいいのか。
本当に懸命に生きる人間に言うべき言葉を、おれは見つけられずにいた。
「おい、なにしてんだ。生きてるなら、とっとと出るぞッ」
びくりとした。
先ほどとは違う意味で、おれは虚を突かれたのだ。
そんなことを言っている場合ではない。
なにより、おれだって動けない。
いや、この男だって動けない筈なのに。
思考が混乱している。
できない理由を並べるだけならいくらでもできる。人間の力でどうにかなるほどの重量ではないし、なにより瓦礫をどかしたとしても戻る方法もわからない。あの馬鹿でかい腕に投げられたのだ。歩いて戻れるわけがない。大体、その怪我で動ける筈がないじゃないか。
その全てが、馬鹿らしく思えた。
少なくともスティーブの目を見て言う気にはなれなかった。
いや、そうじゃないはずだ。それよりも言うべきことがあるだろう。
「な、なぁ」
「なんだ?」
こちらの呼び掛けにも平然と答える。
その声の力強さに、眼前の光景が冗談か何かに思えてきた。
「あんた、さ。その、なんていうか」
「用があるなら早く言え」
「――無理だろ!」
「…あ?」
「もう十分だろ! セルタだって助かったし、あんたの武器だって通じないし、あの三人がいるじゃないか! あの化け物だってあいつらに任せておけばいい! ま、前だって、あんたは足手まといでしかなかったじゃないか!」
そう、十分だ。
セルタは救った。
残った蜂も遠からずあの三人がなんとするはずである。
いや、そもそも、
「あとはおれがなんとかするから…!」
この鎧は、あいつら倒すためのもの。
今は武装がつかえなくても、もしかすればあっちで気付いて使用できるように出来るかもしれない。というか、絶対にしてもらう。
旧式のそれではなく、新式のそれで。
それが道理だし、なにより。
そんな痛々しい姿をこれ以上、見たくなかった。
「ふざけるな」
地の底から響くような声。
形相は悪鬼のそれ。
こちらを射殺さんばかり爛々と輝きだした瞳に言葉を飲み込まされた。
違う、と思った。
何が違うのかわからなかったが、それでもおれが言葉を続けるのは間違っている気がした。
「おれはエースだ」
「おれが、あいつらを救うんだ。そのためにここにいる」
瀕死の男が放った言葉。
なのに、いや、だからこそなのか。
その言葉を、ただそうなのだと受け入れるしかないと思った。
*
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