第15話 スティーブ Ⅱ
果たして、スティーブは窮地を脱した。
もはやかける言葉もない。
スティーブは文字通り、必死で窮地を脱したのだ。
「おい」
呼びかけに答えることも出来ない。
全てを。
その過程の全てを目にして、この男に対して反感を抱く気分には到底なれなかった。
苦悶の声も、激痛に耐える形相も、己を鼓舞する叫びも、爛々と輝く瞳も。その全てが脳裏に刻まれ、抱え込めないほど濃密な熱量を以っておれを刺激する。
そのくせ、妙に思考がすっきりとしている。
すべきこと、なすべきこと、したいこと。
その全てが完全に一致するなんて、思いもしなかった。
「ぁ、あああああああああああああああああああッ!」
声が出た。
意識してのことじゃない。おそらく、ただ身体が反応したんだろう。
全身に力を籠める。筋肉が悲鳴を上げ、関節が激痛を発した。酸欠で思考が鈍り、視界までがぼやけてきた。耳鳴りが煩わしい。全身が無駄に熱くなって、自分の中のなにかが足を引っ張ている。
ああ、そうなのか。
なんだか、笑えてきた。自分の中のなにかなんて言葉を使った時点で逃げに入っている。
足を引っ張っているんじゃない。あくまでそれも自分の意志だった。
痛い、つらい、もうやめよう。
いつだって聞こえてきたその声に、おれはいつも従うだけだった。思い返すまでもなく、その選択の全てが間違いだったと今なら確信できる。
あの男を見て、何故かそう思ったんだ。
「あああああああああああああああああああっ!」
右腕の抵抗が消える。次いで、左腕からも抵抗が消えた。そこからは自分でもどうしたのかわからない。
気が付けば両足も自由になり、四肢を付いて空気を必死に飲み込んでいた。
視界が霞み、頭の中が薄らぼんやりとしている。ひりひりと痛む喉と全身飛び出さんばかりに流れる血流を感じる。筋肉はひきつり、関節には不可解な痛みが残る。
そのくせ、妙に気分が晴れやかだった。
「おせえぞ、クソガキ」
見下ろす瞳を真っ向から睨み返す。
あれだけ恐ろしかった瞳が、まるで怖くない。
その事実だけで疲れがどこかに行ってしまった。
「うっせえ、おっさん」
荒くなった呼気を整える。立ち上がり、改めて周囲の様子を確認した。
一言でいえば、めちゃくちゃである。
広い空間は健在だったが、機材や瓦礫がそこかしこに山のように積まれている。通路口は瓦礫の下に消えている。天井はほぼ抜け落ちたようで、黒い雲だけが遙か上空で漂っていた。
ここから出るには天井から出るか、はたまたどこかに穴をあけるか。
いずれも武装の使えないおれでは難しい。
「おっさん。壁、ぶち抜けるか?」
「装備が潰れた。直るまでまだ時間がかかる」
「直る? 直せるのか?」
「自動修復機能がついてる。お前の鎧にもついてるはずだ」
そんなものがあるのか、と驚くと同時に、情報が流れ込んできた。
周囲に敵影はなし。
脱出路についても現在把握している状況から好転する要素はなかった。
そして、
「やべえ。まだ増えてやがる…!」
あかつき丸の現状。
巨大な蜘蛛に絡めとられた船体は未だに逃れる術もなくつるされている。その周囲を三色の光が飛び交っているが、群がる蜂の軍勢の勢いを殺すことができていない。
その戦力比は絶望的だ。
船内への侵入を許したのは先ほどの一回のみ。それ以降は許していないが、おれの目から見ても時間の問題としか思えなかった。
「おっさん、あっちがやべえっ!」
「慌てるな、応援はもう呼んだ」
「応援?」
「ああ。…ていうか、お前、どさくさに紛れておっさん呼ばわりしてんじゃ」
突如、バリバリと空気を裂く音が聞こえた。
強風が上空から叩き付けられ、強烈なライトが降り注ぐ。一瞬だけ目がくらんだが、すぐに視界は正常なものにかわる。
ヘリコプターだ。
映画でしか見たことのない巨大な鉄の箱がこちらを見下ろしている。
*
エンジンの駆動音とプロペラが旋回する音。
狭い室内を占める要素の大部分がそれで埋まり、今も懸命に行われている救命活動にすら意識を向けることが難しい。そんな状況下にあっても自分の役割をこなしているのだから、プロというのは大したものだと思った。
「おい、クソガキ! あっちはどうなってる!」
目下治療中の重篤患者が叫ぶ。
周囲は目の色を変えて治療をしているのに、この男だけは平然としている。それを見ても狼狽えなくなった自分がある意味異常なのかもしれない。
「フローラ達は外側の蜂共を蹴散らしてる。けど数が違い過ぎて上手くいってない。このままだと連中に押し切られちまう」
先ほど鎧から伝わった情報にはまだ変化がない。
三人娘は疲れ知らずに飛び回り、その数を確実に減らしてはいるのだ。だが、蹴散らすほどに数は回復し、また同じ戦力比に戻る。
空を覆う、雲と見紛うばかりの大群。
正直、なにが出来るのかもわからなかった。けれど、躊躇う気持ちはなかった。
すべきことをなす。
この男を見ていると、不思議とそう思えるのだ。
「どっちにしろ近づかなきゃどうしようもない。今はあいつらを信じるだけだ」
「…ちっ」
舌打ちを一つ、スティーブはそれきり瞼を閉じた。
眠ったらしい。
麻酔がようやく効いたのだろうか。治療を続けるスタッフの動きが一段と慌しくなった。
「随分落ち着いてるな」
頭に直接響くような声。鎧が無線を傍受したのだ。見れば、座席越しに大柄のパイロットがこちらを見ている。
「あんたは…!」
一つ目の巨人。
どうやら、この短時間でまた命を救われたらしい。
「助かりました。これで、二回目ですね」
「なに、それが仕事だからな。無事でよかった」
「あなたも無事でよかった」
一つ目の巨人は笑みを浮かべる。
そのまま正面に向き直った。
「その人は殺しても死なない人だからな。心配はしなくていい。…なんて言う必要もないみたいだな?」
「ええ、目の前で見せてもらいましたよ。瓦礫に潰されたのにぴんぴんしてる。この人、凄いですね」
「だろ? 俺らの大将だからな」
がははは、と男らしい笑い声が響く。
大将。
ということは、彼らはスティーブの部下なのだろう。
「しかし、なんだな。あんたも随分と場馴れしてる。あっちの世界ってのは大将みたいなやつらがいっぱいいんのか?」
「まさか。こんな人だらけだったら、おれはもっと早くこっちに逃げて来てますよ」
「がははっ、言うねえ! あんた結構面白い奴じゃねえか。気に入ったよ」
何が面白いのか、一つ目の巨人は先ほどから笑ってばかりいる。
なんだか印象が変わった。
もっと巌のような態度をしているのかと思ったのだが、意外と剽軽な男らしい。
「その鎧はどうだい? 大将のと同じで、あいつらをぶちのめせるんだろ?」
「―――」
一瞬、言葉に詰まる。
武装が使えない。
その事実が瞬時の返答を妨げた。
けれど、すぐに思い直す。
嘘をついてこの場を凌ぐのはあまりに馬鹿らしい。少なくとも、命を二回も救ってもらった恩人に対してすべきことではない。
なにより、
「ああ、これからぶっ飛ばしてくるよ」
やることには変わりないのだ。
武装が使えなくとも、この鎧には人間とは比較にならない馬力がある。出来ることはそれこそいくらでもある筈だ。
「がはは、いーねぇー。頼むぜ、兄ちゃん!」
「おう、任しといてください」
「おっしゃ。んじゃ、飛ばすぜぇえええ!」
「は、あああああっ?」
急加速。
突然のことに対応できず、シートにしがみ付く。治療をしていたスタッフのほとんどが床に倒れ込んだ。医療器具や救命器具が飛び出し、機内がしっちゃかめっちゃかになる。
抗議の声を上げようとして、おれは見た。
窓の外。
無機質な視線がこちらを標的にしている。その数は無数。囲う様に行き交いながら、蜂達は威嚇音をあびせかけている。
*
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