第16話 カレン

                   *


 彼方より此方へ。

 あかつき丸へ飛ばしていた鎧の情報処理を周囲に展開する。

 周囲を飛び交う蜂は六十四。それぞれが統制された動きでこちらへ攻撃を加えている。急旋回、急降下。文字通り特攻を仕掛けてくる蜂を躱しながら、ヘリは着実に目標へと向かって飛行している。

 腕がいいなんてもんじゃない。

 すれ違う度に伝わる振動は全て飛来する蜂の衝撃だ。音速に近い速度が生じた衝撃波すらも最小限の影響で防いでいる。

 間合い、タイミング、度胸。

 その全てが揃い、なお運が絡まなければ決して不可能な操縦。

 それをあの男はごく当たり前のようにこなしていた。

「おい、兄ちゃん! しっかり掴まってろよ!」

 この状況下であってもどこか楽し気な声。

 それが妙に頼もしくて、自然と笑みが湧き出て来た。いや、ぶっちゃけ出来ることすらなくて笑うしかないだけなのだが。

 もう何度目かわからない衝撃の後、ようやく目的地が見えて来た。

 あかつき丸だ。

「おいおい」

 無線越しに聞こえた声には諦観が混じっている。

 こちらも同じ気分だった。

 この世界に来てから様々なものを目にし、大抵のことには慣れたつもりでいたが勘違いだったらしい。一瞬ごとにうつり変わる景色に慣れるなんてことは不可能だ。

 ただ目の前の現実を受け入れるしかないという諦観。揺れる機内から目にしたそれは、まさしくその象徴であるように思えた。

 巣である。

 あかつき丸があると思しき場所を中心に蜂が群がり、何重もの壁を作り上げている。吊るし上げる蜘蛛は宿り木となり、飛び交う蜂が次々と群がって巣を大きく形成していく。

 スケールが違う。

 知らず、ため息が零れた。

「おーいッ!」

 女の声。

 エンジンが駆動する爆音とプロペラが旋回する轟音の只中で、不自然なほどクリアな声が聞こえた。しかも聞き覚えのあるそれは、何故か外から聞こえたものだとわかった。

 どん、と軽い振動。

 不思議と肚の底に響いた震動に、ある種の予感を感じて窓の外を見る。

 と、

「あれ、テツオ? いかした格好してんね? どうした、それ?」

 覗き込む瞳と目が合った。

 青い双眸が無邪気に輝き、宙を揺蕩う長髪が青い燐光を纏っている。不思議そうに首をかしげる様は、大人びた容貌からは考えられない仕草だ。だが、それこそが彼女の素であることをおれは知っている。

 カレン。

 青い少女がそこにいた。

「カレン!」

「はい、カレンです」

 燐光がヘリを覆い始めた。青い輝きは機内にまで広がり、中にいるおれ達までが青い光に包まれた。

 なんというか、気分がすっきりする。

 エリスのような暖かいそれではなく、爽快感が身体を包み込んだ。

「しゃああ、来たぜ来たぜぇええっ!」

 無線越しに無駄にテンションの上がった声が聞こえる。

 と、また突然加速した。 

 窓の外の風景が今までとは比べられないほど早く流れていく。あまりの急加速に驚いたが、それ以上に驚くべきことがあった。

 衝撃をまるで感じないのだ。どころか、あれほどやかましかった騒音までもがどこかに行ってしまった。

「まだまだいくよー」

 能天気な声とは裏腹に青い輝きは視界を色濃く染め上げていく。その眩さが増すごとに機体の速さがさらに増しているのを感じた。

 と。

「…カレン! 不味いっ!」

 ――情報が流れ込む。

 周囲を飛び交う蜂が一斉に牙を抜く。

 こちらが飛躍的に速度を増したせいだろう。ここぞとばかりに攻勢に出てきたのだ。

 螺旋を描くように接近する敵影が十二、正面と背後に回り込んだ敵影が二十、両側面から飛来する敵が三十二。

 その全てが同時に突っ込んできた。自滅覚悟の特攻。僅かな躊躇を感じさせることもなく、こちらを串刺しにせんと迫る。

 コンマ数秒。

 突然視界に飛び込んだ蜂の形相が網膜に焼き付き、反射的に身を固める。

 ばちりと鋭い音が響いた。

「…マジかよ」

 機体に揺れはなく、進行速度にも異常はない。六十四体分の衝撃をまるで感じさせることなく、機体は空を行く。

 一瞬だった。

 瞬きの間もなく蜂は機体に触れた瞬間に消え去ったのだ。

なるほど、と歎息する。

 リックストンが彼女達を最大戦力と言った意味が、また一つわかった気がした。

「テツオ、このまま突っ込むから掴まってなよ!」

 響く声に反論なんてある筈もなかった。それよりも今考えるのは別のことだ。

 これだけの戦力を持った彼女達。それでもなお、状況は悪化するばかり。

 その中で自分が出来ることが何か、あるいはその瞬間を見逃さないためにすべきことはなにか。 

 それをひたすら考えるしかなかった。

 

               *


 輝きが薄れている。

 あれほど快適だったはずの乗り心地が当初よりさらにひどくなった。機体の中のスタッフはシートに身体を固定してひたすら身を縮めている。スティーブはスティーブでこの乗り心地最悪の状況下でも安らかに寝息を立てていた。

「どんだけいやがるんだ、こいつら!」

 濁声が無線越しに響く。

 正面、ヘリのコックピットから見えるのは見渡すばかりの蜂の姿。どれも同じ形状ばかりで気分が悪くなってくる。しかもその全てがこちらに敵意をむき出しにしているのだからたまったものではないだろう。

 それでもそのまま進むしかない。

 目的地への進路はここで間違いないのだ。

「おい、テツオ! 本当にこっちで良いのかよ!」

「ここをまっすぐ飛んでください! そのまま真っ直ぐで!」

「無茶行ってくれるぜ、まったく!」

 震動。

 眼前の蜂が接触する直前に消滅した。その衝撃で機体は軋み、外から聞こえる威嚇音の音量が増した。

 ここは蜂の巣である。

 巣とは言ってもその表面付近。

 カレンの力を借りて突っ込んだはいいものの、その中途で思いの外苦戦していた。機外にいるカレンもここまで手こずるとは思っていなかったようだ。

「テツオー、これちょっとやばいかもー。ヘリもたないよ、これ」

「このまま戻ったらそれこそ標的にされる! このまま突っ切って、中に入り込んだ方がマシだろ!」

「けどさー」

「頼む! お前が頼りなんだ!」

「あーあ、まったく。なんからしくないよ、テツオ。いやま、やるけどさ。あんま期待し過ぎないでね」

「すまん!」

 言いたいことはもちろんわかっている。

 彼女自身、ある程度の限界に近付いているのだろう。

 先ほどから青い輝きが弱まっているのがその証拠だ。能天気に響く声は常と変わらず、そこに切迫した様子はない。だが、彼女が弱音を吐く時点で普通じゃないことをおれは知っている。

 それでも前に進むしかない。

 鎧から流れ込む情報は周囲の状況のみならず、あかつき丸の状況までも観測していた。

 まだ、侵入を許してはいない。

 まだ、なのだ。

 このままいけば近いうちに蜂がなだれ込む。

 さきほどの襲撃とは比にならない数。巣を形成する蜂の全てが殺到し、あかつき丸は中から食い尽くされる。

 それを防ぐ方法はおそらく一つ。

彼女達をあかつき丸へ送り込むしかない。

「ああ、もうめんどくっさいなーっ!」

 光。

 前方で青い輝きが炸裂した。

 一瞬の静寂。眼前に迫っていた蜂は消え去り、正面には空洞が広がった。数千、いや数万の蜂が瞬時に消し飛ばされたのだ。

 限界、とは彼女自身の限界ではない。

 この機体へ注ぎ込むことのできる許容量。それこそが、限界に近付いているのだ。

「いっくぜええええっ!」

 機体が軋みを上げる。

 一つ目の掛け声に呼応するように機体は限界速を越え、一直線にあかつき丸へと進行する。が、全方位から聞き慣れた威嚇音。周囲の空間は瞬く間に蜂に埋め尽くされた。

 直線距離にして十数キロ。

 この速度であれば、それこそ瞬きの間に着くはずの距離が遠い。

「ほんと、うっとしー!」

「カレン、無茶すんな!」

「うっさい! このままじゃ埒が明かないでしょ!」

「お前がガス欠になったら一番まずいんだ! あかつき丸に着いてからが本番なんだぞ!」

「わかってる! けどさぁ。ああ、もう。…わかった、大人しくする」

 冷静さを取り戻したのか、声が普段のそれに戻った。

 青い燐光が力強さを取り戻す。

 機内に力を注ぎ込むことに集中したようである。証拠に、機体の振動も若干和らいだ。

 と。

「つっかれたー」

 ぬるり、と。

 目の前に生首が現れた。

「うぉっ?」

「あ、パンツ見えちゃうからあっち向いてて」

 生首から上半身、下半身へと。ゆったりと落ちてくる様はあまりにシュール過ぎてなんと一定のかわからない。しかもパンツが見えると言いながらまったく見せる隙のないスカートがとても印象に残った。

「相変わらず、テツオはえっちだな」

「おい、ちょっと待て。誤解だろ、おれ見てないぞ」

「視線がわかりやすすぎ。変態、すけべ」

 カレンは言いたい放題言ってから隣に腰掛けた。

 伸びを一つ。

 表情を緩ませ、深く息を吐いた。

「あー、まったくやってらんない。あっちの状況はどうなの?」

「フローラとエリスはまだ外で津払いをしてる。ていうか、こっちに来るって発想がないのかもな。大本を潰すのに必死であしらわれてるみたいだ」

「伝えなくていいんでしょ? その方があたしたちが侵入しやすい、だっけ?」

「ああ。これ以上巣を大きくされるのは避けたいし、今からあいつらが来るのを待ってる時間はない」

 赤い光と緑の光。

 その熱量は他の存在とは比較にならない。こうして蜂に囲まれた状態であっても、ほぼ正確な状況を把握することができた。

 気持ちいいほどの高火力。

 上空で雲のように群がる蜂共を容易く消し飛ばしている。

「すごいな、あれだけいたのにもう半分近くに減ってる」

「それ、本当に便利ね。あたしですら、ここからだとあいつらの様子なんてわからないのに」

「それだけだけどな」

「十分でしょ。まぁ、そんだけごっついわりには期待外れではあるけど」

 振動。

 青い輝きが一瞬だけ薄れる。が、すぐにカレンから青い光が供給される。

「ねぇ」

「なんだ?」

「あんたはどう思ってたの?」

「は?」

「アンナのこと」

 言葉が詰まる。

 その質問がこの状況で来るとは思っていなかった。

「…それは、今聞くことじゃないんじゃないか?」

「聞くわよ。友達だもの」

「友達って」

「あんたと違ってあたしとあの娘は何年も一緒にいたからね。だから、わかる。あの娘は本気だったよ」

 冗談じゃねえ。

 のどまで出かかった言葉を無理やり飲み込んだ。

 だめだ、おれ自身も疲れてる。

 異常な環境、未だに続く緊張感、死と隣り合わせの重圧。

 その手の言葉を使えばいくらでも自分の状態を擁護できる。そもそも一度死にかけている人間がそんなことを今更考えろと言う時点で、

「あたしたちは、何時死んでもおかしくない。だから、やるべきことはやる」

 本当に勘弁してほしかった。

 ああ、なんてみっともねえんだ。たかだか十代のガキにここまで苛つかされるとは思っていなかった。

「だから、おれをだましたってか。よく一月も茶番をやってたもんだ」

「楽しかったよ。男が入ってくるなんてなかったから、あたしたちも新鮮だった」

「馬鹿にしてたんだろ? 随分イジられたしな」

「関わり方ってのかな? そういうの、わかんなかったんだ。あんたも人が良いから付き合ってくれて助かったよ」

「…だから、何だってんだ。結局はこの鎧が目当てだったんだろ?」

「ああ。けど、あんたのこと気に入ってたんだ。あたしたちみんなさ。その中であの娘は特別だったみたい」

 ぶちり、と何かが切れる音を聞いた気がした。腹の底でとぐろを巻いていた何かが喉元から飛び出そうと全身を熱くする。

 状況を無視した会話、噛み合わない言葉の応酬。

 だから、

「だからっ! なにがいいたんだ、てめぇっ!」


「あの娘のこと、忘れないでやってほしい。それくらい、真剣だったと思うから」


 絶句した。

 どこまでも身勝手過ぎる言葉で、あまりに真っ直ぐ過ぎた。

 カレンは友人として彼女の気持ちを述べたと言う。その言葉の真偽を計ることなんてもうできないのに、彼女は当然のように言った。

 何も言えない。

 言える筈がない。

 あの時見た彼女の表情。

 それが、おれにとっての全てである。

 だから、答えは決まっている。


「…わかった。信じるよ」


「そ。なら、よかった」

 それ以上、この話題を振るつもりもないらしい。カレンはまた一つ伸びをして、瞼を閉じた。全身から燐光が溢れ、視界を青く染める。

 …とても気分が良い。

 爽快感が身体を包み込む。

 なんてばからしい会話だったのか。

 そもそも、おれは彼女を信じたのだ。

 あの時の表情はもちろん、短時間の触れ合いも。

 その全てが本物だと思ったからこそ、この鎧を手に入れることができたのだ。

 お節介ここに極まれり。

 けれど、なんというか、まぁ。

 こういうのも悪くない。そんな風に思えた。


「あ、やば」


「…なに?」

「えーと、さ。先に謝っとくね」

「ちょっと待って。なんだかすげー嫌な予感がするんだけど」


「もう限界みたい。ごめんね?」


 猛烈な震動が走った。

 強風が全身を襲い、シーツから投げ出される。視界が回り、硬い何かがぶつかる衝撃。もみくちゃになりながら、おれは意識を失った。


                   *

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