第17話 密室

                   *


「目、覚めた?」

 後頭部に柔らかい感触。

 見上げる視界には見知った顔。端正な顔立ちは人形を思わせ、愛想の欠片もない表情は紛れもなく普段の彼女である、

 セルタ。

 薄らぼんやりとした頭がその事実だけを受け入れた。

「ここ、は?」

「避難所。カレンが連れて来てくれたの」

「カ、レン…?」

「覚えてない? 担がれてきたの。鎧は脱がし方がわからないから、そのままにしてる」

 おぼろげながら思い出してきた。

 そうだ。

 ヘリが空中分解した後、おれは蜂の群れに飛び込んだ。四度目の衝突までは覚えている。そこからはひたすら世界が揺れ続け、どこかの時点で意識を失った。

 その直前、蜂とは違うなにかにぶつかったような記憶があるような、ないような。

「どれくらい、寝てた?」

「…大分?」

「そう、か」

 ゆっくりと体を起こす。

 首が少し変だ。背中も妙に張っている。口の中べたついていて気持ち悪い。

 だが、それ以外は何の問題もない。あれだけの衝撃を受けながら、怪我の一つもしていないのは鎧のおかげだろう。

 ゆっくりと首を回し、ようやく思考がまともになって来た。

「大丈夫、だよね?」

「ああ。まだ少しぼんやりしてるけど。なぁ、セルタ。他の皆はどうしたんだ」

「わからない。ただ、ここにいれば安全だからって」

 ここ、とはこの部屋のことだろう。

 一面が白に覆われている。

 不自然なほど色彩のない空間。全方位を単色で染め上げられ、何一つ物がない状況はどこか現実離れしている。

 電灯はなく、壁面自体が淡く発光しているようだ。

 セルタの言葉通り、ここにはおれと彼女以外の姿は見えなかった。

「まぁ、今更驚くことでもないか」

 情報が流れ込む。

 四方の壁との距離を算出。艦内の位置を把握し、カレンの動向を探る。すぐにカレンの所在も含め、艦内の状況を読み取ることができた。フローラとエリスは未だに船外。蜂はカレンの力によって船内に侵入する前に消滅している。

 そこまでは予想通り。けれど、

「…嘘だろ?」

 予想以上に厄介な状況になっていた。

 何度情報を検証しても同じ結果になる。何かの間違いであってほしかったが、鎧の情報が間違っていたことは一度もなかった。

 立ち上がり、一番近い壁に向かう。淡く発光する壁に触れる。鎧が更に詳しく解析を行った。

 結果は同じ。

 おれは頭を抱えた。

「どうしたの?」

「閉じ込められた。周囲の空間から隔絶されて、完全に外界から遮断されてる」

 密室。

 四方の壁には出口はなく、壁を破壊しようとも先がない。通常の空間とは別の軸に存在する亜空間。この部屋はだれも出ることのできない檻そのものなのだ。

「どういうこと?」

「おれ達はここから絶対に出ることができない。下手すれば、死ぬまでこのままかもしれない。いや、それより、どういうことだよ、おい」

 物理的に脱出は不可能。

 鎧が出した結論はそれだけである。

 あちらの状況が手に取るようにわかるのに、何故、そんなことになるのか。おれ自身よくわからないが、その結論が正しいと鎧は告げている。

「馬鹿じゃねえのかッ…!」

 吐き捨てて、壁を殴る。

 不自然に柔らかい感触。ゴムのような弾力に、おれは舌打ちをした。壁を壊すのが無意味なことはわかっている。だが、だからと言ってこんな対策まで施されては怒りのぶつけ処がない。

 次いで蹴りを一発。当然ながら壁はびくともしなかった。

「くそ、どうすりゃいい…?」

 状況はわかるのに何もできないもどかしさ。

 このままここにいても意味がない。そもそもこのままあいつらが負ければ、こちらは元の世界に戻る手段もなくなるのだ。

 なにより、カレンがここに担いできたと言う事実が頭に来た。

「おれが足手纏いってことかよ…!」

 確かに、出来ることは限られている。

 だが、鎧が解析した情報は間違いなく使える筈だ。実際、彼女がここまでたどり着いたのだって、鎧の情報がなければ不可能だったはずである。…いや、不可能は言い過ぎかもしれない。ただ、短時間でたどり着くことができたのは間違いない。

 だってのに、あの女…!

「ふざけやがって…!」

 ふつふつと怒りが湧き上がってくる。

 いや、怒りじゃない。

 悔しいんだ。

 こんな気持ちになったのは久しぶりである。自分が選ばれない口惜しさ。就職活動のそれよりも遙かに熱い感情が思考を煮え滾らせる。

 そうだ、

 これだ、この感覚だ。

 自分自身を決して許せない感情。不甲斐なさを容認することを拒む自我。今まで薄れていたそれが一気に膨れ上がるのを自覚した。

「落ち着いて、テツオ」

 凛とした声。

反射的に振り向くとセルタはどこか毅然とした態度でこちらを見ていた。

 言い返そうにもその視線が真っ直ぐに突き刺さる。ぐつぐつと煮立つような感情が徐々に落ち着いてきた。

「…ああ、わかってるよ」

 深呼吸を一つ。

 仕切り直しはそれで十分だった。

 なにを置いても、自分に出来ることをするしかない。この状況下で出来ることは彼女達を信じて待つことしかない。

 腰を下ろし、胡坐をかく。

 全身の力を抜いて、鎧から流れ出る情報に集中することにした。

「悪かったな、セルタ。少し熱くなった」

「大丈夫。わかるから」

 

「置いてきぼりにされるのは、辛いよね」


 言葉に詰まる。

 セルタは普段通りの態度でこちらを見ている。おそらく彼女は何の他意もなく言葉を発したのだろう。

 何気ない一言だからこそ、真実が含まれる。

「ねえ、テツオ」

「…なんだ?」


「私のお願い、覚えてる?」


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