第18話  思い


 お願い。

 それが何を指しているのかはすぐにわかった。

『おとうさんを、助けてほしいの…!』

 この世界に来るきかっけとなった言葉。

 と、同時に今の今まで忘れていた言葉でもある。

 彼女が。

 セルタ自身が何からあの男を何から守ればいいのかわからないと言ったから。

「私の父はここでは英雄みたいに扱われてる。昔はあいつらとも一人で戦って、この舟を守ってたんだって。私は見たことがないけれど、私と初めて会った人は皆そのことを教えてくれる。私の父はだれよりも勇敢で、だれよりも格好良いって」

 セルタは語る。

 その言葉はどこか誇らしげで、そのくせどこか刺があるように思えた。

「でも、私にはその話が本当なのかわからなかった。父との思い出自体が少なくて、あの人のことは今でも良くわからない。私といた時の父は母に怒られてばかりの普通の人だった。だから、そんな話を聞いても信じることはできなかった。母を亡くすあの日までは」

 あの日。

 セルタの記憶にあるのは、普段通りの一日だったという。いつも通り家事の手伝いをし、勉強をし、本を読んで布団に入った。

 そして、彼女は母を失ったのだ。

「目を覚ましたら、私は父に抱きしめられていた。そこは見知らぬ部屋で、一緒にいたはずの母の姿はなかった。父はボロボロの白い鎧を着ていた。パジャマには赤い染みが付いて、すごく鉄臭かったのを覚えてる。私が何を言っても父は何も言わなかった。だから、そこで気付いたの。母が死んだんだって」

 それが母に関して覚えている最後の記憶、と彼女は言う。それ以上でも、それ以下でもなく。彼女はそうして母を失ったのだ。

 それは、母娘の離別というにはあまりにも呆気なさすぎる顛末だった。

「それから、父は私の面倒を見るようになった。はじめはあの人が一緒に居てくれだけでうれしかった。けれど、生活しているうちに気付いてしまった。あの人は、私の父である前に……そう、きっと英雄だったんだと思う」

 血まみれで帰ってくるのは一度ではなかった。

 全身の至る所に包帯がまかれ、その巻き直しや治療を手伝う日々。魘される父の横で眠るのにも慣れた。

 少女がそんな毎日が異常であると気付くのに、それほど時間は掛からなかった。

「二度と顔を見たくないと言ました。あの人は何も言い返しませんでした。その日から、私は一人で生活してきたんです。本当は、ずっと一緒に居てほしかった。けれど、あの人はいつも傷だらけで帰ってきた。死にかけたのだって一度じゃない。そんな状況に、私が堪えられなかった。だって、本当に帰ってくるかもわからなかったんだから」

 母を失い、父は去った。

 姉は時折姿を見せたが、彼女と暮らすことは禁じられていた。

 一人で。

 たった一人であの家にいるのはどれだけ辛いことだったのだろうか。なによりも、父の安否すらわからない状況で彼女はどう思い過ごしたのだろう。

 五年、と彼女は言った。

 その期間が長いか短いかなんてのは、考えるまでもないことである。

「だから、貴方呼んだんです。父を救ってほしい。あの化け物からあの人を守ってほしい。一人きりで、こんな思いをしないで済むように。私は貴方に助けてほしかった」

 けれど、とセルタは言葉を続けた。

「初めて見たときは驚きました。父よりも若くて、思った以上に線の細い人。正直、父やあの人達から比べれば戦える人間だとはとても思えませんでした。だから、その」

「はぐらかしたのか? 目的を言えば、おれが逃げるとでも思ったか?」

「…はい。私のお願いは貴方には重すぎると思った。いえ、そう思ってます。あの化け物に立ち向かうテツオを見て、私は」

 初めて、セルタの瞳が揺れた。

 ああ、そうかとようやく合点がいった。

 彼女が何を言いたかったのか。

 彼女が何を言うためにこんな話をしたのか。

 その全てがようやくつながった。

「だから、もういいです。もう、なかったことにしてください」

 震える声で彼女は言う。

 傷ついた父を見ていられないと言った少女。彼女が先ほどのおれの姿を見て何を思ったのかなんてことは、正直考えたくもなかった。

 だから、

「いやだ。おれはお前の願いをかなえる」

 あとは、自分の思いを伝えるだけである。

 セルタは目を見開いて、こちらを見た。

「…どうして?」

「もういやなんだよ。途中で投げ出すのは」


「自分で決めたことは最後までやり抜く。多分、おれはそれが出来なかったから、ここにいるんだ」

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