第2話 勇者ってなんですか?

「…受かってる」


 茫然と画面をのぞき込んでいる。

 開いたメールの文面は既に脳裏に刻み込まれるほど読み返した。その中で採用の二文字が眩いばかりに輝き、おれはこれが夢なんじゃないかと疑ってかかっていた。


 だって、受かってる。受かってるんだ。

 しかも来年の新卒採用。


 半年の就業期間も申告済みで、その上で新卒採用してくれるなんて思いもしなかった。何度自問自答しても文面が変化することはない。目を離したからって消えることもない。


 その事実を受け入れるまで、おれはひたすら画面にかじりついていた。

 メールアドレスの確認はした。偽装メールの類かと勘繰ってみても募集要項にメールでの通知についてのことわりも書いてあった。


 それでも、まだ信じられない。

 あれほど苦戦した就活が、こうも簡単に終わるとは。


 まずは両親に知らせるべきだろうか。いや、今は仕事中だから友人に知らせるのが先か。いや、あいつらも仕事中か。


 浮足立ちはじめた気分を落ち着かせる必要がある。

 ベッドに腰掛け、天井を仰いだ。


 平日の日中である。それも実家で一人きり過ごすなど最悪の気分だった。就活サイトを見るのも億劫でメールを確認したが、まさか、最高の一日のはじまりになるとは思わなかった。

 深呼吸を一つ。

 とにかく、今すべきことは何か考えよう。


「…返信すべきだな」


 立ち上がり、ノートパソコンと向かい合う。

 検索エンジンを開き、『採用通知返信』と入力。出て来た例文を参考に文面を考える。あまり長くなっても迷惑だろうし、かといって短いのも考えものである。


 まずはお礼の挨拶、入社の意志とこれからの抱負、締めの挨拶はご指導よろしくお願いしますと書いておけばいいだろう。


 それだけ決めてから書き始める。

 十分ほどかけてようやく形になって来た。


 ふと、気付く。

 もしかすると採用の返事などの期限も記載されているかもしれない。


 もう一度メールを開き、文面を読み直す。


「しまった」


 スクロールが付いていることに気付かなかった。開いた画面の下にまだ文章が続いている。急いでスクロールすると、URLが添付いている。

 その後に、何故か時間の指定がされていた。


「今日の日付? 時間は…あと十分?」


 URLをクリック。

 簡素な壁紙に、中央には謎の窓。

 これは、ライブチャットだろうか?

 もう一度文面を見直し、ようやく理解した。


「マジかっ? ライブチャットで意思確認とか聞いたことねえぞっ?」

 だが、実際に送られてきたのだからあるのだろう。

 咄嗟に部屋の内装が見えない位置にパソコンをずらす。


 幸い、髭剃りや顔洗いなどの習慣は欠かさずやっている。あとは恰好だけだ。さすがにスウェットの上下ではまずい。

 クローゼットを開け、スーツを着込む。

 それだけで時間は瞬く間に過ぎた。


『おはよう、黒崎君。まずは内定おめでとう』


 映ったのは面接官を務めていた人だった。

 年のころは三十代。鋭い目つきは中々に迫力があるが、不思議と目を離せなくなる。口元に浮かんだ笑みも渋いというかなんというか。

 液晶で見ているせいか、まるで映画の俳優と対面している気分になる。


「あ、ありがとうございます」


『はは、少し緊張しているみたいだな。いや、しかし、申し訳ない。突然で驚いたろう』


「あ、いや、まぁ。まさか、こういうのがあるとは思ってなくて」

『うちの社長が好きでね。本当なら今日は彼女と顔を合わせる筈だったんだが、急用が出来てしまってね。君に謝っておくように言われたよ。いや、本当に申し訳ない』


「いやいやいや。こちらこそ光栄です。こうして内定までいただけましたし」

『ああ、そうだ。その件で君に確認しておきたかったんだ』


 笑みが消え、真剣な眼差しを向けられる。

 こちらも身構える。

 答えは既に決まっている。あとは、きちんと伝えられるかどうかだ。


『弊社に入社する気はありますか?』

「はい! 御社のために精一杯頑張りたいと思いますっ!」

『いい返事だ。これからよろしく頼む』

「はいっ!」


 感触は良好。必要書類はメールで送信されるとのこと。プリントアウト後、期日までに提出する旨を伝えられた。

 男は、佐伯章介と名乗った。

 ますます映画染た名前である。というか、今まで本名を聞いていなかったことに驚いた。


『さて、黒崎君。さっそくだが、君には研修を受けてもらおうと思う』

「内定式の前にですか?」

『そこも社長流でね。習うより慣れろってことらしい。それに、君の場合はまる一年近く時間が空いてしまう。うちとしてはその間に仕事の一つでも覚えてほしいんだよ』


 にっこりとした笑顔に重圧を感じた。

 さすがに一年の休みはもらえるとは思ってなかったが、こんなにも早く日程が決まるとは思っていなかった。


「わかりました。それで、いつからですか?」

『今からだ』

「はい?」


『残念ながら巨尻吸血鬼も巨乳エルフもいないが、そこはそれ。いい経験だと思って頑張ってくれ』


                   *


「私はセルタって言います。よろしく、です」


 硬い表情。

 彫りの深い顔立ちのせいかどこか威圧感めいたものを感じたが、聞こえる声は上ずっているように思えた。緊張しているのだろうか。


 年のころは十六か十七程度に見える。だが、印象からするともっと下かもしれない。いずれにせよ、日本人しか相手をしたことのない身としては年下という事実しかわからなかった。

 

 居間と思しき空間。

 テーブルと椅子が置かれただけの室内は、質素で殺風景そのものだ。目の前に置かれた陶器のコップもどこかくすんでいて、中には水が半分ほど注がれている。少女の身なりも、清潔感はあってもどこか安っぽく見えた。


 どうやら、あまり裕福な家ではないらしい。


 そこまで考えて、一度思考をリセットする。よくない物の視方だ。セールスマン的と言えるほど立派な経験があるわけではないが、初対面の人間に抱くべき感想ではない。

 なにより、今の仕事は物を売りつける類のものではないのだ。


「私は黒崎哲夫と言います。今回はお喚び頂き有難うございます」


 名刺を取り出そうとして、貰ってすらいないことに気付いた。というか、それを出す場面でもないのかもしれない。

 少女、セルタはこちらをじっと見つめている。


 気まずい沈黙。


 どうやら、固い表情は緊張からくるもので間違いないらしい。

 こちらからコミュニケーションを図るべきなのだろうが、如何せん、初めての場で何から話せばいいのかわからない。

 そもそも、おれだって簡単な説明をされてこんなところに放り込まれたばかりなのだ。


「言葉」

「ん?」

「言葉、わかるんですね」


 上目遣いの視線から問いかけられる。その仕草がまるで小動物のようで、なんだかこちらが申し訳なくなってくる。

 だが、質問自体は真っ当なものだ。

 おれはスーツの内ポケットからスマホを取り出した。


「これのおかげなんだ」

「なに、これ?」

「あー、なんだ。おれの商売道具に、なるかな」


 液晶にアプリを映す。

 幾何学的な模様が浮かび、その形を絶えず変えている。セルタは目を丸くして、じいっと見つめた。


 これは、佐伯さんに指示されダウンロードしたアプリだ。

 正式な名称は長ったらしい英語なので省くが、要は言語通訳ツールである。これを起動している間、周囲の言語が自動的に通訳される。

 このアプリの謎は、何故か起動しているだけでセルタの言葉が日本語に聞こえることである。


 未知のテクノロジー。


 おれにとってはもちろん、目の前の少女にとってもとんでもない代物である。だが、彼女は液晶に映った幾何学模様に夢中のようだ。

 とりあえず、掴みは上々。

 あとは、ゆっくりと言葉を交わせばいい。


「…すごい。本当に、違う世界から来たんだっ!」


 どん、とセルタは身を乗り出した。

 暴力的に輝く瞳。

 突然のことでビビるおれ。


「そ、そう? 呼び出した君も大したものだと思うけど」

「あのね、私ねっ! すっごい困っててっ!」


 今度は別の意味で会話になりそうにない。

 考えがまとまらないのか、支離滅裂な言葉をぶつけられる。

 セルタは懸命に言葉を探し、涙を浮かべ、ようやく本題に入った。


「おとうさんを、助けてほしいのっ!」


 真っ直ぐな言葉が響く。

 鬼気迫る表情はこちらの思考を奪うには十分で、見習いとはいえ、喚び出されたからには応えなければならない。


 そう。

 おれは、勇者になったのだから。

 月給十三万だけれども。


                   *


『君が向かう場所はここではないどこか。そこで、君は依頼主の依頼を受け、それを解決する。手段は自由。簡単だろ?』

「あ、はい」


 スマホにアプリを複数ダウンロードしながら、おれは佐伯さんの説明を聞いている。

 いや、説明というかなんというか。

 話がぶっ飛びすぎて、どう反応していいのかもわからない。


 渋い笑みに騙されそうになるが、いくらなんでも酷過ぎる。就活生を狙った詐欺なんてメリットがなさすぎるだろ。


『信じられないか? 無理もない。うちはもともとそういう会社なんだよ』

「いや、でも、製薬会社なんじゃ」


『それはあくまで表向きの話だ。うちが手広いのは良く知ってるだろ。それは、他の世界からいろいろなものを取り入れてるからなのさ。この世界にはない技術だったり、絶滅した植物なんかをこっちに持ってきて商品化してる。薬効や医学なんかはどの世界でも発展しているからね』


「それって違法なんじゃ」

『なに、そこについては問題ない。ちゃんと許可をもらってる』


 どこに、とは聞かなかった。

 画面に映る笑顔から有無を言わさぬ圧力を感じる。聞いても教えてくれないこともある。大人って難しい。


『まぁ、とにかく君には実地研修を行ってもらう。今ダウンロードしているアプリが役に立つはずだ。詳細については、ここでは教えない。実際に使ってみてくれ。これも社長流でね、まったく何を考えてるんだかわからないな』


 はっはっは、と他人事のように笑われる。

 おれも笑えばいいのだろうか。嘆く場面のような気もするが、どうにもノリがつかめない。


「それで、あの、おれは具体的にどうすればいいんですか?」


『君は勇者だ』


「は?」

『依頼人の希望は勇者。内容も直接聞いてくれ。君は勇者として依頼人に接し、依頼を達成してくれればいい』


「…なんか、もう、どこから突っ込んでいいのか」

『大丈夫、はじめはみんなそんな感じだ』

「はぁ、そういうもんなんですか」

『そうそう』

「あはははは」

『あっはっはっは』


 辞退しよう。

 液晶に親指を乗せる。

 ダウンロード画面を消去、次いでノートパソコンを迅速に閉じた。


 さよなら、内定。


 淡い夢を見た、と自分に言い聞かせる。降って湧く幸運などない。一つ一つ積み上げてこそ人生なのだ。

 ひとまずコーヒーでも飲もう。


 立ち上がり伸びを一つ。今日も一日頑張ろう、と思ったところで気付いた。

 スマホが、揺れている。

 バイブレーションじゃない。着信やアラームの振動とは違う揺れ。というか、スマホが揺れているというよりも、まるで。

 空間そのものが揺れていたような。


『残念だけど。うちは来るものは拒まないけれど、去る者は許さない会社なんだ』


 ぎょっとした。

 閉じられたはずのノートパソコンから声が聞こえる。


『なに、安心してくれ。君がいくら逃げ出そうと彼女は、社長は君を必ず連れ戻す。その点については我ら社員一同のお墨付きだ。運命だと思って諦めてくれ。彼女に気に入られた人間の定めってやつさ』


 いよいよ揺れがひどくなっていく。

 どんな原理か知らないが、スマホが宙に浮いた。眼前に固定され、液晶が目に入る。無数の線が浮かんでは消え、幾何学的な模様がランダムに表示されていく。


「ちょ、おれ、その人と会ったこともないんですけどっ!」

『君じゃない君と会ったことがあるんだろうね、彼女は』

「意味がわかんねぇっ?」

『とにかく、勇者として依頼人を救いたまえ。そうすれば家に帰れる。ああ、そうそう。一応君の給料なんだけれど、研修生ってことで、そうだな』

 

『手取り十三万ぐらいで手を打ってくれ』

 

 安すぎる、なんて抗議が受け入れられるわけがない。

 まばゆい光が室内を白く染め、気が付くと見知らぬ部屋にいた。

 

 目の前には異国の少女。


 こうして、おれは勇者をやることになった。

 自分の世界に帰るために。


                *

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