第3話 ファンタジーってなんだっけ?

                *


 空は快晴、アスファルトなんてもんがある筈もなくいくらか均された地面を歩く。周囲の光景は絵にかいたような田舎そのもので、右手にも左手にも田んぼや畑が広がっている。


 農夫が馬を引く姿や苗を植える姿。野暮ったい服を来た子供達が桶を運び、農婦は籠一杯に作物を詰め込んでいる。その全ての人々が、日本人のそれとはまったく異なる顔立ちをしている。


 だからといって、異世界に来たという実感はまるで湧かない。どちらかといえば海外へ旅行に来たらこんな感じだろうかという感覚だ。


 卒業旅行、行きたかったな。

 一人就職が決まらず、友人達の誘いを断った苦い記憶がよみがえる。予定では、オーストラリアに行くはずだったのだが。


「セルタちゃんのおとうさんもここで働いてるの?」

「ちゃん?」

「ん?」

「名前は名前で呼ぶんじゃないの?」


 つぶらな瞳で問い返される。

 どうやらこちらではそういう習慣がないらしい。


「いや、おれの所はそういう風に呼ぶんだ」

「変なの」


 ばっさりと言われた。


 どうにもさっぱりとした子供である。なんというか、ませているというよりも大人びた印象を受ける。

 桶を運ぶ子供達と見比べると一目瞭然である。

 いや、浮いていると言った方が正しいかもしれない。


「おとうさんは壁で働いてる」

「壁?」

「今から行くとこ」


 セルタは前方を指した。

 青い空が七割に山々が二割、おまけのように家屋や小屋があるだけである。壁なんてどこにも見当たらない。

 それを口にしようとして、


「ようこそ、異邦人。何もないところだが歓迎しよう」


 周囲の風景が変わる。

 青い空は暗雲が立ち込め、緑の香は据えた消毒液の匂いに変わった。


 篝火がそこかしこに焚かれ、道端に座り込む人々。怒号が飛び交い、行き交う人々の慌ただしさは今までみた病院のそれともまるで違う。

 ただ、なにより違うのは。


「私はリックストン。ここの責任者を任されている」


 二メートルを超す長身。

 片口から剥き出した腕は子供の胴よりなお太く、胸板は巨木のそれを思わせる。そのくせ、面立ちは理知的で野蛮な印象は一切ない。


 だが何よりも違うのは。

 彼の頭部には角があった。


 人間には決してないものを生まれ持つ者。

 道端に座り込む人々も、通りを慌しく行き交う人達も同様だ。ある者は耳、ある者は体毛、ある者は明らかに動物に近い姿をしている。


 異世界。


 おれはようやくとんでもないところに来たことを自覚した。


                  *


「我々は開拓団だ。この未開の地へ新たな生存圏を確保するためにやって来た」


 鳴り止まない鉄の音。

 かすかに聞こえるうめき声と通りを劈く怒号。窓のない室内にあっても聞こえる異常に、果たして対面に座る男は平静のままだった。


 リックストン。

 頭部に角を持つ、二メートルを超える巨漢である。

 その圧倒的な存在感と理知的な眼差しのギャップに、おれはただ委縮するしかなかった。


 いや、もう、なんていうか、こうして目の前にいるのが申し訳ないような気分だった。こう、存在の違いってのを嫌でも理解してしまう。

 そんな男が湯呑を並べ、茶を注ぐ姿。それがまた妙に様になっていて、なんというか、また一つ負けた気がした。

 そっと差し出された湯呑を受け取る。


 驚いた。


 手の甲が腫れ上がっている。

 指の付け根が特にひどく、変色した肌が痛々しい。それがただの怪我でないことは一目瞭然である。どうやら、目の前の人物はばりばりの現役のようだ。


「それで、君の名前は?」


 茶を啜り、一息入れたところで水を差し向けられた。


 名前すら名乗っていなかったのか。


 我が事ながら呆れる他ない。湯呑を置き、さてどうしたものかと考える。そこで気付いた。名乗らなかったというよりも、自分が何者かをどう説明すればいいのかわからなかったのだ。


「黒崎哲夫と言います。彼女、セルタの依頼でお伺いしまし、あだっ?」


 太ももに激痛が走った。

 肉を捩じり上げられる感覚。小学生の頃はよくやったが、大人になると随分と生生しい痛みになる。

 

 傍らを見ると、セルタと目が合った。


 相変わらず固い表情をしていたが、その目には明らかに責めるような感情が込められている。

 どうやら、依頼のことは他言無用らしい。さきに言ってほしかった。


「ああっと、その、もともと私は、その、なんというかこの国の人間ではなく」

「その点はこちらでも把握している。君のような人間が来るのは珍しくないからね」

「え?」

「異世界。日本と呼ばれる場所が君がいたところではないだろうか」


 一瞬、言葉を失った。

 茶を啜る音が響く。

 リックストンは湯呑から口を離し、ゆっくりと息を吐いた。


「何も驚くことはない。さっきの転移でわかっていたはずだ。あれは、君達の世界の技術だ。我々はそれを利用させてもらっている」


 いや、知らない。

 おれはあんな風に風景が丸ごと変わるなんて超常現象、初めて見た。

 内心の言葉を飲み込んで曖昧な笑みを浮かべる。


 そんなもんあるか、と言えなかったのはこんな場所へ送られた自分がいたからだ。世界基準というよりうちの会社基準ならばあの程度のことができるのかもしれない。

いや、それもとんでもない話なんだが。


「つまり。あなた方はわが社と友好的であると?」

「ああ、君らの言葉では提携と言えばいいのかな。だからこそ、君をここへ招き入れた」


 鉄の音が鳴り止まない。

 かすかに聞こえるうめき声も、何故か、その数を増やしたように感じた。

 こことは、いったいどこのことをいうのだろう。


「こちらへ来てくれ。見た方が早いはずだ」


 巨体が動く。

 無駄のない動きが目についた。足運び、重心、姿勢。その全てが今までみた誰よりも洗練されている。


 室内を出て、外へ向かう。


 無骨な内装の廊下。ふと、先ほど来た道と違っていることに気付いた。

道のりが違うのではない、廊下自体が違っているのだ。


 進んだ先に、鉄扉が見えた。


 無骨な内装にあってもなお異質な雰囲気。

 リックストンは躊躇いなく扉を開けた。

 甲板の向こうに見渡す限りの荒野。

 地平線の彼方まで何もない光景を、おれは初めて見た。

 風が全てを攫うように荒れ狂い、大地を砕く轟音が世界を揺らす。


「紹介しよう。彼が我々開拓団の前線基地であり、移動居住型開墾用掘削機関車」


「あかつき丸だ」


 巨大な腕が見えた。

 目の前の大地を掴み、地面を抉り返している。

その度に土埃が舞い、振動で膝が崩れそうになる。そして、更に風景が遠のいて。

 動力。

 こんな出鱈目な乗り物があってたまるか!


「こ、これは凄いですねっ!」


 轟音に負けないよう声を張り上げる。

 聞こえているのかいないのか、リックストンは地平の彼方を見やっている。ちなみに、セルタは鉄扉の淵でじっとこちらを見ているだけである。


「来たぞっ」


 リックストンが叫んだ。

 次いで、地平線の彼方が崩れた。


「―――は?」


 文字通りの意味である。

 まるで水面がゆがむように風景が歪んだのだ。

 直後、その向こうに何かを感じた。


 ゾッとする。


 圧倒的な敵意だ。

 風景の裏側で蠢く何かがこちらを見据えている。

 獲物を捕らえた猛禽類が放つそれとは違う、もっと無機質で残酷なもの。

 ただこちらを消すためだけに暴威を振るうもの。

 おれは、ただ立ちつくすことしかできなかった。


                    *

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