第44話 失ったもの
手を伸ばす。
くしゃくしゃになった泣き顔のまま、セルタはおれの手を握った。
嗚咽混じりの声は言葉にならず、彼女は溢れんばかりの感情を涙で吐き出していた。
それを止めようとは思わない。むしろ、止めることだけはしたくないと思った。
いつでも無表情。
それは、この娘が何時だって感情を表に出さないように必死だったからにすぎない。一緒に生活をしていればよくわかる。
はじめて珈琲を入れてくれた時だって、緊張でがちがちだった。
だから、こういう状況でも感情を表に出せるのは決して悪いことじゃないはずだ。
『テツオ、生きてるッ?』
カレンの声。
セルタがはっとして顔を伏せた。
瞼を閉じ、身を強張らせる。それでもおれの手を離さず、セルタは抱き寄せるように自分の頬に押し付けた。
膝枕。
今更ながら、そういう体勢であることに気づく。
どうでもいいか。
呼びかけに答えようかと思ったが、未だに力が入らない。無理に声を出しても届くのかどうかわからなかった。
いや、そもそもここはどこだ?
突然、揺れた。
セルタが一層身を強張らせる。
それを皮切りに、激しい振動と轟音が響き続けた。思わず苦笑する。自分の馬鹿さ加減とフローラの容赦のなさにだ。
ここは黒い巨人の中だ。
途切れることのない猛攻はフローラから。外では彼女が血反吐を撒き散らしながら赤い光を放っているのだろう。そう考えるとすぐにここから出る必要がある。
けれど、
「―――――」
無言で堪え忍ぶセルタの様子を見て、何も言えなくなった。
この少女に真実をどう伝えればいいのか。セルタ自身は何が起きているのか分かっていないはずだ。外で最愛の姉が自分を殺そうとしているなんて言えるわけもない。
右腕はセルタに抱きしめらている。左腕でセルタの頭をそっと撫でた。
「ごめん、なさい」
涙が降って来た。
ヴァイザーを伝って滴は消えていく。けれど、彼女の涙はとめどなく溢れて降って来た。
「どうした、なに謝ってんだよ?」
「結局、あなたを、巻き込んだ」
思わず、ため息を吐いた。
今更、何を言うかと思えば。
「言っただろ、おれはやり遂げたいだけだ。おれの都合なんだ。セルタはなにも悪くない」
「でも、私が願わなければ。なにも起きなかった…っ!」
「化け物共はいつだって襲ってくる。もともとお前は狙われてたんだ、早いか遅いかの違いだけだったじゃないか」
「でも…っ!」
「泣くなよ。少なくともおれは気にしてない」
そう言ってもセルタの涙が尽きる様子はない。
いくらなんでも泣き過ぎだ。
そう思って起き上がろうとした。が、何故かうまくいかない。どうにもバランスが取れない。左手を離し、右手もセルタから離そうととしたが、セルタは首を横に振るだけだった。
「セルタ、手を放してくれ」
「だめ…っ!」
「放してくれなきゃ起き上がれない」
「動いちゃダメ…っ!」
おかしい。
いくらなんでもこの反応はおかしすぎる。何故か漠然とした不安に襲われる。自分自身が気付かなければいけないことに気付けない違和感と言えばいいのか。
反応がおかしいのはセルタじゃなく、おれ自身じゃないだろうか。
震動も轟音も未だに続いている。
けれど、それがどこか遠くのことのように思えた。
そんなことよりもずっと大変なことが起こっていて、セルタはそれを悔やんでいるのではないか。
そこまで考えて、視線をセルタから外した。
「だめっ…!」
「あ」
思わず言葉を失った。
セルタが一層強く右手を握る。
視界の大半が真っ黒に染まっている。それが黒い巨人の中にいるからだということは考えるまでもなくわかった。それでもセルタを見ることが出来たのは彼女自身がわずかに発行しているからだ。
けれどほんの僅かな光ではこの暗闇を照らすことはできない。
だから視界の大半は真っ黒で、わずかに見えるのはセルタとおれ自身くらいだ。
そう、おれ自身は見える筈なのに。
なのに、ある筈のものが見えなかった。
「足が」
右膝の下、左大腿部の中間部より下。
そこから先が影も形もなくなっていたのだ。
「ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい…!」
セルタの声が遠い。
代わりにひどくみっともない声が聞こえた。
悲鳴というにはあまりに頼りなくなく、鳴き声というには情けなさ過ぎる。
言葉にすらなっていない声が響く。
それが自分が発したものだと気付くのに随分と時間が掛かった。
痛みはない。
けれど、おれは両足を失ったのだ。
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