第43話 目醒め
「…なにが、効果がないだっつーの」
呆然と。
ただ呆然と、目の前の光景をただ見ているしか出来なかった。
一瞬だ。ただの一瞬で黒雲の一部と空を覆いつくさんばかりにいたはずの無数の蜂が全て消え去った。黒雲の合間から見えた星々の淡い輝きに思わず息を呑んだ。
視線を下げれば、未到達点が丸裸になっている。その傍らに黒い塊が一つ。ところどころから煙が上がり、わずかに震えているようにも見える。
黒い巨人。
ばかみたいにでかかった両腕が半分程度になっている。全身の至る所が炭化し、どう見ても満身創痍だ。おそらくは使い物にならなくなった両腕がゆっくりと下ろされる。
ほっとした。
セルタは無事だった。
頭部と思しき部位に飲み込まれた彼女は遠目に見て傷一つ付いていないように見える。相変わらず鎧のセンサーに反応はなかったが、どうやら生きているようだ。
『何が起きたっ!』
大音量が響く。
思わず耳を抑えたがまるで意味がない。鼓膜を抑えたが、声の主リックストンはこれまででは考えられないほど狼狽していた。
『状況を説明しろっ! モニターが映らんっ! 何が起きたっ!』
矢継ぎ早の言葉が鼓膜を貫いて直接脳みそにぶちこまれる。怪我をした時の痛みとはまた違う不快感に思わず叫んだ。
「うるせえ! ぶっ殺すぞ!」
『ならば状況を』
「フローラの奴が蜂をぶっ飛ばしたっ! 残ってんのは黒い巨人だけだ! センサーにも反応がねえ!」
『なんだと…っ!』
息を呑む音が聞こえた。
当たり前だ、こうして実際に見ているおれでさえ信じられない。
見上げれば、赤い光が輝いている。
ヴァイザーがなければ目が潰れるほどの光量。その中心にいる少女は今なお険しい表情で黒い巨人を見下ろしている。
その視線の苛烈さはどう考えても姉が妹に向けるそれではない。
むしろ、親の仇を見つめるそれで、
「カレン! 止めろぉっ!」
叫ぶ。
赤い光が槍のような形になって放たれた。形勢から射出までほぼ一瞬。制止する間もなく、満身創痍の黒い巨人へと向かっていく。
直後、甲高い金属音が響く。
青い光の壁。
赤い槍を阻むように現れたそれは黒い巨人を守るように守るように包み込む。
拮抗する赤い光と青い光。
金属音が更に高らかに響き、衝撃が大地を削った。荒狂う風が砂埃を舞い上げ、地形すらも変えていく。
霧散する赤い光。
永遠に続くかと思われた拮抗はあっけなく崩れた。
「無事か、カレンっ? カレンっ!」
呼びかけても反応がない。
青い光は未だに輝いている。だが、明らかに濁っていた。
走る。
鎧の脚力を極限まで絞り出す。大地を力の限り踏みしめ、ひたすら腕を振った。
遠い。
カレンやフローラが一瞬で詰めた距離がおれには遠すぎる。フローラは既に二撃、三撃目の準備を終えている。空中に固定された赤い槍が放たれるまでの時間。その時間を詰めるのはおれには不可能だ。
だから、
「おっさん、カレンがあぶねえ!」
呼びかけるしかない。
直後、フローラに向かって一直線に飛行する物体を感知。おれを一瞬で追い越して、フローラへあっとう言う間に肉薄した。
旧式のくせしやがって。
スティーブは全速力で飛行しつつ、兵装を展開。空中へ固定された赤い光の槍に向かって、弾頭をぶち込んだ。
轟音。
空が炎で染まった。
黒煙と白煙が立ち込めたが、それも一瞬のこと。逆巻く風が白煙を攫い、爆炎すらもかき消した。
『そこまでだ、フローラ』
音声を捉えた。
懸命に走った成果だ。徐々にではあるが距離が縮み、鎧の機能で肉声を拾えるまでになった。と、同時により正確に視認できる距離にもなった。
息を呑む
フローラ、カレン。
この二人の姿があまりに対照的だったからだ。
『…うっざい、わね』
荒い呼吸。
正確な発音すら怪しい。時折響く咳の音がどこか籠っているのは血が気管に混じったせいだろう。全身の至る所から出血している。特にひどいのは両腕だ。指先は真っ赤に染まって変形していた。
対して、カレンは無傷だった。
ただフローラを見つめる視線が定かではない。動揺しているのだろう。どうしていいのかわからずに、言葉を失っているようにも見えた。
と。
『だめ! フローラ、止めて!』
緑の光が現れた。
フローラを赤い光ごと包み込むように広がっていく。
その発生源であるエリスは、顔をくしゃくしゃにしてフローラへと飛びついた。変形した指先に恐る恐る触れ、緑の光で包み込む。
癒し。
変形した指先が正常に戻り、赤い血痕が剥がれていく。その間もフローラは視線を一切向けず、ぎらぎらとした瞳で黒い巨人を見下ろしていた。
『…邪魔』
一言。
呼吸の乱れは変わらず、正常に戻った腕でエリスを押しやった。
豪っと風が逆巻いた。
フローラが手を掲げ、赤い光の塊が形成されていく。塊が大きくなるにつれ、彼女の目から血が噴き出した。掲げた指先も既に原型を留めていない。
エリスの必死な表情で叫んだが風に攫われて、フローラには届いていないようだった。
いや、聞こえていたとしてもフローラは気にも留めなかっただろう。
それだけ、フローラの思いは強い。
放たれる赤い光。
スティーブの兵装では対処しきれない。爆炎をものともせず、カレンの青い光すら吹き飛ばした。
凄まじい光量と熱量。
鎧の警戒音は止まらず、ヴァイザーは真っ赤に染まったまま。風なのか衝撃波なのかわからないが吹き飛ばされそうになるのを堪えて走る。
位置は覚えている。
既に鎧が演算を終え、すべき手順についてもかっているのだ。
迷いもない。
おれは全力疾走し、跳んだ。
『ちょ、テツオ、何やってんの、馬鹿!』
カレンの罵声。
自分がやっていることはさすがに理解していた。けど、その結果何が起こるのかについては考えてはいなかった。
だからただ歯を食いしばって堪えることを選んだ。
衝撃。
全身を焼かんばかりの熱量に悲鳴を上げることすら出来ない。激痛に悶える間もなく意識が赤く染まっていく。鎧は相変わらず悲鳴を上げていたが、それでもなんとか堪えている。
さすがに限界がきて、視界が薄れて始めた時。
「テツオッ!」
声が聞こえた。
聞き慣れていたはずなのに随分と聞いていなかったような、そんな声。
全身に感じていた熱量はなく、遠ざかっていた意識が鮮明になる。赤く染まっていた視界に少女が見えた。
くしゃくしゃになった泣き顔。
今まで見たことがなかった表情で、おかしくもないのに笑ってしまった。
セルタ。
彼女がようやく目を覚ました。
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