第42話 姉として


 母。

 おれにとっての母とはあくまで母親でしかない。…いや、正直当たり前すぎて感想が思い浮かばない。だって、そうだろ。当たり前のように家にいて、当たり前のように仕事に行ってた。死ぬとかどうなんてまだ先だし、万が一の不幸なんて考えている方がどうにしてる。

 母がいない知り合いも友人もいなかったし、だから、結局は知っているだけの話なのだ。

 母や父がいない。

 そんな状況がまるで分らなかったから、おれはセルタと一緒にいることができた。

 年下で寡黙な少女。

 何を考えているのかまるでわからなくて、だからその分彼女を見ることが出来た。

 家事をする姿、居間で何も考えずにぼーっとする姿、学校へ通う姿、教室にいる姿。

 その全てがイメージとは違い、どこか無味乾燥としたもので驚いた。話す内容すらも広がりがなさすぎて今じゃ何を離したのかすら覚えていない。

 けれど、珈琲。

 珈琲を入れるその姿だけは、はっきりと覚えている。

 二つ目のコーヒーカップに注いだ後、三つ目に手を伸ばすその姿は。

『テツオ、ちゃんと聞いてる?』

 はっとする。

 カレンの声は珍しく咎めるような響きがあった。よほどぼーっとしていのだろう。周囲に誰もいない理由を思い出すだけで数十秒掛かった。

「ああ、聞いてる」

『作戦の概要は? 聞いてたんならわかるわよね?』

 エリスの声。

 上から目線の言い方もさることながら声音すらも冷たくて腹が立った。

「まっすぐいってぶっとばす」

『死ね』

 スティーブの声。

 おっさんらしい端的な物言い。腹が立つより先に「お前が死ね」と返した。

『貴様ら黙れ。ふざけている場合か?』

 重いため息を吐いた後、リックストンは言った。息遣いまで正確に聞きとれるせいで近くで会話をしているような気になってしまう。

『再度説明する。敵の目的はあくまで防御のようだ。一定の地点を越えてからは追跡すらしてこない。理由はいくつか推測されるが、現状もっとも可能性が高いのは有効範囲であると考えられる。貴様らの足下、地中に沈んだ化け物が証拠だ」

 人型の化け物。

 エリスとカレンによって上空から突き落とされた化け物は、現在も地中深くに沈んだままだ。鎧の機能を使っても辛うじて反応を読み取れる程度。

 そもそも生きているのかわからないが、既に死に体だ。

『奴はカレンとエリスの力で拘束されている。そうだな?』

『はい。間違いないです』

『あたしもおんなじに感じまーす』

『奴にカレンとエリスの力が通じ、フローラの力が未到達点付近の化け物に通じなかった。そして、化け物共がセルタと黒い巨人から一定の距離から離れない事実。これらはセルタの能力に効果限度があることとその正確な範囲を教えてくれた』

 視界に画面が浮かぶ。

 画面の中央にデフォルメされたセルタと黒い巨人。そこから円形、というには歪な図形が浮かぶ。その中にデフォルメされた無数の蜂。そして、その外側におれ達と思しきアイコンがある。

『この範囲の中ではフローラ、カレン、エリスの力は通じない。だからこそ、貴様らの力が必要だ』

 がちゃり、と弾倉を込める音がした。

 おっさんは無言で闘志を燃やしている。ようはおれとおっさんであの化け物を片付けろ、とリックストンは言っているのだ。

 そりゃそうできれば一番いいが、人間にはできることとできないことがある。

 だから、

『フローラ、カレン、エリスの三人でスティーブとテツオを運ぶ。道中の障害はスティーブの武装で対応しろ。セルタと黒い巨人には』


『テツオ、貴様が対処しろ』


 できることをするのだ。

 兵器を使えるのは一度だけ。それは既に全員に伝えてある。だからこそ、おれは御咎めなしでこの場にいることが出来る。

 一度使えばこの世界から消える。

 後腐れない鉄砲玉としてはこれ以上ないだろう。終わった後の処理だって、主犯のおれがいなくなることでいくらでも誤魔化しが効く。

 なにより、ここで全てを終わらせなければならない。それを、リックストンもようやく理解したのだ。

 リックストンはおれの返答を待たずに話を進めた。

『以上だ。理解したな?』

 無言。

 全員が思い思いの準備を進めている。話すべきことは話した。あとはそれぞれができることをするだけである。

 だからこそ、誰もが無言だった。

 だからこそ、リックストンは、


『フローラ、理解したか?』


 一言も発言しない少女へ矛先を向けた。

『…なにが?』

 聞こえる声音は驚くほど静かだった。

 返答になっていない言葉だったが、それだけで彼女の様子が変なのはすぐにわかった。リックストンは辛抱強く、もう一度同じ言葉を繰り返した。

『理解したか、と聞いた』

『わかるわよ。馬鹿じゃないんだから』

 らしくない。

 リックストンを含め、全員が同様の思いを抱いたはずだ。言葉に熱もなく、どこか上の空の返答。どこまでもらしくない。

 これまでの経緯がどうあれ、この反応はどう考えても彼女らしくなかった。

「じゃなんで何も言わねえんだ。返事くらいしろよ」

『あんたが言う?』

 切れ味すらない。

 舌打ちをしても予想通り言い返してもこない。数秒の沈黙の後、リックストンがため息まじりに締めた。

『伝えるべきことは伝えた。諸君らの尽力に期待する』

 そこで通信は途絶えた。

 迷う。

 フローラに声をかけるべきか、それをおれがすべきなのかを。

 リックストンは敢えてぼかしたが、おれ達とリックストンの思惑には明確な違いがある。

 おれ達はセルタを救いたい。リックストンは黒い巨人を葬りたい。

 リックストンはセルタが死んでもいいと考えている。彼女たちの記憶を消したのも、セルタを天秤にかけた結果なのだから。

 だからこそ、おれを最後の詰めに使う。

 兵器の威力が絶大だということをリックストンは知っている。それを最後の一撃に使うのだ、あわよくば彼女ごと消せば目の前の脅威が去ると考えているのだろう。

 エリスはそれを察し、そうなるように仕向けるだろう。つーか、やる。間違いなく。

 カレンはそんなことはどうでもよくて、セルタを救おうとするだろうか。あのおっさんはがむしゃらに突っ込んでいくだろう。

 おれは当然セルタを救うために動く。

 では、フローラは。


 あの話を聞いた彼女がどうするだろうか。


『やっぱだめだ』

 

 一言。

 この状況で決して聞き逃してはいけない言葉が聞こえた。だれもが息を呑む。続く言葉次第ではこれからの展開がまったく違ってくる。

 セルタを救うのか、黒い巨人を倒すのか。

 それとも、

 

『あたしはあの娘が許せない。妹だかなんだか知らないけど、いや、あたしの妹だからこそあたしはあの娘を許せないんだ』

 

 鎧が警告音を発した。

 センサーが膨大な熱量を感知。即座に熱源を見て言葉を失った。

 まるで太陽だ。

 瞳を灼かんばかりの圧倒的な光量はこれまで見たどの光よりも圧倒的だった。

 

『母さんを殺したあの娘を、あたしは絶対に許さない!』

 

 放たれる光球。

 一瞬で世界が赤く染まった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る