第29話  セルタの話 

『あんたは才能がない。そろそろ、うちに顔を出すのは止めてくれないか』


 テツオが初めて挫折を経験したのは、高校二年の夏だった。

 当時、テツオは近所にある道場に通っていた。通い始めたきっかけは定かではない。ただ近所だからだったかもしれないし、元々気が強いわけではなかったから両親がそれを懸念して通わせたのかもしれない。

 いずれにせよ、テツオは物心ついた頃からその道場にて稽古を受けていた。ただ、不思議なことにその流派の名前を教えてもらうことが出来なかった。いや、テツオ自身が知ろうとも思わなかったのだ。

 だからこその宣告であり、テツオ自身がそれを甘んじて受けた。

 今だからわかる。才能がない、なんて言葉自体がやさしさだったのだ。

 惰性で通った馬鹿弟子に対する親心。せめて、切り捨てることで弟子の奮起に期待した。

 …なんて、情けない。

 テツオはその言葉をありのままに受け取った。これ以上、この場所にはいられないと当たり前のように受け入れていたのだ。

 反発すればよかった。

 怒ればよかった。

 抗えば良かった。

 そのやさしさを、跳ね除けることすら出来なかった自分が情けない。

 そんな、その程度の男がまっとうに生きるということ自体がおこがましい。職探しに苦労するなんて当たり前だ。大学に行こうが、何をしようが、その性根自体が腐っていた。

 なによりも問題なのは、それを自覚すらしていなかったこと。

 なんて馬鹿だったんだ。

 なんで今更気付いたんだ。

 これまでの生涯全てが恥ずかしい。

 何をしても取り戻せない時間がこれほどまでに悔しいとは思わなかった。

 何度殴られ、何度蹴り倒されたのか。

 思い出すことすらできなかった時間。

 思い出そうとすら考えなかった時間。

 その全てに価値があったんだ。

 そんな当たり前のことを、どうして、今思い出すんだ?

 不意に、目が覚めた。


                   *


「ぁ?」


 全身が重い。

 喉が渇き、腹の底が妙に蠢いている。

 もうろうとした意識はすぐに覚醒した。少なくとも、平時とかわらないくらいの思考を取り戻した、と思う。

 ゆっくりと息を吐く。

 両腕が動かない。両足も動かない。

 じゃらりと鎖の音が聞こえた。その音を知覚した瞬間、鎧が周囲の状況を正確に把握した。

 拘束されている。

 なんの素材でできているのかもわからない鎖が、四肢のみならず全身を縛り付けているのだ。いくら力を込めても鎖はじゃらじゃらと音を鳴らすだけでびくともしない。

 四方の壁には扉がなく、当然天井と床にも出口らしきものはなにもない。鎧の知覚をどれだけ深めようとも、結果は変わらない。ただ自分のいる場所だけはわかった。

 あかつき丸内部。

 ここは、セルタと閉じ込められた場所と同じ性質をもった空間だ。

「起きたか」

 ノイズ混じりの男の声が響く。

 聞き覚えがある声音にうんざりとした気分になったが、少なくとも目の前にはいないと自身を落ち着かせる。

 スティーブ。

 どうやら昏睡状態から立ち直ったらしい。何かしらの言葉をかけるべきか迷っていると、スティーブが言葉を続けた。

「すぐに出るぞ」

「どうやってだよ?」

「気合でなんとかしろ」

 ふざけんな、この馬鹿野郎。

 喉元から出かかった言葉を無理やり飲み込んだ。

 ここで争っても意味がない。

 なによりそんな気力もなかった。一つ一つの事実を確認し、深呼吸を三度繰り返す。頭の中を空っぽにして言葉を発した。

「無理だ。おれじゃどうしようもない」

「そうか。なら死ね」

 無慈悲な言葉に、怒りよりも感心する気持ちが勝った。

 この男は本当にぶれない。

 どこまでも前に進む姿勢はおれにないものだ。それを真似ようとしたが、結局、肝心なところで折れてしまった。

 リックストン。

 あの男に叩き潰されたのは、肉体ではなく精神の方だった。

「実際、どーすんだよ。この状況じゃなにも」

「弱音吐く前に考えろ。やるんだよ」

 昏睡していた男の言葉とは思えない。

 おれは反論する気すら起きずに言われたことに従った。

 が、すぐに挫折する。おれにはこの空間を脱出する方法など思いつくわけもないし、そもそもの話、セルタといた時だってあの化け物が侵入してきたから出ることが出来たのだ。

 あの化け物。

 セルタを連れ去ったあの人型の化け物はなんだったのだろうか。

 人型ではあっても決して人間ではない異形。鎧に匹敵したあの性能は明らかに常軌を逸していた。

 そして、

「なぁ、おっさん」

「おっさんって呼ぶんじゃねえ」

「あんた、知ってたんだよな」

「何がだ?」

「セルタのことだ。あの白い光はあいつらと同じものなんじゃないのか?」

 赤でもなく青でもなく緑でもない。

曇天を染め上げた鮮烈な白は未だ脳裏に焼き付いている。

「だからどうした?」

 当たり前のように切り返され、おれはなにも言えなくなった。

 だからどうした。

 なるほど、おれの聞き方が悪かったのだと自分に言い聞かせる。

「あの光は、セルタはフローラを拒絶していたように見えた。もっと言うなら、あの化け物に連れていかれたがっている様にも見えた」

 あの瞬間。

 フローラが追いやられ、黒い化け物が飛びついた瞬間のことを思い出す。

 本当に一瞬のことすぎてわからなかったが、セルタはあの化け物を受け入れたのだ。だからこそ、あそこから連れ去られた。

「セルタは、そうだ、そもそもどうして一人でいたんだ? おれが来るまで学校にも通ったことがないと言っていた。姉やあんたとも数年以上会っていないっても言っていた。けど、それはおかしいだろう。セルタにも力があるなら戦わせればいい。そんな余裕、あんたらにはないんじゃないのか?」

 沈黙。

 それがこちらを無視してのことなのか、それとも何かしらの裏があるのか。どちらにせよ、スティーブのらしくない態度に若干の苛立ちを覚えた。

「今度はだんまりかよ。父親なんだ、娘の考えてることくらいわかんねーのかよ」

「心当たりはある」

 ぼそりと呟くように放たれた言葉。

 いきなりのタイミングで面食らったが、すぐに耳をそばだてる。

「あれは、フローラが力に目覚めて間もなくのことだった。その時も、おれ達は連中に襲われてた。何とか奴らを迎撃したが、艦内への侵入を防ぎきれなかった。その時、あいつらの母であり、おれの妻だったニーナが殺されたんだ」

 さらりと告げられた事実。

 一瞬思考が停止したが、スティーブは更に言葉を続けた。


「その時、セルタは力に目覚めた。けれどあいつの力はおれ達の期待とはまるで逆の代物だったんだ。あの光はフローラ達の力を打ち消す力だ。だから、セルタは隔離されたのさ。おれ達にはそうすることしか出来なかった」

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