第21話 タイマン
生きてる。
最初に抱いた感想はそれだけで、目の前にある光景が何を意味するのかが全く理解できなかった。
地面と暗雲。
頬に当る感触は紛れもなく土のそれで、自分が俯せになっていることに気付くのにしばらく掛かった。
予感があった。
朦朧とした意識の先。
自分自身を取り戻したその瞬間、おれは地獄を見ることになる。
「ぁ」
来た。
来た来た来た来やがった。
徐々にはっきりしていく意識が目醒めを全力で拒否している。歯を食いしばろうにも身体が応えてくれない。
やばい、こんなの、
「あああああああああああああああああああ…ッ!」
堪えられるかッ!
全身を稲妻が駆け抜けた。
指先一本、呼吸一つですら痛みが走る。喉はすぐ枯れ、あまりの痛みに涙があふれた。吐き気や寒気が波のように押し寄せては曳いて行く。
目がちかちかして、自分が生きているのか死ぬ寸前なのかもわからなくなる。
それでも、辛うじて意識を失わなかったのは。
視線の先で立ち上がるなにかを見つけたからだ。
化け物は、空を見上げている。
「くそっ、たれが……ッ!」
知りたくもないことがどんどん頭に流れてくる。
化け物の視線の先。おれには暗雲しか見えないが、その方角には紛れもなく彼女達がいる。
なにをもたついてやがる…ッ!
ふらふらと漂うように宙に浮かぶ様子が手に取るようにわかる。あかつき丸へ向かうわけでもなく、逃げるわけでもない。
文字通り、宙に浮いているだけ。
それを、あの化け物が見逃すはずがない。
「 」
咆哮が轟いた。
鼓膜を越え脳髄を揺らす大音声。信じられないことだが、遙か上空にまで音が届いている。それでもなお、フローラは動きを変えない。
シルエットが変化する。
腰を落とし、膝を曲げる。
その動作はまぎれもなく跳躍のそれ。
遙か上空の標的へ向かわんとする姿勢は、傍から見れば決して正気の沙汰とは思えない。けれど、それが冗談でもなんでもないことをおれ自身が知っている。
時間がない。
既に発射の体勢は整っている。
瞬きの間にあの化け物は遙か上空へと到達し、セルタを攫う。
おそらくフローラは不調だ。原因は不明だが、あの尋常ではない汗を見れば察することができる。今の彼女自身の状況もそれが理由であるなら説明がつく。
そこまで考えて、自分がすべきことが明確になった。
「くそ、が……ッ!」
痛い。
どこもかしこも痛くて仕方がない。
動かそうとすれば痛みが増し、動かなくても痛みは続く。
なら、と自分自身に言い聞かせる。
痛みがなくならないのなら、それを理由にするのは止めろ。できるか、できないか。そんなことには何の意味もない。
やるのだ。
人間、必死になれば何でもできる。
なによりおれは、そんな男を既に見ているじゃないかッ!
「あああああああああああああああああああああああッ!」
叫ぶ。
化け物がおれを見た。
激痛で意識が途切れる。
気が付いたとき、眼前に化け物がいた。
醜悪な面。
人間にどこか似ている面構えは、しかし似ているからこそこの上もなく気持ち悪い。目や鼻などの器官はなく、そのくせ表情が浮かんでいる様にも見えた。
驚愕。
人間のような面を見せやがって。
瞬間、再び意識が途切れた。
「 」
殴っていた。
鼓膜を揺さぶる咆哮で目が覚める。
遙か前方、土埃の向こうから化け物はおれに向かって吠えていた。
黒い表皮が裂け、犬のように耳まで広がる大きな口。全身を使って威嚇する様はそれまでの無機物めいた印象とはまるでかけ離れている。
上等。
意識がはっきりする。
痛みに慣れたのか、化け物の敵意をしっかりと感じとることができた。不自然に凹んだこめかみを見て、モチベーションが上がる。
通じる。
おれの拳はあの化け物にも通じるんだ。
全身から湧き上がる衝動を抑え、ゆっくりと半身に構える。
化け物は、獣のように四肢を這わせておれを睨み付けている。
これまでとは違う、肌を刺すような感覚。
びりびりと全身に浴びる敵意に、おれはただ意識を集中した。
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