第27話  リックストン

 目が覚めた。

 ここ一か月で見慣れた天井がある。

 全身がすこぶる重かった。思考はまだ緩慢で、今が夢か現かもわからない。それでもあの女とのやり取りは覚えている。

 上半身を起こす。

 その動作だけで一日の活力の大半を奪われたような気がして、深く息を吐いた。疲労もさることながら筋肉痛が酷い。慣れた痛みだったが、だからといって簡単に受け入れられるものでは決してない。

 そのままベッドから抜け出し、居間へと向かう。

 当然ながらそこには誰もいない。頭ではわかっていても、伽藍洞とした雰囲気に思わず足が止まった。

 今はできることをするだけだ、と自分自身に言い聞かせる。

 冷蔵庫と思しき箱から食料を全て取り出した。

 …今更ながら、セルタの有難みに気付かされる。こちらに来てから、彼女はずっとおれの面倒を見てくれた。台所に立つのだって久しぶりだし、この世界の食材を目にすることすら初めてだった。

 火を点け、肉と思しきものを焼く。野菜は適当に水で洗って盛り付ける。米と思しきものも見つけたが、それを炊く装置の使い方がわからない。棚を適当に漁ってパンらしきものを見つけた。スープの残りも見つけ、それも火にかける。

 ものの数分で出来た朝食を食卓へ。

 並べてみて苦笑した。

 今まで比較したことはなかったが、やはり料理にも作り手の性格が出るらしい。あるいは技量の差だろうか。記憶にあるセルタの朝食と目の前にあるこれでは同じ食材を使って出来た物とは思えない。

 両手を合わせて、いただきます。

 不格好に盛り付けられた野菜をかきこんだ。スープを合間に挟んで一気に食べきる。次に肉とパンを交互に頬張った。 

 正直、味を気にしている余裕はなかった。それでも記憶にあるそれが随分と恵まれた物だったと気付くには十分である。

 もう一度、あの朝食を食わなければ。

 そんなことを思いながら、残りを全て平らげた。

「…くそ。さすがに、食い過ぎた…」

 腹が重い。

 のど元から逆流しようとするそれを何度も飲み込んだ。ここから先、まともに食事をとる時間すら惜しいのだ。少しでも蓄えておかなければならない。

 スマホを取り出す。

 相変わらず液晶には謎の紋章が浮かんでは消えている。原理なんてもんは未だに理解できていないが、それでも使い方についてはおおよそのレクチャーを受けた。鎧についてもおれの意志で使えるようになっている。

 寝間着を脱ぎ、着る物を探す。

 あるのはここに来たときに来ていたスーツと支給された学生服。スーツを身に着けようかと思ったが、よくよく見れば皺だらけでみっともない。仕方なく学生服に袖を通した。

 不意に食器を洗い場に移すのを忘れていたことに気付いた。が、そこまで馬鹿丁寧にやる必要もないと思い直す。せめて身だしなみくらいはしっかりしようと洗面所へ向かい、顔を洗って歯を磨いた。鏡で寝癖をチェックし、気合を入れる。

 やるべきことは既に決まっている。

 あとはそれをやり遂げるだけだ。

 その足で玄関へ向かおうとして、思い直す。出かける前に見ておかなければならない場所があることに気付いた。

 階段を上る。

 二階の自室ではなく、もう一つの部屋の前で立ち止まる。

 可愛らしい表札もかけていなければ、どこまでも無機質な扉。一月あまりの生活の中で何度か足を運んだ部屋を最後に見ておこうと取っ手に手を掛ける。

 あれで意外と可愛いものが好きなのだ。

 ファンシーな内装と家具、姉から贈られたと言っていたぬいぐるみはそれこそ普段のセルタのイメージとはかけ離れたもので微笑ましかったのを覚えている。

 許可なしに入るのはマナー違反だとわかっていたが、それでも一度は見ておかなければならない。

 本当に、セルタがここにいないと言う事実を受け入れるために。


「…は?」


 目を疑った。

 記憶にある光景は鮮やかに、家具の位置まで覚えている。

 なのに、そこにあったのはこれまで一度も見たことのない光景だった。

 なにもない。

 家具どころか生活の痕跡が一切消えた無色の部屋。がらんどうの室内におれは立ち尽くすしかなかった。


                  *


「おはよ、テツオ。なんか気合入ってんじゃん」

「は? いや、なにしてるって学校行こうとしてんじゃん」

「なんでって、そりゃ授業あるし。リックさんってサボるとめちゃくちゃ怒るし」

「さっきから、あんたなんかおかしく…って、ははーん?」

「あんた、あたしのことデートに誘ってんの? やだなー、とうとうあたしの魅力に気づいちゃったかー、まいるなー」

「でもさ、そういうのは休みの時にしてくれる? 学校サボってデートとかドラマの見すぎっていうかさー、いや、誘うなって訳じゃないんだけどー」

「はぁ? デートじゃない? ていうか、あんたさっきからホントわけわかんないんだけど?」


「セルタセルタって誰よ? あたしに妹なんていないわよ?」


                  *


「どうした、もうすぐ朝礼が始まるぞ?」


 全身が熱い。

 そのくせ頭はすこぶる冷静だった。

 目の前にはリックストンがいる。授業で使うつもりなのかプリントの山がデスクに置かれ、無駄にでかい身体が頑丈そうな椅子の上で窮屈そうに縮こまっていた。

 ここ一月の間に何度も見た光景。周囲を動き回る職員の面々も見知った顔ばかりで、普段とまるで変わりがなかった。

 それこそが異常であるというのに、これではまるでおれだけがおかしいみたいだった。

「何かあったのか?」

 訝る視線から目を逸らす。

 尋ねる声には本気でこちらを案じているかのような響きがあり、その表情からも同じものを読み取れた。

 一瞬、おれ自身が間違っているのではないかと思った。

けれど、すぐに思い直す。

 あの女とのやり取りを思い出せ。

 おれがすべきことは一つだけのはずだ。

「あいつらに、何をした?」

「…どういう意味だ?」

「とぼけるんじゃねえっ!」

  

「フローラ達は記憶を失っていた! 昨日の襲撃のことも、セルタのことすら忘れてたっ!」

 

 扉を一歩踏み出してみた光景は、いつもと変わらぬそれだった。

 学校へ向かう生徒達の背中。

 聞こえる声は楽し気で、昨日あった出来事が彼方のことのようだった。

 その群れの中に、彼女達もいた。

 フローラ、エリス、カレン。

 激戦の後であろうに、彼女達すら普段と変わらぬ様子で通学路を歩いてたのだ。笑顔で。そこにいた筈の彼女に気付かないままに。

 

「それだけじゃねえ! あのクラスメートはなんだッ! おれはあんな連中知らねえぞっ!」


 わけもわからぬまま辿り着いた教室に、彼女達はいた。

 交わされる挨拶と笑顔。

 どこかで見たことのある光景は、ここでも同じ様に繰り返された。けれど、その顔ぶれは記憶にあるそれとはまるで違っていた。

なのに、見知らぬ他人は記憶にある彼女達と同じように接してきたのだ。その言葉の響きも、挙動も、仕草も記憶にある彼女達と瓜二つで。

 言いしれぬ不快感で吐きそうになった。


「驚いた」

 

 呆けた顔でリックストンは呟いた。

 寒気が走る。

 こちらをまじまじと見つめる視線はまるで肉食獣のそれのようだった。獲物を見定めんとこちらの挙動の全てを見られているような錯覚を覚える。

 いや、錯覚ではない。おれの考えが正しければこの視線は正しく獲物を品定めするためのものだ。

 立たせてはいけない。

 半ば無意識に言葉を重ねた。

「答えろッ!」

 巨体が動く。

 重心の移動と四肢の挙動。

 その動きの滑らかさに、思わずスマホを翳した。

 どこか面白そうにリックストンは笑みを浮かべる。

「どうした、何を怯える?」

「おれは答えろと言ったはずだ…!」

「わかりきったことを聞くな」


「彼女達の記憶を改ざんした。教室にいるのはあの娘らの代わりだよ。もちろん、彼女達と同じように記憶を弄ってあるがな」


 信じられなかった。

 言葉の意味を理解するのに数秒、それが自分の考えと合致していることに気付くのに更に時間を要した。

 口の中が渇く。

 何を聞けばいいのか、何が起きているのか。

 わかってはいても、どう対処していいのかわからない。

 絞り出した声は、それこそ意味がない質問だった。

「なんで。なんで、そんな真似をした?」

「あの三人が暴走を防ぐためだ。セルタを救うためならばと全てを捨てられては困る。そんな馬鹿は一人で十分だからな」

「スティーブ! そうだ、あの男はどうした!」

「奴なら捕えてある。あれでもかけがえのない戦友の一人だからな」

「あいつも記憶を?」

「弄ってはいない。いや、弄れないの方が正しいか。あの男はあれで貧弱だからな、そんな真似をすれば良くて廃人だと言う話だった」

「そんな物騒なもんをあの娘たちにやったってのかよ…!」

「必要だったからな。それに君自身にも施術したはずなんだがな。ふん、あの女もなかなか強かだったようだ」

 悪びれもしない態度に目眩がした。

 狂ってる。

 怒りにも似た感情が腹の底でとぐろを巻いている。思考の冷静な部分がそれを宥めていたが、既に限界を超えていた。

「最後に、一つだけ聞く」

「なんだ?」

「こんなことも前にも、いや、今まで何回同じことをした?」


「そう多くはない。二度、いや、三度目だったかな」


「ぶっ殺すッ!」

鎧を起動する。

変化は一瞬。

全身の熱さに任せ、渾身の一撃を放とうとして、

「なるほど。やはり中々使えるようだ」

 そのままぶっ飛ばされた。

 これまでとはまるで種類が異なる衝撃。腹の底を突き抜けたそれはこれまで自分が受けて来たそれとよく似ている気がした。

 こみ上げる吐き気と戦いながら、リックストンを見る。

 突き出された拳には無数の傷。丸太のように太い四肢を駆使した構えは、空手のそれとも違う。リックストンは獰猛な笑みを浮かべ、おれを見下ろしている。


「兵器を使え、異邦人。さもなくば死ぬぞ?」

 

 ぬるりと間合いを詰められる。

 鳥肌が立つほど見事な動きに呑まれたまま、おれはリックストンにぶっ飛ばされた。





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