その18
第一期と第二期の申告書が見つかった。お店のパソコン内の経理フォルダにちゃんと保存されいた。僕はそのPDFデータをGドライブに格納して、簿記部の人たちに共有した。
すると急遽、簿記部のとある先輩からMTGしたいと声を掛けられた。分からないことはアドバイスできるよ、と言われたので僕はじゃあ宜しくお願いします、と言う形で返事をした。
バイトから帰宅すると夜九時を回っている。一息つく暇もなく、僕はリビングのテーブルでパソコンを開いて、ビデオチャット用のリンクを踏んだ。
画面の向こうに先輩が現れる。顔がまん丸の肩幅の広い三年の先輩だ。
先輩の手には、巨大なおにぎりが握られていた。
「やばいよ、まだ食事中だって」
開口一番に、そう伝えられた。
「飯は食ったの?」
「まだです」
「なら一緒に食おう。簿記をおかずに、飯を食おう!」
「はぁ……」
こうして僕らは晩ご飯を食べながら、ビデオチャット越しに話すことになった。
僕は前日に作っていたカレーをお皿によそってきた。地味にカレー作りにはまっている。
「カレーか。やばいよ。ウマいよな」
「ですよね。飽きないのがいいです」
僕のカレーは福神漬けを多めに添えたシンプルなカレーだ。野菜と肉だけじゃ物足りないと思い冷蔵庫に入っていたアルトバイエルンを二センチに刻んで放り込んでやった。ちょっとした贅沢。飲み物は冷えたジンジャーエール。
僕はソファに腰を下ろし、カレーを口に運んだ。
「決算書みたよ。三期分。やばいよ」
先輩が興奮気味でそう話す。
なにがやばいんだろう。やばいの解釈が分からない。業績が悪いってことだろうか。
先輩は簿記部でもちょっとした有名人だ。部のグループチャットでは謎のポエムを頻繁に呟いているし、決算書を印刷してアイドルのポスターみたく部屋中に張っているだとか、そんな噂が耳に届く。高校二年で簿記一級に合格して、いまは怪しいビジネスに精を出しているとか、なんとか。
「やばいよ」
それが先輩の口癖だった。
「中小企業の決算書なんて、なかなかお目にかかれないよ。俺もう、ご飯何倍でもイケちゃう。この規模感がいいんだ。分かる? いまにも潰れそうな資本力とか、あぁーたまんない。普段は上場企業の決算書しか拝めてないから正直さ、溜まってたんだよな。やばいよ」
「はぁ」
「中小企業は上場してないだろ? だから決算書が表に出てこない。公告って言ってB/Sだけは概要が見れたりする企業もあるけど、足りないよそれじゃ。この決算書からしか得られない栄養があるんだ。今晩のおかずはこれで決まりだ。あぁー飯がうまい。やばいよやばいよ」
癖つよ。先輩はレスリング部も掛け持ちしているので肩幅が異様に広い。先輩が画面の向こうで美味しそうに爆弾おにぎりを頬張った。
「君はこの決算書見て、どう思ったん? そこ、まずは擦り合わせよ」
先輩から唐突な質問を受けた。ビデオチャット画面に第三期の損益計算書が映し出される。営業損益は二三八万六二四〇円の赤字。
「どう思った? えーっと、三期分を比較すると第一期は営業利益が二九万円なので、初年度は悪くないと思いました。二期目で売上が減少して営業損益がマイナスになったので、ここで業績が悪化しています。三期でまた売上が持ち直しています。ただ、売上は回復してるんですが、売上原価が過去最大級に増えてて、それが原因で営業損益も大幅な赤字になっています」
「三期で原価率が上昇したってことだよな。俺もここがポイントだと思う。どうしてなん?」
原価が上がった理由を僕は考えた。
「仕入れている食材が値上がりしてるから、とか」
「それにしても上がりすぎじゃない? 二期と三期を比較すると売上は一一パーセントしか伸びてないのに、売上原価は三七パーセントも上昇してる。物価上昇にしては、やばい水準だよ。とんかつ屋ならロースとかヒレの卸値が大きく上昇してれば説明がつくだろうけど、俺の調べた限り、第三期の期間における豚肉価格は、前年から数パーセントしか伸びてないよ。油も値上がり続いてるみたいだけど、売上に占める割合で考えても、それで原価上昇の理由になる程じゃない。つまり原因は、他にあると俺は思うぞ」
そのように言われて僕は「うーん」と腕を組んだ。最近、物価上昇物価上昇とメディアでよく叫ばれていたから、仕入値の上昇が真っ先に頭に浮かんだ。でも豚肉の価格までは把握していなかったので、先輩の言い分が正しい気がする。となると、他の原因とはなんだろう。
「よーく考えよー♪ マネーは大事だよー♪」
先輩が急に歌い出した。耳障り過ぎて集中力が削がれた。
二個目の爆弾おにぎりの袋を雑に破きながら、先輩が言った。
「ストーリーを感じろ」
「ストーリー?」
「そう。三期分の決算書を眺めてると、ストーリーが見えてくるだろ。ほら役員報酬をちょっとずつ削ってるなとか。この経営者、必死だなとか。見えてこないか」
「まあ、そうですね」
僕は販売費及び一般管理費の明細を眺めた。役員報酬は確かに減っている。これは西恋寺さんのお父さんの給料だ。そして、その下にある給料手当は逆に増えていた。
「三期目の給料が増えてますね。そう言えば、西恋寺さんも忙しくなったって話してました」
「じゃあ、来客数は増えてるんじゃない?」
「そうです。増えてるって話してました」
「それで三期目は売上が回復してるんじゃない?」
僕はもう一度、第三期の売上を見た。
「あ、なんか分かったかも知れません。単価が下がったんだ」
「俺もそう思う」先輩がうなずいた。
「そう言えば西恋寺さん、看板メニューの定食を値下げしたって話してました。三期目で単価を下げて、客足は回復したと考えたら、この原価率悪化になった理由も、給料支給額が全体で増えてる理由も説明がつきます」
「それだよ。この決算書からじゃ分からない情報だ。繋がっちまった。やばいよ」
先輩が手に持っている爆弾おにぎりを、二つに割った。中から鮭と昆布が顔を出す。
「ほらこんな感じで売上は「単価」と「数量」に分けられるだろ。でも損益計算書には載っていない。合体しちゃってる。イヤらしいことに!」
「ですね」
「だから全体の概要を掴むことはできるが、原因分析まで詳細にやろうと思ったら追加の情報が必要になる。今回なら「単価」と「客数」の情報が必要だ。いま現段階ではあくまで、単価が下がったかも知れないという推測でしかない。でも君の現場の声を聞いて、その可能性が高まった。この「単価」と「客数」をそれぞれ出してみて、実際に第三期で「単価」が下がって、反対に「客数」が伸びていたら、原価率が上昇した理由が一つ見つかったことになる。だろ?」
「じゃあ僕は単価と客数を把握できるような情報を集めればいいってことですね」
「分かってるじゃーん」
先輩が身体を揺らしながら喜びを表現した。挙動がいちいちデカい。
「売上の分解も重要だけど、もう一つやるべきことがある。固定費と変動費に分類すること」
「あーまた出た。管理会計の固変分解」
僕が苦い顔で言った。損益計算書に表示されている「売上原価」と「販売管理費」は「固定費」と「変動費」に分類できる。この情報も損益計算書には表示されていない。
売上原価や販売管理費というのは、売上げに対して直接関連があるか間接的に関連があるかの分類だ。一方で固定費と変動費は販売数量の増減に対して一定か、変動するかで分類される方法となる。つまり両者の分類方法は異なっている。
例えば、とんかつ屋の場合、とんかつ定食を製造するために直接かかったロース肉は原価となる。しかも販売数に応じて消費されていくから変動費でもある。一方で、家賃はとんかつ定食の製造に直接関連せず、間接的に発生する。だから販売管理費となる。そして、とんかつ定食がどれだけ売れたかに関わらず、毎月定額で発生するから固定費とも言える。
このように損益計算書の分類はあくまで外部報告用に作成されたものであるため、経営判断を下すための情報、すなわち管理会計用の数値はまた別に用意しなければ行けないのだ。
決算書は確かに役に立つが、万能ではない。
「固変分解は管理会計の基本だ。簿記二級でも出てくる」
先輩がスライド図を使って説明してくれる。僕はそれを見てうんうんうなずいた。
「この固定費と変動費に分けることで、なにができる?」
先輩がお茶をすすりながら尋ねてくる。僕が答えた。
「CVP分析です」
「その通りだ。やばいよ」
CVP分析の図が登場する。CVP分析とはコストボリュームプロフィットアナリシスの略だ。費用数量利益分析。雑に訳してもなんとなく分かる。数量すなわち、とんかつ屋の客数に応じて、どれだけコストがかかって、利益が残るのか、それが視覚的に分かる便利な図だ。ちょうど利益がゼロになる地点を損益分岐点という。
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(損益計算書(略図)とCVP分析図の関係)
https://kakuyomu.jp/users/mogumogupoipoi/news/16818093089686154933
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