その12

 大手とんかつ屋の店内では、お客さんが活発に出入りしていた。僕たちは食券を買った後、カウンター席に腰を下ろした。横一列に着席する。テーブル席は満席状態だった。


「レジも自動化したいよね。食券の機械入れたいなー」


 西恋寺さんが着席するなりそう言った。


「あれ高いのかな?」

「あたしは対面でレジしてもらう方が好きだよ。人間味あるし。食券機とか機械じゃん」


 妙子がそんなことを言う。僕は食券機の方が嬉しいけど。人と話さなくて良いから。


「そう言えば西恋寺さんのお店は現金だけだね」

「うん。あのレジって二代目なの。一度、壊れてアマゾンで買い直してたよ。クレジットとかも使えなくて、現金だけ」

「キャッシュレス入れないの? 便利なのに」


 と妙子。


「なんかね、お父さんが手数料がもったいないって」

「ふーん。あたしは現金だけのお店とか、あまり入りたくないけど」

「それ僕も同じ意見」

「和っちは、キャッシュレス派なの?」

「うん。姉ちゃんが現金嫌いだから、小遣いはPaypayで送金してもらってる。急に買い物を頼まれたりもするし、送金してもらった方が早いよ」

「あ、それ便利。あたし、お小遣いは現金でもらってるんだよね。塾行ったりもするからSuicaに自分でチャージして、買い物とかしてる。だいたいのお店で使えるし」

「西恋寺さんは?」


 と僕が聞く。


「私はバイト代が銀行振込だから引き出して現金で使ってる。電子マネーってなに使ったらいいか分からなくて」

「分かる。アホみたいに種類多いもんね。統一して欲しいわ」


 妙子が愚痴をこぼす。僕も大きくうなずいた。


「でもお店の買い物するときは、このカード使ってるよ」


 西恋寺さんの財布から、クレジットカードが出てくる。


「おおっ! クレジットカードじゃん。絢ち、かっけー」


 僕もそのカードをまじまじと見た。クレジットカードなんて近くで見るのは初めてだ。ビジネスオーナーズと表記がある。妙子が「見せて見せて」と言って、観察していた。


 そんな会話をしているうちに、とんかつが運ばれてきた。


「なかなか早いじゃん。さすがチェーン店」


 妙子が感心する。僕たちはお箸を割り、各々運ばれてきたお昼ご飯を食べ始めた。


「メニューとかもさ、ここに置いてるんだね」


 西恋寺さんがテーブルに設置されているメニュー表を手に取る。


「写真だよねー、やっぱり」


 西恋寺さんのお店、とんかつあぁやではメニュー表は全て文字で書かれている。メインのロースかつとヒレかつ定食だけは唯一、写真があって、メニューとは別に壁に貼られているけど、一品ものやドリンクはテキスト情報のみだった。HPも同様だ。これはやや不親切に思える。


「メニュー表ちゃんと作る? あたしはそれ賛成。写真部とホームページ部に聞いてみるけど」


 妙子は色々な部活に顔を出しているらしい。そのコミュニティ力を活かして、自分たちにできないことは手伝ってもらおうという作戦のようだ。


「このカツも美味しいね」


 僕が言った。そして、この価格はおかしいと思った。僕が頼んだとんかつ丼は税込五五〇円だ。定食でも六六〇円。東京の二三区ではないとは言え、駅周りの飲食店はどこもランチは千円程度はする。そんな中でのこの安さ、さすが大手チェーンと言わざるをえない。


「下げるか」


 などと妙子がつぶやく。


「いや、価格で勝負してもダメな気がする」


 僕が首を横に振った。妙子がカツをがぶっと噛み千切る。豪快な食べっぷり。


「でも絢ちのお店より肉が薄いな。満足度はちょっと下がるかも。このソースでごまかしてる感あるよね? 味だけなら絶対負けてないと思う」


「やっぱり価格かー」


 と言って、西恋寺さんがキャベツを頬張る。


「絢ちのお店、いまロースかつ定食は八八〇円でしょ。やっぱり、お得感変わるよね」

「だよね。安いのは正義だし。あ、でも」


 西恋寺さんが思い出したように言った。


「定食は前まで一〇五〇円だったんだよ。一年くらい前に値下げしたの」

「あれ、そうだっけ。あたし覚えてないや。やっぱりお客さん減ったから?」

「そうみたい。お父さんも高いとお昼に来ないって言ってた。値下げした後、ちゃんとお客さんも戻って来たって話してたし」

「なるほどね。じゃあ今はお客さん、あれで戻ってきたほうなんだ」

「そう。私がアルバイト始めたのも四月で、高校生になってからだけど、その頃から人手足りてなかったし。バイトの人も定着してくれないの」

「時給上げたら? いまいくら?」

「一一六三円。東京都の最低時給」

「うーん。あたしなら一五〇〇円欲しいかな」

「いや待ってよ妙子。赤字だよ。時給上げる話じゃなくてコスト下げないと」


 僕が真面目にツッコんだ。利益を増やすなら売上げを伸ばすかコストを削減するか、どっちかだ。逆はまずい。すると「ふふっ」と西恋寺さんが笑った。


「どうしたの?」

「ごめん。なんか鳥羽くんのその台詞がお父さんみたいだったから」

「コスト下げろって?」

「そう。よく言ってるよ。コスト削減をもっと頑張らないとって。でも味は落とさないぞって」

「分かった。九っち。それはよく分かったから」


 妙子が手で制止するような素振りを見せる。


「支出減らしたいのはよく分かった。でもケチなこと言ってたらバイト来ないよ。来客を増やして売上をもっと伸ばせばいいんだよ。そしたら、そんなケチくさいこと言わないで済むから」

「まぁ、そうだけど」


 ケチくさいのか自分の考えは。両方取り組めばいいと思うけど。

 妙子の言い分はどこか腑に落ちないが、ひとまず反論はしなかった。


「ここのカツ屋さん思ったんだけど、すごく効率的な運営されてるね」


 西恋寺さんが周囲の様子を伺っている。


「ほら、厨房を見てるとすごいなって。食器洗い機うちも欲しい。ガシャンってやるやつ」


 がしゃん、ってやるやつのジェスチャーを真似する。僕はそれを見て癒された。可愛い。


 いまなにか、ちょっと揺れた気がする。どことは言えないけど。


「この辺りは大手って感じだよね。入りやすい雰囲気とかもさ」


 妙子が難しい表情になる。


「なんか人気出るのも分かる気がする」


 なにより大手のこのお店は駅からすぐ近くの、いちばん目立つ場所にある。人通りも多い。商店街からやや離れた場所にあるとんかつあぁやとは段違いだ。家賃はその分、高いのかも知れない。だけど、恐らく大手だから業務を徹底的に効率化して、仕入などもまとめて行って原価も低く抑えているに違いない。これが大手の戦略なのかと思い知らされた。


 こんなお店と正面から価格で勝負したら絶対に勝てない。相手は上場企業なのだ。


「やっぱり勝者はますます勝つ仕組みなんだね。カツだけに」


 僕が深くうなずいた。


「おもんないダジャレ言うなよ」


 妙子がキレた。西恋寺さんが思わず吹き出して、なにかで喉を詰まらせて、むせた。


 水を飲んで、またせき込む。


「大丈夫、西恋寺さん」

「ダメ、ちょっとお手洗い」


 西恋寺さんが席を立ち、トイレに駆け込んだ。


「おいてめぇ!」


 妙子が胸ぐらを掴んでくる。


「ごめんなさい。まさか僕のダジャレで」

「ちげーよ。あんた、なんだよさっきから」

「ええ、なにが……」

「なにがじゃないよ。さっきから見てたら、あんたその視線がやらしいんだよ。この変態が」

「ええ……僕まじめに考えてたけど」

「さっきどこ見てた?」

「どこ? いやどこも」

「絢ちの胸、見てただろ!」


 僕は二秒、沈黙した。


「ほら見ろ! あんたの下心なんて見え見えなんだよ!」

「待ってよ。僕はそんな、見てないよ」


 目に入ってきたのだ。見たわけじゃない。両者はだいぶ意味が違ってくる。


「あんたの言い分なんて信じられるか。見てたんだよ。あんたは! 絢ちの胸を!」

「待ってよ強引だよ。なにを根拠に」

「気づかないと思ってんだろ? でもな、あんたそれ分かるんだからな」


 そう言って妙子が人差し指を僕の目の前に差し出してくる。そこから人差し指で線を引っ張るように、先ほどまで席に座っていた西恋寺さんの胸の辺りにまで、すーっと直線の軌跡を描いた。その軌跡が、僕の視線だったと言いたげに。


「あんたの眼球がこう、この角度になってたの」

「いや、言いがかりだよ」

「お前の言葉が信じられるか! この眼球の角度が、答えなんだよ! 三十五度!」


 僕は沈黙した。


「ごめん……」

「十五人。この数値が分かる?」

「十五人?」


 唐突に飛び出した数値に思い当たる節がなく、尋ね返す。


「あたしが抹殺してきた男の数だよ」

「どういうこと?」

「入学してから絢ちに近づいてきた奴は、無数にいるんだ。教室で近づいてきた奴とか、Slackで絢ちが自分のプロフィール写真を公開したら何人の男からDM来たと思ってんだ」

「そうなんだ。それは、知らなかった」


 西恋寺さん、可愛いから当然だ。よく考えると西恋寺さんはこんなに可愛いのに、男が全然寄りつかないなと、実は不思議に思っていた。普通、可愛い子には男が寄ってくるものだ。


「あんたが十六人目だ」


 妙子の言葉で、全ての謎が解けた。

 西恋寺さんに男が寄りつかない理由。妙子が人知れず闇にほふっていたからだ。


「そうは言っても、僕ら協力しないと。争ってる場合じゃないよ」

「そうだよ。お店の手伝いをする分には、許してやってるんだ。特別にな。だけど次、お店の手伝いとは関係ない目で絢ちを見てみろ。いい感じの雰囲気になろうものなら、あたしがあんたを追放してやるからな。この世界から!」


 そう言って、妙子の手が僕の胸ぐらから離れた。身の危険を感じた。この女子、本気だ。


「二人ともお待たせー」


 西恋寺さんが戻ってきて、席についた。


「もう、絢ち、食べながら笑っちゃダメだよ」

「ごめん妙ちゃん。びっくりしたー」


 ははは、と二人で穏やかに笑い合っている。

 なんだこのギャップ。変わり身の早さに、背筋が凍りそうになる。


「じゃあ、次の店、行くか」


 妙子が食べ終わって、僕らは大手チェーン店を後にした。

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