その44

 一月一日の朝、夜遅くまでリビングでテレビを見ていた僕は、あくびをしながら、自宅から三〇分ほど南へ歩いた場所にある神社へと足を運んだ。


 すでに多数の参拝客で賑わっている。着物で参拝に来ている地元民もいれば、私服で観光に訪れている海外の複数人グループの人たちもいた。僕はというと白と黒のポロシャツにジーパン姿だ。上からダウンジャケットを着ているので、中の服装とかはあまり気にしていない。


 小さめの鳥居をくぐり、その先にある階段を上るかどうか考えていたところで、背後から肩をとんとんと叩かれた。首を振り向けると、人差し指が頬に刺さる。


「九っち、あけおめー」


 妙子だった。


「九くん、明けましておめでとう」


 西恋寺さんも隣にいる。二人とも着物姿で普段よりも気合いを入れて髪を結っていた。特に西恋寺さんは日頃、黒髪のロングなので短くまとめると印象が随分と違って見える。


「明けましておめでとう」


 と僕が返事をする。


「その……似合ってるね」

「ほんと? ありがとうー」


 西恋寺さんがちょっと照れながら反応してくれる。僕はすぐに眠気が吹き飛んだ。


「あたしも似合ってる?」


 妙子が尋ねてくる。


「似合ってると思うよ」

「ありがと」


 妙子が意外そうな顔つきで、僕の胸元を押した。


「真面目に答えないでよ。ボケてよ。期待してたのに」


 そうやって無茶ぶりしてくる。僕だってボケるタイミングは選びたいのに。


 それにしても今日の西恋寺さんは綺麗だ。いつもは可愛いが勝っているが、今日はビューティフルのウエイトが高い。薄化粧のせいだろうか、うっすらと赤い唇に見惚れてしまいそうだった。新年早々、素敵なものが拝めて僕は嬉しい。


「じゃ行こっか」


 と妙子が階段を上り始める。


「上ったらたぶん待つことになるよ。この人混みだもん」

「何分くらい待つんだろ」

「毎年、三〇分くらいかなー」

「結構かかるんだね」


 そんな話をしながら、僕らは階段を上った。

 五〇段ほど上りきると、開けた場所に出た。さすが新年で境内にも人がひしめいている。


「多いね。この神社こんなに集まるんだ」

「ね」


 と西恋寺さん。


「二人は毎年来てるの?」

「中二と中三のときは一緒にきたよね妙ちゃん?」

「だね。一年の時はクラス違ったしね」

「そうなんだ」


 と僕が相づちを打った。


 昨日の夜、妙子から初詣に行こうと誘われた。西恋寺さんも来ると聞いて、僕は二つ返事で行くことが決まった。なんだかんだ言って、妙子は僕のこと応援してくれているような気がする。だって応援してなかったら、誘ってこなくない?


 そんな妙子のことを、僕は妙子大明神と呼ぶことにする。むしろ妙子に手を合わせて拝みたいくらいだ。今日という日を用意してくれてありがとう。感謝しかない。


 僕たちは参拝列に並んで待つことになった。


「そうだ、西恋寺さん。お父さんはどうなったの?」

「なんかね、記憶が戻ったらしいよ」

「そうなの?」

「うん。思い出しそう、みたいなこと言ってたし」

「記憶あったんじゃない? 最初から」


 妙子が疑いの目を向ける。

 それを聞いた西恋寺さんも「うーん」と冴えない様子を見せる。


「どうだろ。家の玄関見て思い出したって話してたけど、もういいやってことになった」

「いいんだ」

「お母さんも面倒臭そうにしてたし。私もお父さん戻ってきたから、それでいいやって」


 なんだかよく分からない父親だ。

 結局、家出したかっただけ説が有力らしい。大人の行動はよく分からない。


「でね、来週からお父さんお店に復帰するから、私はシフト減らして学校に通えると思う」

「おお、良かったね」

「九くんのおかげだよ。本当にありがとー」

「いや西恋寺さんが頑張ったからだよ。僕はちょっとだけ手伝った感じだし」

「あと、お父さんが新メニュー加えたいって話もしてて。いいかな?」

「なに加えるの?」

「マグロカツ」

「そういえば前にマグロ仕入れてたよね。またやるんだ」

「そうなの。お父さんよく出張に行って食材探してたでしょ。安く仕入させてもらえるって話してた。あと動画でもマグロマンって呼ばれてるし、視聴者からも希望があったんだって」

「メニューが加わるのはいいと思うよ」


 利益がちゃんと出るの前提だが、とはいまはあえて話題にしない。新年の営業が始まったら仕入値なんかも含めて見せてもらおうと思った。


「ま、いい方向で解決してよかったね。あたしも一安心だわ」


 先ほどから妙子が辺りをやけに見回している。挙動が気になり様子をうかがっていたら、西恋寺さんの目を盗むようにして、僕の耳元に顔を近づけてきた。


 そして僕にだけ聞こえるように、耳元で囁いてくる。


「参拝の後さ、あたしも協力するよ」

「なにを?」

「告白するんでしょ?」

「いや、しないよ」


 と断るも妙子は乗り気だ。


 西恋寺さんがこちらへ視線を送ってくる頃には、もう耳元から顔は離れていた。そして気付かれないように、親指を立ててなぜかドヤ顔している。グッドラック、と言いたげに。


 前の人の参拝が終わると、いよいよ順番が回ってくる。

 僕たち三人は横に並び、手を合わせた。目をつむり、今年の目標を真剣に願う。西恋寺さんと、いい感じになれますように。愛絢さんと呼べますように。バレンタインデーにチョコをワンチャンもらえますように……。


 目を開けて、隣を見ると、妙子の姿が忽然と消失していた。


「あれ、妙ちゃんいない」


 西恋寺さんも首を右へ左へ回して妙子の姿を探す。

 後ろがつかえているので僕らは脇に退いた。少し離れた場所に移動してから、僕が言った。


「どうしよ。探す?」


 僕としては、このまま二人で帰ってもいいし、何処へでも行きたい。


 すると西恋寺さんが「じゃあ、いまのうちに」と小さくつぶやいた。そして尋ねてくる。


「ねえ、九くん。おみくじ引かない?」

「おみくじ? 別にいいけど」


 僕の返事を聞いた西恋寺さんが、後ろに隠していたなにかを、さっと僕の前に差し出してくる。それは二つの封筒みたいなサイズの紙だった。


「なにこれ」

「おみくじだよ。どっちか引いて」


 それに従い右側の紙を手に取る。

 三つ折りに畳まれている紙を開いた僕は、思わず、声を上げた。


「これかー」


 自分の名前と住所が書かれている。親の判子なし、退学届だった。


「当たりだね。じゃあ行くよ」


 西恋寺さんが合図を送ってくる。


「ほら、一緒に」

「え」


 僕が慌てる。でもなにをするかは、仕草を見て分かった。そんな約束をしていた。


「せーのっ、えい」


 西恋寺さんと僕は、お互いの退学届をその場でびりびりと破いた。

 もう要らない。今年からまた学校へ通うのだから。


「やっっっと、終わったー」


 縦と横に五回くらい破き終わった後、西恋寺さんが満足げに両手を上げた。

 その顔は達成感に満ちている。


「この退学届、ずっと持ってたんだ。捨てたのかと思ってた」

「持ってたよ。お店が忙しいとき何回か見たもん。絶対に辞めないぞって思いながら」

「全然気付かなかった」

「えー忘れてたの?」

「ちょっとは覚えてたよ」

「約束してたのに。私だけ?」


 そんな約束は確かにした。でも正直、ほとんど忘れていた。伝えたら怒られそうだ。


 意外だったのが、西恋寺さんの中で自分との約束が思った以上に大切にされていたことだ。


「なんか、ごめん」


 すると西恋寺さんが首を横に振る。


「いいよ。だって九くんがあの時、私に言ってくれたから頑張れたんだから。結果オーライ」


 満面の笑みで、僕に向けてブイサインを飛ばしてくる。

 その姿を見て、あのとき約束して良かったなと心底思えた。


「ねぇ、九くんはなに願ったの?」


 突然、急接近してきた西恋寺さんに、そんなことを尋ねられる。


 顔を覗き込まれ、僕は言葉に詰まった。先ほどの参拝で、なにを願ったかを思い出し、余計に口をつぐんだ。恥ずかしくて言えない。


 僕が黙っていると、西恋寺さんが続けた。


「私はお店の事。繁盛しますようにって。あと九くんとも、ずっと一緒に居たいなって」


 西恋寺さんが返事を待つかのごとく、こちらを見つめてくる。

 恥ずかしそうに、顔を赤らめているようにも見えた。


「ダメかな?」


 と西恋寺さんの口から、そんな言葉が漏れる。

 ダメな訳がない。もっと一緒にいたい、なんて僕だって同じ気持ちだ。

 これはもう間違いなく、告白を待たれている。ここで気持ちを伝えられないなら一生、告白する機会など巡ってこない。西恋寺さんは遠くへ行ってしまうだろう。僕はそれを悟った。


 胸の鼓動がいつになく騒がしい。

 恋のインターホンが見える。幻覚ではなく、目の前に押せるやつだ。

 あとは僕の意志で決まる。押さねば、なにも始まらないのだ。


 僕は息を吸い込み、うなずいて答えた。


「僕もだよ。僕も、愛絢さんと一緒にいたっ――」


 突如、視界が揺らいだ。わき腹に謎の衝撃が走る。


「ぶぁっ」


 僕の口から空気が漏れた。そして女子の声がした。


「はい、そこまで! 時間切れどーん」


 僕は横に飛んだ。拝殿を囲う木製の板に身体がばん、とぶつかり、地面に這いつくばった。


「おん」


 変な声が出た。顔を持ち上げると、西恋寺さんの隣に、妙子が立っていた。


「……え、なに?」


 そこで初めて僕は、妙子に妨害されたことを知る。


「ごめん。やりすぎた」


 妙子が慌てた様子で言った。


「妙ちゃん!」


 西恋寺さんが口元に手を当てて驚く。


「痛っ」


 遅れて腰回りが痛み出した。


「大丈夫? ほら立てる?」


 妙子が手を差し出してくる。僕はその手を掴んで身を起こした。

 そして妙子にだけ聞こえるように言った。


「ちょっと妙子、どういうこと?」

「ごめん、そんな飛ぶとは思わなかった」

「いや、そこじゃなくて、まだ途中なんだけど」

「時間切れなので」

「いやいや、協力するって言ったじゃん。いま、かなり勇気振り絞ったんだけど」

「辞めたわ! そんな義理なかったもん」


 そう回答があって、妙子が西恋寺さんの側に駆け寄り、その肩をひしと抱き寄せた。


「あたしの絢ちを奪わないで!」

「ええ……」


 なに考えてんだ、いったい。応援するとか言って、直前で妨害してきて。

 僕はあまりの理不尽さに言葉を失った。時間切れってなんだよ。意味が分からない。


「妙ちゃん。どこ行ってたの」

「ごめん。人混みに押されて漂ってた。それよりさ」


 妙子が西恋寺さんの手を引っ張る。


「あっちに甘酒のお店あるから、行こ」

「いや、待って」


 僕が引き留めようとする。

 なに二人だけの世界に繰り出そうとしてるんだ。僕を置いて行かないで。


「そうだよ」


 と西恋寺さんが妙子の手を振り解いた。


「いま大事な話、してたんだから。九くんと」


 西恋寺さんが僕の方へゆっくりと歩み寄ってきた。


「ええー、絢ちまで。やだよ」


 妙子が寂しそうに猫みたいな声で鳴く。

 西恋寺さんが神妙な顔つきになった。僕はその顔を見てどきりとした。


「さっきの返事だけど、ちゃんと聞かせて」

「え……あ、うん」


 強い眼差しを受ける。西恋寺さんが、僕の言葉を待っていた。

 心臓がまた高鳴り始める。ばくばく、ばくばく、している。


 僕は一呼吸置いた後、先ほどの言葉を繰り返した。


「僕も愛絢さんと一緒に居たいです。これからも」


 思わずはっとなった。僕はとうとう、下の名前で呼んでしまったのだ。愛絢さんって言っちゃった。ついに想いを伝えてしまった。もう後には戻れない。


 僕の返事を聞いて、愛絢さんがうなずいた。


「よかったー」


 口元で手を合わせて、安心した表情を浮かべる。


「じゃあ今年も、バイト続けてくれるんだね」

「お?」

「バイトだよ」

「バイト? え、バイトの話?」

「え、じゃないの?」


 どの辺からバイトの話になってたんだ。思い出せない。


「これからも、よろしくね。一緒にお店を盛り上げよ!」


 愛絢さんが屈託のない笑みを浮かべる。天使みたいな笑顔で、悪魔みたいなこと言われた。


 そもそもこの子は、こういうところが変なのだ。

 天然で、突拍子もなくて、ふわっとしている。一筋縄では行かない。


 僕は肩を落とした。僕の気持ちが届くまで、あと何年かかるのだろう。


 愛絢さんの背後では、妙子がお腹を抱えて笑っていた。

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