その34
翌日の月曜日。学校の教室で僕らは緊急集会をした。妙子が僕に尋ねてくる。
「九っち、試験どうだった?」
「んー、どうだろ。普通くらい。でもCVPが出て助かった」
「合否はまだ分からないんだっけ?」
「一二月の頭くらいに発表される」
「へぇ。自己採点はしたの?」
「してない」僕が首を横に振る。
「あたしすぐやるよ。模試とか当日に点数分かるもん」
「したくない。落ちたら凹むから」
「早いか遅いかの違いだけどなー」
妙子は普段から模試で慣れているらしい。そんな受験狂人と一緒にされると困る。
「まあ、それはひとまず置いといて、本題のさ、副店長の話するか」
「そうだよ。ねえ、どうしよう」
西恋寺さんが僕の顔を見てくる。助けを求めている目をしていた。
「絢ち、いまどんな状況だっけ?」
と妙子が尋ねた。
「いつの間に辞めるとか、そういう話になったのさ」
「私も土曜日に相談されたばかりで、まだなにも決まってないよ。とりあえずみんなに相談するって伝えて、そこで止まってる」
「副店長はもう別の仕事先が決まったの?」
「まだって話してた。先に相談しておくって言われたの。お父さんが蒸発して忙しくなった辺りから、転職を考えてたみたい」
「やっぱそうかー」
無理もない。オーナーが不在で会社の業績は赤字、このような状況で副店長がずっと働き続けてくれる方が都合が良すぎるのだ。副店長にだって養う家族がいる訳で、身の振りを考えたってなにも不思議ではない。副店長は西恋寺パパと二十年来の仲らしいけど、結局はそれでも他人なのだ。西恋寺さんみたいに血の繋がりがある訳でもなければ、お店を守る義理もない。
そんなことを考えて、僕は肩を落とした。
「せっかくSNSからもお客さんくるようになったのにね」
と西恋寺さんも残念そうにしている。妙子が続けた。
「そう言えばさ、遠方からも来てなかった?」
「お客さんでしょ? 来てた。新潟から東京に来たついでに立ち寄ったって。あと海外の人も来るようになった。私、英会話習った方がいいかも」
重たい空気を避けるように、話題が逸れていく。
「西恋寺さん、こないだ片言の英語で話してたよね」
「そうなの。絶対キャッシュレス効果だよ」
「カード払い多いよね海外の人」
当然と言えば当然だ。キャッシュレス決済を導入して客層が広がったと感じる。早くもお会計の半数がキャッシュレス決済に移行していた。想定を上回るペースだった。
すると、妙子が鞄からチラシを一枚、おもむろに取り出し言った。
「チラシの話もしていい? これがリニューアルしたデザイン」
それは価格改定したバージョンのチラシだった。
「完成したんだ」
「明日くらいにお店にもまとめて届くから、受け取ってよ」
僕がチラシをのぞき込む。『お父さん、探しています』の主張がより際だつデザインに変更されていた。WANTEDと書かれていて、賞金首みたいになっている。
「妙ちゃんさ、私の写真使いすぎだって」
西恋寺さんが半ば呆れた声を出す。
「当たり前じゃん。看板娘なんだから推してかなきゃ。とんかつああやは絢ちを推せる店」
「そのコンセプト、僕は初耳だよ」
「そう? 当初からそんな感じでしょ」
妙子に言われて、僕は思い返した。店名に始まり、店内にあるモノクロ写真、そしてホームページの七五三の写真。とんかつああやは可愛い西恋寺さんを推せるお店だったらしい。
「なんか納得」
「九くんまで、真に受けないでよ。そんなお店じゃないよ」
西恋寺さんが恥ずかしそうに机に伏した。
その方向性でも悪くない。家庭的なお店の雰囲気と看板娘の西恋寺さん。実際、西恋寺さんは接客が巧い。僕の場合、笑顔が足りないとか忙しいときは挨拶も雑になるけど、西恋寺さんはどんなに忙しくてもお客さんへの配慮を欠かさない。僕がフロア担当じゃない日に厨房にこもってパソコン作業をしていた時も、その働きぶりはよく目についた。常連のお客さんと世間話をしたり、小さな子供が飲み物をこぼした際も愛想良く天使みたいに対応していた。常連の何割かは西恋寺さんの人柄に惹かれて通っているんじゃないか、という気さえしている。
「そういえば」
西恋寺さんが顔を持ち上げ、思い出したように言った。
「旧バージョンのチラシだけど、SNSでも
「あら、そうなん?」と妙子。
「エゴさしてたら見つけた」
「受験の邪魔だから控えてるんだよねSNS」
「いいね三〇〇くらい付いてた」
「うそ、見たい。どれ?」
「これでしょ」
僕が話に加わり、スマホ画面を妙子に見せた。
旧バージョンのチラシを受け取った人が、五日前に投稿していたものだ。『人探ししてるっぽい。このとんかつ屋』という短文メッセージとともに、写真が貼付されている。
「へぇ、いいんじゃない。宣伝になるし」
「もー、恥ずかしいんだけど……ネットデビューしちゃってる」
西恋寺さんが僕の知らない場所で拡散されていく。父親の免許証の写真とともに。
「真面目にお店やってるんだから、胸張ろうよ。ていうか、これが集客でしょ」
妙子が当たり前のように答えた。
認知されないよりは広まった方がいいのだろう。僕も半分くらい妙子に賛同する。だけど西恋寺さんが拡散されていくのは心配でもある。変な毛虫がお店にやって来ないとも限らない。ガチ恋勢が出てきたら、どうしてくれるんだ。ただでさえ学内でもモテるのに、お店のお客さんにもモテ始めたら、僕はどうしたらいいいんだ。複雑な心境にしてくれる。
「まあでも、いいけどさ。お客さん増えるのは」
西恋寺さんが観念した様子でつぶやいた。
「それはそうと副店長だよ。ねえ、どうしよう」
再び副店長の話題に戻ってくる。避けて通れない。
「まだ相談段階なら話し合うがいいんじゃない? お店としては、困るんだよね?」
「辞められたら終わるよ」
妙子に尋ねられ、僕がうなずく。
「じゃあさ、たとえば労働日数を減らすとか、交渉の余地あるじゃん」
「お給料を増やすとか?」
と西恋寺さんの提案。
「そうそう。まずは本音で話し合う。どうするかは、それからじゃん」
「いまのお給料ってやっぱり安いのかな」
僕が腕を組んで、そのような疑問を投げかけた。
副店長の固定給与は月額二八万円だ。税金が引かれたら手取りは二二万五〇〇〇円程度。社保も完備。週四勤務で労働時間は月一五〇時間くらい。最低賃金の僕からしたらたくさんもらえていいな、くらいの感覚だけど、大人の給料はもっと高い人もいるし基準が分からない。
「給与上げるのは、厳しいの九っち?」
「うーん、どうだろ」
僕が考えてから答えた。
「値上げがうまくいったら、上げることもできなくはない感じかなー」
「曖昧な答えだな」
「あとひと月くらいは様子を見たいんだよ」
現在、お店は客単価向上計画の道半ばといった状況にある。値上げをした最初の週はお客さんがやはり減少した。僕は怖くなった。でも翌週から徐々に客足が回復してきて、三週間経ったいまでは値上げ前の一割減くらいの水準にまで戻っている。もちろん割引クーポンを利用する人が一定数いるので、客単価はまだ二〇〇円も伸びていなくて、恐らく八〇円くらいだ。来週頃から本格的に単価が上がり出すとともに、クーポンを使えなくなったお客さんたちが結局は徐々に離れて行くかも知れない、というような近況であった。
「客単価が二〇〇円しっかり伸びて、お客さんも定着したら給料だって上げることできると思うよ。経費はあまり増やしたくないけどね。僕としては」
なんだか渋いこと言ってるなと、自分でも思った。だけど安易にコストを引き上げると正直あとから辛いのは分かりきっている。数値で見たらそういう判断になる。かと言って姉の会社みたくブラック企業のようになっても困る。経営のかじ取りは難しいものだ。
「じゃあ、その話を副店長にして、もう少し待ってもらうとかどう?」と妙子。
「いくらくらい上げられそうなの? お給料って」
「月額二万くらいなら頑張れそうかなー」
「五万くらい上げたら」
「パターン分けしてシミュレーションするよ。客単価が上がれば無理な話じゃないと思うし」
「よしじゃあ、九っちに交渉は任せる。頼んだから」
妙子に肩を叩かれる。僕がうなずいて答えた。
「そもそもの話、辞めたい理由が給与なのか、労働時間なのか、仕事内容なのか明らかになってないよね。とにかく一度、ちゃんと話し合ってみるよ」
「じゃあ九くん、明日の朝とか大丈夫?」
「うん。お店に行くよ」
「ありがとー。頼りにしてるね」
西恋寺さんが安心した顔になった。頼りにされているので断れない。
「二人とも頑張ってね。辞めずに済むならそれに越したことないと思うし」
「僕もそう思う。不満とかあったら聞くことにするよ」
そんな話をして、僕らは解散した。試験も終わったことだし、僕は久しぶりにのんびりした学校生活を送った。読み溜めていたマンガを読んだ。マンガも読書時間に入る。そんなのは常識だ。たまには、こんな日があってもいいものだ。
お昼になり、久しぶりに食堂で一人飯をした。最近、誰かしらとご飯を一緒に食べるようになっていたからか、新鮮さがあった。西恋寺さんや妙子たちだけじゃない。簿記部の人やグループワークで一緒になった人たちとも結局は、そこそこ仲良くなった。お店の経営の話をすると、みなだいたい興味を持ってくれる。WEBデザイン部の人たちと打ち合わせしつつだったり、爆弾おにぎり先輩に急に呼び出されたり。
そんな日々が続いていたからか、一人でご飯を食べることへの抵抗も薄まっていた。いや、むしろ一人で静かにご飯を食べられるって素敵なことじゃないか、とさえ思えた。
姉も話していたっけ。
人間関係に疲れたら、一人になりたくなるものだって。
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